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1話



ー何かを見ていた。



笑っていたし、泣いていた。

どうでもいい世間話や、くだらないことから始まった口喧嘩もした気がする。

悲しい物語だった気がするし、黄色じみた青春物語だった気もする。

ただ思い出せるのは、色の無い薄い世界で、いや、実際には色鮮やかに見えていたのかもしれないけど、薄く狭い視野の中で、まるで脈略のない何かの物語が繰り広げられていた。

ただそれだけ。



どうしても思い出したいし、続きを見たい欲に駆られるけど、回らない頭の思考回路で、どうやったって思い出せない。



続きを見たいと思っていた一瞬でさえ、その続きが何の続きなのかさえ分からなくなる。



この想いは、この現象は、この感覚は、みんな同じなんだろうか。



ーいつものように起きて、いつもとは少し違う、どうだっていい事を考えながら、少しズレた枕の上で、そっと目を開けた。



夜中眠くなるまで見ていたつけっぱなしのテレビと、淡い青色のカーテンの隙間から漏れる外の明るさに、今が何時なのかまるで分からなくなる。

枕元に置いた携帯電話に、アラームをかけた記憶も曖昧で、アラームが鳴って起きたのか、鳴ってすらもいないのか、曖昧で。



はっと思い出したのは、輪番制で回ってくる夜間の緊急呼び出し対応の事で、昨晩は自分が当番だった気がした。



慌てて飛び起きて、一瞬で目が覚めると同時に、背筋が冷えるような、急に尿意を催すような、なんとも言い難い感覚に陥りながら、枕元に置いたはずの携帯電話を、裸眼じゃほとんど見えない視力を余所に、手探りで探し当て、両目を凝らしてディスプレイを見た。



ディスプレイの白んだ灯りに、起きたての目を細めながらも、絵の具で塗りたくった様な字でロゴが描かれた、待ち受けを注視する。



ー着信はない。

着信はないが表示された時間に、自分の思考を掻き乱された。



「ーッ、ヤバいっ」



待ち合わせがあったはずだった。

ディスプレイに表示された時間は、9時40分。

あと20分後には待ち合わせ場所である駅前のCDショップ前で立っていなければならない時間だった。

支度する時間や移動時間をどんなに少なく見積もっても、到底間に合わない。



最近買い替えてロック解除が顔認証になった携帯が、遮光カーテンで薄暗い部屋で反応しない。

中々パスワード入力画面に切り替わらない携帯に少し苛立ちながら、親指で何度も画面を上に押し上げ、やっとのことで6桁のパスワードを入力する。

操作の仕方が悪いのか、反応が悪いのか、考えた時期もあったが今では特に考えもしなくなった。

そもそも部屋の暗さで顔認証が反応しないのか、寝起きの俺の顔が悪いのか。



履歴の一番上、昨晩電話をしたばかりの友人の名前をタップすると、少しの電子音の後に、慣れ親しんだ男の呆れた様な声が響く。



「遅刻の電話なら許さん」

「ま、まぁそんな事言わずにさっ、」



俺の友人は、人の話すら聞いてくれない嫌な奴だった。



「分かってる?10時には店開くんだけど。発売日だけど並ぶ程じゃないってお前昨日言ってたけど、今もうここお前んちのアパートくらい混んでんぞ」

「あー、それはアレだ、中々盛況だね。」



うちのアパートは見た目通り家賃が安い。

家賃の安さに釣られ、調子のいい口車に乗せられて賃貸契約したのは、俺と101号室の耳の遠い爺さんくらいだろう。



こんな安い物件だし、駅だって若いから車無くても直ぐですよ、まぁそうですね少し急げば徒歩10分は掛からないんじゃないんかなー。



若いからって人は時速30kmで走る事が出来ないことを冷静になった今なら分かる。

101号室の爺さんはいつから耳が遠いのか、騙されたのは自分だけかもしれない。



「まぁいいけど、なるべく早く来いよ、先に店入ってるからな」

「分かった。出来る限り頑張ります」

「はいよー、無理して事故んなよー」



電話を切った俺は着ていた服を脱ぎ散らかして、カーテンラックに掛けられた角ハンガーから、ひったくる様に着替えを取って着替えていく。

今日は遅刻予定の俺に事故の心配までしてくれる、イイ奴からの勧めで夢中になった、動画配信者のCD発売日だ。

美人で歌も上手いとなると、家賃の安さに釣られて賃貸契約はしないんだと思う。

今日発売のCDに書き込まれた音源は、配信者である彼女の場合、当然動画サイトで視聴可能だ。

それでも俺がCDを欲しがるのは、携帯の待ち受けにもなっているジャケットデザインがあまりにも気に入ってしまったのが原因だ。

俺の付き合いで今もCDショップの前で開店を待っている友人は、俺のこの物欲を「パケ買い」と呼んで冷ややかな目で見ていたが、その表現は合っているのか、いないのか。



そんな事を考えているうちに出掛ける支度が済み、玄関に無造作に置かれた靴に突っかけるようにして足を押入れてから、つま先を何度か叩く乾いた音を残して、玄関から陽の当たる外へと出ていく。



鍵を閉めて、今にも錆で折れてしまいそうな手摺りを掴んで階段を降り、階段裏に置かれた真新しい鈍色のスポーツサイクルに跨って敷地を後にした。



今では当たり前になったヘルメット着用に、煩わしさと値段の重さを感じながら、そろそろ入店するであろう友人の下へ風を切って走って行く。

会社の朝礼で自転車のヘルメットの値段について、あまりにもダサいヘルメットを被ってみせた偉い人が「命を守る値段と考えれば安いもので」とは言っていたが、ホームセンターの角で売られたヘルメットの値段を見て、思わずその場で財布の中身を確認した俺を咎める人はきっといないと思うし、ましてや手数料の掛からない平日の昼間に買いに来ようと、その場で踵を返して帰宅した俺を指を指して笑う奴なんて絶対いないと思いたい。



ペダルを踏んで閑散とした裏路地を暫く進み、段々と喧しくなる環境音に都会を感じながら、駅前を目指して行く。

次第に1つ2つと信号が目立ち始め、突然のように目の前には大量の車が行き交う大通りが広がった。

あっという間に過ぎていく車達に羨ましさを感じながら、いい加減店内を見るのも飽きて携帯でもいじっているであろう友人に掛ける第一声を考える。



音の変化に違和感を感じ、自身の乗る自転車のハンドルから視点を上げると、光合成でもしそうな色の、世間が青と呼んでいる電灯に灯りが灯っていた。



曲げっぱなしの右膝に力を入れると、水捌けのためであろう路側の段差を抜け、黒色と白色の線の上を、少しゴツいタイヤが横断して行く。



大通りを突き抜けて、後ろから平然と真横を突き抜けていく車やバイクに動揺しながら進んでいくと、タイル張りのおそらく各階1部屋しかないであろう3階建てのアパートの前で、俺に背を向けてしゃがみ込む女性の姿が見えた。



女性は目の前で立ったまま泣き叫ぶ子供に必死で、後ろでブレーキを掛けて止まる俺の方を振り向きすらしない。



未だに真横を突っ走る車達は、俺の迂回を許してくれそうにないし、新しいだけあって一切ブレーキ音が鳴らない俺の自転車は、女性に待ち人の存在を告げてはくれなかった。



子供の泣き声に負けじと声を張り上げる女性の声は、自ずと後ろで待つ俺の耳へと入ってくる。



「リュウちゃんっ、予約の時間遅刻しちゃうよっ」




ー俺に至ってはもう手遅れだ。




「今日は注射じゃなくてお薬貰うだけだからっ、ねっ?」




ー小さいころは意外と予防接種で何度も注射を刺すらしい。

 それで病院行くのが嫌いになる子が多いとか多くないとか。




「お薬飲まないと、お熱下がんないよ?幼稚園行けなくなっちゃ嫌でしょ?」




ー仕事行けなくなっちゃうなら俺は発熱大歓迎だ。




「先生に診てもらって、早く治そ?」











ー俺なら()()()()()()()()()



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