混沌は前触れ無くやって来る
移動途中、松永大佐を見た厳つい顔をした将官がギョッとしてから別方向に去って行く。目的地に到着するまでに、似たような事が数度も起きた。
松永大佐は、どんだけ恐れられているんだ?
待合室を出ての移動距離は短かったが、小走りになって追いかけていたので長く感じた。そして、隊舎に行くのかと思いきや、到着した先は会議室だった。
「支部長。連れて来ましたよ」
「うむ。ご苦労。よし、休憩時間は終わりだ」
……おい。何故会議室に支部長がいるんだよ。
松永大佐のあとを追って、会議室内に入る。室内には将官階級の人から上級士官の人まで、男女混合で色んな階級の人がいる。
いるんだけど、入った瞬間、室内にいた全員の視線が自分に集中した。音を立てる勢いで視線が自分に集まったので驚く。でも、これまでの人生でしょっちゅう浴びていた『値踏みする』ような視線だった。そしてこの視線は訓練学校でもよく浴びていた。
室内で最も奥の席に座っている、室内なのにサングラスを掛けた人物が佐久間支部長だ。写真でしか見た事が無いけど、とあるアニメの『特務機関の司令』にそっくりだったから覚えている。
そんな支部長に、ボストンバックを床に置いて先ずは名乗る。その間に松永大佐は近くの席に着いていた。
支部長はテーブルの上で肘をついて手を組み、その上に顎を置いたままで口を開いた。本人が似ているせいか、威厳と威圧が全く感じられない。
「私が支部長の佐久間だ。訓練生を一人で上層部の会議に呼び出すのは、良心が痛むんだが、確認せねばならない項目が在る」
さらっと言われたけど、上層部の会議中だったのか。と言うか、確認って何の事だろうか?
思い当たる事が無い。支部長の続きの言葉を待った。
「星崎。お前は教官に対して『反抗的で攻撃的』と報告されている。これに心当たりは?」
「反抗的で、攻撃的、ですか?」
支部長からの問い掛けに、首を傾げて記憶を探る。
……あー、もしかして、アレの事か? 一応、正当防衛だと思うんだけど、『駄目で元々』の精神で言ってしまおう。
「心当たりは、……そうですね。私は正当防衛と判断していましたが、お話を聞くに、どうやら教官達は違うと判断していたようです。心当たりが多いので、宜しければどれか教えて欲しいです」
「待て! 正当防衛って何だ! 正当防衛って!」
「そのままの意味です」
テーブルを叩いて意味を問う男性将官には済まないが、他に答えようが無い。
他の男性陣も『どう言う意味だ』と騒ぎ始める。女性陣は声に出さないが困惑している。その女性陣の中で何を察したのか、一人だけ瞑目している。
支部長が話を進める為に、落ち着けと声を掛けた事で騒ぎは落ち着きを見せ、静かになった頃合いを見計らって喋る。
「恐らくですが、スカートに虫が着いていると嘘を吐いて、スカートを捲った男性教官の蟀谷に持っていた本の角をめり込ませて、ふらついて階段から転げ落ちたところを助けずに見ていた一件でしょうか?」
『えっ!?』「……何ですってぇ?」「男の教官が、女子中学生のスカートを捲る……」「いやいや、冗談、でしょ?」
心当たりその一を口にすると、室内にいた男性陣が困惑の表情を浮かべた。一方、女性陣の表情は険しくなっている。瞑目している人物は無表情を貫いている。
そして、誰も階段から転げ落ちたところに着目しない。
「それとも、下級生の女子生徒にセクハラしていた、男性教官の後頭部めがけて食堂の金属トレーを全力で投げ、命中させて気絶させた事でしょうか?」
『はぁっ!?』『……』
男性陣の困惑は強まった。女性陣の殆どが無言で殺気立った。これも違うと見做して思い出した別件を一気に口にする。
「痴漢行為をして来た男性教官にうっかり金的攻撃をして気絶させてしまった事でしょうか? それとも、その教官を男子トイレに引き摺って運び、慌てて起きると、梃子の原理で顔面を強打する位置にモップを配置したり、踏んづけて転んだら壁に激突しそうな位置にバケツを置いた事ですか? それとも、似たような時に急所に一撃叩き込み、ふらついた男性教官を可燃用のゴミ箱に頭から突っ込ませて放置した事ですか? セクハラが酷くなった際に、煮出した唐辛子水を男性教官の両目に掛けた事でしょうか? それとも、痴漢行為を受けそうになった時に粉末の唐辛子と胡椒を混ぜたものを教官の顔に掛けた事でしょうか?」
『……』
男性陣は困惑の極みに到達したのか、唖然としている。女性陣は無表情か般若を連想させる顔になっていた。
「これらが違うのであれば、女子寮の大浴場を覗き見していた男性教官に熱めのお湯を浴びせて怯んだ瞬間に飛び蹴りを叩き込み、気絶するまで顔面を洗面器で殴った事でしょうか? そのあと比較的真面な別の教官達と一緒に、その教官を縛り上げて一晩木に吊るしました」
『ました、じゃねぇー!?』「お風呂の覗きは普通に犯罪よ!」「訓練学校の男教官共は、一体、何をやっているの!?」「たった一晩、吊るしただけ!? 吊るしただけなの!? ちゃんと去勢したの!?」「ちょ、去勢は――」『あ゛ぁん?』「何でもありません」
一部男性陣が頭を抱えて突っ込みの声を上げる。去勢対して『待った』の声を上げようとした男性将官は、殺気立っていた女性陣に睨まれた事で縮こまる。静かになったところを見計らい、続きを喋る。
「本当は先人の知恵に従い、林の中で仰向けにして、上を向いている部分に蜂蜜を掛けて一晩放置する予定でした」
「何で蜂蜜なんだ?」
説明の合間に疑問が飛ぶ。余り知られてない方法だからだろうね。古代の処刑方法だし。名前は忘れたけど。
「三千年以上も昔の、古代ギリシャ辺りに、虫と蜂蜜を使ったギリシャ語で『刳り貫かれた』と言う意味の、拷問処刑方法が存在しまして」
「存在しまして、じゃないわっ!? 何でサラッと拷問するんだよ!?」「拷問するんだったら、一思いに潰すべきよ!!」「それはそれでどうなんだ?」
自分の発言に被せるように、突っ込みと過激な意見と、冷静な疑問が飛び交った。ところで、一思いにどこを潰すべきなのか、あとで教えて貰おう。にしても、誰一人として『処刑』の単語には食い付かなかったな。
「行う前に他の男性教官に見つかり、状況を説明して話し合った結果、件の教官を反省させる事を目的として簡単な治療をしてから木に吊るすに変わっただけです」
「待て。話し合ってから他の教官が木に吊るしたのか?」
「はい。丁度七月半ばだったので私の実行予定内容を話したところ、遅れてやって来た教官達と揉めましたが」
「そりゃ当然だな」「ねぇ、丁度って何? 丁度って」
肯定と突っ込みの声が上がるけど、誰も気にしない。自分は説明途中で、話の腰を折る訳には行かないのでスルーする。
「ですが件の教官は日頃から、『訓練学校の卒業生だと判ると、セクハラする野郎共ばかりだから、今の内に慣れろ』と言って、他の真面な男性教官に止めろと言われても止めず、二百人以上の女子生徒の署名名簿を提出してやっと動いた学長からの口頭注意を受けても、事に及んでいました。流石に今一件で、終業式が終わり次第、即刻異動となりました」
「当然よ」「署名が集まらないと動かない学長って、存在意義が無いじゃない!?」
女性陣から、肯定と学長への非難の声が上がる。見える範囲だが、男性陣の一部も無言で頷いている。
「まぁ、ただ一晩木に吊るすだけでは、被害に遭った女子生徒一同の怒りが収まりませんでした」
『ええっ!?』「気絶するまで殴られて木に吊るされたのに、まさか、追加で殴られたのか?」「いや、リンチになっても文句は言えねぇだろ」「一思いに殺ったの?」「いや待て殺すな」「殺人事件、にはなってない、よな?」「異動しているから、生きてはいるだろう」
驚愕と物騒な声と推測の言葉が、ほぼ同時に上がった。驚愕と物騒な言葉は、どちらも違うので否定する。
「金属バットと金属バール片手に集まった、武藤流護身術を嗜む女子生徒一同の怒りを収める為に、私の実行予定内容を説明しました。その結果、教官を吊るす木の樹皮に蜂蜜を塗って、網袋に廃棄予定の果物の皮を入れて一緒に吊るして、最後に蜂蜜を溶かしたバケツ一杯分の水を教官に頭から浴びせて一晩放置し、翌日の早朝に別教官達が回収する事で、怒りを収めてくれました。ただ、回収を請け負ってくれた教官が回収を忘れてしまい、実際に回収されたのは早朝では無くお昼前でした。回収された教官は全身を虫に刺された状態で泣いていました。幸いにもスズメバチなどを始めとした毒蜂がいなかったので、命に別状はありません」
「ひぇ」「命に別状ありませんって」「いや、生きてんだったら良いんじゃねぇの?」「そんな事より、金属バットと金属バールが何で大量に在るんだよ」「それよりも、武藤流護身術って何?」
一部男性陣がドン引きしている。特に怒った女子一同が金属バットと金属バールを手に集結したところで顔を青くした。金属バットと金属バールを持った女子一同からの集団リンチ。しかも、リンチされても言い訳出来ない状況。詰んでるねー。プラスチック製の洗面器で気絶するまで殴った自分が言うのもアレだけど。
一方、女性陣は当然だと言わんばかりに顔で頷き、残りの男性陣は瞑目している。
そんな中、支部長の傍に秘書官のように座る眼鏡を掛けた女性から質問が飛ぶ。
「ちょっといいかしら。被害に遭っているところ悪いけど、証拠は在るのかしら?」
「はい、証拠ですか? 質問返しで失礼ですが、回答する前にどう言ったものが証拠扱いされるのか、お尋ねしても良いですか?」
「……そんな返しが出来るって事は、証拠になりそうなものは持っているのね?」
「はい。女子寮のスローガンの一つに『スマホの充電は忘れても、ボイスレコーダーの充電と残量確認だけは怠るな』が存在します。この内容の張り紙が目立つところに額縁に入れて飾られてます。交代で額縁を毎日磨くのが女子寮の日課です」
『おいっ』「おや」
突っ込みと感心と言う、対照的な反応が返って来た。
女子寮の各階の階段傍の掲示板に、必ずこの内容の貼紙が額縁に入れた状態で飾られている。この額縁を、女子寮に住む全員が交代で毎日磨いている。『忘れてはならない』と言う戒めらしいが、真相は知らない。
ここまで言っていて荷物の中身について思い出した。床に置いていたボストンバックから、二重の意味で重い巻物を取り出す。
「それから……」
「まだ在るの!?」「何だあれ?」「何それ?」「巻物か?」
「出発直前に最上級生の女子生徒代表から渡されました。『セクハラしないマトモな教官と女性教官を求める署名』数十年分です」
巻物の正体を明かすと、そこかしこから盛大に吹いて呼吸困難になる男性陣が続出した。残りの男性陣と女性陣は共に渋い顔をする。
「星崎。その巻物を見せろ。佐藤大佐、確認をしてくれ」
額に手を当てた支部長に呼ばれて、巻物を手に歩き出す。けれど、続いて出て来た、聞き覚えの在る名前に足が止まり、そう言えば間宮教官が何か言っていたなと思い出す。
「支部長、俺に何の確認をしろと言うんです?」
「知っている名前が在るか無いかの確認だ。……星崎?」
「あ、はい」
再度名前を呼ばれて、慌てて巻物を近くにいた松永大佐に渡す。巻物を受け取った松永大佐は怪訝そうな顔をしたけど、切り替えて巻物を広げて、佐藤大佐と呼ばれた人物と一緒に署名されている名前を見る。
「……何故、般若女帝の名前が在る?」
署名に目を通しての第一声はそれだった。心の底から驚いているのか、漏れ出た声は非常に低かった。
……と言うか、般若女帝って何? 渾名にしてはアレ過ぎない?
「般若女帝とは、誰の事ですか?」「え? あの般若先輩の名前が在るのか」
松永大佐の誰何の声に被せるように、確認の声が上がる。知られていないのか、誰何の声が他からも上がる。
「飯島大佐はご存じなのですか?」
「ああ知っているぜ。あ、般若先輩って言うのは、佐藤の三つ上で『キレると背中に般若の幻影を背負う女の先輩』の事だ。卒業後に何回か会ったが、武道やってたのか、佐藤並みにガタイの良い先輩でな。一部の男子は卒業後も『般若女帝』って呼んでいた。マジギレすると『背中に抜刀した般若の幻影』を背負ってな、現役の上官ですらも震え上がるぐらいに迫力が有る。実技・座学共に成績優秀者だったらしい」
「本当にそんな御仁の名前が在るのですか?」
飯島大佐と呼ばれた人物の説明を聞き、松永大佐は巻物に視線を移す。飯島大佐がどこにその名が在るのか、指で指示した。
「ここ、先頭に『武藤鈴』って書いて在るだろ。それがあの先輩の名だ」
「確かに在りますね。ですが、『佐藤大佐の三つ上の代から署名活動が行われていた』と言う事は、訓練学校創立当初から起きていたのかもしれませんね」
「そうだな。あの般若女帝の名が先頭に在ると言う事は、最低でも三十年以上前から活動が行われていた計算になる」
大佐階級の男性三名による会話で、話の規模が大きくなって行くのを感じた。訓練学校の卒業生らしい大人一同が署名を見て盛り上がる。
つーか、武藤って女子寮に伝わる護身術『武藤流』を残した人か?
「支部長。これ、どうするんですか?」
「どうもこうも、調べるしかないだろう。至急の調査対象にするから女性陣は殺気を押さえてくれ。私に向けるんじゃない。質問はまだ途中なんだぞ」
支部長はそう言って、隣で頭を抱えている女性を見た。
「あー、そうそう。証拠の有無について最初に尋ねたから調査お願い」
「………………分かりました」
長い沈黙を挟んでから、女性は絶望顔で了承した。
自分としては、質問が半分しか終わっていない事に驚きたい。でも、室内に入る大人は誰一人として疑問に思っていない。
これが大人と子供のすれ違いか?
仕切り直しのつもりか、支部長が咳払いをしてから口を開いた。
「星崎。教官に毒舌を吐いた覚えは在るか?」
「はい、在ります」
「……ちなみに、何て言ったんだ?」
「大体は『これまでの人生と士官学校で一体何を学んで来たのですか?』です」
支部長からの質問に答えると、室内の殆どの人が額に手を当てた。
「毒舌云々以前の話だな」
「つーかよ、何をどうしたらそんな言葉が出て来るんだ? 状況を説明してくれ」
要求されたままに状況について説明する。
「教官がどこかに提出する書類を手に私の許に来た時です。大体は、『英文の翻訳を手伝ってくれ』と、『仕事が終わらないから手伝ってくれ』と泣き付かれる事が多かったです」
『待てえええええ!?』
説明要求に応えて回答すると、突っ込みの大合唱が起きた。支部長は口を半開き状態にして動きを止め、隣の女性は両手で顔を覆っている。突っ込みと共に椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったものが続出し、立ち上がっていない残りはテーブルを叩くか額に手を当てている。
「セクハラもそうだけど、訓練学校の教官共は何やってんの!?」
その絶叫突っ込みと同意見なのか、ほぼ全員が頷いている。動いていないのは、理解が追い付いていない一部だけだ。
「教官達は、士官学校では良くある事だと、仰っていました」
「んな訳在るか!? 誰だ! そんな大嘘を吐いたのは!?」
「学長以下――」
『どうなってんだよ、訓練学校は!?』
自分の言葉を遮って、再び絶叫突っ込みが上がり、会議室内にテーブルを叩く音が響く。そんなに叩いて壊れないのか心配になる勢いだ。
暫しの間、全員で『どうなっているんだ』的な内容で喧々諤々で混沌混乱状態に陥る。どうやって収拾するのってぐらいの混沌ぶりだ。そんな中、一人だけ黙ったままどうでも良さそうな顔で他の面々を眺めている女性を見つける。左胸の階級章を見ると少佐だ。
「思い出した! 南雲! お前七年前の訓練学校の卒業生だったよな!?」
突然、将官階級の一人が大声を出した。話の切れ間に上がった声だったので、会議室によく響いた。その声で室内に沈黙が数秒間下り、会議室内の視線が名指しされた人物に集まる。全員の注目を集めた人物は、さっきまでどうでも良さそうな顔をしていた女性だった。
悪い意味で注目を集めた事で、南雲と呼ばれた女性は不機嫌も露わに言い返す。
「……だから何だと言うのですか?」
言い返す声音も不機嫌だと判るものだ。男性将官が再び口を開くよりも先に制止が入る。
「よせ。周りがどうでもいい奴に、話を振っても意味無いぞ」
「あ~、そういや、そうだったな」
「なっ!?」
割って入った声であっさりと注目は逸れた。周囲も同じように思っているのか、誰も擁護する声は出ない。女性は苛立った顔で椅子から立ち上がるも、今度は支部長から声が飛ぶ。
「南雲少佐。日頃の行いの結果だ。そう言えば、仕事の進捗具合はどうなっているのかな?」
「それは……」
「会議で有益な情報を報告せず、ただ座っているだけ。君は一体何の為に会議に出席しているのかな?」
「……」
何も言い返せず、南雲と呼ばれた少佐は自分を一睨みしてから顔を伏せて腰を下ろした。顔を伏せる直前に自分を一睨みする気力は残っているらしい。
支部長はその様子を確りと見てから手を叩いて宣言した。
「諸君。訓練学校についての話し合いは、調査をしてからでも遅くはない。今日はもう遅いから、ここで解散とする」
その声を聞くなり、南雲と呼ばれた女性は立ち上がり、足早に去って行った。