第一話:見間違い
「随分と雪が酷くなってきましたね」
「ああ。本降りになる前に、何とか帰ってこれて良かったな」
家に着いたのは夕方。
とはいえ、暗雲のせいで、既に周囲は日が落ちたかのように暗くなっている。
コートの雪を払い、玄関の側のコートハンガーに掛けたティアラは、カーテンの隙間から外を見た後、少し寒そうに手を擦る。
防寒具を着ていたとはいえ、戻ってきたばかりで、身体も冷え切っているからな。さっさと支度するか。
俺はリビングの暖炉に薪を焚べ、細い枝や乾燥した葉を火口として下に入れ火を付ける。
……よし。
後は薪に燃え移るまで様子見だが。
「ティアラ。悪いが暖炉の火の番を頼む。俺は風呂を沸かしてくる」
「え? 外はこの雪なのですよ?」
「はんっ。これでも十年ここで暮らしてるんだ。この程度の雪の中、風呂を沸かすのなんて慣れたもんさ。じゃ、頼むぜ」
俺は家に置いていた真冬用のコートを羽織ると、そのまま家の外に出て、風呂の竈に向かった。
雪がしんしんと降る中、風呂の竈門に火を入れ、火加減を調節する。
周囲は既に雪で覆われ始めているが、冷え方がそこまでじゃねえ。朝にはあがるだろうが、それでも半日も降りゃ、山道も積雪で二、三日は使えないだろう。
アイリ達は、無事ハイルの村まで戻れただろうか。ま、あの村はこの時期に雪が降るとはいえ、まだそこまでじゃねえから、流石に大丈夫だろうが……。
勝手にそんな事を考えていると、ふと昨日の事が思い返された。
── 「師匠! やっと! やっとお逢いできましたぁぁぁっ!!」
── 「まさか、こんな場所であなたやティアラに再会できるなんて。世の中分からないものね……」
アイリとエルの対照的な喜び。
確かに命を助け、道を指し示してはやったが、俺との再会をここまで喜んだ奴なんて、人生でも数える程しかいなかった。
……しかも、また師匠かよ。
俺は、急に耳にする機会が増えたその言葉に、自然と苦笑いする。
今までの人生で、そんな言葉を口にされた事はねえ。
メリナやアルバースは、俺達が冒険者として名を馳せた頃、そんな申し出をされていた気はしたが。
だが、世の中そんなもんだ。
この世界には、戦士や騎士、魔術師や神術師になりたがる奴は大勢いるが、盗賊になりたい奴なんて早々いないし、下手に技術を教えりゃ、商売敵が増えるだけ。
師匠と弟子の関係から最も程遠い職業だからこそ、こいつらが師匠と呼んできたのに戸惑いもあったし、そう呼ばれるとは夢にも思わなかったからな。
ま、とはいえ俺はそんな器じゃねえし、今だって本当は一人、ここで静かに暮らしたいだけなんだが……。
そんな理想を頭に思い浮かべるも、心の内では、未だ嫌な予感が燻っている。
八獣将なんて、当時の獣魔軍との戦い以降、聞いた記憶はねえからな。
とはいえ、獣魔王デルウェンはもう十年も封印されたままだし、今更獣魔軍を再結成する奴なんていねえと思うんだが。
──この国の王都のすぐ東、山脈を超えた向こう側に生まれた、死の戦場。
それは獣魔王デルウェン率いる獣魔軍との最終決戦となった、戦いの地の成れの果てだ。
昔は綺麗な平原だったが、そこにあった街は破壊され、戦場の跡から草木も枯れ落ちた。
デルウェンが封印されているその地には、今でも魔獣が近寄れない結界が張られ、封印を解こうとする輩が入れないよう、大層な砦まで建てられ、常に監視されている。
獣魔軍の残党も、この国にまったくいない訳じゃないが、この十年で随分と淘汰され、今や国を脅かす力もねえ。
そんな状況で、死の戦場を抜け封印を解けはしないはず。
それに、封印や結界もまた、元となる陣が人や魔獣の血で穢されなきゃ解かれる事もない。
十年前の死闘を知るこの国の奴等が、それを再度経験したいなんて思いはしねえだろうし、万が一そういう輩がいた時の為の砦だ。簡単にそれを成せるはずもないはずだ。
実際この十年、そうやって平和は保たれてきたんだからな。
だが、それでも現れた八獣将。
魔獣にとって、厄災とされる存在。
かつての仲間が、俺の力を頼ろうとする理由。
……獣魔王なんざ、メリナに封印されたままのはず。
だとすれば、何かを企ている奴がいるのか?
そんな事を深く考え込みそうになるが、俺はそれを首を振り阻止した。
……どうせこの国に何かあったって、俺はもう降りたんだ。
悪いがもう、厄介事に首を突っ込む気はねえし、俺を信じず英雄になろうとした奴等に、力を貸すなんてのもまっぴらごめんだ。
竈門の火が落ち着くのを見守ると、一旦竈門の扉を閉め立ち上がる。
既に軽く身体に積もる雪を払い、俺は家の中に戻った。
「ティアラ。先に風呂を済ませてくれ。今日は一段と寒いし、火の番をし続けるのも厳しいからな。火が消えるとすぐ冷めちまう」
玄関でコートを脱ぎ、雪を落としていると、
「でしたら、ヴァラード様がお先にどうぞ。火の番で、身体がお冷えになられているでしょうし」
そんな優しい言葉が、あいつの部屋の方から聞こえた。
「何言ってんだ。お前だってここまで帰ってくる間に身体が冷えてるだろうが。つべこべ言わず、さっさと済ませろ」
そう言いながら家の中を見回すと、暖炉には既にケトルにお湯の準備がされているし、キッチンの竈門にも火が焚べられ、鍋で湯を沸かそうとしている。
ったく。
ティアラの奴。着替えもそこそこに、晩飯の準備をしていたな。
少しは休んでりゃいいのに。
相変わらずまめなティアラに頭を掻きつつ、そのままキッチンに立つと、あいつの代わりに鍋を作り始めた。
「ヴァラード様。料理の支度は私がしますから。少しはお休み下さい」
「たまに料理しておかねえと、腕が鈍るんだよ。お前はさっさと風呂に──」
まな板で野菜を刻みながら、俺は顔だけ横を向けあいつを見たんだが。瞬間、思わず手を止め、目を見開き、言葉を失った。
俺と目があったティアラが、少し恥ずかしそうに、その場でもじもじとし、俯きながら上目遣いで俺を見る。
「あ、あの……似合うでしょうか?」
そこにあったのは、袖のない煌びやかな純白のドレスを着た、華やかさを感じるティアラの姿。
髪の毛をサイドでひとつに束ねた彼女の姿に、俺の過去が重なる。
──「どう? 惚れ直した?」
──「……ああ」
──「本当に?」
──「当たり前だ。こんな事でわざわざ嘘なんか吐くかってんだ。ったく……」
自慢げにそう言ったあいつは、直後。俺の返し言葉に、嬉しそうにはにかむ。
忘れたくても忘れられない想い出に、俺の心の声が漏れた。
「……メリナ……」
「……え?」
ぽつりと言った言葉は、ティアラには聞こえなかったのか。不思議そうに首を傾げたあいつを見て、俺ははっとすると、慌ててキッチンに向き直る。
「お前、何処でそれを手に入れた?」
「は、はい。ハミル様が、村を出る直前、私に下さった物なのですが……」
そういや確か、あの時ハミルが笑顔でティアラに何かを押しつけてたな。
──「私が若い頃に着た物のお下がりだけど、きっとティアラちゃんにも似合うから。ね?」
……なんて言ってた気がするが。
あれはこういう事かよ。
「あ、あの……変、でしたでしょうか?」
俺の反応が芳しくなかったせいか。何処か不安そうな声になるティアラ。
似合うか似合わないかで言うなら……まあ……。
「……いや。似合っては、いる」
「ほ、本当ですか?」
背中に届く、嬉しそうな声色に、俺の顔が少し火照ったが、それをごまかすように、俺は普段通りに努める。
「ああ。だが、そんな格好じゃ風邪をひくだろ。さっさと着替えて風呂に入れ。飯は俺が作るから、気にせずゆっくりしてこい」
「……はい!」
さっきまでとは裏腹に、元気に返事をしたあいつが、パタパタと足音を立て去っていく。
俺はそれに振り返る事なく、再び野菜を刻み始めた。
……くそっ。どんな偶然だよ。
それは獣魔軍との決戦前、結婚式での服を選びたいと言われ、あいつに仕立て屋に連れて行かれた時と同じだった。
スタンダードな、昔からある定番のドレス。
だが、メリナにとってそれは、彼女の母親も着たという憧れのドレスだった。
髪の色や顔立ちは違う。
が、ドレスもそうだが、まさか髪型まであいつそっくりに結って現れるとは……。
ティアラを見た瞬間。俺の心に生まれたのは、あいつを失ってから、ずっと心の奥底に仕舞い込んでいたときめきと、現実を知っての強い胸の痛み。
……ったく。
今更だ。死んだメリナが帰ってくる訳ねえだろ。何を勘違いしてるんだよ。
忘れろ忘れろ。
俺は、想い出してしまった切なさを忘れようと、首をブンブン振った後、一心不乱に野菜を刻もうとしたんだが。
空回りってのは恐ろしいもんだな。
「……いてっ!」
情けない事に、俺は十数年振りに、包丁で指を切ったんだ。




