やっと初日が終わる
このあと。
録音データの提出は後日に変更。明日の午前中に、再びここで、これからの打ち合わせを軽く行う事が決まった。
諸々色々と決まると、松永大佐と一緒に隊舎に行けと追い出された。ちなみに破壊されたスマホは、返して貰い次第ハンカチに包んだ。破壊された瞬間、部品が床に落ちなくて良かった。そんな幸運は二度も無いだろうね。
ボストンバッグを手に会議室を出て、先を歩く松永大佐を追う。体格の差か、松永大佐の歩幅は広く、歩調も速い。その為、自分は小走りで追わねば置いて行かれそうになった。
自分と比べて松永大佐は、頭二個分近くも背が高い。自分が同年代に比べて、身長百五十センチと小柄なのは理解している。訓練学校に在籍する他の訓練生は、皆育ち盛りだからか身長が高い。中等部の二年生で身長百八十センチに到達する男子生徒も多い。女子生徒は高等部を卒業する頃には身長百七十センチ近くにまで伸びる。
群衆に埋もれるドチビは自分だけ。でも、何度転生しても身長が百五十五センチを超えた事は無い。原因は解らないが、これは他の面々にも言える事なので、転生の旅が始まる前が、基準となっている可能性が有る。
詮の無い事を考えながら小走りで追い掛けていると、松永大佐の足が止まった。隣に移動して松永大佐を見上げると、何故か視線が合った。
「ここから先が、試験運用隊が保有している区画になる。他所よりも広く、多少入り組んだ構造になっていて迷い易い」
迷い易い。松永大佐からその言葉を聞かされて、思わず身を固くして、とある事に気づく。
ツクヨミの地図アプリを入れたスマホは現在使えない。迷子になったら終わりだ。
「地図を見ながらであれば迷い難い。時間的に何度か歩く機会を作るから、その時に道を覚えろ」
「分かりました」
道を覚える時間が貰えると聞いて、少しだけホッとする。
松永大佐は自分に一声掛けてから、再び歩き出す。そのあとを慌てて追うが、今度はゆっくりと歩いている。もしかして、視線が合ったのは隣にいると思っていたからか? 真相は闇の中だが。
無言で松永大佐の後ろを歩き、隊舎に到着したけど、更に少し歩いてとある部屋に入る。出入り口の脇、電子パネルの上に『隊長室』の金属プレートが在った。
室内はシンプルで、応接セットと机の上に鎮座する書類仕事用らしきパソコンの三点が存在した。
「適当なところに座れ。予備の通信機を出す」
「はい」
適当と言われたが、座れる場所は応接セットのソファーだけだ。とりあえず、下座に腰を下ろし、そのまま待つ。
松永大佐は棚の引き戸を開けて、多分、予備のスマホを探している。無いなら、目覚まし時計の代わりになるものを貸してくれればいいんだけど。そんな事を考えていた間に見つけたのか、松永大佐が一台のスマホを手に戻って来た。
ハンカチで包んだスマホを取り出し、無事だったメモリーカードを取り出す。千年以上も経つと、ちょっと高いマイクロSDカードの大きさで、二百テラ以上のデータが保存可能となっていた。技術の進歩だね。ちなみに自分が使っているのは、一番安かった容量千二十四ギガバイトのマイクロSDカードだ。これより容量の小さいメモリーカードは存在しない。五百円以下で大容量タイプが買えるところを見ると、技術の進歩と安価な材料で高性能なものが作れるようになっているんだろう。
メモリーカードを見た松永大佐が軽く首を傾げた。
「星崎。そのメモリーカードは?」
「これは撮影・録画・録音したデータの保存先です」
「ほぅ。となると、移し替える前のデータが、全部それに入っているのか」
回答すると松永大佐が興味深そうな顔をして、指先程度の大きさのメモリーカードを見つめた。見られて困るデータは無い。掌に載せて差し出すと、松永大佐はメモリーカードを摘まみ上げてから、予備のスマホを自分に差し出した。受け取った予備は手持ちのスマホと変わらない見た目だ。
「これが予備の通信機だ。バッテリーは切れている。充電してから使え。充電器は同じだ。このメモリーカードは借りるぞ」
「はい。どうぞ」
自分に簡単な説明をすると、松永大佐は断りを入れてからメモリーカードを手に机に向かった。その間に、ボストンバッグから持って来た携帯用の充電器を取り出して充電する。急速充電モードにすれば、数分でそこそこ充電される。
昨今のスマホの充電器は『接触充電式』なので、スマホを充電するだけなら、USBコード類は不要となった。充電器は有線のままで、コンセントにプラグを差し込むところだけ変わっていない。携帯用も同様だ。ノートパソコンの充電も変わっていないけど、携帯用電子機器の充電は、殆どが接触式になっている。
ある程度充電されるまでの間、机に向かった松永大佐を横目で見る。真剣な表情でパソコンと向き合い作業していた。コピー保存しているんだったら、ノートパソコンの方に入っているデータも渡したい。
充電されないままどれだけ放置されていたのか。急速充電モードにしたのに、充電の速度が遅い。二十パーセント辺りで一度充電を止めて起動させる。目覚ましのアラームだけはセットした。これで寝坊は防げるだろう。ついでに基地の地図アプリをダウンロードする。
「良し。データを佐久間支部長に送信完了」
ふいにそんな言葉が聞こえて来た。メモリーカードを持って行ってどうするのかと思ったら、今日中に支部長にデータを送ったらしい。勤勉と言うべきか、職務に忠実と言うべきか。悩むな。
どうでもいい事を考えていたら、松永大佐がメモリーカードを手に戻って来た。返して貰ったメモリーカードを借りたスマホにセットする。壊れたスマホは、松永大佐に預けた。破損の具合にもよるが、三日程度で戻って来るそうだ。
「さて、……ああ、そうだ。星崎。夕食は済ませているか?」
「済みません。まだです」
松永大佐に聞かれて素直に答えた。厳密に言うと、運悪く移動時間が機内食の出ない時間だった。ここまで言う必要は無いから、食べていない事だけを言う。
「そうか。だったら、丁度良いか。食堂に移動するが、ボストンバッグはここに置いて行って良いぞ。部屋には鍵を掛ける」
「? 分かりました」
何が『丁度良いの?』と聞きたくなった。『松永大佐も夕食を済ませていない』で合っていると思いたい。
「ツクヨミでは所属に係わらず、最寄りの食堂を利用して良い事になっている。そして、ここの食堂は先の会議室から最寄りの場所に在る」
ボストンバッグを残して、隊長室から移動中。松永大佐から説明を受けて、起こりそうな未来に気づいた。
「あの、もしかして、先程の会議の出席者の方々がここに見えるのですか?」
「その可能性は高いが、知らない人間がここの食堂を利用していても不審がるな。それから、この試験運用隊では幾つかの不文律が存在する。その中に『互いに不干渉』と言うものが在る。廊下ですれ違っても挨拶類は不要だ」
「はい」
良いのかよ。是非ともそう突っ込みたい。つーか、誰がそんな不文律を決めたんだよ。言葉が口から出る前に食堂に着いた。
到着した食堂は、三十人ぐらいは収容可能なぐらいに広かった。現在無人で、奥の厨房に料理人の陰すらない。にも拘らず、受け取りカウンターと思しきところには出来立ての料理が並んでいる。
「料理は別のところで作ったものを一日に三回運んでいる。奥の厨房は道具は揃っているが利用されていない」
受け取りカウンターへ移動中も、松永大佐から解説が入る。六時、十二時、十八時の計三回、料理が運ばれて来るそうだ。残っても四時間後には回収される。
感心しながら、松永大佐のあとに続いて料理を選び取る。意外な事に、ビュッフェ形式だった。
「さて、ここまでで気になる事と判らない事は在るか?」
料理を取り終え、何故か長テーブルに松永大佐と対面で座る事になった。この状態で質問を受けるが、聞く事は一つだけだな。
「空き時間に、厨房を利用しても良いですか?」
「厨房を利用したい?」
予想外の質問だったのか、松永大佐は怪訝そうな顔をした。
理由は在る。去年の九月に起きた事から説明する事になるけど、それは仕方がない。下手すりゃ『体調管理が出来ていない』と叱責を受けるかも知れない。個人的には割と切実なので、叱責覚悟で事情を説明する。
流石に、身長百五十センチで体重三十七キロは問題しかないでしょ?
厨房を利用したい理由を説明すると、ため息付きで呆れられた。
「そんな事情が在ったのか。材料費を自分で出すのならば構わないぞ」
「ありがとうございます」
叱責無く、許可が下りてホッとする。ただし、小声で『そんな報告聞いていない』と、松永大佐が呟きながら、料理をフォークで突いていた事だけ気になった。気にしてもしょうがないので、料理を食べる。今日はイタリアンだったので、複数のパスタとサラダにステーキを選んだ。スープはジャガイモのポタージュだけ。記憶が確かなら、ポタージュはフランス語の筈なんだけど、突っ込むのは止めよう。
それと、長居するとは思えないので、他の質問は止めよう。夏休みが終わる頃に訓練学校に戻れるといいなぁ。
淡い願望を抱いて、食事を進める。松永大佐もこれ以上の質問無しと判断したのか、無言で料理を食べている。
夕食を半分程食べ切った頃、食堂のドアが開いた。誰が来たのかと思えば、松永大佐の言った通りに、先程会議室にいた面々が本当にやって来た。将官階級の人まで何人かいる。
驚いていると、夕食をトレーに載せて幾人かがこちらにやって来た。
「松永。隣は良いか?」
「構いませんが、ここに来る事は無いでしょう」
「八月の終わりまでここにいる予定で、今後も何度か会うんだぞ。慣れて貰わねぇと、こっちも困るんだよ」
「……そう言う事ならば良いでしょう」
松永大佐とその隣にやって来た角刈り頭の大佐の、会話の意味が解らず二人の顔を見た。
「こっちは飯島大佐だ。見た目で勘違いされやすいが、先の高橋大佐よりも遥かに善良で出来た人間で、訓練学校の卒業生の一人だ」
「おう。よろしくな」
「はぁ、はい?」
松永大佐からの紹介文言が頭に入って来ない。このヤクザっぽい見た目の人物が訓練学校のOBと言う、事実の衝撃が強過ぎる。
「訓練学校のOB、なのですか?」
「うん。よく言われるが、訓練学校の卒業生だ。ちなみに、松永も訓練学校の卒業生だ」
明らかになった追加情報に、思考が一瞬止まり掛けた。
何故、大佐階級の人のところに預けられるのかと思ったが、卒業生のところに預けた方が良いと判断されたのか?
「他にもOBはいるぜ。佐々木とか、井上とか」
そう言うなり、飯島大佐は追加で二人を呼び寄せた。言っては何だが、『老け顔と童顔の中佐コンビ』だった。
中佐コンビから自己紹介を受けた。老け顔の方が佐々木中佐で、童顔が井上中佐だ。一番驚いたのは、同期だった事だ。自分の左右に座った中佐コンビは『よく言われる』と笑い飛ばした。上の階級の人なのに、思っていた以上に良い人っぽい。
大人四人に囲まれたまま食事を進める。
夕食を食べ終えて、食器を片付けて席に戻る途中、間宮教官の元上官に捕まった。何だろうと思えば、『発言撤回』を要求された。意味が解らず何故と首を傾げると、間宮教官の元上官の大佐は額に青筋を浮かべた。
「いいか。女が欲しがるもんと言えば、服とか化粧品とか、男はな、そう言うもんを普通は思い浮かべるんだよ。な・ん・で、人生を左右する究極の二択を迫られるんだよ!? 幾らなんでも『セクハラの受け過ぎ』で、説明が付かねぇだろ!?」
「訓練学校では、私服を着る機会が非常に少ないです。それに、学校の施設を利用する際には、制服の着用が義務付けられています。化粧は汗を掻くと崩れますし、そもそも校則で禁止されています。使用許可が下りているのは日焼け止めと腫れた肌の手入れ用品だけです」
「そうだったのか。いや、日焼け止めは良くて化粧は駄目なのか? 日焼け止めなんかいらねぇだろ」
「日焼けは火傷の一種に分類されます。夏場になると日焼けで肌が腫れる人もいる為、男子でも日焼け止めを使います。私も日焼けをすると赤く腫れたりするので、日焼け止めは必須です。スプレータイプのものが在るので、塗る手間は多少省けています」
「「「「「ああ、確かに」」」」」
日焼け止め不要論に、必要とする理由を挙げる。すると意外な事に、近くの男性陣五名から同意の声が上がった。声の主を探すと、松永大佐達だった。女性では無く、男性から同意の声が上がった事で、目の前の大佐は怪訝そうな顔をして、松永大佐達を見る。その隙に自分は少し離れた。
「何なの、その『ああ』は?」
「いや、夏場は佐藤でも日焼け止めを使わないと真っ黒になるんだ」
「それに、夏になると林間学校と言う名の訓練で、屋外での活動回数が増えます。それに伴い、日差しを浴びる時間も増えますので、自動的に日に焼けますね」
「……そうなの?」
飯島大佐と松永大佐からの説明を受け、高橋大佐は佐藤大佐に確認を取った。高校球児がそのまま成長したような見た目で、松永大佐よりも背の高い佐藤大佐は鷹揚に頷いた。浅黒い程度に日焼けしたままの佐藤大佐が、真っ黒になる可能性は高いだろう。実際に、佐藤大佐よりも日焼けして黒い男子生徒は何人かいるし。
「うむ。飯島の言う通りだ。一度黒くなったあとに、もう一度日焼けしたら水を浴びたら激痛が走った。余りの痛みに医務室に行ったら、火傷と診断された。この一件以降、どれ程面倒でも日焼け止めを使うようになった」
「うぇ、マジかよ」
「佐藤みたいな男でも日焼け止めが必要だから、許可が下りている。化粧品に関しては知らないが、日焼け止めを塗っても完全に防げる訳じゃないから、炎症止め目的で許可が下りてんだろうよ」
「そうだったのか。けどよ、それでも、菓子類を要求しない理由って何?」
「お菓子類は自分で作って食べる方です。要求するとしても、製菓の材料になります。軍事基地のここで、製菓材料の入手は難しいと思います」
推測込みでそこまで言い切ると、高橋大佐は口を開けて固まった。
「お前は本当に十五のガキなのか?」
「体重管理の一環です」
質問への回答を言い切ってから席に戻り、今日の内に聞いておいた方が良い明日の予定について松永大佐に尋ねるが、無かった。
これ以上食堂にいても意味は無いと、松永大佐と一緒に隊長室に荷物を取りに戻り、そこで別れて一人で三階の部屋に向かった。夏休みの限定で借りる部屋は何故か三階だったが、案内表示を見ると、三階から上が女性用となっていた。案内表示を見る限りだが、二階は男性用らしい。部屋数のバランスが偏っているけど、考えてもしょうがないな。試験運用隊には不文律が在るみたいだし。
宛がわれた部屋に入ると、訓練学校の寮部屋よりも広かった。シャワールーム付きで、クローゼットが壁面収納になっているからかな?
クローゼットにボストンバッグに入れて持って来た衣類を収納し、机の引き出しにノートパソコンを始めとしたものを仕舞う。小さい冷蔵庫も在ったので、電源を入れる。冷蔵庫は冷えていないが、シャワーを浴びて時間を潰し、一時間も経てば大分冷えて来た。道具入れに入れて持って来た冷蔵冷凍品を一緒に仕舞う。
今日中にやる事の有無を確認してから、訓練学校の寮部屋のものよりも大きいベッドに寝転がる。
借りたスマホを操作してアラームの時間を確認したら、今日はこれで眠ろう。
ツクヨミに移動した初日はこうして終わった。