Phase 02
芦屋から豊岡までは、阪神高速から播但連絡道路に抜けて進んでいく。更に和田山から北近畿豊岡自動車道へと抜けて、そのまま終点までずっと高速道路に乗りっぱなしである。ぶっちゃけバイクなら下道を通ったほうがいいのは分かっているのだけれど、矢張り文明の利器には敵わない。
相変わらず、豊岡という街は衰退の一途を辿っている。神戸や西宮、明石への人口流出もあるのだろうけど、その風景は、僕が子供だった頃よりも寂れて見える。郊外にある店舗も、チェーン店のレストランよりもパチンコ店の方が賑わっているのが現状である。嘗ておもちゃ屋さんだったモノの建物には、色褪せた「貸店舗」の看板が取り付けられている。僕が今通っている道と言うのは、所謂「ファスト風土」と呼ばれる場所の一種である。昔は大きなスーパーマーケットやファミリーレストランがあって、休日の度に出掛けていたのだけれど、今は寂れた街の一つにすぎない。辛うじて、携帯電話ショップにはたくさんの車が止まっているのだけれど、恐らくスマホが上手く使えないお年寄りが来店しているのだろう。
そんなファスト風土の中にある消防署の角を曲がって、住宅街へと入っていく。ここだけ見ると神戸の住宅街と対して変わらないのだけれど、矢張り家には「入居募集中」の看板が多い。母校の小学校の側を通って、昔ながらの家が立ち並ぶ通りへと抜けた。
「えーっと、新垣……ここだ」
僕の名字は神無月だが、芦屋へ引っ越す時に姉に家を譲ることにした。結婚相手の名字が「新垣」だったので、姉の名前も必然的に「新垣麻衣」になる。僕は、家のチャイムを押した。
「お姉ちゃん、僕だ。絢奈だ」
「あら、絢奈ちゃん。どうして急に戻ってきたの?」
「事情は後で説明する。まあ、もうニュースで見ていると思うけど」
「あぁ、アレね。分かってるわよ。それより、丁度クッキーが出来上がったところだけど、食べる?」
「有り難く頂く」
新垣麻衣。神無月家の唯一の血縁者で、僕の姉だ。僕と同じくショートボブの髪型をしているので、親戚の集いや冠婚葬祭の場では善く間違えられる事が多い。見分け方としては、僕は右目の下に黒子がない。麻衣は右目の下に黒子がある。これで見分けが付くと思っている。まあ、僕と麻衣とは小学生分の年齢差があるので、麻衣の方がちょっと老けているのだけれど。長年名古屋で中学校の教師として働いていたが、数年前に豊岡へと戻ってきた。理由としては「旦那が豊岡で起業したいと言ってきたから」である。ちなみに、担当教科は理科だ。
僕は、焼き立てのクッキーを頬張りながら麻衣と話をしていた。
「それで、豊岡で子供が相次いで消えてるっていう不穏な事件が起きてるから調べに来たってところ?」
「そうだ。善く分かったな」
「アンタの野次馬気質は昔っからよね。箕面トラック運転手殺人事件の時も真っ先に見に行くって言ってきたし」
「ああ、アレは事態が大きくなってしまったからな。流石に見ざるを得なかった」
箕面トラック運転手殺人事件とは、凡そ20年前に発生した殺人事件だ。事件が発生したのは文字通り大阪の箕面という場所なのだが、犯人が住んでいたのが豊岡だったのだ。そして、その犯人は自殺を図った。当時は豊岡でもインターネットが普及して間もなかったので、インターネットを利用した事件に対する推理が流行っていたのだが、僕は正直乗り気じゃなかった。なぜなら推理という名の誹謗中傷が多かったからである。結局、犯人が利用していたと見られているレンタルビデオ店は心無い人物からの誹謗中傷によって廃業せざるを得なかったのを覚えている。今となっては胸糞悪い事件の一つである。それと同時に豊岡という村社会の閉塞感を示す事件だったことも覚えている。
僕も、豊岡という村社会からはみ出した人間の一人である。僕は何かと周りから「ズレている」事が多くて、正直生きづらかった。一部の人間にしかカミングアウトしていないが、所謂「発達障害」と呼ばれる人間である。故に周りの目は冷たく、小学生のときは殆ど不登校だった。4年生の時に養護学級に編入させてもらって、少しずつ登校できる日は増えてきたのだけれど、矢張り学校という環境が辛くて仕方なかった。さらに、中学生になってからは虐められることも増えてきた。だから、友達らしい友達というのは殆ど出来なかった。でも、そんな僕にも唯一と言っていいほどの友達が優しくしてくれた。それが西澤沙織である。そもそも沙織ちゃんと友達になった理由は単純だった。音楽の授業で隣の席になって、好きなアーティストを聞かれたので「hitomiが好き」と答えたら「私も好き」と言われたのがきっかけだった。それから、携帯電話の電話番号とメールアドレスを交換した。1年生の時と2年生の時はクラスが同じだったのだけれど、3年生の時にクラスが離れ離れになってからは連絡が疎遠になってしまい、機種変更した時に電話帳のバックアップを忘れてしまったので結局僕の記憶から沙織ちゃんの電話番号とメールアドレスは消えてしまった。しかし、ユースタグラムで沙織ちゃんが突然連絡を入れてきてから、僕の中で「何か」が変わろうとしていたのは事実である。
「なるほど、西澤沙織ねぇ。アンタにも友達いたんだ」
「そりゃ、学校に通っていたら友達は自然とできる。仮令それが一人でも、僕にとっては大切な友達である事に変わりはない」
「そうね。アタシはアンタと違って友達が多いけど、矢っ張り『子供が産まれました』という報告を聞く度にちょっとムカつくわ」
「結婚していない僕に対して言うセリフじゃないだろ」
「ゴメンゴメン。ともかく、アンタは誘拐事件を調べるために豊岡に戻ってきたってことでいいのね」
「そうだ。ちなみに事件の仔細は事前に調査してある。でも、共通点らしい共通点が見当たらないんだ。お姉ちゃんは何か考えがないのか」
「ネットの情報をあまり鵜呑みにしちゃ行けないんだけど、SNSによると誘拐されたのって全員北中学校の生徒らしいのよね。アンタもアタシと同じ北中学校の生徒でしょ?」
「それは……そうだけど……」
合併する前の豊岡市を基準とすると、中学校は大きく2つに分かれる。それが北中学校と南中学校である。僕はそれぞれの校区の中間地点に住んでいたので中学校が選べたのだけれど、南中学校は当時非行で荒れていて、更に教師に対する殺人未遂事件が新聞沙汰になるほど、南中学校に対する評判は悪かった。だから、僕は北中学校へ行くことを決意した。中学1年生のときは若干不登校気味だったのだが、2年生になるとクラスの先生や部活の顧問の先生に恵まれていた事もあって、登校する日はグンと増えた。確か、2年生と3年生の時に担任だった葛葉先生がとてもイケメンでいい人だったのを覚えている。ちなみに葛葉先生の担当教科は社会科で、社会科で3以下を取ったことが無かった僕は夏休みの宿題で山内一豊のレポートを提出して善く褒めてくれたのを覚えている。まあ、結局のところ大河ドラマの受け売りだったのだけれど。ちなみに、学力テストは上位をキープすることが多かったのだけれど、一部の先生が僕を善く思っていなかったみたいで、内申点はべらぼうに低かった。だから地元の進学校に進めず、結局養護高等学校で妥協せざるを得なかった。それで僕の人生は終わったようなモノだった。だから、僕の人生のピークは北中学校時代に全て集約されていると言っても過言ではない。
麻衣は話を続けた。
「まず、1人目に誘拐された新田鎧亜という生徒がいたでしょ。彼って北中学校でもあまり評判のいい生徒じゃなかったらしいのよね。なんというか、ヤンキー? それで先生の目に付けられることが多くて、あのゲーセンにも通っていたらしい。2人目に誘拐されたのは宮島花音だったよね。彼女も問題行動が多くて北中学校では不良の烙印を捺されていた。最近は緩くなったらしいけど、北中学校の頭髪検査って相変わらず厳しいでしょ? それで敢えてパーマをかけて登校して風紀委員の先生を困らせたっていう悪評持ちよ。3人目に誘拐された古澤龍太は……妙なのよね。ネットに流出した写真を見る限り、問題行動も無ければ頭髪や身だしなみもキチンとしている。所謂真面目な生徒らしいのよね。なぜ、彼が誘拐される必要があるのかが、善く分からないのよね」
「確かに、僕も妙だと思った。犯人はランダムに狙っているのかな」
「その可能性は考えたほうが良さそうね。でも、わざわざ北中生を狙う理由は何なんだろう」
「怨恨とか?」
「あぁ、その線はありそうね。北中学校に対して恨みを持っていて、ゲーセンで待ち伏せして誘拐した……そんな安易な展開ってあるのかしら?」
「そうだよなぁ……」
色々考えながら麻衣と話をしているうちに、クッキーの入っていたお皿が空っぽになった。
「あっ、クッキーが空っぽになっちゃった。缶のクッキーで良ければおかわりする?」
「ああ、構わない」
「じゃあ、ちょっと待っててね」
麻衣がクッキーを補充している間に、僕はスマホのロックを解除した。SNSからしょうもないアプリまで、大量の通知が入っていた。そういえば、バイクに乗っている間からスマホを触っていなかったな。善く見たら、沙織ちゃんからのメッセージが入っていた。
――チャットアプリから送ってみたけど、見えてるかな?
――それはともかく、今どこ?
しまった。沙織ちゃんの家に行こうと思っていて忘れていた! 僕は急いで返信した。
――豊岡に着いたところだ。――どうせ怒られるだろうな。
そう思いながら沙織ちゃんからの返事を待っていたけど、その返事は意外なモノだった。
――豊岡にいるのね。今晩、飲みに行かない?
その答えは、分かっていた。
――もちろんだ。場所はどこだ?
――チェーン店の居酒屋よ。
――分かるでしょ?
――ああ、あそこか。
――駅前のショッピングセンターの地下にある居酒屋だな。
――そうそう。
――ちなみに割り勘だから、そこは分かってよね。
――だと思った。
――当分は豊岡で過ごすことになりそうだし、お金は結構持っている。心配するな。
――じゃあ、今日の19時に待ってるから。
沙織ちゃんと会うのは大方15年ぶりか。僕は、何だかソワソワしていた。果たして、僕は沙織ちゃんと上手く話せるのだろうか。コミュ障の僕でも、好きなアーティストがhitomiであることと好きな小説家が京極夏彦であること、そして応援しているサッカークラブがビクトリア神戸であることぐらいは話せる。でも、それ以外はからっきしダメだ。あまりにも緊張していたので、僕はトイレへと向かうことにした。
トイレの中で、改めて状況を整理することにした。今、僕は豊岡にいて、これから沙織ちゃんに会う。当面の拠点は実家で、僕は事件の情報に関して収集を行う。これって、本来は刑事さんの仕事だと思うんだけど、まだ兵庫県警もそこまで重大な事件だとは思っていないのだろうか。まあ、ネット上で噂になっているぐらいだから、それなりに有名な事件なのだろうけど。
トイレから出ると、麻衣がコーヒーを淹れていた。
「クッキーには、コーヒーでしょ」
「確かにそうだな」
コーヒーを飲みながら、僕は改めて麻衣としょうもない話をしていた。仕事のこととか、恋愛はどうなっているかとか、そんなような話だった気がする。
やがて、沙織ちゃんと会う時間が近づいていた。
「そうだ、さっき沙織ちゃんと会う約束したんだ」
「じゃあ、夕飯はいらないんだ。もし良かったら、送るけど? どうせバイクで来てるだろうから、このままだと飲酒運転になっちゃうだろうし」
「そうだな。送迎を頼むよ」
「じゃ、時間になったら送ってあげるから、それまでゆっくりして」
テレビからは、鬼退治のアニメが流れていた。時間帯的に、恐らく麻衣が録画したモノだろう。そういえば、僕はそのアニメに登場する気弱な剣士にシンパシーを感じていたな。その剣士は寝ると強大な力を発揮するのだけれど、起きているときは本当にチキン。まるで僕をトレースしたようなキャラクターだったのを覚えている。そして、テレビに映っているのは正しくその剣士が鬼の首を斬り落とすシーンだった。それにしても、すごい速さだ。僕も、母親から「やれば出来る子」と言われていたのを覚えている。でも、学校という環境がそうさせてくれなかったのは確かだ。今は発達障害に対する偏見も減ってはいるが、矢張り豊岡には居づらい。だから、数年前に母親が死んだのを機に芦屋へ引っ越したのだけれど。
「絢奈ちゃん、時間だ。車に乗って」
「分かった。ちょっと待ってろ」
僕は、とりあえずタンスから適当な服を見繕って、纏った。流石に、ライダースジャケットは暑い。ならば、Tシャツだろうか。タンスから引っ張り出した髑髏柄の黒いTシャツを身に纏った僕は、麻衣が運転する茶色い日産ルークスに乗った。
件の居酒屋の前で、沙織ちゃんが待っていた。
「アヤナン、全然変わってないね」
僕は、少し返事に対して戸惑ってしまった。
「……まあ、背はそれなりに伸びたけどな」
「そりゃ、大人になったら背は伸びるって。まあ、まずは飲みましょ」
「分かった。すみませーん、とりあえず生ビール2杯下さい」
注文した生ビールはすぐに来た。そして、お通しをつまみながら色々な話をした。それぞれの近況とか、中学生時代の話とか、何気ない話が多かった気がする。
「あの時、本当に修学旅行が中止になると思ったの? そんな訳ないじゃん」
「でも、僕は校則違反を犯した生徒が赦せなかったのは事実だ」
「だからって、キツく言い過ぎだよ。確かに中学校へのお菓子の持ち込みは禁止だけど、そこまで責める必要は無かったんじゃないのかな」
「まあ、今となっては感情的になりすぎたのは反省している」
「そうね。これ以上昔の話を蒸し返すのは止めましょ」
「そうだな。それで、本題に入りたい。例の誘拐事件についてだ」
「そうね。多分ネット上でもリークされてるけど、今回誘拐された生徒は全員北中学校の生徒よ。名前は知ってるよね」
「ああ、知っている。新田鎧亜と宮島花音と古澤龍太の3人だな」
「そうそう。それでね、宮島花音っていう生徒はアタシの友人の妹なの。覚えてない? 宮島愛梨ちゃん」
「なんとなく覚えている」
「愛梨ちゃんは結婚して名前こそ石田愛梨に変わったけど、妹は変わってないのよ。ちなみに部活動は女子バスケットボール部だわ」
「そういえば、沙織ちゃんも女子バスケ部だったな」
「そうね。県大会に出たこともあるからよく覚えているわ。顧問の先生は……今でも吉岡先生なのかしら」
「吉岡先生って、1年生の時の担任だな。風紀委員も勤めていて、僕たちにブラック校則を押し付けていたのを覚えている」
「そうね。校則に関してはアタシたちの時代が一番厳しかったかしら。確か、同時期に南中学校で生徒が先生を刺殺しようとした事件があったの、覚えてる? それで北中学校側も結構ピリピリしてたのよね。それで校則が厳しくなったって専らの噂よ」
「そうだったのか。南中学校の刺殺未遂事件のことは知っているが、まさか北中学校にも影響を及ぼしていたのは知らなかった。お陰で僕たちは真面目な中学生だったのかもしれないけどな」
「それはともかく、今の段階でアタシの口から言えるのはこれが全てだわ。アレ? 杉本先生?」
少しふっくらとした体格の眼鏡をかけた男性が、カウンター席でハイボールを飲んでいる。男性は、僕たちに声をかけてきた。
「おっ、絢奈ちゃんじゃないか。まさかこんなところで会うとは奇遇だな。沙織ちゃんと2人だけの同窓会?」
「まあ、そんなところだな」
杉本恵介。3年間で僕の担任を受け持っていた訳では無いが、部活の顧問の先生だったのは覚えている。僕の部活は広報部で、中学校のホームページを作成していた。作成したホームページは、県のコンペティションで大きな賞を獲ったことを覚えている。もちろん、広報部で行っていたのはホームページの作成だけではない。簡単な言語のプログラミングも行っていたのだ。僕は杉本先生から気に入られていたのか、僕に対してプログラミングの極意を叩き込むと同時に、近くのコンビニで買ってきたお菓子をこっそりともらっていた。当然、他の部活のメンバーには内緒である。ちなみに、3年生の時に沙織ちゃんの担任を受け持っていたのも彼である。担当教科は数学だ。
「それにしても、こんなところで杉本先生に会うなんて、何だか懐かしいですね」
「そうだな。それよりも、沙織ちゃん、絢奈ちゃん、さっきの話をこっそり聞いていたけど、もしかして例の事件の事を追っているのか?」
「ああ、バレてしまったか」
「杉本先生、その通りです。私とアヤナンで例の誘拐事件について追っているのは事実です」
「まあ、そうだろうな。3人目に誘拐された古澤龍太くんは僕の担任だ」
「そうだったんですか。それで、自棄酒ですか?」
「いや、そういう訳じゃないんだけどなぁ。まあ、せっかくだし、3人でこの事件を追うのも悪くないと思わないか?」
「賛成だ。沙織ちゃんはどうだ?」
「いいですね。正直、私だけでは不安でしたし」
「じゃあ、明日、午後6時に北中学校の校門の前で待っていろ。これは絢奈ちゃんと沙織ちゃんだけの課外授業だ!」
「分かった」
「分かりました」
こうして、僕と沙織ちゃん、そして杉本先生の3人で一連の誘拐事件の謎について追うことになった。しかし、その矢先に僕たちのスマホに非情な通知が入ってきた。
【速報 兵庫県豊岡市で中学生の遺体が見つかる。一連の誘拐事件との関係性は調査中】
「マジかよ……」
「嘘でしょ……」
「ホンマかいな……」
僕たちは、思わず絶句した。そして、テレビにもニュース速報としてそのニュースは伝えられていた。アナウンサーが淡々と伝える中で、居酒屋の客席は一斉にテレビの方向を見つめていた。ざわめきが起こる中で、僕はスマホで麻衣からのメッセージを受け取っていた。
――あの事件、とうとう死者が出てしまったわね。
――探偵ごっこはいいけれども、あまり首を突っ込むと碌な事にならないわよ?
僕は、すかさず返事を返した。
――分かっている。それよりもそろそろ飲み会はお開きだ。
――迎えに来てくれ。
これでいいのだろうか。若干不安だったが、僕は麻衣の車を待ちながら言葉の真ん中に「殺人」が付くことになった誘拐事件のニュースを見ていた。そして、飲み会はそのままお開きになった。
「今日はありがとう。思わぬゲストが来たり、ハプニングが発生しちゃったりしたけど、楽しかったわ。明日、午後6時に北中学校の校門で待ち合わせだから、忘れないでよね」
「そうだな。僕も明日向かうつもりだ。もしかしたら、殺人事件が発生したことによって北中学校に刑事さんが来るかもしれないな」
「その可能性は考えている。そして、僕が事情聴取を受けることも想定済みだ。まあ、僕は一連の事件に関してシロだから安心してほしい」
「そうだな。杉本先生はいい人だ。それは保証する」
「そうね。杉本先生が犯人だったら、アタシがこの手で平手打ちよ」
「沙織ちゃん、それは止めておいたほうがいいぞ……」
帰りの車の中で、僕は麻衣と話をしていた。
「それで、沙織ちゃんとはどんな話をしたのよ」
「まあ、近況報告とか、中学生の時の思い出とか、例の誘拐殺人事件のこととか……」
「最後はともかく、結構楽しい会だったのね。良かったわ」
「まあな。途中で先生が乱入してからますます盛り上がった」
「アンタも31歳だし、先生と対等な関係で酒が飲める年齢だから、そりゃ盛り上がるわね。あっ、そろそろ家に着くわ」
「ありがとな。今日は疲れたし、シャワーを浴びて寝ようかな」
「そうね。あっ、お風呂の中でリスカしちゃダメよ」
「はいはい、分かってるってば」
シャワーを浴びている間、僕は色んなことを考えていた。これまでのこと、これからのこと、そして、あの誘拐殺人事件のこと。僕はこのままでいいのだろうか。そんな事を思っていると、突然心臓の鼓動が早くなった。このままだと、僕はリストカットへの衝動に駆られてしまう。そして、鏡の向こうである「幻覚」が見えたような気がした。「幻覚」の自分は、右手に剃刀を持って腕に傷を付けていた。そして、「人殺し」と口走っていた。
――僕が人殺し? それが、今の僕なんだろうか。そんな事を考えても仕方がないので、僕は急いでシャワーの蛇口を閉めて、バスルームから出た。そして、パジャマに着替えてそのまま布団の中へと入った。
――その後のことは、覚えていない。
※
「えーっと、遺体の発見場所は竹林の中ですか。それにしても、豊岡って不思議な場所です。同じ住宅街でも、六甲山や芦屋とはまた違いますね。なんていうか、昔ながらの家と竹林が同居しているんですね」
「浅井刑事、私語を慎め」
「警部、すみませんでした」
浅井仁美は兵庫県警捜査一課の新米刑事である。ちょっと前まで生田署に巡査として配属されていたが、この春に生田署から兵庫県警本部に異動。とある事件で組織犯罪対策課の刑事にこき使われたのが功を奏して、晴れて捜査一課の刑事となった。ちなみに、生田署時代に仁美の相棒だった組織犯罪対策課の刑事は兵庫県警の中でも「鬼の善太郎」と呼ばれているぐらいの鬼刑事である。
「そういえば、豊岡市って中学生を狙った連続誘拐事件が発生しているんですよね。因果関係とかどうなんでしょうか」
「それは私も気になっている。確か、あの連続誘拐事件は現時点で3人が連れ去られている。しかし、今回の殺人事件が誘拐事件の関連事件だとしたら、なぜ殺害する必要があったのかが分からない。それに、誘拐された中学生がどこにいるのかも分かっていない状態だ」
「そうですね。色々当たってはいるんですけど……」
「浅井刑事、林部警部、少しいいでしょうか」
「鑑識か。どうしたんだ」
「遺体の身元が分かりました。殺害されたのは黒崎英玲奈という女性で、北中学校という地元の中学校に通っていたそうです」
「そうか。矢張り、今回の殺人事件は一連の誘拐事件と因果関係があると見ていいのか」
「そうですね。近辺の住民に聞いたところ、遺体の制服は北中学校の制服と同じだそうです。林部警部、浅井刑事、これは一刻も早い事件の解決が求められますね」
「分かりました。私、頑張ります」
「浅井君、やけに張り切っているな」
「刑事になってから初めての事件ですからね。張り切りますよ」
「くれぐれも、被疑者に命を狙われるということは避けてほしい。我々捜査一課の信頼に瑕が付く羽目になる」
「分かっていますよ。では、ちょっと北中学校まで聞き込みに行ってきますね」
「よろしく頼んだぞ」
仁美は、北中学校で聞き込み捜査を行うことにした。果たして、彼女は成果を上げられるのだろうか? 林部警部はそれが不安だった。