第82話 おじさん、夢オチを食らう
「私の胸、触ってみますか?」
「――」
魅惑的な振る舞いに惑わされ、私はゆっくりと手を伸ばす。
しかし寸前で思いとどまった。
「ダメです、そういうのは。私の性欲は、私自身で解決しないと」
「夜見ライナ様……」
ジュウウ――
「――ッ、な、胸ポケ、熱っ!」
そこで制服の胸ポケットが白い煙を上げ始めた。
何事かと中を探って取り出す。
原因は光りながら炎を出す青い勾玉だった。
「お守りが燃えてる」
「なっ、くぅ、苦しい……!」
「あ、アリスちゃん?」
アリスちゃんは勾玉の光を浴びて苦しみ、炎から逃れようと壁際まで逃げる。
一体何が起こっているんだろう?
『――さん! 夜見さん!』
「この声は」
脳内に直接聞こえるのは、ダント氏の呼び声。
彼は強く叫んだ。
『目を覚ますモル! 悪魔に攻撃されているモル!』
「まさかここは夢の中……!?」
私は立ち上がって臨戦態勢を取る。
壁際のアリスちゃんは、冷や汗を流しながらニヤリと笑った。
「気づかれましたか。上手くやったつもりなのですが」
「貴方は誰なんですか!?」
「フフフ――」
黒い嵐が吹き荒び、視界を覆う。
終わった頃には、アリスちゃんではなく黒髪の美女が立っていた。
ほぼ全裸のような服装で、背中に一対の黒翼を、頭上に黒い天使の輪を浮かべている。
「――七つの大罪、罪科は色欲。名はアスモデウスと申します」
「悪魔……!」
まさか悪魔だったとは。
全身の毛が逆立つほどの恐怖を感じるも、私は毅然と振る舞った。
「わ、私に何の用ですか?」
「貴方は私にとって一番都合がいい立場だったのです」
「何がしたかったんですか」
「下僕が欲しかったのです」
「改めて聞きます。何をするつもりですか」
「全世界にエロトラップダンジョンを作りたかったのです」
「エロトラップダンジョンを」
あまりにも正直に答えてくれるので、思わずたじろいだ。
相手は妖艶な笑みを浮かべながらこちらを見つめる。
「どうして私が正直なのか、不思議ですか?」
「まあ、はい」
「私が正直なのは、貴方がプラトニックな愛を教えてくれたからです」
「……? は、はあ」
「貴方とのひとときは、生まれて初めての幸福でした」
「はい」
「だから、これ以上嫌われたくない。私は撤退します。では」
悪魔アスモデウスは、背後に生み出した黒い亜空間の中に消えていった。
同時に私の視界も紫と水色に歪み、意識ごと霧散していく。
「――心から愛していますよ。私の理想のご主人さま」
最後に聞こえたのは、そんな一言だった。
◇
「――さん! 夜見さん!」
「はぁっ!?」
飛び起きると、そこは自室だった。
私は安堵のため息を漏らす。
「はぁっ、はぁー……」
「起きたモル! 夜見さぁ――ん!」
「わぷ」
するとダント氏が顔に抱きついてくる。前が見えない。
引き剥がすと、彼は涙目だった。
「ほんとに良かったモル。夜見さんが生きてて、僕は嬉しいモル」
「た、ただいまです」
彼を膝に乗せて撫でつつ、改めて周囲を確認する。
場所は遠井上家の自室。
目覚まし時計は朝の七時を指していた。
頬をつねって現実か確認。痛いのでおそらく現実だ。
「何があったんですか?」
「悪魔が夢を通して攻撃してきたんだモル」
「どうして私に?」
『私が仮の主と認めていたことが原因でしょうね』
「!?」
布団の中から声がして、周辺を探ると出てきた。
そこにはベッドに潜り込んだリズールさんと、ぐっすり眠っているアリスちゃん。
彼女たちは温かく、肌も柔らかくて、とくんとくんという心臓の鼓動を感じる。
「な、え?」
「お邪魔しています。アリスと共に受肉した際、とても寒かったため、夜見ライナ様の身体で暖を取らせていただいています」
「夢、だったんじゃ?」
「はい。夢です。ですが、現実にも影響を与えるタイプの夢です」
「えっと……まだ夢の途中なのかな。どうやったら起きられますかね?」
「現実モルよ、夜見さん」
「もうわけ分かんないですよぉ! ただの夢かと思ったら現実にも居るとか! 頭が現実についていけません!」
わけが分からなくて取り乱すしかない。
するとリズールさんがこほんと咳払いをして、一言。
「分かりやすく申し上げます」
「は、はい」
「受肉するのは私も常々考えていたことであり、アスモデウスも初めて味わったプラトニックな恋心を味わい続けたい。お互いの利害が一致しただけです」
「どういうことですか!?」
「夢の中の出来事とは言え、アスモデウスはアリスという自身の存在価値を失いたくなかったようで、私に取引を持ちかけてきたのです」
「取引?」
「内容は単純です。現世から撤退することを条件に、彼女は私の偵察用旧端末こと「アリス」と融合し、さらに「人化の法」で受肉すること。取引を終えた現在は、彼女と私の戸籍作成と、聖ソレイユ女学院への転校・転属申請を行っています」
「なんで!?」
「私は争奪戦の悪役になるためです。アスモデウスは、いつか現実でも恋人になりたいからと言っていましたが」
「ああ、うん、えっと……はあ……怖い……」
夢の中とはいえ、私は悪魔を口説き落としていたのか。思わず身震いした。
まあ、ベッドの中ですやすやしている分には可愛いし、いいか。
「……ええと、ダントさん」
「何モル?」
「悪魔はもうこの世に居ない?」
「少なくともエジプトは1680万色から砂の色に戻ったモル」
「エジプトが平和になったなら、いいか。うん」
私は何もかも忘れることにした。
アリスちゃんはリズールさんが面倒を見るようなので、任せた。
念のために義理の両親や遙華ちゃん、佐飛さんや遠井上家に住むお手伝いさんなどの無事を確認したあと、朝の支度を終えて、学校に向かう。




