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誘拐狂想曲  作者: 卯月絢華
2/7

Phase 01

 陰と陽。光と影。白と黒。「僕」と「私」。

 相容れぬ魂の入れ物を彷徨いながら、神無月絢奈(かんなづきあやな)という「僕」は生きている。

 僕は生物学的には女性らしいのだけれど、自分の中で「女性であること」について落ち着かない。だから、服装なんかも男性らしい服を選ぶことが多い。けれども、恋愛感情や性的な感情を抱くのは飽くまでも男性である。その点に関していえば、僕は同性愛者(レズビアン)ではない。

 鏡の前で、自分の裸を見つめてみる。女性特有の華奢な体つきをしていて、腕には痛々しい程の自傷行為(リストカット)の痕が目立つ。心の中に「負い」があるから、僕は自傷行為をしてしまうのだろうか。胸に手を当てると、心臓の鼓動を感じる。それは自分が生きている証であり、生かされている証でもある。たまに、瞼を閉じると聴こえてくる無機質な心臓の鼓動の音は、僕にとって不快でしかない。

「自分なんか生まれてこなきゃよかった」そう思ったことは生きていく上で(いや)と言うほど感じた。もちろん、今でも僕の中にある「死にたい」という衝動は消えない。こうして裸の自分を見つめているだけでも、心臓の鼓動が早くなって、息が荒くなる。そして、無意識のうちに僕は右手に剃刀(かみそり)を持っていて、線を引くように左腕に傷を付ける。白い肌が、流れ出る赤黒い血で染まっていく。でも、それで僕が「生きている」と分かるのだったら、生存本能としての自傷行為は(いと)わないと思っている。それが悪いことだと分かっているのだけれど。

 目の前が真っ暗だ。別に瞼を閉じている訳じゃないのだけれど、自傷行為をした後はいつもこうなってしまう。それだけ、自分の行いに対して僕は後悔しているのだろうか。大量の精神安定剤を服用して、心を落ち着かせる。こんなもの、気休め程度でしか無いのだけれど。そして、僕はそのまま意識を失った。

 僕が意識を取り戻した時には、既に空が明るくなっていた。どうしても、夜はメンタルが不安定になってしまう。それは、自分が孤独を抱えながら生きているからなのだろうか。両親はとっくの昔に喪い、血の繋がった姉はいつまでも生きている保証はない。仮に姉が死んだら、僕はどうすべきなんだろうか。ただ一人の神無月家の人間として生きていくのか、それとも姉の後を追うように首を括って自らの命を絶つのか。現在進行系でそんな事を考えても仕方がないのだけれど、どうしてもそういう事を考えてしまう。それは僕がネガティブな思考でしか物事を考えられないからなのだろう。


 僕は、友達という存在を知らない。多分、相手は僕を友達として接していたのだろうけど、僕が「それ」を拒絶していた。今の言葉でいえば、僕は所謂「コミュ障」である。故に、スマホの連絡先やSNSのフォロワーの中に友達と呼べるような人はいない。しかし、ふとした時にダイレクトメッセージで「もしかして、絢奈ちゃんだよね?」という文言のメッセージが入ってくる事がある。でも、僕は返事の仕方が分からない。多分、「そうです」と返事をすればいいのだろうけど、返事をする指が動かない。でも、ある人物から送られてきたダイレクトメッセージには、即座に返事を返すことができた。


 ――もしかして、アヤナンだよね?

 ――それっぽいユースタグラムのアカウントを見つけたから、フォロー申請してみた。返事待ってるよ


 西澤沙織(にしざわさおり)。僕の中学校時代の唯一の親友にして悪友である。幾つかの共通項が多かったのもあるけど、特に好きな小説家が京極夏彦で好きなアーティストがhitomiという共通項は僕と沙織ちゃんにとって学校での話題の一つでもあった。京極夏彦に関して言えば、ノベルス版『邪魅(じゃみ)(しずく)』が発売された時は回し読みをしたぐらいである。しかし、中学3年生の時にクラスが離れ離れになってからは連絡が疎遠になってしまった。当然、進学した高校も別々だったので自然と縁は薄れていった。そんな沙織ちゃんが突然僕に連絡を入れるなんて、怪しい。もしかしたら、友人を装ったスパムかも知れない。そう思いつつも、僕は胸の高鳴りが抑えられなかった。そして、スマホで返事を返した。


 ――本当に沙織ちゃんなのか?

 ――少し怪しいけど、フォローは申請した。これからもよろしく。


 もうちょっと良い返事が出来れば良かったのだろうけど、今の僕ではこれが精一杯だった。あとは、沙織ちゃんからの返事を待つだけだ。沙織ちゃんからの返事を待っている間、僕は何をすればいいのだろうか。バイクでその辺を彷徨こうにも、今日の雨模様じゃ気分が乗らない。だからといってゲームをしていたら、沙織ちゃんからの返事を見逃すかもしれない。ならば、こういう時の最適解は現在の地元を調べる事だろうか。僕はダイナブックのブラウザを立ち上げた。

 僕は芦屋(あしや)に住んでいるが、地元があるのは芦屋から遥か北にある豊岡という場所である。兵庫県というのは本州の中でもとても広く、北は日本海、南は瀬戸内海という2つの海に(またが)っている。もちろん、気候も全く違っており、割と暖かい神戸に対して豊岡というのは豪雪地帯に当たる。故に、住みづらい場所であり、人口は年々減り続けている。かくいう僕も諸事情で豊岡から芦屋に引っ越したのだけれど、それで不便を感じているかといえばそうでもなく、寧ろ便利な場所だと思っている。JRの芦屋駅というのは新快速が止まってくれるので、三ノ宮駅まで1駅で済む。唯一芦屋で不便を感じていることと言えば、高級住宅街なので物価が基本的に高いことだろうか。それでも慣れというのは恐ろしいもので、今では多少物価が高くても「経済状況の悪化」で済まされるようになったのだけれど。

 立ち上げたブラウザで現在の豊岡がどうなっているのかを調べていたのだが、この時期の豊岡は、なんというかとても暑い。近畿地区での最高気温の記録を毎年のように更新しているぐらいである。ネットニュースによると、この日の最高気温は、37度だった。人間の体温が大体36度だとして、外気温が体温よりも暖かいと逆に不快感を覚えてしまう。人間の肌というのは、そういう風に出来ているのだ。

 そんな事を思っていると、スマホが鳴った。沙織ちゃんから返事が来たのだ。


 ――アヤナン、久しぶり。アタシの事をスパムだと疑っているみたいだけど、本物の西澤沙織だから安心して。

 ――それよりも、ちょっと相談したいことがあってね。

 ――アタシ、今でも豊岡に住んでるんだけど、少し奇妙な事件が発生したらしくて。

 ――アヤナンさえ良ければ事件の解決を手伝ってくれないかなって思ってユースタグラムを辿ってみたの。

 ――多分、大きなニュースになってると思うから少し調べて欲しいな。


 沙織ちゃんが言っていたニュースはスマホの中に速報として入っていた。

【兵庫県豊岡市で複数人の子供が行方不明。原因は調査中】

 恐らく、沙織ちゃんは僕を探偵だと思っているようだ。僕はただのフリーランスのWebデザイナーで、探偵ではない。でも、どうして沙織ちゃんは僕のツテを辿ったのだろうか。それが気になったので、僕は沙織ちゃんに返事をした。


 ――沙織ちゃん、スマホで例のニュースを見た。

 ――確かに酷い事件だけど、僕は探偵じゃない。

 ――どうして、僕に相談したんだ。


 返事はすぐに返ってきた。それから、沙織ちゃんとは暫くユースタグラムのダイレクトメッセージでやり取りしていた。


 ――あの、アヤナンって中学校の時にちょっと探偵気取りだったことがあるじゃん。

 ――だから、なんとなく調べて欲しいなって思って。

 ――あっ、アヤナンがダメって言うんだったら強制しないから。


 ――確かに、僕は中学生の時に間一髪(かんいっぱつ)で殺人事件を阻止して警察から表彰を受けたこともある。

 ――けれども、僕を頼るのはお(かど)違いだ。警察を当たってくれ。


 ――そういう訳にもいかないのよ。

 ――行方不明になった子供の中には、アタシの友達の子供も含まれていたの。

 ――兵庫県警も懸命に捜査してるんだけど、脈ナシでね……。

 ――でも、子供たちが失踪した場所は全部同じ場所なのよ。

 ――ほら、休みの時に買い食いで行っていた駅前のショッピングセンターがあるじゃん?

 ――そこのゲームセンターって、子供だけでの立ち入りが禁止されていたのは覚えてるよね?


 ――ああ、あそこのゲーセンか。

 ――確かに、沙織ちゃんと太鼓の達人で遊んでいたら見回りに来ていた先生にこっ酷く叱られたのは覚えている。


 ――そうそう。吉岡先生だったっけ?

 ――ものすごく怖い先生。それはさておいて、失踪現場はそこのゲームセンターなの。

 ――だから、アタシの考えだと見回りを偽って子供を攫ったんじゃないかって思って。

 ――この考え、合ってるかな?


 ――なかなか悪くないんじゃないのかな?

 ――でも、何のために子供を攫うんだ?


 ――それが分かんないからアヤナンに聞いてんじゃないの。

 ――もしかしたら、犯人は何か目的があって子供たちを攫った……とか。

 ――まあ、とにかく今すぐにでも豊岡に来てほしいって訳。大丈夫?


 ――分かった。

 ――明日にでも豊岡に行く。

 ――少し待っていろ。


 沙織ちゃんに送ったダイレクトメッセージに既読が付いた事を確認して、僕はユースタグラムを閉じた。それにしても、大都市である神戸や西宮でこういう事件が起きるならまだしも、なぜ豊岡という田舎町を狙ったのだろうか。そして、犯人は何を企んでいるのだろうか。僕には、それが分からなかった。


 改めて事件の詳細について調べてみると、最初に行方不明になったのは新田鎧亜という男の子だった。今どきのキラキラネームということもあって、僕は彼の名前が印象的だと思った。正直、キラキラネームなんて文化は廃れてしまえばいいのに。2人目に行方不明になったのは宮島花音という女の子だった。彼女もキラキラネームと言ってしまえばそれまでだが、僕の同級生の中にもそういう名前の子がいたのは微かに覚えている。だから、あまり責めることは出来ない。3人目の行方不明者は古澤龍太だった。いきなり普通の名前になってしまったので、僕は面食らった。事件に対する話題作りのためにキラキラネームの子供を攫っていったのだったら納得はいくが、どうやら犯人の狙いはそこではないらしい。昔なら、こういう事件は学校から流出した連絡網をツテにして実行していたが、そんな事、個人情報の取り扱いが厳しくなった昨今ではまずあり得ない。ならば、ゲームセンターという不良の溜まり場を狙って犯人は子供を攫っているのだろうか。しかし、それだと理由としてはあまりにも安直すぎる。他にもっと複雑な理由があるはずだ。例えば、同じ学校の生徒を狙っているとか、金目のものを狙っているとか、見た目が派手な子供を狙っているとか、そんな所だろうか。まあ、僕が考えても仕方がないのだけれど。

 色々考えているうちに、僕の頭は混乱してしまった。現時点で分かっていることは、駅前のショッピングセンターの中にあるゲームセンターで子供を狙った誘拐事件が発生したこと、連れ去られた子供は3人であることだけである。一体、犯人は何を考えているんだ? さっぱり分からない。被害者に関しても個人情報の取り扱いが厳しい時代だから、僕に考えられることは限られている。正直言って、手詰まりだ。まあ、犯人が連れ去った子供に対して殺人を犯していないだけまだマシなんだろうけど。

 考えがまとまらないので、糖分補給も兼ねて棒型のチョコレートをかじることにした。甘すぎるチョコレートは好きじゃないし、苦すぎるチョコレートもあまり好きじゃない。僕が好きなのは甘みと苦味の中間にあるチョコレートである。チョコレートを食べると、なんとなく事件のカタチが見えてきたような気がした。この事件、もしかしたら厄介なことになりそうだな。3人の誘拐事件は序章に過ぎず、さらなる誘拐事件が発生する可能性もある。最悪の場合、殺人事件に発展してしまうかもしれない。それだけはなんとしても阻止したいのだけれど、僕にそんな権限がある訳ではない。権限があるのは、兵庫県警だ。これ以上考えても仕方がないし、とりあえず今日はもう寝ることにした。


 懐かしい夢を見た。

 沙織ちゃんと一緒にゲームセンターで太鼓の達人を遊ぶ夢だった。もちろん、中学校の制服を着ていると風紀委員の先生にバレてしまうので、私服でゲームセンターに来ていた。流行りの曲を「かんたん」でしか演奏できない僕だったけど、なんとかフルコンボは達成した。沙織ちゃんは拍手をしていた。

「アヤナン、意外とすごいね。アタシには無理だよ」

「いや、難易度が『かんたん』だったらこれぐらい普通だろう。流石に『むずかしい』と『おに』は演奏出来ないけどな」

「ところで、アヤナンって女の子なのになんで男っぽい話し方なの? 自分のことも『僕』って呼んでるし」

「ああ、なんとなく。僕は生物学的には女性なんだけど、どうも『私』という入れ物の中に当てはまらないみたいだ。だから、僕は自然と男っぽいモノに惹かれるようになった。ちなみに、恋愛感情を抱くのは男子だから、別にレズビアンという訳ではない」

「へぇ。アヤナンって、何だか近寄りがたい印象があったけど、実際にそばにいると面白い人だね」

「そうか? 僕は面白いのか?」

「学校でのアヤナンは暗い顔をしてるけど、こうやってプライベートで話しているときのアヤナンはとても明るい。学校でもそれぐらいの顔が出来ないの?」

「ごめん。僕、学校が苦手なんだ。小学生の時は不登校だったし、養護学級に編入させてもらってからも学校に行けない日は多かった。中学生になって気分を変えようと思ったけれども、矢っ張り無理だった。でも、沙織ちゃんといると僕は安心する」

「なるほどねぇ。こんなアタシで良ければいつでも付き合うけど……あっ! 逃げないと」

「どうした?」

「吉岡先生がこっちを見てる」

 大柄なスキンヘッドの先生が、こっちに近づいてくる。彼が風紀委員の吉岡雅史先生である。

「コラァ! 今日は土曜日だからって、子供だけでゲームセンターに行くのは禁止だッ!」

「すみません」

「ごめんなさい……」

「アレ? 神無月か。お前にも友達がいたんだな」

「それの何が悪いんだ」

「神無月も西澤も俺の担任だが、学校で2人の付き合いがあるところってあまり見ていなかったような気がする」

「それはあなたが気づいていないだけなのでは?」

「そうか」

「ほら、アタシとアヤナンには好きな小説家が京極夏彦であることと好きなアーティストがhitomiであることという共通点がある。でも、授業中にそんな話をする訳にもいかないじゃん」

「確かに、授業中の私語は禁止だが……それはともかく、ここは北中生だけでの立ち入りが禁止されている。内申点にも響くぞ。ほら、帰った帰った」

「すみませんでした」

「反省してます」

 結局、僕と沙織ちゃんは吉岡先生に目を付けられてゲームセンターから出ていくことになった。


 ああ、夢か。あまり考えたくないが、一連の事件の犯人が吉岡先生だとしたら、僕たちが通っている中学校の生徒を狙っているのだろうか。補導と称して誘拐して、どこかに監禁している。まあ、そんな事があっても困るし、僕の通っていた中学校の評判にも影響する。その考えは一旦捨てよう。

 それにしても、朝か。沙織ちゃんに「豊岡へ向かう」って約束しちゃったし、行かざるを得ないな。とりあえず、顔を洗って、食パンを焼いた。朝食を食べ終わってすぐに、僕は黒いライダースジャケットを身に纏った。そして、部屋の鍵をかけて、駐輪場に停めてあるカワサキグリーンのバイクに跨った。

「よし、向かうか」

 僕は、バイクのギアを入れた。行き先は、もちろん豊岡だ。そこで何が待ち受けているのかは分からないけれども、沙織ちゃんのためなら僕はなんだってする。そう思いながら、僕は芦屋インターへと上がった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  ここまで拝読させていただきました。  1から2までの間に何が起きたのか非常に気になります。(興味が湧くという意味合いです)  はっきりしているけれど曖昧な部分もある(明かされていない)ので…
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