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深夜パフェ

作者: るるる

主人公の結衣は最近、「神聖」という言葉がふと浮かんだ。なぜなのかは自分でもよくわからない。

そしてその日から彼女の頭の中はその言葉でぐるぐるするようになる。

そんなある日、夜遅くに親友の沙穂から電話がある。彼女は最近、彼氏ができたのだ。ちなみに結衣はいない。沙穂は悪気はないのだろうけれどノロケ話としか思えない内容を延々としてくる。結衣はそんな話を嫌な態度を出さずに聞いている。それでも彼女の片手にはスイーツ本があり、それをぱらぱらとめくりながら聞いている。そうしてようやく電話を切ったところで、結衣はこれからパフェを食べに行く決意をする。

これから彼女の冒険?が始まるのだ。ちなみに行くお店のアテはない。

 最近、『神聖』という単語が結衣の頭にふと浮かんだ。何故なのかは、自分でもよくわからない。

そしてその日から彼女の頭の中にはその単語がぐるぐるするようになった。


夜十時、沙穂からまたいつものコール。今日は、彼氏が出来たという話を三十分聞かされた。その間、何度時計を見たことか。ちらちら、ちらちら、ちらちら。


沙穂とは、趣味で始めた手作りジャム講座で偶然一緒になり、意気投合して友達になった。

結衣の今の状態は沙穂からはもちろん見えない。彼女はスマホを片手に、全国お取り寄せスイーツの本をパラパラともて遊んでいる。

 そして今、こののろけ話をだらだらと聞いているところ。ようやく沙穂との会話を終える。

パフェ、食べに行こう。

なんだか知らないけど決意してた。それはもう会話が始まってから三分後に。

パフェ食べに行きたい、いきたい、いきたい。その一点。

沙穂にその心の声が届いたのか、ようやく終話に辿り着いた。

結衣は部屋を出た。腕時計を見ると十時三十九分。もうディナーのピークは過ぎていて、みんなばたばたと帰宅の途に就く時刻だ。

彼女はフリーのイラストレーターで、今はひとり暮らしだ。だから起床が正午、なんてこともままあるので、夜十時は一般人にとっての午後五時か六時の感覚だ。それでもってこの時間、パフェを提供してくれるところはこの辺りではファミレスしかない。結構、距離もある。

彼女はひとり、大通りをひたひたと歩く。

「ねえ、それでね、彼ったらこんなこと言うの。ちょっとひどいでしょう」

 沙穂との会話に、そんなフレーズが何度かあったことを思い出した。

本当はひどいなんて思っていないくせに。

ただ誰かに聞いてもらいたいだけなのに。だから沙穂は友達が少ないんだ。

そんなこと思いながら。彼氏が久々に出来てのろけたい気持ちはわからないでもないけど、ここしばらく彼氏がいない人に言うのってどうだろう。

結局、自慢じゃない。

 でもなあ。彼女は歩きながら考える。久々に出来た彼だから嬉しいんでしょうけど。

 私達ももう三十五歳だし。そう言えば沙穂はジャムを作るのも自分より上手。

なぜ?どうして沙穂ばかりうまくいくんだろう。

ふと結衣は考え込む。

今から行くファミレスはチェーン店だからしょうがないんだけど、不味いとは言わないまでも、いまいちって感じ。

いっそのこと自分で作っちゃおうかな。なんてね。でも他人が作ったものを食べるところがいいんじゃない。完璧であろうレシピの元に。

それとも、この時間帯に女性がひとりでファミレス行くなんて、恥ずかしいからやめようかな。しかもオーダーが、パフェ、なんて。コンビニでいいんじゃない。最近いろんなケーキあるし。彼女は悩み込む。

……。でもやっぱり空間も大事。あの狭くて天井も低い生活感にあふれた自分の部屋ではなく、さっきうんざりするほど恋愛話を聞かされたあの空間ではないところへ。

そう。やっぱり行こう。そんな気分をリフレッシュできるところ、美味しいパフェのために。

二十分歩いてやっと辿り着いたそのファミレスは、外から見たところ、客はまばらだった。

ドアを開けようとしつつまたまた彼女は考える。

本当に、ここでいいんだろうか? 

前に食べたことあるけれどここのストロベリーパフェは、下から順にかさ増しのコーンフレーク。中層にいかにも出来合いのストロベリーソース。そのどことなく不自然なとろみ具合は業務用そのものという感じ。色合いだって赤色何号、橙色何号なんて着色料もしっかり入っていそうだし。

上層には、バニラアイスクリーム。これはどちらかといえばラクトアイスに近い、あっさり系テイスト。さらにその上にストロベリーアイスをぎゅうぎゅう詰めている。これもまたライトな味。それでその上に苺をつんつんのせて、同様に軽い風味のホイップクリームをくるくると絞っている、そんなもの。……。

もっとグレードの高いファミレス「D」に行こうか。

でもここからだと歩いてさらに二十分はかかる。こんな夜遅くに? …いいかな、別に。歩いている私を見て、まさかこの女の人はこんな深夜にパフェを食べるために、ひとりでとぼとぼと歩いている! なんて、ね。別に自分の顔に、パフェ食べたいって書いてあるわけではないし。

彼女は、さらに歩みを続けることにした。いつも同じ道を通るのはつまらない。たまには裏通りを通ってみようか。ちょっと怖いかな。でも別に。大丈夫だよね。

それよりもちょっと怖いのは、そんなこと全然ないと思っているのに、たまに道を勘違いすることがある。一緒に歩いている人がいないと突然、進路を失うか、うろうろと迂回してしまったりして。

まあ、大丈夫だろう。だってタイムリミットがあるわけでもないし。やや余裕の彼女だった。

「それでね、カフェに入ったら、好きなの頼んでいいよ、僕も同じのにするからって言うの」

 さっきの沙穂のセリフがまた思い出される。別に普通の会話なんだけど。ひとつ気に障ると、いろんなことが気になってくる。

そういうことって、ある。

そうなるとまた不機嫌度が上昇する。世の中ってもしかして、彼氏がいる女性の方が実は多いのでは? そんな不安にもかられてきそうな。だったら思い出さなければ、いいじゃない。って思うけれども、そう思えば思うほど、なんだか思い出してしまう。なんだろう、あたしってMなんだろうか? と彼女は自分で自分に困惑した。

 そんなことを真剣に考えていたら、始めての裏通りをくねくねと進んで小さな路地に突入。このまま行けば、きっとどこかにつながっているだろう。目指すファミレスは方角的には、こっちなんだから大丈夫。

 ところが、その細い道を左に曲がったところでまもなく彼女はある建物に突き当った。

 えっ、ちょっと、何、これ。行き止まり!?

そこにあったのは小さな店で、煌々と明かりがついていた。しかも、信じられない。夢ではないだろうか。ひとりの男性が何か食べ物を作っているのが窓から見える。それはどう見ても、お惣菜ではなくってケーキの類に見えた。

 瞬時に、結衣は連想した。あの人は修行中のケーキ職人で、新作菓子に熱心に取り組んでいるのだ。もしかしてパフェを自分のために即興で作ってくれないだろうか。

 もちろんそんな非常識なことは普通聞けない。

「すみませんがパフェを作っていただけないでしょうか。それで今、すぐに食べたいのですが」……。いくらなんでも言えない。

 そもそも、彼がケーキ職人だと証明されたわけでもない。

 どうしよう。……。ほんの十秒悩んで、彼女はスマホを取り出した。そしてあるナンバーを押す。それは占い電話鑑定の検索ナンバー。早速チェックし始める。占い師名と占い方法と電話番号。今現在待機している占い師のキャッチフレーズが次々と彼女の耳に流れてくる。

彼女は占い師に聞いてその判断でOKと言われたらこのドアを開けてみようと思った。どれにしようかな。西洋占星術とタロットが最近よく当たるというものがあった。 

これにしよう。早速ナンバーを押した。占い師の名前はリリ。

「はい、リリです」「あ、もしもし」ややどぎまぎしながら、結衣は相談内容を口にした。

 … … …

 時間に比例して料金はどんどん上がるシステムになっている。リリの解答は最初こんがらかっていて、五分経っても結論には辿り着けない。結衣は早く結論を聞いて話を終えたかった。とはいえ、いくら顔も見られていない全く普段関わりのない他人とはいえ、詳細など言いたくはなかった。

最終的にはゴ―サインだった。「オーケー、ありがとう」彼女は電話を切った。

 だってまさか「夜中に突然パフェを食べたくなって、ひたすら求めて真剣に歩き回っていたら、偶然ケーキ屋さんを見つけ、そこにひとりいた男性にパフェを作ってとお願いしてみたいんだけど、このドアをノックしていいと思う?」なんて。そんなの、いい大人どころか学生だって言えない。「詳細を言わないと占えません」なんて言われないで良かった。ほっと胸をなでおろす。

 結衣はどきどきしながらも、その男性のいる建物に近づきガラス張りのドアをノックしてみた。一瞬目を閉じてね。


リリはここのところ、実に気分がナーバスだった。だって占い師デビューしてまだまもないとはいえ、不況のせいもあったかもしれないが、仕事がなかなか来なかったから。 

だから、鑑定依頼の電話がかかって来ないかといつもそわそわと電話を見つめていた。そして雑用で電話のある部屋を離れる時もいる時も、リーンというベルの音に敏感だった。  

ちょっとした物音にもぴくりっ、てね。少しの外出でも気が気ではない。

とうとうコール音が数日ぶりに鳴った。時刻は、ほぼ真夜中の零時。

 彼女は、これはもう間違いなく鑑定依頼の仕事に違いないと思い、たまたま家の中で電話を置いているスペースから一番遠い玄関にいたのに、バタバタとせわしない足音を立てながら、受話器を取った。

 やや息を切らしていたけれど、それは気づかれないように慎重に出る。

「はい」「もしもし、そちら占い師リリ様でしょうか」

「はい、そうですが」「夜分、恐れ入ります。実は私、女性週刊誌の広告ページを担当しております広告代理店アキューズの江藤と申しますが、女性週刊誌『女性エイト』に占い広告をお載せになりませんか。基本料金はひとコマ二万円からで」「あの、結構です。興味ないですし、それにこんな時間にかけてくるなんて非常識ですよね。失礼します」

 リリは相手の返事も待たずに受話器を置いた。イライラっとしながら。ああ、もう。こんなセールスの電話ばっかり多いんだから。もう全く。こんな時間に電話なんていくら遅くまで鑑定受付してるからって最低!フリー契約の人なのかしら。

すると受話器を置いたばかりなのに、三十秒後にまた電話が鳴り出した。

これはあのさっきのセールスマンに違いないと思った。しつこ過ぎない?違うことでまた営業かけてきたとか。

 彼女は、さらにイライラして受話器を取った。

「もしもし、いい加減にして下さい、何時だと思ってるんですか」「え、あの、占いのお願いに電話したんですけど。確か広告に午前二時までやってるって書いてあったので」

しまった!

「大変申し訳ございません!つい今しがた迷惑な電話があったばかりだったので」

 リリは、これでお客様が気分を悪くしないかとハラハラする。だってここで「もういいです」なんて言われて切られてしまったら大変である。

「本当にすみません。それでは早速始めますのでお名前と生年月日をお願い出来ますか」

「……はい、谷田結衣。生年月日は……」良かった。どうやら中断することはなさそうだ。

「わかりました。それでは相談内容をどうぞ」

大体は恋愛相談だ。やはりみんな幾つになっても一番気になるのは愛。それはそうでしょう。

「あの、ポイントだけでもいいですか?」

「はい?」ポイントって。詳細を語りたくないということ? 多分ね。まあ、いいけど。

「ええ、無理にとは言いません。もちろんOKです。言いたい箇所だけで」

受話器の向こうで一瞬の間があった。それはためらいの間というふうにリリには感じられた。何か複雑な恋の相談? それとも?

「あの、実は今、岐路に立っているところなんです。それでこのまま進むべきか、それともやめて引き返すべきか。それで悩んでいるんです。なぜかというと進むべき道は未知数。だから大きくリスクも伴う。でもうまくいけば大感動が待っている気がするんです。それでやめる方は安全であること間違いないんです。でもそんなのってつまらないと思う」

うーん。抽象的。よっぽど恥ずかしい事かひんしゅくな事なんだろうか。とにかく進めなければ。

「わかりました。それでは西洋占星術とタロットを併用して見てみますね」

西洋占星術とは、いわゆる星占いの本格的な内容のこと。ホロスコープというその人が生まれた瞬間の天体配置を算出し、それに対し現在動いている天体を組み合わせて推測していくものである。

パソコン上の専用ソフトに結衣の生年月日を入力するとあっという間にホロスコープというバースチャートが出た。

西洋占星術はその人が生まれた瞬間の実際の天体、太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の位置で占う。

 結衣子はおとめ座生まれ。これは本質的に怖がり。でも生まれた時に月がふたご座にあったので好奇心旺盛なところがある。だから迷っているんだろう。そしてそれに対しての今日の天体配置。快楽を与えてくれる金星はおひつじ座。これはふたご座とはまあ良い相性。おとめ座とも悪くはなし。結局、他に危うさを暗示するような星の相は出ていなかった。

「そうですね。まず言えることは今日の空の星はあなたにとってプラス。イエス、どうぞ。そんなふうに言っています。それでは次にタロットでさらに具体的に見ていきますね」

「そうですか、嬉しいです。はい、お願いします」

 早速タロットカードを手に取る。彼女のやり方はギリシャ式と言われるパターン。

水晶を目の前にして慎重にシャッフルする。水晶は究極のパワーストーン。

これがあると何かが違う気がするからそばに置いておく。裏返しに置いたカードを開いて表を向ける。この暗示をどう読むかが重要だ。

カードは月、塔、そして世界の逆だった。

「もしもし、結衣さん」「はい」少し緊張気味の返事が返ってきた。

「占星術で見ると今日は楽しむのにまあまあ良い日なんです。ところが今、タロットで占ったところ、その迷い事はもし仮に進んだとしたならば、まずは戸惑うスタートになる。進めながらだんだん不安が心に広がっていくだろうと。そして次に何か大ショックなことが待ち受けている。ということで最後には失望してしまう。そんな結論」

「え、そうなんですか! それってあんまりじゃないですか。確かに迷っているけれども後ろから押して欲しくて聞いた、そういうところもあったのに」

「そう言われても。では一応やめて引き返した場合、どうかでいってみましょう」「はい」

カードは死神、運命の輪、愚か者と出た。

「そうですね。もしやめた場合、その道は今後全く断たれます。でも一見その方が良かったとも思える。でも結局後で、なんて愚かな選択をしたのか、と悔やまれるでしょう」

「ということはどっちに行っても結果はNGということ?」

「まあ、そうとも言えますね」

「折角聞いたのに。どちらか選んで欲しいんだけど。とにかく早くしないと時間がないの」

「そうですね……」

電話での話し方は落ち着いていたけれど、実にリリは内心かなりあせっていた。どうしよう。そう言われても。どっちもどっちなんて、どうすればいいのか。私は神じゃないもの。

「ちなみにもうひと言、内容を教えてくれませんか」「ええと、強いていうとお菓子と異性」

「えっ」「だから、スイーツと異性なの」

うーん。それだけ?!

しかもそのテーマでこの時間。真夜中の零時じゃない。タロットはさっきの通りなんだけど。結衣さんは実のところ、どうなんだろう。実は背中を押してもらいたいから電話したのでもあるってさっき自分でも言ってた。ということはなんとか押してあげる方向にもっていく? もっていこうか。もっていってもいいよね。別に親や教師のように「こんな遅い時間に異性に関することでリスクもあるらしい決断に迷っているなんて。全く何を考えているの。いい大人が。最近、不況のせいかぶっそうになって犯罪も増えているのに。

ただちにやめて早くお家に帰りなさい。いったいあなた、幾つになったと思ってるんですか!」などと言ってもしょうがないじゃない。それこそ三十五歳なんて、もういい大人なんだから。リスク管理だってさすがに出来るでしょ。とにかく早く何か言わなければ。そっと背中を押せるようなひと言を。

「もしそんなに危険がないようならさっきの結果を参考に、より注意深くトライしてみる、というのはどうですか」

「それってタロットで見てもらえるの?」この発言はリリにとって幸運だった。

「ええ、そうですね。ちょっと待って下さい」そうだ。ひたすらタロットで詳しくみていくというそういう手があった。

カードは世界の逆、月の逆、皇帝。

「あ、いい感じ。不安定な始まりだけれど、だんだんペースをつかめてきて最後には勝ち得るものがある。そうカードは言っている」

「本当? 良かった。じゃあ、行っていいのね」

「ええ、気安い態度を取らなければ大丈夫。簡単に隙を見せなければね」

「わかった。ありがとう」

 終わった後、リリはやっぱりチャレンジって大切よね、と強く心に刻んでいた。実は恋愛経験が少ない彼女からしてもそれは真理だろうと。それにしても今の彼女、三十五にもなっていったい何やってるんだろう、こんな真夜中に、とリリはつぶやきそうになった。


彼が近づいてきてドアが開くまでの間、結衣は「自分にパフェを作って食べさせて」なんて発想を、いったい、どこからそんな突拍子もないことが出たのか自分でもよくわからなかった。

でもそれは頭の中の半分。あとの半分は、非常識な人だと思われたらどうしよう。何か危ない人だと捉えられても大変だし、と青く顔色を変えてしまいそうなおどおどした気持ちも抱えながら待っていた。

「あの、何か」

 出てきた男の人は、まぎれもなくさっき窓から見えた彼で、不審な顔つきでもなく、なんの用だろうという表情で結衣を見た。

「あの、この辺にあるファミレスを目指していたんですが、近道をしようとしたらここまで来てしまって、あの、この辺りで美味しいパフェが食べられるファミレス、知りませんか」

「…」

「あの、もしかして、こちらケーキ屋さんじゃないですか? さっき、窓から見えてしまって」

 その瞬間、男性は目を見開いて呆れたような驚いたような顔をした。

「ええ、確かにうちはケーキ屋ですけど。店はもう閉まったんです。こんな時間なので。それにパフェはカフェの方でも置いてないし」

「あ、ないんですか。パフェ」

 その時の彼女の顔つきは相当落胆してみえたに違いない。

「……」

「……」

「……その、なんていうか、もしなんだったら作ってもいいですけど。パフェ」

「え、本当に?」

「ただし、今これから片づけとかやることがあって、二時間かかるんですよね。それは仕事なんでどうしても。それで、それから取りかかるとして、……そうだな、もう一度、午前三時にぐらいにこれます?」

「はい、わかりました。必ず来ます。……ちなみに、どんなパフェですか?」

「はい? どんなって」

「その、イメージでいいんですけど。たとえば、」

「たとえば?」

「……その、たとえば、何かこう、哲学が感じられるような、そんなパフェ」何を言っているんだろう。言いながらその発言に結衣子自身ちょっと驚いていた。

「……」

 彼は顔をやや下に向けて目はどこかあらぬ方を向いて?黙っている。

 なんだろう。この彼の沈黙は。変わってるって思われたとか?

「自分はお菓子作りにプライド持ってるし、哲学だってもちろん持ってますよ。言うまでもなく」

「えっ、あ、そういう風に取られると」

 なぜか彼は機嫌を損ねたらしかった。職人とは気難しいと聞いたことがあるけれど、こういうことだろうか。結衣ははらはらした。

「もちろん、そうですよね。ありますよね、じゃあ、よろしくお願いします。きっかり午前三時に来ます」

 彼女は大きめに、意識して明るい声と笑顔を取り繕った。どうか、彼がここで気を悪くしませんように。

「じゃあ、そう言う事で。あ、一応だけど、このことはここだけの話ということで、出来ます? それ」

「え、あ、ええ、はい。わかりました」

 彼女は、ひとり元来た道を帰り始めた。足音は心なしか弾んでいる。それはそうだろう。なんだか知らないけれど、急にパフェが食べられることになったのだから。それも未知の味で、哲学のテイストもあるのだから。

 彼女の頭の中に二つの疑問が湧いてきた。ひとつは、どうしてたったひとりでいるんだろう。他の人はどうしていないのだろう。ということ。

 そしてもうひとつは、二時間後って言ったけれども真夜中の三時だよ。その時、そこに行くってちょっと怖くない。異性だよ。

 どうしよう? ここで連絡先などを一応聞いておけばよかったのだろうけど。たとえば明日にしてもらえないですか、もう少し早い時間に、とかね。でもお店の名前だってよく見なかった。もう閉店していて、表のライトが消えていたからよく見えなかったということもあったかもしれないけれど。

 なにか、もしかして作為があるとか? もしこれが常識ある女の人だったら、再び行くことなんかしないだろう。

でも、そんなのってつまらない。それにパフェの約束をしたんだし。もしもたとえばその前後で、(出来ればパフェを食べ終えてから)、異性としての誘いがあったとしても、その時は丁重に断ればいいじゃない。もし実力行使できたとしても、ここは未開の地ではなくて、東京だし?大丈夫、なんとかなるよね。

 初対面の異性と二人っきりの空間へ自ら赴くということへの警戒心がなかったかというと、嘘になるけれど、初めてのパフェを食べる事が出来る。それも相当なこだわりのパフェが!その思いで感動で結衣子は頭が一杯だった。

 帰り際、時々、この二つの考えのために顔が暗くなったり、明るくなったりして忙しい彼女だった。そして哲学のパフェって一体どんなだろう、とイメージしてみることにした。

 そうだなあ。

そのテーマで自分が作るのなら第一に材料は質の良いものだけで、全てを手作りにしちゃうなあ。

 まずは、底に敷き詰めるジャム、苺ジャムだよね。今、習ってるだけあってこだわってしまう。あ、それよりも、もしもそれを食べたらどんな気分になるかというと、難しい問題に突き当っている人は解決の糸口をつかみ…。なんか、つまんない。ありきたりなような。

そうではなくって、あ、わかった。そのパフェを食べたら、哲学がない人にも哲学が発生する、そんなパフェ。これでいいんじゃない?

 そんなこと考えながら、わくわくした気持ちで帰宅した結衣は、まだ再び家を出るのに時間があったので昨日、衝動買いしたジャムの小瓶を取り出して眺めた。それは地元の洒落たカフェでひとり、食事を済ませた後、テイクアウトコーナーで予算オーバーなのに買ってしまったものだった。ジャムに目がないんだから。

 ジャムのコンクールで金賞を取ったとラベルに書かれたそれは、さとうきびとブルーベリーとラズベリーと苺とレモンとレモンバームとレモンリーフとクローブとアニスとレモン果汁他ハーブ一種で作られたものとある。名前は「姫の小部屋」。

ひとつだけ他、ってなんだろう。

でもとにかく思わずため息。

これから行く彼のパフェもこれくらい、凝っていて欲しいというものだ。

電話が鳴る。

「もしもし」。沙穂だった。

また彼氏との話だろうか。結衣はやや警戒した。でも同時に、そのお陰で、これからややスリリングだが夢のようなパフェ体験が出来ると思うと、これももとはと言えば沙穂のお陰ということで、これから始まるかもしれない、うんざりな彼氏との話に少しは誠意をもってつきあってあげようという気になった。

「もしもし、どうしたの」またその話でしょう、と言いたいのを抑えながら。

「もしもし、結衣、さっきはごめんね。なんかつまんないこと、いろいろ言った気がして」

 えっ。

「な、そんなことないよ。良かったじゃない、ね」

「なんか、結衣との電話切った後で、あたしってなんかやだなって思っちゃって」

「急にどうしたの」

「ううん、ね、来週あたりお茶しない? 渋谷に新しいカフェ、オープンしたんだ」

「え、うん。いいけど」

 電話を切って、しばし呆然とする結衣。自分もちょっと批判し過ぎたかな。本人には言ってないとはいえ。……。それにしても、そんな、沙穂がいい子発言をしてきたら、これから行くあのお店。どうしよう、イライラしていたとはいえ、無謀だったかも。急に怖いのと常識が結衣の思考の中に入ってきた。

沙穂、つきあってくれないかな。早速もう一度、電話してみる。ところが、出ない。三回トライしたけれど。五分前に切ったばかりなのに。彼が来ているとか? 

どうしよう。……。そういえば、他言しないって約束したんだっけ。となると沙穂は無理。それで、どうする?……。

やっぱり行こう。約束は約束だもの。

さあ、どんな哲学のパフェが完成されているのだろう。

 それにしても行き当たりばったりでたまたま道に迷ってやってきた見ず知らずの女の人のリクエストに応えるなんて。本当に真面目にやってくれるのだろうか。結衣子は再び不安になる。

 だんだん迷う。

とりあえずジャムでも食べて考えよう。まだ時間あるし。でも。今、冷蔵庫の中にはヨーグルトもパンもない。ジャムしかなかい。ジャムって鶏もも肉のコンフィとかって肉料理にも合う。感謝祭のターキーに添えるラズベリージャムもよい。でも、鶏肉も豚肉も牛肉もない。だからそのまま結衣子は食べてみることにする。

 小瓶だったのに、ほんの四十五グラムしか入っていないのに、四百五十円もしたそのジャムに大きなスプーンを入れてみる。するとそれはゼリーのように、塊になって匙の上に乗り、輝いて見えた。ワインカラーのその色。ブルーベリーの分量が多いのかな。少し揺らしてみると、ふるふると震える。ジャムというよりジュレという感じ。ゼリーを宝石のようって表現することがあるけど、そんな印象。

 でも、これからとっても美味しい甘いものを食べるのに、いいのかな。少しならいいよね。

 とろりとしたそのジャム、その味は、森でブルーベリーとラズベリーを摘んできて、家でコトコトと煮詰めて丁寧にジャムを作った几帳面で素朴な女の人を想像させた。女の子同士の内緒話をこっそりしているような気にも。それはスパイスのせいだろう。

その時、あ、これはなんだろうという感覚をふいに覚えた。なんだかよくわからないスパイス、ハーブかな。

 カルダモン、クミン、レッドペッパー、ミント、ブラックペッパー、レモングラス、シナモン、カモミール、サフラン、ジンジャー、ジャスミンのどれでもない。それら以外で何か未知の香辛料が使われている。こんなに何種類も入っていたらわからなくて当然かも。何が入っているか、最後の一つまで書きこんでくれたらいいのに。

 そうだ。彼に聞いてみよう。これでもうひとつ行く気になってきた。気を張る結衣である。

家を出るまでにあと一時間。手ぶらでいいのかな。初対面の人になにか作ってもらうというのに。コンビニで買える手土産ってなにかないかな。……。いっそ自分も何か作っていこうかな。でもプロに素人がお菓子を作っていくって失礼なことでは?…。

どうしよう。コンビニでワインでも買っていこうか。安物じゃ逆に失礼かな。

リーン。電話の音がする。

「もしもし」「あ、沙穂」「なんか、電話もらったみたいで」「あ、いや、そのごめん。実はその、確かに電話したんだけど、その、もう解決したんだ」

「あ、そうなの。ならいいんだけど。ちょっとコンビニに行っててね」「あ、そうなんだ。ごめんね」「わかった、じゃあ、おやすみ」

結衣はどぎまぎしてしまった。これから悪いことをするみたいに。さっきは沙穂にも一緒に行ってもらえないかと思ったけど、今度は隠してしまった。

やっぱりこれは正々堂々と?ひとりで行かないと。それが彼との約束なんだから。だって他の人には言わないで、って言ったよね。うん。そう。こういうところは大事。初対面なんだし。ここで女友達を連れていったなら「信用していないんだ」と思われて入口で「どうぞお帰り下さい」などと言われてしまったならばもうアウトじゃない。

沙穂には後で後日談ということで打ち明けることにしよう。さっきの彼だって永久に秘密、とまでは言ってないし。

(でもそれだとやはり裏切りになるのでは)自分の中でさらに心の奥の声がしたような。

ちょっと待って。今大切なのはそこじゃないでしょう。

さあ、それより手土産は何にしようか。お菓子とかけ離れた物がいいのでは?となると、コンビニにあって、さまになる物といえば、やはりワインだろう。うん、もうそれしかない。

そのようなわけで、彼女は今、さっきの道を再び辿っている。途中のコンビニでワインを買う決意をして。まだ彼のところに行くには時間があったので。そして道々思うのはなぜかさっきのジャムのことだった。

それにしても最後の一種類のハーブはなんだろう。あの初めての感覚。未知の香辛料、とりあえず考えてみよう。そんなにあったっけ? お菓子に入れられるスパイスの材料なんて。

彼女は、ひんやりとした外の空気の中で歩く道々、スパイスの分析に集中した。

 謎のスパイスは甘い? 辛い? 苦い? 酸っぱい? を全部一緒くたにして濃くて薄くて、口にしてしばらくしてからも後を引いて、もしくはすっと一瞬だけその存在を隠して遠い懐かしい日のことを思い出させてくれて、かと思うと遠い遠い未来のことも予感させてくれる、そんなものだといいのに。

もしかしてこれから食べるパフェにもそんなスパイスが使われているといいな。いろんな可能性が、そのパフェを食べる人ごとに感じられるような。

たとえばそのパフェを食べるといきなり恋愛したくなり急に告白したくなり突然結婚したくなるような、そんな味。

 そんなことを考えていたら、とうとう彼女はさっきのパティシエのお店に着いてしまった。やはり煌々と明かりはついていた。

 手ぶらなんだけど。いいや、後日なにかを送ってもいいだろうし。そう思うと少し気が楽になった。

外が暗いせいでお店の中はよく見えた。彼がひとりでいるのが見えてなんだか怯む。時計は三時ジャスト。では、いいかな、とりあえず。

 ガラス張りのドアをノックする。彼はすぐ気がついてドアを開けてくれた。

「こんばんは。……お邪魔します」

「どうぞ」

いいんだろうか、本当にこのまま入って。心の中では疑問符が幾つも浮かぶ。その戸惑いは彼に伝わったのか、無言だ。

 私はこの人のことを何も知らない。彼もまた私のことを何も知らない。信頼関係は何にもない。つなぐのはパフェだけだ。

「どうぞ。そちらにお掛けになってお待ち下さい。そう、十分ほど」

 結衣は指示された木のテーブルに添えられた椅子に座った。そのスペースはあまり広くなくて、テーブルには一輪挿しに小さな花が飾られていた。あと十分ほど待てば目の前に、パフェの哲学が発生するんだ。そう思うと結衣は、期待でわくわくしてきた。

 隣りの作業スペースで彼は作っているらしい。かすかな音がする。それはカチャカチャという音でホイップクリームを泡立てているのではと想像させた。

待っている間、結衣はいろいろ考える。彼はいくつぐらいなんだろう。自分よりも年下に見えるけど。彼女は同年代の男友達は多少いたけれど下の人はあまりいなかった。

 それはまあいいとして、どうして彼はひとりで残って仕事していたんだろう。たとえばもうひとり、父親と二人っきりで経営している、ということなんだろうか。

なんかいろいろ聞きたくなってきてしまう。

ガチャリ。ドアの開く音がした。「出来ましたよ」そうひと言だけ言って彼は結衣子のいるテーブルへと近づいてきた。もちろん、パフェを携えて。

 パフェは色で表現するとイエローとレッドとパープルとブラウンとブラックとホワイトと淡い黄味がかったホワイトがぐるぐるマーブル状で混ざり弾ける虹のような印象だった。

 さあ、このパフェの哲学をぜひ彼に語っていただきましょう。

「あの、お名前を伺っていいですか?」結衣はなぜか出来るだけ丁重な言葉を口にした。

「……小川って言うんですけど」それだけ言うと彼は黙った。自己アピールは好きではないということか。それよりもこのパフェを食べてね。と、彼の目が訴えているように感じた。

「それでは、小川さん。早速お願いします。説明を」

結衣子は胸が高鳴った。これらはいったいどんな風に作ったんだろう。

「ええ、イエローはマンゴー、レッドはストロベリーとラズベリーを混ぜたもの、パープルはブルーベリー、ブラウンはチョコレート、ブラックは黒蜜、ホワイトはバニラアイスクリーム。ライトイエローなホワイトはホイップクリーム。これらを感覚で配分して盛り付けてみたんです。どうですか?」

 それは華やかというよりは混ざり過ぎたカラーのせいか、派手でけばけばしい印象すら受けた。それでも元気そうで楽しそうな感じだったら良かったのに、少々違う空気を感じた。無理やりで強引、それでも曲げないという頑固者、絶対屈しない、染まらない、そんなもの。

「どうですか。出来ればストレートに言って欲しいんだけど」彼は言葉の調子を少しラフにして聞いてきた。ぜひ本音を聞かせてほしいという表われなんだろう。

「……まあ、とにかく食べてみて下さい。それからまとめて聞きましょう」

 そう言われたら、これはもうそうするしかない。結衣は導かれるままにそれを食べ始める。すうっと気取ったパフェグラスの上、秩序を崩す最初のひと匙。

 結衣子はマンゴーが好きだった。だからその辺りにスプーンを突き刺す。そしてすくった物を口に運びつつ、それは上にかかった細いラインのチョコレートソースのせいで、勝気な物にも見えた。そして彼女の口に行くまでにその細い細いラインがつうっと滴って、ぽたっと綺麗な円い水玉を作った。

きれい。

そんなことに感動しつつ結衣はとうとうパフェをその口に運んだ。

 その味と言ったら。

 確かに一定の基準はクリアしているんだろうけれど砂糖とフルーツと乳製品の甘さとまろやかさのハーモニーが完成されてるはずなのに、なのに。

 結衣子は実をいうと自称パフェ評論家なのだった。

だから表向きの砂糖やなんかには惑わされない。そう難く思っていた。

 小川さん作製のパフェはまるで困惑と不信と意味不明のぐるぐる。そんな風。混ざり過ぎている、そういうこと?

「あの」結衣子はためらいつつ口にした。

「はい」彼は真剣だ。目も口も鼻も顎も耳も肩も、全身で感想を聞こうとしているかのよう。

「もしかして、自信、揺らいでないですか」

「えっ」彼はどきっとしたようだった。

「どうしてそう思うわけ」

「なんだかうまく言えないですけど、中心になっているものが微妙に揺らいでいて落ち着かなくって。だからそこから美しさや美味しさがすんなり伸びていきにくい、そんな感じなんです」

 実は結衣はこう口にしつつ、自分でも何言ってるんだかよくわからなかった。なるべく抽象的な表現で個性的に意見を述べたつもりだった。なぜかってそうしないと何か怖いことがこの後、待っているような気がしたので。でも本当は褒めてあげたいという気持ちが全くなかった、といえばそんなことはなかった。だから彼女は慌てて付け足した。

「でも好きな部分もあるんです。それはこの淵のひらひら部分。これってクレープでしょう?パフェの周りにこんな柔らかくて薄くて繊細なものをつけるなんて、そのセンスは好きです。どうでしょう。これが私の感想です。ちなみにどんな哲学がこめられているんですか」

「……哲学っていうより、どっちかっていうと思い入れっていうのか。…実をいうと自分、まだ見習い中なんだ。一番ハードな片付け担当で今日、残ってたし。だからまだケーキ作ることに関わらせてもらえないんだ。それで自分で片付け終えてから練習してたってわけ」

「じゃあ、他の人はもうみんな帰ってしまったんですか」

「そう。ていうか、実はこの店、ケーキ屋なんだけど、一年に一度、ジャムを全員で作る日があって、自分は一番下なんで留守番兼ねてるんだ。みんなオーナーの菜園へジャム用のベリー摘みに行ったから。そのままその隣にある工房の大鍋でぐつぐつジャム煮るわけ。帰りには店に並べる商品の他、ひとりにつき一つはジャムの瓶がもらえるっていうわけ」

そんな童話の世界みたいな話ってあるんだ。結衣は感心してしまった。

 あ、そうだ、それよりも。そうだったんだ。なるほどね。納得。

 そこまで聞いたからには自分に出来ることがあれば手伝ってあげたいと結衣は考えた。それは当然でしょう。彼は自分のためにこんなにも苦心の作を披露してくれたのだから。

「あの、何か手伝いましょうか」

そんなこと言いつつ、ふと思う。このパフェのクエッション。クエッションマーク。何だろう。それは自分がいま気になっている『神聖』ってことと関係あるんだろうか。……どちらかというと神聖というよりも、もっと違うもの、それはええとなんだろう。

「基本」結衣子はふいに口にした。それは彼女が意識的に言ったわけではなくて、たまたま口から飛び出した、そんな感じだった。

「えっ」彼は何を言っているのかわからないという顔をした。だっていきなり「キホン」なんて、それはそうだろう。

「あの、ちなみに基本って好きですか。そんなのってどう思います?」

「……何言ってるんだか、よくわからないんだけど」

「ちなみに、どれくらい修行したんですか?お菓子作り」

彼はそう言われた途端、顔色を変えた。そして沈黙。結衣子も合わせて沈黙。

「実を言うと、自分まだ何にも習っていないんだ。入りたてなの。それでとにかくオール準備と片付けのみ、自分の担当なんだ」

どうりで。だって基本がなってないように見えたんだもの。結衣はそう言いたかったがそれはストレート過ぎかと思い言わないでいた。でも彼女は弱点があった。それは思ったことがそのまま顔に出てしまうということだった。

「基本、わかってんの? っていいたいんでしょう?」

「えっ」結衣はどぎまぎ。なんか怖い。ここでイエスと言っていいのか。黙ったまま。

「…自分でもわかってるんだ。ルールに沿ってしっかり作らないとっていうのは。特に初めはね。でもそんなことお構いなしに好き勝手にやってみたかった。そういうこと」

 彼はややバツが悪そうだった。

「すごくわかる。実は今、ジャム作り講座に行ってて。基本に忠実な人のがやっぱり美しく出来るの、美味しいし。秩序っていう感じ。でも気がついたのならそれでいいじゃない。一から始めれば」

「……まあ、そうだね」深夜なのに、和やかムードになってきたみたい。

「私、帰ります。でもすごくいいもの食べさせてもらったと思う」

「……ほんとにそう思ってる?」

「ええ、間違いなく今の自分に参考になった。あの、連絡先、聞いてもいいですか。ここの住所と」

「いいけど。住所も?」

「今日のお礼に送りたいジャムがあって。こないだあるカフェで見つけたのだけど、すごく凝ってるの。十一種類のフルーツやハーブやスパイスを使ってて」

彼は目をぱちぱちさせていたけれど、すぐに住所を書いてくれた。

「あっ」急に結衣は声をあげた。

「どうしたの?」

「思いだした。そのジャム、合計十一種類のフルーツとハーブとスパイス入りで。ひとつだけ未記入のハーブがあるの。食べてみたんだけど自分からすると未知のもの。それって小川さん、わかるかと思って。さっき開けてしまったんだけど。一応、瓶見せようかと持ってきたの」

 彼女は鞄から小瓶を取り出して蓋を開けた。さっきスプーンで掬って食べた後が残っている。

 すると彼はそのジャムの瓶を、すっと結衣子の手から取り、自分の指をその中に突っ込んだ。


「あっ」それはちょっと。スプーン使えばいいのに。「手は洗ってあるよ」

そう言いながら彼はそのすくったジャムを自分の口の中に入れた。

結衣子はなぜか赤面しそうになった。別に口つけたものを食べたわけじゃないじゃない。彼はその指をまだ口の中に入れて舐めている。

その時、彼が結衣の目を見た。何かの感情が通じた瞬間だった。

「…。これはホーリーバジルが入ってる」

「えっ、よくわかりましたね」

「知り合いが高円寺のエスニックレストランで働いてて、そこでホーリーバジル、ティーパックでお茶として提供してるんだ。それ、インドの伝統医学のアーユルヴェーダで不老不死の霊薬って呼ばれてるって。もともと香りが強いからわかったよ。聖なる植物とも言うんだ。英語ではトゥルーシー」

「へえ、物知り。さすがスィーツのプロですね。でもトゥルーシーよりホーリーバジルの方がいいかも」

「そうかもね。ところで、ホーリーバジルに花言葉ってあるんだけど知ってる?」

「えっ、全然知らない」

「神聖って言うんだ」

(えーッ!)

「神聖って最近、ふと頭に浮かんでここのところずっとそのままぐるぐる思い出されてた単語なの。これが答えかも」

「え、そうなの」

彼は予想外の結衣の反応に少し戸惑ってるみたいだった。

「なんか結衣さんって面白いね」

「えっ?」

「よくわかんないけど、でもとにかく最後の謎が解けてよかった。どうもありがとう」

 彼の声と表情が幾分優しくなってきたように彼女には見えた。


帰り道、結衣は思う。基本にはこだわらない。そういう考えもあるけれど、長い時間の積み重ねで洗練されて出来たものが基本だし。小川さんは全く新しいものをゼロから生み出そうとしたのかもしれないな。

帰り道、彼女はもう一度、ジャム作りをテキスト見ながら基礎からやってみようと思った。

そう、実は自分はジャム作りの基礎ちゃんと守ってない。他人を見ていると気づくことってある。

まあ、そういうものだろう。

最後のホーリーバジルの花言葉が見事に?自分の頭の中の神聖とクロスしたのは驚きだったな。これも縁?今度、その高円寺のお店行ってティー飲んでみようかな。

あと彼のいたお店の人達がジャムの日のために作っているジャムは、ベリージャムだと別れ際に言っていた。どのベリー? 苺? ラズベリー? ブルーベリー?

聞けば良かったな。まあ、いいか。それにしてもあのドアを開ける時、占い師に相談したのは正解だった。初めのどちらもいまいち、みたいなこと言われてもそこで諦めないで良かった。

要は占い師のご託宣にだけ頼る、というのもありだけど、一緒に探っていくのもありなんだ。

小川さんって彼女、いるのかな。次の機会に聞けそうだったら聞いてみようか。

結衣はそんなことをつらつらと考えると、さっきのパフェの一番細い部分、パフェグラスの下の部分の色がふと思い出された。それは彼女の好きなマンゴーのカラー、明るく鮮やかなイエローだった。


リリはそろそろ眠る時間だった。それがどうしたことだろう。

さっきの占いのお客様、結衣子の電話を切ってから、何かがリリの頭の中に入り込んできたらしい。そのイメージからのメッセージはこんな風に彼女に訴えてきた。

 女の子で甘くて柔らかくて冷たい。

 それはなぜか彼女の口の中と連動するのだった。なにか口にしたいものがあるらしい。 

最初、その症状を放っておいたが、それはだんだん強くなってきた。まるで病気のように。

とうとうベッドに一旦入ったところだったのに、飛び起きて着替えてバタバタと外へ飛び出した。

その足は一直線にコンビニへと向かう。着いたその店で彼女はバニラアイス、ストロベリーアイス、ホイップクリームとミニサイズのひと口チョコ、さらにストロベリージャムを購入。

 そのまま早足で帰宅するとキッチンへ直行。一心不乱にホイップクリームを泡立て始めた。

いったい自分はなにをやっているんだろう。これは誰の意志なの?

 すると、下が細くて上に向かって広がっている容器というのが頭に浮かび、ふと目についたのはワイングラスだった。

ひとつしか持っていないそのグラスに一番目はストロベリージャムを底にとろりと敷き、次にバニラアイス、そのまた次にストロベリーアイス、そのまたまた次にバニラアイスをスプーンでぎゅうっと詰め、その上にかぶせるようにホイップクリームを雪のようにたっぷり乗せた。

さあ、ラスト。てっぺんにはミニチョコを高々と捧げるように突き刺した。完成。

しばし彼女はそれをうっとりと眺めていた。なぜ? という疑問符を頭の中いっぱいに浮かべながら。最後の行為、このスイーツを食べながら、横に置いた残りのストロベリージャムもなぜか交互に口にすることでますますリリはとろけていった。

これ以上ない至福の時を味わいながら。(了)





























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