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涙の意味

 ハナが魔法に目覚める、ずっとずっと前のこと。


 その道場の庭に咲く千日紅は、憧れと敬意を込めて、ただひたむきに見つめていた。


 「ヨナ様、お手合わせ願います!」  若き門下生が木剣を手に、道場の主・ヨナへと頭を下げる。


 「少しは強くなったのか? ならば全力でいこう。手加減はできんぞ」  ヨナは清々しい笑顔で、挑戦を受け入れる。


 剣と剣が交わり、木が裂けるような音が響いた。鮮やかに、そして優雅に。ヨナの剣は風のように流れ、時に嵐のように叩きつける。技の美しさに見惚れた門下生は、敗れた後もひれ伏し、敬意を捧げた。


 千日紅は、風に揺れながらその光景を見ていた。  ただの草花でしかない自分には届かない、眩しく輝く世界だった。  ──あの人の剣は美しい。強さは人を導くものなんだ。  そう信じていた。


 けれど、やがて千日紅は、別の光景も目にすることになる。


 「そこの女、お前は残れ」  稽古終わりの道場で、ヨナは一人の若い女性門下生を見定めた。  周囲に誰もいないと見るや、彼女を奥へと連れ込み――。


 ──あれは、何をしているのだろう……?  風に乗って漂う女の子の震える声。それは明らかに、剣技とも稽古とも違うものだった。


 その日から、千日紅の花は、揺れるたびに違和感を抱くようになった。  ヨナの微笑みの裏にある、もう一つの顔。  誰もが称える強さの影に、何か恐ろしいものが潜んでいる――。


 しばらくして、一人の少女が庭に現れた。  まだ十代半ばと思われる、素朴な花屋の娘だった。


 「みんな、こんにちは。これからお世話させてもらうね。もっともっと、きれいに咲けるように頑張るから」  花に話しかけながら、丁寧に水をやり、枯れかけた枝を摘む彼女の姿に、千日紅は心を打たれた。


 ──優しい子だ。この子の声、手のひら、ぬくもり。その心地良い思いに、千日紅は花を咲かせた。


 けれどその娘もまた、ヨナの目に留まってしまった。

 ヨナは、その日の稽古を突如中止し、門下生達を帰らせ、娘を道場の奥へと誘った。


 千日紅には、その日の出来事のすべてが理解できるわけではなかった。  けれど、娘が庭に戻ってきた時の顔を見て、ヨナへの疑念が確信へと変わった。


 ──娘は体を震わせて泣いている。

 衣服も乱れ、頬には殴られたような跡があった。


 「ごめんね。泣いちゃって。でも、頑張らなきゃ……家族のためだし、君たちのお世話も、ちゃんとしないと……」


 その娘が来るたびに、彼女の顔はやつれていった。  最初は晴れやかだった瞳が、だんだん曇っていった。  ある日、とうとう彼女は倒れ、道場に来ることはなくなった。


 「壊れちまったか。惜しいもんだな」  ヨナは木剣で庭の花を打ち払いながら、つまらなそうに呟いた。


 「もうこんな庭はいらん。全部、切り落としてしまえ」


 ヨナの命令で、庭の花は無残に引き抜かれた。  そして彼は母・フローラに、「花屋の娘のせいで全部枯れた」と伝え、庭に二度と花が植えられることはなかった。


 千日紅だけは、道端に咲いていた小さな株から、どうにか生き延びていた。  生きているのに、ただ咲くだけ。声も、怒りも、涙も届かない。


 ──あの時、私には何もできなかった。彼女を、守れなかった。私も、ただの花でしかなかったから。


 風に揺れる度に、千日紅の中に沈んでいた感情が、少しずつ形を持って膨らんでいった。  それは怒り、悲しみ、悔しさ、そして――深い、深い憎しみだった。


 そして、時は流れ――


 「ハナ、私を止めるなよ」  ニチ子は、かつての庭で、木剣を見つめながら言った。


 その目には、炎が灯っていた。静かな、けれど消えようのない炎。


 「ニチ子……?」  ハナは彼女の気配の異変に気づき、不安そうに名を呼ぶ。


 「お前だけは、絶対に許さない」  その一言で、全てが始まった。



 「力を示せ」ファザは掛けてあった木剣を静かにニチ子の足元に放った。


 ヨナはその光景に目を細め、ゆっくりと立ち上がった。  「……許さない? まだ恨まれる覚えはないが、愉しませてくれそうだ」


 冗談めかした口調で笑いながら、ヨナは木剣を構える。その構えは、流麗にして隙がない。  けれど――ニチ子もまた、まったく同じ構えをとった。


 「天帝流……なぜ、お前が」


 構えを見て、ヨナの表情にわずかな警戒が走る。ニチ子の動きは、まるで鏡のようだった。


 「お前を、見ていたから。ずっと。お前の剣も、声も、息遣いも。すべて焼きついている」


 かつての道場の庭で、ただの花として風に揺れながら、どれほどの時を過ごしただろう。  見続けた剣技、記憶に染み込むようなあの足運び。模倣ではない。あれは、彼女自身の中に刻み込まれていた。


 「うぉぉぉぉおお!」


 ニチ子の掛け声とともに、一気に間合いが詰まる。激しい衝突、打ち合い。  だが、その差は歴然だった。ニチ子の剣は荒く、未完成で、ただの真似に過ぎない。


 「見よう見まねで踊ってるだけか、雑草め」


 ヨナの木剣がニチ子の腹を捉え、鈍い音が響く。  しかし、ニチ子は倒れなかった。むしろ口元に笑みを浮かべていた。


 「……効かぬ」


 【不死】【不朽】【不滅】――ハナの魔法で得た命。絶対的な防御力。その力にニチ子は酔い痴れていく自分を感じた。


 ヨナは不気味さを感じ始めていた。幾度も攻撃を受けても倒れない女。打撃は通じない。焦りが生まれる。


 「くそがっ!」


 ヨナは木剣を投げ捨てた。そして振り向き、神棚の隣に置かれた一本の剣を取る。


 「真剣……?」


 ハナが顔を強ばらせる。


 「父上、こいつはどうやら防御だけは一級品らしい。ならば、壊れるかどうか、試してやるさ」


 「壊れるなら、それまで。構わん、好きにしろ」


 ファザとヨナのやり取りはまるで予定されていたかのように淡々としていた。


 ヨナが剣を掲げて呟く。


 「獄炎剣」


 その刃が黒い炎をまとい、魔力が渦巻く。


 「紛い物がぁ、消し炭にしてやるよ」


 「……受けて立つ!」


 ニチ子は木剣を持ったまま、一歩も退かなかった。


 その姿にハナが叫ぶ。


 「やめてよ、ヨナ兄さんっ! ニチ子は紛い物なんかじゃない。僕の、大事な友達なんだ!」

 天帝流の奥義である獄炎剣。その破壊力を知っているハナは力いっぱい叫んだ。


 けれどその声に、ヨナは一瞥もくれず、剣を構え――


 「死ねぇぇっ!」


 燃え盛る剣が振り下ろされる――その瞬間。


 「ハナっ!」


 目の前に飛び出したハナが、ニチ子をかばうように両手を広げ立ちはだかった。


 「バカがっ……!」


 振り下ろした剣は、重力と魔力に引かれ、勢いを止めるには遅すぎた。


 ヨナは咄嗟に判断する。  止めるのが無理なら、そのまま振り下ろせばいい。  ──この程度の弟、死んでも構うまい。  そんな冷たく、乾いた思考が脳裏をよぎった。


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