その7 死神
もうどうでもいい。
さっさとこの茶番から逃れたいと思った。
「分かった。半透明のことも犬がしゃべるという事も、現実として受け止める。俺、明日本当に仕事あるんで、話したいことがあるんならとっとと言ってください。」
半分投げやりである。
どう考えてもこの状況を自分の脳が拒絶しているので、理解するとか納得するとかは後回し。
そう、あとで考える。
思考停止とも言うが、どう考えても、この事態を説明できる合理的な理屈をこね繰り出すことを、俺は放棄した。
「おや、おや。開き直ったか。それならそれでいい。もちろん、お主に用事があるからレイがこんなところで待っていたんだからな。もう気づいてると思うが、お主がレイに全く気付けなければ、それはそれでいい。だが気付いたという事は、お主の寿命がもうすぐ尽きるという事が判明する。このことは理解できるな。」
「さっき言ってたからな。この半透明の少女が見える理由。霊感がどうとかと関係ないのであれば、死期が迫った人間にしか知覚できない。そういう事でいいんだよな。」
俺の言葉に、子犬が嬉しそうに小さなしっぽを振っていた。
「そういう理解で構わん。」
なんか威厳ありそうな低い声で言うんだが、尻尾が千切れるんじゃないかというぐらいに勢い良く振られると、なんだか微笑ましい気分になってきた。
なんか、ペット可の家に引っ越したくなってきた。
そう言えば大貫せん…、綾さんのマンションってペットはどうなんだろう?
今度聞いてみるとするか。
「また、なんか上の空になってるよ、殿下。」
レイと呼ばれた少女が子犬に向かって言った。
しかし、殿下って……。
こいつはわんわんランドの王子だとでも言うんじゃないだろうな。
「本当にこの男は目上に対しての礼儀がなってないな。」
子犬がしっぽを振っているのが目に入るから、威厳あるような感じでしゃべられても、全く敬意を払う気にはなれない。
というか、年上?
「そうじゃよ。人間たちの年齢で言えばもう500歳を越えておる。」
「えっ、この子犬が500歳?」
「ああ、それはちょっと違うんだよ、お兄さん。殿下は、前は別の依り代に憑依してたんだけど、ちょっとした手違いで生まれたばかりのヨークシャー・テリアに乗り移っちゃったんだ。すぐに出てくればいいものを、気に入ったらしくて、今はヨーキーのチャチャまるを名乗ってる。」
半透明の少女がそう説明してくれた。
要は乗り移る先は動物ならどこでも良さげだった。
「実際はこの犬の親犬の元で今は住んでるんだ。そこは犬のブリーダーの家なんだけど、殿下はこの子犬が売れないように、周りに特殊な結界を張っているからさ。とりあえずは夜しか行動できない。で、今日うまい具合に酔ってこんな時間に帰宅してくる清元雅弘を掴まえることが出来たってわけ。」
「よく解らん。つまり、待ち伏せってことだよな。状況はいくら聞いてもよく解らんから、用件だけ言ってくれ。」
「落ち着いてくれた方が確かに話しやすいな。では、本題に入るが……、清元雅弘、お前はこの1週間以内に死ぬことになる。」
子犬が、その愛らしい表情で、とんでもないことを口ばしった。
「死ぬ、俺が?」
「さっきレイが言っただろう?我々を見ることが出来るのは死期の迫った者だけだと。」
確かに言ってはいたが。
「私は由緒正しき死神の家系のものだ。名をルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス・ロムルス・アウグスティヌス・ハーデス・オオカムツミ・アンドヴァリ・アヌビス・キシャル・モーセⅩⅩⅢ世と申す。今後、また再会すると思うからよく覚えておけ。」
いまなんか呪文を言われた。
それが俺を1週間以内に殺す魔法の呪文という訳か。
「その本名という奴さ、やめた方がいいよ、殿下。このお兄さん、完全に固まっちゃてるじゃん。私ですら覚えられないんだから。話がややこしくなるだけ。」
半透明の少女が肩に担ぐようにディスサイズを持ち替えながら、可愛い子犬に説教してる。
自分が死ぬと言われてるのに、やけに微笑ましく思ってしまっている俺は、もしかしたら既におかしくなり始めてるのかもしれない。
「お兄さん。ちゃんと聞いてね。明日起きた時に「あれは酔っぱらった俺の夢」で片づけられると困っちゃうからさ。」
そう言うと、この見方によっては可愛らしく見えるその顔に、残忍そうな笑みを浮かべて、またディスサイズを構え直す素振りを見せた。
俺はついさっきの、死ぬのか、と思うほどの痛みを思い出した。
もしかすると、1週間以内に死ぬとはこの少女に殴打された上での死亡かもしれない。
そう思った。
俺は、それこそこの犬が振るしっぽよりも速いスピードで何度も首を縦に振った。
「そこまで怖がられると、乙女としては傷つくんですけど!まあいいわ。変態な目で見られるよりはマシか。さっき殿下も言ってたけど、彼がこの世界にいる108の系譜を誇る死神家の一つ、モーセ家の次期当主、を目論んでる由緒正しき死神さん。私はそれを補佐する助手って立場。名前はあったらしいんだけど、今は殿下からレイと呼ばれてるの。」
なんか、いろんな情報が入り過ぎてて、全くよくわからなかった。
「えっと、じゃあ君、レイさんだっけ。レイさんが死神でなくこの可愛い子犬が死神?」
「子犬とか言うな!正当な死神に向かって。」
そう文句を言うが、そのちっちゃな尻尾がすんごく振られてる。
俺の視線に気づいたのか、ため息をつくレイという名の少女。
「お兄さんの困惑はわかるよ。声では怒ってるくせに、尻尾、凄いもんね。文句を言うくせに、このヨーキーの格好、気に入ってるから。さらに可愛いなんて言われちゃうとね。」
正直犬の表情なんかは解らないが、照れているという奴か。
まさか死神のツンデレを見ることになるとは思わなかった。
「私は何らかの理由で、こんな幽霊みたいな姿が維持できてるんだけど、死神が現世でその姿を維持するのって結構大変らしいの。だから現世のものに憑依する形をとるらしいんだよね。でも殿下、生まれたばかりのヨーキーの子犬に憑依してそのまま現世にとどまっているの。魂の回収はそれが都合いいらしくて。ただねえ。」
そう言うと足元で二本足で立って、前足を動かすヨークシャ・テリアの可愛い姿を見てため息をつく。
俺は自分が死ぬと言われたことも忘れて、その愛らしいヨーキーを抱き上げた。
「お、おい、なにをするか!こ、これでも、正当なしにが、ふぇえ。」
抱き上げて頭を撫でたら気持ちよさそうな声を上げた。
毛触りも非常によろしい。
ヨークシャ・テリア、通称ヨーキーでよく扱われる写真は、銀色の毛並みを長く伸ばし耳がぴんと立ったものが多い。
実際の大会でのヨーキーはみなそんな姿だ。
ただ大会で上位を狙おうとすればそう言う姿が喜ばれるけれども、その毛並みや体調管理は大変だ。
長毛種のヨーキーは毛が抜けないことが特徴である。
そのため、写真でよく見るような毛が長い姿かたちが多い。
でも普通はトリミングを定期的にして、飼うことが多いと聞く。
長い毛はしっかりとブラッシングする必要があるらしい。
でないと毛玉が出来、衛生的にはよくない状況で皮膚疾患などを引き起こす、らしい。
如何せん、飼ったことが無いのでカタログデータしか語れない自分が悲しい。
よし、頑張ってペット可の賃貸に移れるよう頑張ろう。
「本当に見てくれが可愛いでしょう、それ。気に入っちゃってんだよね、殿下は。だから本当はとりあえずでその子犬に憑依したくせに、もう3年もそのまま。だからブリーダーさんにも「チャチャまる」って名前つけられたんですよね、殿下。」
「ふん、悪いか!」
「ブリーダーさんは可哀想ですよ。売られたくないからって、飼いに来た人に噛みついたり、おしっこひっかけたりして。でもブリーダーさんにはすごい甘えて。で、夜中に抜け出しても分からないように、寝たふりした幻影、見せてるんですもんね。」
「だから、悪いか、って言ってるんだよ。」
「悪くはないですよ。でも犬に見られるのは心外、ってのはねえ。」
「ええい、うるさいわ!」
そう言う言い合いをしてる最中も、俺はこの子犬をモフモフし放題。
ああ、ワンコ、いいなあ。
やっぱりすぐにでも引っ越さないと。