HATENA(1)
南はぼんやりとした家の中に立っていた。頭の中をすさまじい勢いで何かが駆け巡っていくような感覚がし、景色が揺らいで見える。
「なんで、なんであんたはいつもそうなのよ!」
そんな南の意識を引っ叩くかのように鋭い女性の声が響く。それは彼の母親の声だ。声とともに呼吸を荒げながら、母親は怒りとも悲しみともつかない感情を自身に向けてくる。南はそれが辛くて、目線を下に向ける。
「本当に……どうして、あんたはそんなこともできないの?」
南が何をしようがしなかろうが関係なく、母親はいつも苛立っていた。母はいつも自分に何を求めていたのか、南には分からない。ただ、母の期待に応えることができない自分が、どうしようもなく無力に思えて、胸が苦しくなった。
「お父さんだって忙しいのよ!私だって、あんたの世話ばかりに時間を取られたくないの!」
母の苦しそうな顔がちらつく。どこか遠くを見つめるその目に、南はただ居場所のない感覚を覚えるだけだった。
「……あんたがこんなんじゃなければ、もっと楽だったのに」
母親の一言が、南の胸に深く突き刺さる。彼女自身もその言葉に戸惑っているのが分かったが、すでにそれは口から飛び出してしまっていた。
「……ごめんなさい」
南はどうすれば母の怒りが収まるのか、どうすれば自身が許されるのか分からず、ただ謝罪の言葉を口から吐き出す。
「うるさいっ!」
しかし、そんな南の言葉を受け入れる気配は一向に無い。
自分は、どうすれば許されるのだろうか。
自分は、どこに居れば許されるのだろうか。
何も分からない。ただ、きっと今ここにいては駄目なのだろうと感じた時、南は自身の意識が急速に遠のいていくのを感じた。
「――あれっ?」
気が付くと、視界には見知らぬ天井が映っていた。鼻腔に漂うのは嗅ぎなれない匂い……畳の臭いだ。どうやら自身は知らないうちに寮とは異なる場所で眠っていたらしい。寝具もベッドではなく畳の上の布団だ。
(……ここ……どこだ?)
南はのそのそと布団から這いずり出て周囲を見回す。どうやら、どこかの和室らしいが詳細は分からない。とりあえず自分の現在地の情報は何かないかと思いながら、南は唯一あった扉を通って部屋の外に出る。どうやら隣の部屋は普通の住宅で言うと今のような部屋らしく、南の眼前に木製のテーブルと4人分の椅子があった。
「おっ、目が覚めたかい?」
まだ意識ははっきりとはしていないが、突然声をかけられて南の身体は一瞬身体が縮こまる。そして、それからその声に聞き覚えがあったことに気が付き、一旦緊張を緩めてから声の主の方へと視線を向ける。そこには、福田がテーブルの席の一角で食事を取っていた。テーブルの上にはおにぎりやお味噌汁、卵焼きやお茶が並んでいる。
「福田さん……?あれ、なんでここに……。というかここは……?」
南の寝ぼけた頭の中に次から次へと疑問が浮かび上がる。福田はそんな南の様子を眺めながらお茶を啜る。
「あらら、覚えてないの」
「覚えて……ない……?」
どうやら昨日何かがあったらしいのだが、ぼんやりとした頭では思い出せない。しかし、まだはっきりしない意識のなかで、南は困惑することもできずにただぼけーっとしていた。
「あーっ!司馬君起きてる!良かった~」
「やっと?手間かけさせるわね」
その時、二人の女性の声が聞こえてきて、南はそちらへ視線を向ける。南の視線の先には安堵した表情のあいねと、ため息をもらすみさの姿があった。
「あれ……先輩……?なんでここに……」
ぬぼーっとした鈍い反応の南にみさとあいねは顔を見合わせる。
「とりあえず司馬君……顔、洗ってこようか」
そう言ってあいねは洗面所の方を指さす。
「……ふぁい……」
南は一度頷くと、ふらふらとあいねの指し示す方向へと歩き出した。
「あれ、大丈夫なんですか?」
そんなみなみの様子を見ながらみさは福田に問う。
「とりあえずは大丈夫みたいよ。身体に異常はないみたいだし」
そう答えると福田はおにぎりをほおばり、みそ汁でそれを流し込む。
「だといいけど……」
みさはため息を漏らすと、福田から南の方へと視線を移した。南はみさから送られている視線も露知らず、ふらふらと洗面所へと向かって歩いて行った。
「はぁー……やっと頭しゃっきりしました」
顔を洗い終わった南は、テーブルに座ってはきはきと言った。そんな南の様子を対面の席に座ったみさと福田が見つめている。
「ならいいけど」
みさはため息を漏らすと後頭部を軽く掻く。
「はい、南君もこれどうぞ」
その直後、あいねがお盆に乗せたおにぎりとみそ汁、卵焼きなどを南の眼前に置く。目の前の料理の匂いが食欲をそそる。そういえば昨日は最後に食事を取ったのは学食だったかと南は思い出す。
「え?ありがとうございます。でも……良いんですか?」
感謝を述べつつ、おずおずと南はあいねに問う。そんな南にあいねはこともなげに言う。
「うん、気にしないで。料理とかは好きだし、材料費は福田さん持ちだし」
あいねの言葉に南は福田を見る。福田は南の視線に応えるように頷く。
「そういうことだから遠慮なく食べちゃって」
「あ、じゃあ……ありがたくいただきます」
南は手を合わせてからおにぎりを手に取りかぶりつく。中身はどうやら醤油につけたおかからしい。
「……おいしい」
「でしょー」
南の口から思わず漏れた率直な感想に、あいねは屈託なく笑いながら返す。南は無言で頷くと、他の料理も次々と平らげていき、そしてお茶を飲み干す。
「おおー、早い。よっぽどおなか空いてたんだね」
あいねに問われて南は頷く。
「はい、自覚したら急に……。とりあえず一心地付きました、ごちそうさまでした」
南は礼を言いながら手を合わせる。
「いえいえ~」
そんな南にあいねは手をひらひらと振る。そんな二人のやり取りを見届けたところで、福田は軽く咳ばらいをする。
「さて、じゃあそろそろ本題に入ろうか」
福田の言葉に南は首を傾げて右手を上げる。
「あのー、その前に……ここ、どこです?」
南の質問に福田は一瞬きょとんとする。
「あー、そういえば説明してなかったね」
そう言いながら福田は電子タバコを起動する。
「ここは星降神社の宮司が住んでる神職住宅のうちの使われてないやつの一つだよ。ご厚意でお借りしてるんだ」
「はあ、なるほど……」
福田の回答に南は呆気にとられる。一介の電機会社の社員がどういう伝手で神社から住宅を借りているというのだろうか。
「じゃあ、先輩たちもここに一晩?」
南に問われると、あいねは首を横に振る。
「ううん。うちはここの近所なの。だから昨日一度帰って、今日は改めて様子を見に来たの」
「そんな……わざわざありがとうございます、先輩方」
南は人にやさしくされたことに、胸に温かいものがこみあげてくるのを感じつつ、あいねとみさに頭を下げる。
「別に……あんたのためじゃないわよ」
みさは素っ気なく返事をする。
「も~」
そんなみさにあいねは苦笑する。そんな三人のやり取りに福田が割って入る。
「さて、本題に戻ろう。とりあえず君は昨日、デジタルツイン上のアバターに意識を憑依させて、ジモクと戦った。このアプリ『Stargazer』の力を使ってね。ここまでは大丈夫かい?」
「はい」
福田の問いかけに南は頷く。それを確認した福田は説明を続ける。
「そして、戦いが終わった君は突然倒れたんだ。相当緊張したし、疲労したからなんだろうね。で、仕方ないからここの居室の一つを借りて君を介抱したんだ」
「……なるほど」
だから見慣れないところで自身は寝ていたのかと南は納得する。
「それはそれはご迷惑をおかけしました」
南はそう言って深々と頭を下げる。そんな南を見て福田は苦笑する。
「いや……俺が君に無理を言ったからこんなことになったんだ。むしろすまなかった」
福田はそう言うと、電子タバコをテーブルの上に置き、深々と頭を下げる。みさはそんな福田を信じられないものを見るような目で見ている。
「いや、そんな……頭を上げてください」
南は慌てて福田に頭を上げるように促す。それに従い福田は頭を上げて、再び電子タバコを加えながら南を見る。
「さて。ここまでが昨日の経緯なんだが……何か聞きたいことある?」
福田に言われて南は軽く腕を組んで考える。昨日から何が何だか分からないことだらけで、何を聞いたものかと南は思案する。そこで、戦いに出る直前、聞こうとしたことを南は口にする。
「あの……福田さんがStargazerを作った目的は……あのデジタルツインから人を助けるためですか?」
南の回答に、福田は口の端を小さく歪める。
(……なるほど、察しは悪くないな)
そんなことを考えつつも福田は頷く。
「ああ、その通りだ。そして、君は俺がStargazerを作った目的通り、ジモクから被害者を救い出してくれた」
「あぁ、やっぱそうなんですね。良かった」
南はそう言って福田の説明に一人納得する。そんな二人のやり取りを横に、みさは腕を組んで考え込む。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
あいねはみさの様子に首を傾げて尋ねる。しかし、みさはそれにこたえることなく福田へ問いかける。
「……一つ教えてください。今、この国には星降スマートシティと似たような構想で作られた都市がいくつかあります。そこではデジタルツインなんかも同じように作られているなんて話もニュースで見ました。だとすると……誰かしらが炎上した時に、同様のことが他のスマートシティでも起きているんですか?」
あいねの質問に福田は、今度は傍目から見てもわかる程度にニヤリと笑う。
「鋭いね。今時の若い人は本当に優秀だ」
そう言って福田は電子タバコを起動する。
「結論から言うと、他のスマートシティでは類似する事件は起きていないよ。デジタルツイン上のアバターが形代として機能し、それゆえに問題が起きているのはこの星降スマートシティだけだ」
南はこれまでの福田の説明に対してある疑問が脳内に浮かび上がっていた。
「と、言うことはこの地域にだけそういったことが起こる特別な何かがある……ということですか?」
南の言葉に福田は頷く。
「その通り」
福田の回答に南は続けて問いを投げかける。
「福田さん。その『何か』というのは……?」
南が恐る恐る投げかけた質問に、福田はこともなげに答える。
「まあそこらへんは事情に詳しい人物に直接話を聞いた方が早いでしょ。とりあえず説明をお願いしますよ、遠渡星様」
「!?」
福田が呼んだその名に衝撃を受け、三人は顔を見合わせる。そして、福田は電子タバコから吸い殻を取り出し、灰皿に押し付けた。その直後――
「分かった」
突如としてどこからともなく透き通るような男性の声が室内に響き渡った。
(……この声……)
その声に南は聞き覚えがあった。戦っていた時に自身を導いてくれた声。そして、この神社に初めて来たときに聞いた声……。
「あれえ!?お兄さんいつからそこに?」
その直後、あいねが素っ頓狂な声を上げる。南はあいねの声に我に返ると、福田の横にいつのまにか一人の青年が座っていることに気が付く。
(……この人!?)
福田の横に座っている青年に南は見おぼえがあった。腰のあたりまで伸びた銀髪、白く透き通った肌、中性的な印象を与える整った目鼻。それらすべてが昨日と同じように人間離れをした美しさを放っている。その神秘的ないで立ちに心を奪われたみさとあいねは言葉を失い、逆に南は思わず言葉を漏らす。
「あなたは……昨日の……」
そんな南の言葉に、青年は微笑む。
「やあ、また会えたね。嬉しいよ」
「あ、どうも」
青年の挨拶に南は思わず頭を下げた。