第七話:ハイルの村
あの後、俺達は再びフォレの森を移動し、昼下がり頃に森の南端までやって来た。
そこからは、山道というのも憚られる、山間の開けた草原の合間を抜ける道を、二人並んで歩いていく。
そして、程なくして、ハイルの村の外にある畑が見えて来た。
この時期は、雪がちらつく日もある為、この村名産である、冬麦の収穫真っ盛りだ。
その名に違わず雪に強いこの麦は、雪が降る頃に収穫する事で、甘味が増す変わった麦。
小麦色をした細長い葉と、背丈の高い茎。その上になっている麦の房が、陽射しのお陰でほんのり温かい風に揺れている。
今年も中々に豊作か。
何気に毎年この光景を目にしている俺は、別に村人でもないのに、この風景を見て安堵する。
「見事な麦畑ですね」
周囲を見回していたティアラの表情は明るい。
疲労もあるはずだが、それを表情に見せない気丈さには恐れ入るな。
「そうだな。ここの麦はパンにしても美味いが、麦飯としても絶品。今年も美味い麦にありつけそうだ」
「師匠は、毎年こちらで麦をお買いになられているのですか?」
「ああ。一番近い村里だからな。ちょっとした食糧の買い出しには重宝してるよ」
早速呼び名を変えてきたあいつの問いかけに、表情は変えずに答える。
正直、その呼称を向けられるのは、背中がむず痒くって仕方ないんだがな。
畑仕事に精を出す村人達を横目に歩いていくと、木で出来た質素な村の入り口が見えてきた。
その奥には木造の建物が、まばらに並んでいるのが見えた。
「こちらがハイルの村でございますか?」
「そうだ」
「……今の所、兵士は特にいないようですね」
「確かにな」
ティアラが周囲に聞こえないよう小声で口にした通り、確かにそれらしい姿は見えない。
となると、あの時俺の家に向かった四人だけを寄越したって事か?
流石に王都に残ってる元仲間だって、俺の実力は知っているはず。
捕らえようってなら、あんな少人数で行けるはずないって分かってるだろうに。
……だとすれば、別の理由か?
表情には出さず、色々と考えながら、まずは村の宿屋を目指していると。
「おや? ヴァルスじゃないかい」
ある家の隣を歩いていた時、タイミングよく開いた扉の先で、俺の名を呼ぶ声がした。
勿論俺は声だけで分かる。この村に住むハミル婆さんだ。御年七十だったか。何かと元気で気さくなご老人だ。
「よお、婆さん。元気にしてたかい?」
「お陰様で、と言いたかった所だが、数日前に腰を痛めちまってねぇ。ヴァルス、何時ものあれ、持ち合わせとるかい?」
「ああ。宿を取ったら持っていってやるよ。それまで家で大人しくしときな」
「そうかい。悪いねぇ。じゃあ苺のパイでも焼いて待っておくよ」
「おいおい。無理するなって言ったろ」
「大丈夫だよ。あんたに美味しいって食べて貰えるのが、最近の楽しみだしね」
白髪を後ろで結ったハミルが、顔により皺を増やし、満面の笑みを向けてくる。
ほんと。よく昔はモテたって言ってるけど、この愛嬌なら納得だ。
「因みに、隣のお嬢ちゃんは誰だい?」
「申し遅れました。私、ティアラと申します」
「ほぉ……ついにヴァルスが女子を連れきたって事は……」
値踏みするようにあいつを見たハミルが、ニンマリとして見せたけど。
「おい、婆さん。こいつは俺の弟子だ。間違っても、嫁や恋人じゃないからな」
俺はそんな期待を打ち砕くように、さらっとそう釘を刺してやった。
少しだけ驚きを見せ、婆さんが俺を見てくる。けど、彼女は相変わらずの優しい笑みをこっちに向けてくる。
「そうなのかい。だけどお嬢ちゃんの方は、満更でもないようだけどねぇ」
……はっ!?
その言葉に思わず横を見ると、そう思われたのが嬉しかったのか。
ティアラが顔を真っ赤にしながら、嬉しさと恥ずかしさの入り混じった顔で、もじもじとしている。
「ば、馬鹿言うなって! こいつは俺と十以上年が離れてるんだぞ!」
「いいかい? ヴァルス。恋は盲目で気まぐれ。正しい答えなんてありゃしないんだ。あんたもそろそろいい歳だろ? この辺で身を固めても──」
「却下だ却下だ! ったく! 行くぞ! ティアラ」
「は、はい! ではハミルお婆様。失礼致します」
ハミルのせいで顔を真っ赤にした俺は、恥ずかしさを誤魔化すように冷たくそっぽを向くと、さっさと宿屋に向け歩き出す。
「二人の為にパイを用意しとくよ。待っとるからね」
そんな俺の態度なんか関係ないと言わんばかりの婆さんの声に、俺は振り返らずに、片手を上げて合図を返す。
ちらっと横目にティアラを見れば、隠せていないほくほく顔。
まあ、こいつからすりゃ、俺は想い人なんだから、こうもなるだろうが……。
彼女の態度を咎めもできず。とはいえ自分としては不服なこの状況に、複雑な気持ちになりながら、俺は一人、憤りをため息に変え肩を落とすと、そのまま宿に向かったんだ。
§ § § § §
宿屋の主人も顔見知り。
だからこそ、ここでまた困った事になった。
顔の火照りもそこそこに宿を取ろうとしたからだろう。
「あんたら恋仲なんだろ? なら二人部屋に案内しても良いよな?」
なんて、宿の主人であるアランに口にされたからだ。
勿論あくまで師弟関係だから別にしてくれって頼んだんだが、予想外の情報と共に、結局俺達は相部屋になる事になる。
「いやよー。数日前から王都から来たっていう兵士達や冒険者がここに泊まっていてよ。今空き部屋がそれしかねーんだよ」
それは奇しくも、俺が欲していた情報ではあったんだが。
兵士は分かる。が、冒険者だと?
俺は予想しない言葉に、思わず首を傾げた。
宿屋の主人の話じゃ、若い女二人で一人は聖騎士、一人は射手らしいが……。
たった二人のパーティーなんて、余程の実力がなけりゃ成り立たない。
だからこその兵士……って事は、王家はその二人に依頼を出し、必要な兵士を貸し与えた?
だが、昨日の兵士達に女なんていなかった。
たまたま同じ日に同じ村にやってきた、なんてのは不自然過ぎる。
それに、もし王家からの依頼を受けられるとしたら、その二人はどれだけの実力者だって事になる。
とはいえ……情けない話だが、俺はここ十年、ほぼ世捨て人のように暮らしてきたからな。
だから、現在の冒険者界隈の事なんて、さっぱり分からねえ。
こりゃ、後で情報収集が必要だな。
俺は結局、得た情報の不可思議さに悩みながら、ティアラと同室にされた恥ずかしさなんて忘れ、黙々とハミルの家に向かう準備を進めたんだ。




