Phase 04
「特別課外授業」は、中学校の近くのファミレスで行われた。僕はハンバーグステーキを頼み、沙織ちゃんはエビドリアを頼み、そして浅井刑事はカルボナーラを頼んでいた。杉本先生は確か焼き魚定食だった気がする。注文した料理を食べながら、僕たちは事件についての情報交換を行うことにした。
「保護者会は相変わらず紛糾している。僕が悪いわけじゃないのに、僕のクラスから被害者が2人も出てしまったから、名指しで批判されている。正直、胃が痛いな」
「恵介さん、お気持ち察します……」
「まあ、そうだろうな。僕もいじめを受けていたときは毎日胃が痛くて、病院で胃潰瘍だと診断されたこともあった」
「絢奈ちゃん、盲腸で入院したことがあったけど、矢っ張りストレスによるものだったのね……」
「そうだな。今から思えばストレスで盲腸が爆発したのだろう。まあ、摘出したんだけど」
「それはともかく、僕から言えることはこれだ。被害者は5人で、うち2人は殺害されている。殺害された古澤龍太と黒崎英玲奈は2年6組の生徒で、僕が担任を受け持っている。まあ、こんなところかな」
「私の情報と合致させましょうか? それで何かが分かるかもしれませんし」
「浅井刑事、その情報について詳しく話してほしい」
「分かりました。まず、1人目の被害者である新田鎧亜さんですね。彼は4月から5月にかけて行われた体力テストで抜群の成績を残しています。恐らく成績に関しては2年1組でも優秀だと聞いています。2人目の被害者である宮島花音さんも女子としては優秀な体力を持っているそうです。3人目の被害者である古澤龍太さんも、体力テストではそれなりの成績を残していたそうですね」
「確かに、2年6組ではかなり体力がある方だった。ちなみに、黒崎英玲奈は美術部ではあるが体力は問題ない。しかし、なぜ体力テストが関係あるんだ?」
「最近、14歳の体力が平均的に落ちていると聞いていました。だから、保健室の先生に頼んで健康診断や体力テストの結果を見せてもらったんです。そうしたら、被害者にある共通点が見つかったんです」
「それが、体力テストや健康診断で『良好』と判断された生徒だったと。しかし、何のために攫ったり殺したりしたんだろうか」
「それは私にも分かりません。でも、因果関係はあると思います」
「学力じゃなくて体力ねぇ……」
「沙織ちゃん、どうしたんだ」
「アタシも中学校での体力は良い方だったけど、実を言うと小さい頃はよく熱を出して小学校を休んでいたのよね。それじゃあダメだって思って、中学校の部活では敢えて文化部じゃなくて運動部を選択したわ。まあ、結果として良かったと思っているけど。それよりも、被害者の血液型とかは調べたの?」
「そうですね……血液型はバラバラです。A型だったのが新田鎧亜と古澤龍太、B型だったのが宮島花音、O型だったのが神田明海、そして残った黒崎英玲奈はAB型でしたね」
「特定の血液型ばかり狙っている訳では無いのか。うーん、犯人の目的は一体何なんだ?」
「こんな事聞くのもどうかと思いますけど、被害者が住んでいる場所ってどんな感じなんですか?」
「そうだな……言われてみれば、みんな正法寺という場所に住んでいる。まあ、新興住宅地だわな」
「ちょっと待った。沙織ちゃんって、どこに住んでいるんだ?」
「アタシは昔から正法寺よ。それがどうしたのよ」
「いや、なんとなく。確か、正法寺って中学校選べたんだよな」
「そうね。でも、大体の子は北中学校だったわ。恐らく、あの頃南中学校で起きた教師刺殺未遂事件に怯えていたんだと思うわ」
「教師刺殺未遂事件か……。僕も言伝てでしか聞いていないが、犯人は確か長崎で発生した同級生殺人事件に影響を受けたとかなんとかって聞いたな。長崎の同級生殺人事件の犯人は絢奈ちゃんと同じ心の病を抱えていたから、君にはちょっと辛いかもしれないけど、僕の話を聞いてくれ」
「分かっている」
長崎同級生殺人事件。2004年に発生した児童殺傷事件である。小学6年生の少女が、「人を殺してみたかった」という理由で同級生の少女を殺害したという胸糞悪い事件だ。被疑者が愛読していたのは『バトル・ロワイアル』で、R15+指定にも関わらず実写版も見ていた程の狂信的なファンで、そこから人殺しに興味を持ったのである。被疑者の少女は発達障害で、僕と同じくパソコンに精通していた。そして、自らホームページを運営していたのだが、そこには「同級生を殺してやる」というメッセージが残されていたのだ。この頃は発達障害に対する偏見も強く、加熱するマスコミによる報道も相まって、順調に小学校に登校していた僕が再び不登校になる原因を作ってしまった事件だったのを覚えている。そして、自分に対するリストカットへの衝動が芽生え始めたのもこの時期だったか。よくカッターナイフで自分の腕を切っては母親に怒られていたのを覚えている。
そもそもの話、僕が発達障害だと診断されてから父親と母親は離婚した。そして、僕と麻衣は母親方に引き取られることになった。つまり、神無月というのは母親方の名字である。それから、僕は気に入らないことがあったら何度も暴れた。そして、報復として母親に首を絞められたこともある。それだけ、僕のメンタルは最悪の状態だったのだ。そんな中で発生したのが長崎同級生殺人事件だった。当然、母親のメンタルは完全に壊れて、鬱状態になってしまった。そして、麻衣は僕を庇っていた。麻衣は母親の介護に徹していて、今で言うところのヤングケアラーだったのを覚えている。結局、事件の翌年に麻衣は名古屋の大学に進学する事になって、母親には介護士が付くことになった。それだけ、僕は神無月家から「いらない子」扱いされていたのだろう。挙句の果てには祖母から「気違いは養護施設に行くべき」と言われていたが、流石に母親も祖母の言葉にはキレたようだ。そんなこんなで結局、僕は条件付きで北中学校に進学した。
「まあ、その教師刺殺未遂事件は南中学校の信頼を大きく失墜させる事になって、翌年の入学者が大幅に減ってしまった。中には『敢えて高いお金を払って近畿大学附属中学校に行かせる』という親御さんがいたのも聞いている。ほら、近畿大学附属中学校は北中学校の近くにあるからな。それはともかく、今だから言えるけど、絢奈ちゃんは恵まれていた方だと思うよ」
言われてみれば、僕は中学校では大人しかった。校則が厳しかったのもあるが、母親からの勧めで「読書をすべき」と言われたのだ。元々本を読むことが好きだったので、読書に関しては苦じゃなかった。そして、その中で特にハマったのが京極夏彦だった。丁度『姑獲鳥の夏』と『魍魎の匣』が実写化されて、漸く文庫化も解禁された頃だったのを覚えている。しかし、僕は敢えてノベルス版を読んでいた。文庫版は僕には分厚すぎたからだ。それはともかく、読書という時間が、虐められていた僕にとっての現実逃避だったのは言うまでもない。結局のところ、読書家として振る舞っていた僕にも漸く「友達」と呼べる存在が出来た。それが、沙織ちゃんだった。
「まあ、アタシのお父さんが精神科の先生でね、発達障害ついての理解もあったからさ、アヤナンがそういう心の病気を抱えてるってすぐ分かったのよ。アヤナンって、条件付きでの入学って聞いていたから、どういう条件なんだろうって思ったら、特別学級に在籍しながら普通の学級にも在籍しているっていう特殊な状態でのクラスだったんだよね。国語と数学だけはその特別学級で授業を受けて、他の授業は普通の学級で受けていたんだっけ」
「そうだ。お陰で理科と社会の授業ではドン引きされたけどな」
僕は空気が読めなかった。だから、理科や社会の授業で他の人が知らない事を平気で喋っては周りでドン引きされていた。人間頭が良くないと生きていけないとは言うけれども、結局頭が良すぎても生きていけないのだ。実際、体育はからっきしダメだったが、その他の教科は問題なかった。特に社会と理科と英語は通信簿で4以下を取ったことが無かったぐらいだ。挙句の果てには社会科の宮口先生に「絢奈ちゃんに教えることはもう無い」と言われてしまったぐらいである。
「でも、アタシはアヤナンのそういうところが好きだったな。今なら『ギフテッド』って言うんだっけ? そんな感じなんでしょ」
「ああ、僕はそういう人間らしいけど、正直そこまで頭が良いと思ったことはない」
「沙織さん、もう一回今の話をしてくれないでしょうか?」
「浅井刑事、急にどうしたんですか?」
「その『ギフテッド』っていう言葉、妙に引っかかると思って……」
「なるほど。『ギフテッド』っていうのは、発達障害の中でも特に何らかの能力が飛び抜けて良い人を指すんだそうです。アヤナンの場合はパソコンに強いことだったかな。あと、理科のテストでも90点以下を取ったことが無かったような……」
「そうだな。確かに僕は理科のテストで90点以下を取ったことが無かった。ついでに社会科でも80点以下を取ったことが無かったな」
「そうそう。だから、『分からない事があったら神無月絢奈に聞け』って社会科の宮口先生が言ってたのを、アタシは覚えているわ」
「そうだったんですね。なんか話が脱線しちゃいましたし、事件の整理に戻りましょうか」
こうして、僕と沙織ちゃん、そして杉本先生は改めて浅井刑事と一連の事件について改めて整理することにした。気づけば、沙織ちゃんはいちごパフェを3杯おかわりしていた。
「沙織ちゃん、そんなに食べて大丈夫なのか?」
「甘いものは別腹って言うでしょ?」
「そ、そうか……」
「ちなみにこれ、兵庫県警の経費で落としますから。遠慮せずに食べちゃって下さい」
浅井刑事の言葉に、なんとなく僕たちは目を輝かせた。そして、僕はチョコケーキを注文することにした。
「うーん、犯人が何のために14歳の北中学校の生徒ばかりを狙っているのか分からないな」
「そうですね。色々整理してきましたが、矢張り犯人の狙いは分かりません。ただ、共通点といえば健康診断で『良好』と診断されて、なおかつ体力テスト上位の生徒でしたね。新田鎧亜さんと宮島花音さんに関しては、学校で問題行動を起こしていましたが、別に学校での態度が悪い生徒を狙っている訳ではないようです」
そうこうしているうちに、スマホの待受画面を見ると時刻は午後9時30分を指そうとしていた。
「あっ、私、そろそろ捜査本部に戻らないと」
「なんか色々とすみませんでしたね」
「結局、何も分からなかったのか」
「いや、きっと分かりますよ。杉本さん、明日も『特別課外授業』は行うんですか?」
「もちろんだ。午後6時30分に北中学校の校門の前で待っている」
「それじゃ、アタシは帰るわね」
「僕も帰る。今日はありがとな」
「何か情報が掴めたら、私の方で連絡しますからね!」
僕はバイクに跨って、ファミレスを後にした。なんだか、疲れちゃったな。そして、家に帰ると麻衣の姿が無かったので博己さんに「麻衣はどこにいるんだ」と聞いた。どうやら、麻衣も一連の誘拐殺人事件による保護者会で忙しいようだ。ちなみに、麻衣の勤務先は北中学校ではなく南中学校である。
「そうか。南北中学校で連携しているのか」
「そうだな。2校はライバル関係にあると言っても過言ではないが、実際は連携を取っている事が多いようだ。じゃないと、こういう事件が発生した時に対処出来なくなるからな。まあ、これは麻衣から聞いた話なんだが」
「学校の先生も、大変なんだな……」
「最近、学校の先生がよく鬱病になって退職していると聞いているが、今回の事件を考えるとなんだか気持ちは分からんでもないんだよな。もちろん、一連の事件が解決したら僕は麻衣を連れて温泉で療養しようと思っている」
「博己さんって、本当に麻衣の事を想っているんだな」
「じゃないと夫は務まらないからな。絢奈ちゃんは、そういう人はいるのか?」
「残念だが、いない」
「まあ、そのうち良い人は見つかるはずだ」
「そのセリフは聞き飽きた」
「そ、そうか……なんかすまなかった」
博己さんの話によると、麻衣が帰ってくるのは日付を越えるらしいので、僕は先にシャワーを浴びることにした。服を脱ぐと、相変わらず白い肌に痛々しいリストカットの痕が目立つ。そして、僕はなんとなく鏡で自分の顔を見つめてみた。これじゃあ、男の子と間違えられても仕方はないな。ただ、胸に乳房が張っている事で辛うじて「僕」という存在が女性であると周りに認知されるのだけれど。
特にリスカへの衝動に駆られることもなくシャワーを浴び終わった僕は、そのまま髪の毛を乾かして寝ることにした。何だか、疲れたな。
※
「浅井刑事、5人の中学校に対する共通点が見つかったのか」
「そうなんです。5人とも体力テストで成績が良くて、なおかつ健康診断で『良好』と判断された生徒が被害に遭っているんです。これは北中学校の内部による犯行であると見て良いでしょう」
「そうだな。それにしても、なぜ被疑者はそこに固執するのだろうか……」
「林部警部も、そこが気になるんですね」
「そうだ。それと、2人のホトケの写真を見てくれ。何かに気づかないか?」
「うーん、ただの遺体に見えますが……」
「少し刺激が強いかもしれないが、これを見てくれ」
仁美は、林部警部のタブレットに表示された黒崎英玲奈だったモノの写真を見ることにした。そこに写っていたのは、胸部が切り取られた黒崎英玲奈だったモノの写真だった。仁美は、思わず吐き気を催した。
「そ、そんな……何のために心臓を抉り取る必要があるんですか……」
「それは私にも分からない。でも、なんとなく犯人の目的が見えてきたような気がする。北中学校は、暫く休校措置を取ってもらう。もちろん、生徒の外出も禁止だ」
「そうは言っても、もうすぐ夏休みですよ? 今日は7月9日じゃないですか」
「確かにそうだが、大事なのは子供の命だ。これ以上被害を出すわけにはいかない」
仁美が林部警部と話している時だった、豊岡北警察署の警官が突然大きな声で話してきた。
「そ、捜査一課ですか! 大変です! 6人目の被害者が出ました!」
「それは本当か!?」
「被害者はまだ殺されていないようですが、なんだか妙なんです」
「どういうことなんですか?」
「今までの被害者と違って、狙われたのは先生なんです」
「それって、もしかして……」
「被害者は、杉本恵介という男性です」
「あっ」
※
何だか、頭が痛いな。雨が降っているからだろうか。僕は昔から雨が降ると頭痛がする。どうやら気圧に影響されやすい体質なのかもしれない。そんな事を思っていると、テレビの画面には北中学校の校舎が映っていた。矢張り、あの事件は混迷を極めているのだろうか。そして、麻衣の口からあり得ない言葉が発せられた。
「今度の被害者、北中学校の先生らしいわよ」
その言葉に、僕の心臓の鼓動が早くなる。僕は急いで沙織ちゃんに連絡を取った。
――沙織ちゃん、今、ニュースを見ているか!?
すかさず、沙織ちゃんが返事を入れる。
――アタシの聞き間違いじゃなかったら、攫われたのは杉本先生だわね。
――大変なことになっちゃったわ。
アナウンサーは、現地から事件の仔細を淡々と伝えていた。
「兵庫県豊岡市で相次いでいる中学生を狙った誘拐殺人事件ですが、新たな被害が出たようです。しかも、被害に遭ったのは生徒ではなく教師の方です。誘拐されたのは、杉本恵介さんで、誘拐殺人事件が相次いでいる北中学校の教師です。兵庫県警では、北中学校の内部による犯行と見ていて調査を進めているところです」
「で、絢奈。アンタはこの事件を解決すんの?」
「当然だ。僕が杉本先生を巻き込んだからな」
「随分とやる気じゃない。昔のアンタじゃ考えられないわ」
「僕は、もう挫けない」
「そうね。その心意気よ。アタシも事件の解決に協力するから」
「そうか。それは心強い」
僕は、麻衣からおでこにキスをされた。何だか、小っ恥ずかしかった。
「は、恥ずかしいなッ!」
「それはおまじないよ。アンタが子供の頃から、アタシは常におでこにキスをしていたわ」
「だからって、この歳になってやることじゃないってば」
「まあ、そんなことは言わずに。ほら、パトカー停まってるわよ」
「そうだな。僕、事情聴取に行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
僕は、浅井刑事から事情聴取を受けるために警察署へと向かうことにした。でも、僕は今回の一連の事件に関して完全にシロである。果たして、浅井刑事に話せることはあるのだろうか。そんな事を思いながら、パトカーは豊岡北署へと向かっていった。