魔薬
「呼ばれて飛び出てポポポピーン☆ 呼んでくれてあんがとね、お兄ちゃんっ!」
突如として現れたのは、赤く波打つ癖っ毛の長髪に、赤みがかったクリクリの瞳、そしてそばかす交じりの幼い顔つきをした少女だった。背丈は130㎝ほど。しかも、何のためらいもなく全裸で、にっこりと満面の笑みを浮かべていた。
「だ、誰ですか、その女の子はっ!?」
思わずエミリーが声を上げる。
「あっ……えっと、ごめん……これは……」
ハナは綺麗に咲き誇る花々に囲まれながら、ふと誰かに話を聞いてほしいと願ってしまった——心の奥の、疲れた部分が、つい零れてしまったのだ。
そして気づけば、芥子の花に触れていた手を、そっと背中の後ろに回していた。
「ぼ、僕の……友達の、タルポちゃんです」
「タル……ポ?」
耳を疑うようにエミリーが聞き返す。
ハナは咄嗟に、触れた花——オリエン“タルポ”ピーだと思い込んでいた——に引っ張られるように、その名前を出してしまったのだった。
「お兄ちゃんっ! 最悪な名前つけないでっ‼」
少女はプンプンと怒って、広いおでこを突き出してハナに詰め寄る。
「ご、ごめん……じゃ、じゃあ……」
「そうね、ケシだから……ケーシィ! これからは“ケーシィちゃん”って呼んでねっ!」
ケーシィはハナの口をぺたりと手で塞ぎ、自ら名乗るように笑顔で言った。
「わ、わかりましたから……とにかく服を着てください!」
真っ赤になったエミリーは、思わず自分の黒い司祭服をケーシィにそっとかけてやった。
「ケーシィちゃん、良い名前だね。ということでエミリー、この子は僕の友達のケーシィちゃんだよ。そしてケーシィちゃん、僕がハナで、こっちは妹のエミリー」
まるで今出会ったばかりの子と、長年の友人のように紹介するハナに、エミリーは内心首を傾げつつも、結局は「兄らしいな」と肩をすくめて済ませた。
「ということで、じゃないんですよハナ。……どうやってこの子を中に?」
軍事施設であるこの場所に、年頃の見知らぬ少女がいる。それ自体があり得ない。エミリーは顔を険しくする。
「エミリーちゃんか。かわいいねぇ。ケーシィ達、ずっとこの場所にいたよ?」
屈託のない笑顔でエミリーに近づくケーシィ。
ぐいっと顔を近づけ、今にもキスしそうな距離にまで、あの広いおでこが迫る。
「ちょっ、近いですっ! それに、今“ケーシィ達”って……? “ずっとここにいた”? ……まさか……」
エミリーは一歩後ずさりながら呟く。
「魔薬の……治験者? いくら計画を急いでいるとはいえ、こんな小さな子にまで……まさかお父様……」
ケーシィを見つめながら、唇を震わせるエミリー。思わず出た独り言のようなその言葉には、怒りと戸惑いが入り混じっていた。
その隙を見て、ハナはそっとケーシィに囁きかけた。
「ケーシィちゃん……君が芥子の花から生まれたってこと、エミリーには秘密にしてくれないかな?」
ニチ子の一件がまだ心に重くのしかかっているハナには、それを告げる勇気がなかった。
「え? やだよ」
ケーシィはぷいと顔をそむけ、ふんっと鼻を鳴らす。
「ケーシィ、新しいお友達に嘘はつきたくないもん。それに、エミリーちゃん、すっごく可愛いんだよ? もっと知りたい。だから、ケーシィのことも、もっと知ってほしいの」
どこまでも素直で、まっすぐな感情。だがそれが、ハナの胸を刺す。
「で、でも……僕の魔法は……」
自分のせいで、ニチ子が、そして……他にも、何かが壊れてしまった。
「お兄ちゃんっ! 三人はもう友達でしょ!? 思いやりがなかったら、友達いなくなるんだからねっ!」
「う、うん……ごめん……そうだよね……友達は、大事にしなきゃ」
友達のいなかった日々を思い返し、ハナは素直に頷いた。
「聞いて、エミリーちゃんっ。ケーシィはお花なの。ここに咲いてるケシ、全部ケーシィ。ケーシィは、エミリーちゃんに一目惚れしたの!」
そう言ってエミリーの手を握り、キラキラとした瞳で見つめる。
「ひ、一目惚れ……⁉」
唖然とするエミリー。そして横で頭を抱えるハナ。
「な、なに言ってるの? それに、花が全部あなたって……まさか……」
エミリーは、ハッとしたようにハナの顔を見る。
彼女が知っているのは、千日紅から生まれた“女剣士”だけだ。
魔法の範囲がそれだけではない可能性には、思い至っていたが——まさか。
「えへへ……」
ハナは困ったように笑い、ぽりぽりと頭をかいた。
「そんな……あり得ない……」
……アッダーガンデの大地には、古今東西、20万種を超える花が存在するという。
兄の魔法が、もし千日紅や芥子に限らず——あらゆる花に及ぶのだとしたら?
脳裏に、無数の花が咲き誇る幻想のような光景がよぎる。
それと同時に、その一つひとつが人へと変わっていく――異形の軍勢となって、この世界に解き放たれる悪夢を、エミリーは想像してしまった。
(だとしたら……ハナ兄さんの魔法は、兵器を超える……)
理解したくなかった。否定したかった。
でも、目の前にいるケーシィという存在が、その証明だった。
エミリーの喉がひりつく。
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花図鑑No.003
ポピー
学名【Papaver】
分類【ケシ科、ケシ属】
花言葉【なぐさめ】【いたわり】【思いやり】【恋の予感】【陽気で優しい】【想像力】
花図鑑No.004
芥子
学名【Papaver somniferum】
分類【ケシ科、ケシ属】
花言葉【慰め】【怠惰】【無気力】




