第165話 おじさん、ラインを超える
――いや、待て。
出口でピタと立ち止まり、先ほど教わった「タブー」を思い出す。
赤城先輩を追いかけるのは正解だけど、それ以前に私たちは緊急出動できるようにここで待機していた。
何より冷静になったら先輩も戻ってくる。きっとそうだ。
『本当にそう思う?』
頭の中の赤城先輩が問いかけてくる。
でも足が前に進まない。
この一線を、店の外に一歩でも出たら、二度と後戻りできないような底しれぬ恐怖が湧き出て、ああこれが境界渡りなんだと嫌でも思い知らされた。
本能が逃げろ、進むなと叫んでいる。
でも理性が急いで追いかけろと責め立ててきて、頭がおかしくなりそうだ。
いや、三日も「ドレミの歌のドはドレットノート級のド」「空輸された普通ポテトはもはやフライドポテトじゃないのか説」などイカれたおしゃべりをし続けた疲労で限界が来てるからかな。
「うう、に、逃げたい……!」
「おまたせモル。会計終わったモル」
「わ、ダントさん!?」
肩に乗ったのはオレンジモルモットの聖獣、ダント氏。
まだ眠いのかあくびをしている。
私は彼にすがるように声をかけた。
「ううダントさん助けてぇ、なんだかよく分からないくらいに怖くてぇ」
「世界の広さを知って勇気が出ないモルね。耳に入れておきたい情報があるモル」
「なんですか?」
「遙華ちゃんが聖ソレイユ女学院で行方不明モル」
「――遙華ちゃんが!? くっ!」
一瞬で戸惑いや恐怖が消え、頭の中が遙華ちゃんの捜索でいっぱいになった。
飛び出るようにデミグラッセから夕暮れ時の梢千代市の大通りに移動し、少し離れた道端で顔を赤らめて縮こまっている赤城先輩を発見。
先輩のテレポートで女学院に向かうべく、ダッシュで駆けた。
「赤城せんぱああああ―――――――い!」
『きゃああああああッ!』
「!?」
同時に、魔法少女に変身した緑髪の子が、道中にあった個人商店の正面玄関を突き破って、割れた丸メガネとともに地面を転がる。見覚えのある子だった。
「う、うう」
「ま、マルちゃん!? 何があったんですか!?」
『見つけやがってこのクソガキが!』
『あとちょっとで勝利条件満たして帰還出来たってのによぉ!』
「うええ!?」
さらに商店の中から金属の棒を持った白いパワードスーツ装備の謎集団がぞろぞろと顔を出した。
強い自己顕示欲の影響だろう。顔を覆うヘルメットがない。
防具で覆っていない顔は目つきが悪かったり、古傷があったりで半グレっぽい。
しかし装備の趣味と質はいいのか、身体を覆っているサイバーパンクなパワードスーツの見栄えは、中々にリアルでカッコいい。
すると彼らのリーダーらしき壮年男性(カラーリングが赤だったのでそう思っただけだ)が姿を現し、右の腕装甲から鋭い刃物を伸ばして、自身の正面に掲げる。
「お前の剣捌きは見事だった。だが我々ワイルドハントを見つけた罰だ。死で償え」
鑑賞している場合じゃない。
どちらを守るべきかは明白。ステッキを取り出し、変身した。
「――変身!」
『魔法少女プリティコスモス! 純正式礼装!』
『ああん!?』
半グレ集団の視線が一斉にこちらを向く。
音声認識なうえにマジカルステッキから音が出る仕様だから畜生!
しかし私はとても冷静に、ステッキの底をダブルタップした。
「状況はよく分かりませんが、何をやるべきかは分かりました」
『エモートタッチ! プリティフォトン!』
「お、お前は!」
「魔法少女プリティコスモス。その子は私が守ります」
普段の剣ではなく、ステッキ自体にピンク色の発光エネルギーが宿る。
マジカルステッキは隠しコマンドが多く、武器機能を使用しなければ純粋なエモーショナルエネルギーの供給コアとして利用することができるのだ。
「く、くそ!」
「ここでビックネームかよ……!」
「怖気づくな者共! まずはやつを殺せ!」
「「「うおおおお――ッ!」」」
リーダーの命令を受け、野蛮な金属棒を振り上げながら手下たちが迫ってくる。
スーツで身体能力が強化されているからか、プロアスリートより動きが速い。
だけども魔法の使用や特殊な魔法対策を施している様子はない。
疲れ切っているはずの私の脳はそう結論づけた。
どうしてこんなに頭が切れるんだっけ?
……ああ、そうだった。
「夜見さんやっちゃえモル!」
「はい!」
私って、残業三日目から本領発揮するんだった。
「ブーストッ!」
キィィイイイン――キイイイイイ―――!
思考が加速する音が鳴る。いつもと違って正常な音だ。
透明で気分がいい。
「喰ら――――」
世界が停止し、半グレ集団の手下たちと、彼らが振り下げた金属棒が頭上で止まる。私はひとまず目の前のヤツにハイキックを打ち込んだ。
顔を防具で覆っていないからまともに喰らい、顎が変形して白目を剥く。
「いい高さの蹴りモル」
「やっぱりパンチよりキックですね! 女の子なら!」
ちょうど持て余していたマジカルステッキをブーツの隙間に差し込む。
さらにそこでダンと力強く踏み込むと、底ボタンが押されてピンクの発光エネルギー、プリティフォトンがコスチュームにチャージされるのだ。
『プリティチャージ!』
「フゥー……」
右の利き足に履いている厚底ブーツが、濃いピンク色の輪郭を帯びた。
そのまま横薙ぎキックや踵落としで半グレの手下たちを文字通り蹴散らし、プリティなフォトンエネルギーを流し込んでパワードスーツを粉々に破壊。
さらにまっすぐに駆け出し――
「おりゃあァッ!」
けしかけた手下を見捨てて逃げ出そうとしていたリーダーの背中めがけて、飛び蹴りを食らわせた。
赤いパワードスーツは私に蹴り砕かれてバラバラに破壊。
リーダーは黒インナー姿で射出され、吹き飛んでいく様子を見せてから静止した。
そこから数秒ほど歩き、隙を見て助けたのか、ボロボロになったマルちゃんを抱えて守っている赤城先輩の元に行く。
加速世界への入門が終わり、わずかな頭痛に襲われた。
ドガァァ――――ン!
「「「ぐぎゃああああああ~~~――――ッ!」」」
同時に背後がピンク色に発光。
壊れたパワードスーツが爆発する音と、彼らの悲鳴が聞こえた。
赤城先輩は驚いた顔で私を見る。
「ふう、大丈夫ですか?」
「夜見ちゃんってチートだよね」
「でしょ?」
「お、おのれ……!」
「「!」」
声がしたので後ろを振り向く。
そこには満身創痍のリーダーが立ち上がっていた。
黒インナーは擦り切れ、頭部からは青い血を流している。人間じゃなかったのか。
彼の近くには帰還用の異次元ゲートが出来ていて、私を指さしてこう言う。
「い、いくら貴様らが勝とうとも……ワイルドハントは滅びない……」
「逃げるんですか?」
「――ッ、このッ! 我々を侮辱したな!」
自身の背後から赤いコンバットナイフを取り出し、逆手に構えた。
どこかの軍属なのかな。歴戦の戦士の佇まいだ。
でも、この場にいるメンツ――特に私との相性は最悪。
ジリジリと近寄る相手を見て、私もファイティングポーズを構える。
「……強化。まあでも、その煽り耐性のなさが命取りですね」
「なんだと……?」
「後ろですよ」
「――ッ!」
相手はバッと振り向きつつ、惚れ惚れするほどの太刀筋でナイフを振るう。
おそらく先ほどの飛び蹴りと高速移動対策だろう。
だけど残念、そっちには誰もいない。
再びこちらを向いた彼に襲いかかったのは、真下からの蹴りだった。
シュッ!
「おらァッ!」
「あひんッ」
ゴリュッ……と嫌な感触がした。
股間に大ダメージを負った彼は、白目を剥いて泡を吹きながら気絶する。
正当防衛にしては少しやりすぎたかな、と思いつつも、ダント氏に出してもらったロープで手足を括っておいた。
「夜見ちゃんって武器なしでも強いんだね……」
「まあ、護身術の訓練は嫌になるほど受けましたから」
「お家柄を感じるー」
「あはは……よし、これで終わりです」
『総員突撃ぃぃ――!』
「わ!?」
まだ息のあった半グレたち全員の手足を括り終わると、騒動を聞きつけた重武装の朔上警備隊とともに、アリス先生こと色欲の悪魔アスモデウスが黒い羽を散らしながら登場する。彼女は何故か興奮していた。
「まあまあまあまあ! 珍しいものを見れました! 自称ワイルドハントの統率者がまさかクラーケン族の生き残りだったなんて!」
「あ、アリス先生?」
「夜見さんこんばんはカメ」
「今度はゲンさん」
「ワイルドハントの残党を無力化くれてありがとうカメ。あとは任せて欲しいカメ」
「ああはい。分かりましたけど……」
任せた方が楽だけど、本当に任せていいのだろうか。
念のために赤城先輩を見ると、彼女は手招きして離れるように指示してくれた。
さらに小さな声で伝えてくれる。「事件は起こせ」と。
なーんか怪しいけど、いいのかなぁ……?
「ダントさんどうしましょう」
「遙華ちゃんを探さないモル?」
「そうだったこんなことしてる場合じゃないんだった……! ゲンさん任せます!」
「行ってらっしゃいカメ~」
未練を振り切り、マルちゃんを抱えたままの赤城先輩の元に急いだ。
先輩のテレポートで女学院に移動し、風呂に入りたいという欲求すら忘れて、行方不明になった遙華ちゃん探しに没頭する。
……正面校舎の購買部支店の中で、粘土遊びをしていたところを五分で見つけた。
見つかってよかった。