Phase 06
いくら7月と雖も、矢張り午後6時を過ぎると森の中は暗い。そして、スマホの電波は当然圏外である。僕は、深い森の中を進んでいく。山の上には斎場があって、そこの森に一歩踏み入れると、異世界に飛ばされたような気分になる。一連の事件の犯人は恐らく、この近くに潜んでいるだろう。そんな事を思いつつ、僕は沙織ちゃんを探していた。
「――沙織ちゃん! いるか! いたら返事をしろ!」
当然、こんな森の中じゃ返事も来ないだろう。そんな事を思っている時だった。僕は、首に冷たい感触を覚えた。それが鎌だと気づくのに、数秒かかった。そして、鎌の持ち主は言葉を発した。
「――君から自らやってくるなんて、僕は嬉しいよ、神無月絢奈さん」
黒縁の眼鏡に泥で汚れた白衣。それは紛れもなく北中学校のスクールカウンセラーである松岡孝宏だった。つまり、一連の事件の犯人は彼である。
「どうして、僕の名前を知っているんだ」
「僕と絢奈さんは、同級生だったでしょ。それもスクールカースト下位同士で」
「残念だが、そんな覚えはない」
「そりゃそうだろうなぁ。僕は引きこもりだったからなぁ」
「でも、1年生の頃は来ていただろ?」
「来ていたさ。でも、見た目が醜かったから虐められていた。僕は中学校に入学する前に交通事故で顔の半分を失った。だから、包帯を巻いた状態で登校していたんだ。当然、学校では『ミイラ男』ってバカにされたよ。僕はそれが厭で中学校に行かなくなった。ところで、どうして、僕が人殺しだと気づいたんだ」
「まあ、なんとなく。沙織ちゃんの手助けもあったんだけど」
「沙織ちゃん? 誰だ?」
「友達がいない僕にとって、唯一の親友だ」
沙織ちゃんは、拘束具を着けられた状態で眠らされている。なんて趣味の悪い男なんだ。
「その拘束具、外してくれないか。あまりにも趣味が悪い」
「そうだね。このまま犯そうと思ったんだけどなぁ、君がそう言うんだったら、外してあげるよ。ただし、条件がある。君に死んでもらうことだよ」
「お断りだ。大切な友達を、生きた状態で返してもらう」
「そうか。君には友達がいたのか。僕には友達なんていなかった。『見た目が気持ち悪い』と言われてから、ずっと虐められていた。それは、僕の容姿に問題があったからなのか。見た目が悪いと、ジメジメしていると思われるからな。それよりも、どうして絢奈さんが僕の領域に踏み込んだんだ」
「成り行きだ。そもそもの話、沙織ちゃんが君による誘拐事件に興味を持って、それが殺人事件へと発展したのをこの目で見ているからな」
「じゃあ、君もこの子供たちのように『僕のコレクション』にしてあげるよ。生憎僕は君のような大人には興味がないんだけど、それ以上口を割るようだったら僕がこの手で安らかに眠らせてあげるよ。そして、天国のお母さんに会わせてあげる」
「確かに僕は死にたがっているけど、そういうのは趣味が悪い。僕は、誰にも知られていない所で死ぬのが本望だ」
「そうか。なら、この話は無かったことに……するわけがねぇんだよなぁ! 俺は人を殺すことに性的な快感を覚える! 特に子供を殺すことに対して快楽を感じるんだ! だから、お前には死んでもらう!」
「勝手にしろ。僕を殺した所で、誰も弔ってくれる人なんていない」
僕の喉元に、鎌が当てられる。このまま、僕は死んでしまうのだろうか。その時だった、浅井刑事が、僕の元に駆け寄る。
「松岡孝宏さん、あなたを誘拐、殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕しますッ!」
松岡孝宏の手に、手錠がかけられる。一連の事件に、終止符が打たれたのだろうか。しかし、何だか僕はやりきれない気持ちでいっぱいだった。
※
「絢奈さん、随分と不思議な喋り方をするね。どう見ても女の子なのに、なんで自分の事を『僕』って話すんだ?」
「どうやら、僕はそういう人間らしい。一応恋愛対象は男性だけど、僕には『女性らしさ』が欠如していると言われる事が多い」
「へぇ。そんな事もあるんだ。興味深い。僕と付き合わないかい?」
「検討しておく」
「こんな僕でも、愛してくれる人はいるんですね。絢奈さん、気に入りました」
「ところで、松岡くんはどうして交通事故に遭ったんだ」
「ひき逃げだった。確か、看護師が駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えて僕は空高く撥ね飛ばされた。そして、僕の顔はぐちゃぐちゃになった。ただ、それだけの話だよ」
「その看護師が誰だったのか、覚えていないのか?」
「ああ、覚えている。僕の家の近くに住んでいる、宮島愛梨の母親だよ。彼女、地元の病院で看護師として働いていたんだけど、その日は相当疲れていたみたいで、僕が駐車場にいることに気づかなかったらしい。当然、僕を撥ね飛ばした後は青褪めた表情だったらしいよ」
「なるほど。随分と胸糞悪い話だ」
「それよりも、絢奈さんは部活があるんでしょ? 僕は帰宅部だから、もうこれで帰るよ。また明日、会えたら良いな」
「そうだな」
※
それから、松岡孝宏は大学生になった時に整形して、失われた顔を復元した。そして、北中学校に恩返しがしたいということでスクールカウンセラーになった。しかし、彼の本当の狙いは北中学校への報復行為だったようだ。まんまとスクールカウンセラーとして潜り込んだ彼は、部活のない水曜日にゲームセンターで待ち伏せをして、それで無作為に生徒を攫ってガレージの中に監禁した。監禁場所だった鶴亀モータースは、どうも彼の実家らしい。ガレージの鍵は、彼が所持していた。
宮島愛梨の妹である宮島花音を攫って彼の目的は達成されたかに見えたが、彼の中で別の目的が発生した。それは、「誘拐した生徒を喰い殺すこと」だった。保健室とスクールカウンセラーは連携しており、生徒の健康状態がどうなっているのかは2者の間で共有されていた。今どきの中学生で健康状態が良好な生徒は貴重であり、特に人間の心臓は食べると不老不死になると信じられていた。黒崎英玲奈と神田明海の死体に心臓が無かったのも、恐らく彼が食べたものと思われる。よくよく考えると、酷い話だ。それにしても、なぜ松岡孝宏はカニバリズムに目覚めたのだろうか。僕には、それが分からなかった。
あの事件が(一応)解決した後、僕は浅井刑事から滾々と事情聴取を受けていた。事情聴取は、約一週間続いただろうか。事情聴取の最終日に、僕は浅井刑事と話をした。
「結局のところ、松岡孝宏が生徒を攫った原因は怨恨というより相手を食べることだったようです」
「そうだったんですね……なんだか、松岡さんが可哀想になってきました」
「多分、交通事故で顔を失った時に彼の中で何かが壊れたんだろう。それで、あのような凶行に及んだ。僕はそう考えている。あの時、僕がもっと彼に接してあげたらこんな事にはならなかったんだろうけど……」
「もしかして、その時の事、後悔してます?」
「それはどうだろうか。僕には分からない。それはともかく、今回はお世話になったな。感謝している」
「こちらこそ。絢奈さんがいなければ、この事件は御宮入りしていた可能性もありますからね。そういえば、絢奈さんって芦屋に住んでるんですね。沙織さんから聞きましたよ?」
「そうだけど、それがどうしたんだ」
「私も、家があるのが芦屋なんですよ。もしかしたら、今後どこかで会うかもしれませんね」
「それはそうかもしれないが……どうなんだろうな。まあ、そのうち会うかもな」
それから、浅井刑事と林部警部は兵庫県警本部がある神戸へと帰っていった。
それにしても、7月も中旬か。茹だるような暑さが、肌に纏わりつく。梅雨明けだからだろうけど、不快でしか無い。蝉が鳴く中で、僕と麻衣はソーダバーを囓っていた。
「絢奈、そろそろ芦屋に帰るのか?」
「ああ、帰る。事件も解決したしな」
「なんだか悲しい事件だったけど、もうこれ以上追及するモノも無いからね」
「そうだ。お姉ちゃんは、人を食べてしまいたいと思ったことがあるのか?」
「そんな事、あるわけないじゃん。趣味が悪いわね。でも、極限状態に陥ると、同じ獣であっても食べてしまうということはあるわね」
「なるほど。お姉ちゃんが言うと説得力があるな」
「そう? それが生存本能ってヤツよ」
「生存本能か……。僕がリスカしてしまうのも、生存本能なんだろうか」
「アンタの場合は生存本能というより、ただの精神崩壊よ。まあ、芦屋に帰ってもリスカは禁止よ」
「分かっている。でも、衝動が抑えきれない時があるんだ」
「まあ、気持ちは分からなくはないけど、矢っ張りダメなものはダメよ」
「そうだよな……」
ソーダバーを食べ終わると、僕はバイクに跨って、ギアを入れた。それにしても、この1ヶ月間はあっという間だったな。なんというか、少し懐かしい気分に浸れたような気がする。それだけでも、良かったのかもしれない。
「とはいえ、8月にもう一回戻ってくるんでしょ」
「それはどうだろうか。まあ、お盆だし戻ってきてもいいけどな」
「それまで元気でいてよね。約束よ」
「分かっている」
麻衣が手を振る中、僕はバイクを走らせた。そういえば、芦屋に帰る前に沙織ちゃんに会ってから帰るか。そう思った僕は、そのまま正法寺の方へと向かっていった。
沙織ちゃんの家に向かうと、そのまま中へと入れてくれた。恐らくこの猛暑を思っての事だろう。そして、麦茶を用意してくれた。
「アヤナン、帰る前に寄ってくれたって訳?」
「まあ、そうだな。少し顔も見ておきたいと思って」
「あの事件を解決したのは、アヤナンのお陰だと思ってる。でも、杉本先生を巻き込んじゃったのは悪かったと思ってるわ。これはアタシの責任よね」
「いや、僕の責任だ。あの時飲み会で杉本先生と出会わなければ、事件はここまで混迷を極めなかった」
「そりゃそうだけど、それで得たものもあったじゃん」
「それはそうだけどな……」
「ほら、アタシがアヤナンのユースタグラムに気づかなければこうやって再び出会うことも無かったんだし、アタシは悪くなかったと思ってるけど。まあ、そんなに落ち込むことないって」
「ありがとう。僕、沙織ちゃんの顔見たら元気出たよ」
「まあ、ユースタグラムもチャットアプリもアドレスは交換したんだし、これからは離れていても繋がれるね」
そして、僕は沙織ちゃんとグータッチをした。何だか、沙織ちゃんの肌はとても暖かく感じた。
沙織ちゃんの家を出た僕は、そのまま芦屋に帰ることにした。なんとなく、帰り道は早かったような気がした。芦屋に着く頃には日が暮れていて、風が心地よいと思っていた。
自分の家に帰ると、何だか黴臭いと思った。1ヶ月も放置すると、家って腐ってしまうのだろうか。そんな事を思いつつ、燃えるゴミの袋に消費期限切れの食材を放り込んだ。僕は事件発生から1週間程度で芦屋に帰るつもりだったので、ある意味予想外の出来事だったと言える。
ゴミの処分が終わった後、ダイナブックの電源を入れた。メールのチェックをするためだ。殆どが広告かスパムメールだったが、ある1件のメールが届いていた。もちろん、件名には「重要」とラベルが付けられていた。
――絢奈さん、先日はありがとうございました。
――事件が解決したのは、あなたのお陰だと思っています。
――また重大な事件が発生しましたら、絢奈さんの力を借りられたらと思っています。
――それでは。
――兵庫県警捜査一課 浅井仁美
僕は探偵じゃなくて、ただの一般人である。しかし、こうやって刑事さんから頼りにされてしまったら、何だか恥ずかしいな。そう思いながら、僕はコンビニで買ってきた缶チューハイに手を伸ばした。その時、スマホの通知音が鳴った気がした。
――アヤナン、元気?
――アタシ、結婚することになったんだ。
――結婚相手は中学校の時の同級生。覚えてない? 藤堂薫。
――だから、アタシの名字は西澤から藤堂になるって訳。
――そうだ、結婚式の招待状、郵送するわ。絶対来てよね?
沙織ちゃんも結婚か……。僕はどうせ売れ残りの変人。何だか、先を越されちゃったな。まあ、別に結婚願望なんて無いからいいんだけど。でも、いつかは僕も結婚するんだろうな。仮令相手が誰であっても僕を愛してくれる人がいるのならば、それでいいんだろうな。
アルコールが入ってしまったのもあるけど、この1ヶ月の疲れがどっと出てしまった。僕はこの先、一体どうなるのだろうか。それは分からないし、知った所で後悔するだけだ。そんな事を思いながら、僕はベッドの中に入った。
――もう、どうなってもいいや。(了)