第174話 おじさん、喫茶店デミグラシアに戻る
どうやら彼らも特進コース出身の男子大学生だったようで、片方は専門教育長官の「猪飼真」さん、もう片方は補習講座監督の「紀伊一葉」という方だった。
チャームポイントで言うなら鍵ピアスさんと目の下のクマが酷い人さん。
後者の方は本当に苦労されてるんだなぁ、と思う。
クマが酷い人さんと握手を終えた願叶さんはこう言った。
「一般実務科の班長はいないのかい?」
「ああ、彼女なら学園都市の南区に用事ができたとかで……」
「少し警戒しすぎたようだね。ごめん池小路、南区に戻ってくれ」
「かしこまりました」
池小路さんは頭を下げてその場から退室した。
するとメガネ氏が鋭い視線を向ける。
「どうして一般実務の班長などに興味を?」
「現場の子を見てから指揮者を決めようと思ったんだよ」
「ふむ、正当な考えです。ただ」
「ただ?」
「今回のように無断で怪獣信仰者を招き入れられては困ります。相談役を一人付けさせてもらってもよろしいですね?」
「なら三津裏霧斗くんがいいな。できるかい?」
「それはこちらが決めることです。少しお待ち下さい」
「分かった。これは僕の名刺だ。また何かあれば連絡してくれ」
「ありがとうございます。では」
「これで失礼するよ。ライナちゃん」
「わ。はい。お邪魔しました」
ペコ、と頭を下げると、メガネ氏は不機嫌そうに「では」と言ってくれた。
願叶さん、万羽ちゃんとともにその場を去り、エレベーターに乗って降りる。
「はあ、私、緊張して何も喋れませんでした……」
「一任したってことにしてくれた方が僕は嬉しいな」
「願叶さんに一任しちゃいました」
「ありがとうライナちゃん。嬉しいよ」
「プリティコスモスはしばらく活動しないのぜ?」
「うーんどうなんでしょう。願叶さん?」
「もちろん無視して活動するよ。先に仕掛けてきたのは彼だから」
「わ、そうでした。真に受ける必要がなかったですね」
「驚かせてすまない。つもる話はあとでしようか」
「はいお父さん」
願叶さんは私を落ち着かせるように頭を撫でてくれる。
なので抱きついて甘えた。
慣れた気がしていただけで、心はいつも怖がっているらしい。
一階に到着し、エレベーターを降りる頃には少しだけ気分が晴れた。
「とりあえず、あのメガネの怖い人とは関わらないようにしましょう」
「今はそれでいいよ。さて、南区に行こうか」
ガシッ。グイッ――
「うわ?」
「ぜ?」
願叶さんは急に私たちを捕まえ、背中を押し始めた。
玄関を無視して廊下をぐんぐん進み、角を曲がったと思ったら行き止まりだ。
方角的に考えると月詠学園の南側で……壁にドアノブ?
「喫茶店デミグラシアは隠れ家カフェにも対応しているんだ」
「ああ、そういうことですか!」
「ドアノブがあるぜ!」
万羽ちゃんがドアノブを引くと、白い壁がスウと消えて渋めの店構えが現れ、「喫茶店デミグラシア」の看板が現れる。
中に入ると先に帰ったはずの喫茶店マスター、池小路氏が高そうなティーカップを磨いていた。彼はふと私たちに気づいたように微笑む。
「おかえりなさい。指示通りに店を構えておきました」
「助かるよ」
カウンターの座席につくと全員から安堵のため息が漏れる。
「怖かったー……」
「同意なのぜ」
「あれが特進コースのエリートたちだ。手強い相手だろう」
「ぜんぜん勝ち筋が見えないです」
「少なくとも今の戦力では太刀打ちできないと考えていい」
「じゃあどうすれば?」
「そのための彼らだ」
願叶さんが店の奥に顔を向ければ、見たことのない銀色のアイテムを手に持ってやってくる技術支援チームの四人がいた。
「あのー、池小路さんのポケットの中で話を聞いてました。ひとまずこれを」
ゴトッ――
「これは?」
魔法陣の描かれた円盤のようなものだ。
もう一つは腕時計サイズのオシロスコープ。
持ってみると軽い。私の大剣と同じ素材か。
「ダークエモーショナルエネルギー、いわゆる悪意を持った人間の侵入を自動で察知するエモーショナルレーダーです。そっちの腕時計みたいなのが表示機器です」
「レーダーは高い場所に設置するほど効果が出ます」
「わあ面白いアイテム」
「よし、まずはこの銀の円盤を月詠学園の屋上に設置しよう」
「誰が持っていくんですか?」
「実は今回の依頼主とも待ち合わせてるんだ」
「え?」
ギイ、と喫茶店のドアが開く。
中に入ってきたのは先ほどのクマの凄い人こと、補習講座監督の紀伊一葉さんだった。
彼はようやく開放されたとばかりに肩を回し、爛々と輝いた目でこう言った。
「早くあのクソメガネを失脚させたい」
「わあすごい憎しみのこもった顔」
「お疲れさま。君が相談役で、今回の依頼者かな?」
「すべてその通りです。仕事が一つ増えようと残業確定なのは変わりませんから」
「まずは依頼内容の確認だ。彼――賀田睦を徹底的に追い込む。そして補習講座監督に転属させる。これでいいね?」
「神に誓って契約します。彼こそ最低最悪の犯罪者だ」
「契約成立だ」
願叶さんがそう言うと、一葉さんのクマが消える。
代わりに憎しみや怒りが凝縮された黒いナニカが、彼の背後に生まれた。
咄嗟に席を立ってマジカルステッキを構える。
「ファンデット!?」
「いや、あれは聖痕と呼ばれるものだ」
「違いはなんですか!?」
「このミステリウムを持つだぜ」
「は、はい!」
万羽ちゃんが見せてきた紫の四面体結晶を持つと、神々しい白いローブを着た、胸に大きな穴が空いた人型実体が彼の背中に取り憑いていた。
彼の怒りを体現したかのようなその容貌に恐怖を覚えてしまう。
慌ててミステリウムを返すと、元の黒いナニカに戻った。
「み、見たくなかった!」
「現場では彼のような正当な怒りの存在を知ることになる」
「まあたしかにクソ上司はブチのめされるべきですが……」
「俺はァッ! 月詠大学、精霊学部三年! 紀伊一葉!」
「わあ!?」
「俺の正義は言葉じゃない。行動で示す。俺に指示をくれ」
一葉さんはジッとこちらを見てくる。願叶さんもだ。
私は魔法陣の描かれた銀の円盤、エモーショナルレーダーを手に取った。
「これを屋上に設置してきてください。設置方法は後ろの研究者の方が知ってます」
「分かった。機材の設営は全部俺に任せろ。刺し違えてでもやつは倒す」
わあカッコいい。
技術支援チームの方々から設置方法を聞いた彼は、池小路氏の空間魔法によって布切れのように折りたたまれたレーダーをズボンのポケットに収納し、デミグラシアを後にした。
カランカラン――
「凄まじい覚悟でしたね」
「精霊学部の生徒は最終的にいつでも会話できる人型実体、斬鬼丸という精霊にたどり着くからね。彼独特の死生観に影響を受けやすいのさ」
「わあ斬鬼丸さんのお弟子さんだったんだ」
話が合うかもと思いつつ、心を休めるために父である願叶さんに頭を預けた。
いろいろなことが一気に起こりすぎて少し疲れたのだ。
願叶さんもやさしく頭を撫でてくれて、とても心地いい。
「疲れたのかい?」
「はい、ちょっと限界です」
「事務室の右奥に休憩室がある。万羽燐くんと一緒に寝るといい」
「分かりました、ふあ」
席を立って、すでにカウンターにぐでりと倒れ込んで眠りこけている万羽ちゃんの背中を叩いて起こし、休憩室に移動。
ふかふかのベッドが用意されていたので一緒に倒れ込み、寝落ちした。