第190話 鉄槌の魔女「ハインリヒ」の生誕
『でも公務執行妨害罪と傷害罪と器物損壊罪で逮捕します。ミステリスト奈々氏。夜見ちゃんの小間使いメイドになって反省しなさい』
「ふざけッ、バスを壊したのはおま――」
ああ、また失敗した。
相変わらず私は深い闇の底にいる。
カチっと押し付けられる音がして、本体からのリンクが切られた。
◇
「はっ、はぁっ……!」
脳のシナプスがバチバチと開くような感覚がして、謎の白い精神世界を通り過ぎたかと思うと、次の瞬間には見知らぬ女性の視点で世界が見えていた。
目の前に広がっているのはどこかのご令嬢のベッドルームだ。
髪は紫色で縦ロール。さらに巨乳。どうやら本物のお嬢様だったらしい。
この女性が誰かは分からないが、自由自在に動かせる。
「ここは、どこなの?」
近くに「次の私へ。こうすれば思い出すわ」という書き置きが置いてあったので、指示通りに行動した。か細い首を掴み、起動ワード?なる言葉を紡ぐ。
「……完全掌握」
ドクンッ――
「ぐっ!?」
――瞬間、脳内に溢れ出す経験したことのない記憶。
光の国ソレイユ、魔法、触媒、ミステリウムの扱い方……そして魔法少女に何千、何万回と敗北して封印された者たちの、必ず奴らに復讐するという意志。
私たちに代わって意志を継ぎ、為すべきことを為せと。
何よりも思想を重視する社会不適合者、生まれついての犯罪者たちの呪いがそこにあった。――だが、もう彼女を支配することは出来ない。
「……黙れッ! これは私の身体なのよ! 死者は潔く死ねッ!」
敗者の恩讐としか言いようがないこの呪いに激しく怒り、背中にまといつく悪霊や怨霊を薪に焚べて燃料にし、見事打ち勝ったのが今回のルートの彼女だからだ。
偶然にも、赤木恵が無言のラッシュで叩き込んだ紫色のエモ力が、魔法「完全掌握」の在り方の形を「コントロール」できる力に変えた。
何万回にも及ぶ試行錯誤によって蓄積された「絶望」、その全てのダークエモーショナルエネルギーが彼女の手に凝縮され、初めて「他者」から施された生の力「エモ―ショナルエネルギー」によって浄化されていく。
シュィィ……ポンッ。
「これがシャインジュエル……」
金平糖のように食べられる至高の宝石を彼女は口に入れ、甘さを噛みしめる。
甘くて美味しい。だから嬉しい。
きっかけが生まれれば、あとは一瞬だ。
ザザザザザァァ―――
「ちょ、ちょっと多い!? 多くないかしら!? きゃああ!?」
部屋の中は彼女の手から生み出された膨大な量のシャインジュエルで埋め尽くされ、絞り粕として残った古代の呪いが聖遺物の黒い木槌――「魔女の鉄槌」に変わる。魔女裁判に使われた当時のものだ。
彼女はもう名もなきヴィランでも、テロリストでもない。
「うう、私は魔女、鉄槌の魔女「ハインリヒ」。他にできる人間が居ないのだから、私が人を殺すしか脳のないヴィランの世界を作り変える。絶対!」
上手くいくかは分からないが、少なくとも負の連鎖はまた一つ断ち切られた。
冷静になった彼女はこの膨大なシャインジュエルを片付ける方法を探す。
◇
部屋を埋め尽くすほどのシャインジュエルは、聖遺物「魔女の鉄槌」の一振るいで、手のひらサイズになるよう「完全掌握」された。
床に落ちていたビニール袋に入れ、見栄えをコントロールするとおしゃれなポーチになった。敗北したものの、代わりに魔法の利便性が上昇したようだ。
魔法の確認は終わったので、手のひらサイズまで凝縮された超密度シャインジュエル結晶を口に入れて転がす。
「ふふ、おいひ」
シャインジュエルには二通りの換金方法がある。
一つ、エネルギー資源として売買する方法。
換金屋に手数料を取られるが、時価総額がほぼそのまま手に入る。
そして二つ目。食べる。
等級に応じて変化するが、C等級だと一粒につき一億円。
それが生涯年収に加算される。
得られる金額が十分の一になるので忘れ去られた方法だ。
ただし、隠しステータスの「生涯幸運値」を上昇させる方法はこれだけ。
私に加算された生涯年収は合計で五千兆円。
幸運値は五万。エモ力換算で五万エモだ。
「よし、これで成功に一歩近づけた!」
シャインジュエルの本来の用途は食べること。
何もしなくても、働かなくても生きているだけで必要なモノが得られる運命を手にする、そういう夢のエネルギーを凝縮した代物なのだ。
金に目がくらんで売買していいものではない。
「正気に戻してくれたあの子に感謝したいところだけど、強い。警戒しないと」
私はそもそも裏で糸を引く策謀系ヴィランだ。
肉体制御で分身すればいくらでも使い捨てにできるうえ、何より「貴様の蛮行、許しがたい」と、経験と実力に慢心して安易に近づいたのが前回の敗因。
結果的に生きて功を奏したからいいものの、なりふり構っていられなくなった。
現在は、前の私が敗北して「ダークポーン」という魔法牢獄に封印された日時とほぼ同時刻。つまり午後四時。
「戻れるかしら……」
現在地は東京都千代田区にある賃貸マンションの一室。
今すぐに香川県に戻らないと、私の呪いの残滓が付いている「夜見ライナ」という少女によって、金持ちと貧乏人の住む世界が完全に分断されてしまう。
以前の私が見た世界では、ダークエモ力を持つ人間は怪人や魔物に変化するようになり、人里にいられなくなって山奥に追いやられ、野生化していた。
そうなる前に「シャインジュエルの正しい使い道」を伝えて影響を取り除き、呪いの根源である貧富の格差を無くす道を生み出さなければならない。
二度目はマークされているだろうから、入れるかも怪しい。
「……でも他にいないから、私がやるしかないの! やるわよ!」
ベッド付近にあるスマホを探して香川への侵入手段を探すと、「月読プラント・ワープポータル輸送の従業員募集のお知らせ」という広告を発見した。
「これだわ!」
応募すると、目の前に青い円状の亜空間ポータルが開いて、灰色のカメがひょっこり姿を現す。ぎょっとした。
「こんばんはカメ。応募してくれた鉄槌の魔女のハインリヒさんカメ?」
「ひ」
しかも喋った。絶句する。
相手が聖獣だと分かったのは、少し記憶を遡ってからだった。
「ああ、聖獣! あなたは聖獣ね!?」
「そうカメ。玄武亀の聖獣ゲンだカメ。早速だけど案内していいカメ?」
「面接はしないの?」
「? 募集してくれる人はいい人カメ。誰でも迎え入れるカメ」
「そ、そうなのね。ほっ……」
まだ高松学園都市での「私」は知られていないらしい。
そうなるように仕向けていたのもあるが、警戒網が緩くて助かった。
「では就職しますわ。案内をお願いします」
「分かったカメ。着いてきて欲しいカメ」
ブオン、と目の前に人が通れるポータルが開き、秒で香川県に戻るどころか、ど事務室で同じ制服の男女の学生「万羽凛」「三津裏霧斗」と談笑する夜見ライナを見つけた。
彼女は私を見るなり「わあ」と驚くも、軽くスルーする。
(なんなの、あの異常なほどの適応力……)
「魔女ハインリヒさん。君の先輩になってくれる聖獣を紹介するカメ」
「ああはい。ごきげんよう」
「初めましてモル。僕はモルモットの聖獣ダントだモル。よろしくモル」
(重要人物との遭遇が速い……! なんなのこれは……!?)
よろしく、と喋るモルモットと苦笑いで握手をする私。
シャインジュエルを食べて幸運値が上がったからだと気づくのが遅れた。
そうか、生まれつき幸運でなかったから、自分に都合の良い展開が起きるのに慣れていないのか。
九州のスラム街「福岡市」から東京千代田区に上京し、「普通」を手に入れるまで努力した日々を思い出す。エモ力さえあれば、とも悲しむ日々も。
だからある日、ダークエモーショナルエネルギーに魅入られ、他人の人生を弄ぶテロリストに身を落としたんだった。
「あれ……?」
「わあ、ないちゃったモル」
今はそうではないと気付いた時には、ぽろぽろと涙がこぼれていた。
ダメだ、まだ感傷に浸るのは。まだ早い。
魔法少女では救えない、ヴィランの世界を立て直すという使命が私にある。
だから涙を拭いて前を向く。
「わ、私は鉄槌の魔女ハインリヒ! 悪人に鉄槌を下し、更正させるべく遣わされた者! 私の人生の総決算は、使命を果たされた日にのみ許される!」
「泣くのは普通のことモル。無理しなくていいモルよ?」
「甘やかさないで! 人間は厳しく律されなければ生きられない! 使命に準じる私には、一切の妥協は許されない! 私が悪でないことの証明のために!」
「凄い新人さんモル……採用ということでいいモル?」
「分かったカメ。じゃあダントくん、彼女を喫茶店デミグラシアに居住しているメンバーに紹介するカメ」
「了解ですモル」
「はいぃ!?」
本当に都合が良すぎる。
夜見ライナと遭遇して会話し、「シャインジュエルの正しい使い道は知っています?」と尋ねるとブンブン横に首を振ったので、伝えた。
すると突然興奮しだして、不完全にかかっていた「完全掌握」の呪いを飲み込み、青天井にエモ力が上昇し始めた。
「生涯年収が上がるなんて知らなかった! ダントさんなんで教えてくれなかったんですか―――!?」
「いや僕も知らなかっただけモル……魔女ハインリヒさんは物知りで驚きモル」
(なんなの!? この異常なほどの無知な聖獣と異常幸運魔法少女は……!?)
流石の彼女もここまで無知で愚かな存在は知らない。
少し心が折れそうになったが、持ち前の強靭な精神力で持ち直し、彼女を上手く制御して、テロリストに蔓延している思想――「殺人至高精神」の変革を促そうと考えた。
ともかく、物語を紡がれるルートが生まれたので、夜見ライナこと魔法少女プリティコスモスの物語もまだまだ続く。