第164話 おじさん、そろそろ体臭が気になる
それから半日ほど赤城先輩との対話を重ねて考え抜いた。
正直に言うとおしゃべりはやめてお風呂に入りたい。
口臭は大丈夫だが、身体からなんかカラメルみたいな甘い香りがするのだ。
だけど質問は質問。
犠牲者そのものを出さない方法について、自分なりに考えた答えを言ってみる。
「――やっぱり犠牲者を出さないのは無理ですね。災害を未来予知しろ、猶予までに災害地での避難誘導を済ませておけ、と言われたようなものなので」
「どうしてかな?」
「まず起こっていない災害では人も国も動かせません。みんな仕事を優先しちゃいます。仮にそんな預言者じみたことをやっていたら、いつまでたっても誰にも理解されず、逆に災害を起こす悪者扱いされて自分が犠牲者入りです」
「じゃあさ、夜見ちゃんに人や国を自由に動かせる権限がある前提で考えてみて」
「仮想シミュレーションだとしてもギリギリ瀬戸際までやりませんね。何度もやったら国民が「はいはいまた移住するんでしょ」と狩猟生活に逆戻りして、国に従わない遊牧民になっちゃいますよ。民が定住するから国が成り立つんですから」
「なるほどね。それを要約すると?」
「つまり魔法少女になった私ができるのは、事件が起こってからの対処だけ」
「流石だね」
赤城先輩は満足そうに拍手した。
そしてこう言う。
「犠牲者を無くすより、事件を未然に防いだことによって負う不利益や誹謗中傷の方が、魔法少女のエモーショナルな心を傷つけるんだ」
「私に刺さる言葉なんですが……」
「釘を差してるからね。事件は起こせ。赤城先輩のお言葉です」
「それはそうなんですけど、分からないですよね」
「どういうこと?」
「たぶん私のタスク管理の甘さが原因なんだと思いますけど、首を突っ込むにしてもどこから手を付けていいかわからないんですよ」
「そうかな? 手探りって楽しいじゃん」
「あ、実はそれ苦手なんです。筋道を考えて論理的に動かなきゃいけないので、なんというか、仕事っぽくてトラウマで」
「じゃあ直感的に動けるようにするにはどうすればいいかな?」
「直感的に、ですか」
また考えさせられる話だ。
「ええと、まだ私にとっては事件は向こうから飛び込んでくるもので、首を突っ込むものだって感覚がないです。そういう案件ってだいたい炎上してますよね」
「そうだね。だから直感的に首を突っ込んじゃう条件づけをしよっか」
「なるほど」
忙しいこと、やりたくないことから逃げださないために、つい気になってしまう要素を論理的に説明して、行動指針を分かりやすくするのか。
「どういう条件をつければいいんだろう」
「まずは簡単に要素を分類しよっか。むずかしそうな依頼には何がある?」
「おお。ええと」
はあ、赤城先輩はなんて優しい人だ。
今一番悩んでいる問題に助け舟を出してくれた。
「絶対に首を突っ込みたくないという気持ち、騒動の元凶、解決に何の役にも立たない関係人物たち、そして終わったあとの山を登りきったかのような達成感と虚無感」
「そこにあったらつい欲しくなって夢中になっちゃう要素って何?」
「豪華な報酬ですよね」
「つまり夜見ちゃんは豪華景品が絶対に必要な条件なわけだ」
「ですね」
「それ以外で思いつく?」
「なんだろ、あ、小さい女の子とかですかね。助けなきゃって走り出しちゃいます」
「年頃の女の子はダメなの?」
「言われてみれば反応が薄いかもしれません」
「ふーん? あ、私にも小さい女の子だった時期があるよ? 見る?」
「見ます」
赤城先輩はマジタブで、三歳から六歳頃の自分の写真を見せてくれた。
黒髪幼女でかわいかった。また見たい。
「私への印象は変わった?」
「かわいいー守りたいー大好きーって感じです」
「さっきまではどんな印象だった?」
「大人の女性、立派、かっこよくて頼りになる先輩、ですね」
「ありがと。ちなみに普通の成人女性は?」
「守りたいです」
「小さい男の子はどう?」
「ああ、男性は年齢関係なく普通に守りたいです」
「なるほど、女の子だけ特定の年齢による選別がある感じ、と」
「あはは……」
イメージ毀損な気がするけど、客観的な事実なのでどうしようもない。
「それを突破するには、事実の再確認が大事だとも分かったね」
「どうすればいいんですか?」
「年頃の女の子たちが幼女だった頃に思いをはせながら戦う」
「控えめに言わなくても気が狂ってますね」
「なにか案がある?」
「まあ他に案はないんですが……」
自分の特殊性に気付かされて、少し現実を受け入れがたい。
そうか、私は友達や先輩を幼女だと思わないと、正義の味方になれないのか。
シスコンでありロリコンだったのか。
「まじかー……」
「ガチへこみじゃん。あはは」
頭を抱えていると赤城先輩はお冷を飲みながら笑った。
こっちは笑いごとじゃないってのに、もう。
「じゃさ、気分を変えるために思考実験」
「ああ、はい。どうぞ」
「夜見ちゃんは自分が幼女だった頃のことを考えたらどうなるの?」
「私が幼女だった頃……?」
考えたこともなかった発想に、脳から湯水のように妄想が湧く。
三歳の頃に芽生えた自我、五歳の頃に本物の魔法少女を見た感動、魔法少女を夢見て小学校を過ごす女児な私を妄想をして、さらに成長しすぎた身体へのコンプレックスと両親との死別を乗り越えて、あの日に遙華ちゃんたちをヤンキー高校生から救い、この場所に立っているとしたら。
「こんなに守ってあげたくなる魔法少女っていないなぁ……って思いました」
「守ってあげるからね」
「はい」
お互いに立ち上がり、テーブル越しにヒシッと抱きしめあって、暖かさを感じる。
すると赤城先輩は私の側頭部に顔を押し当て、スーっと吸い込んだ。
「あーいい匂い。好き」
「匂いフェチなんですか?」
「いやなんだか夜見ちゃんってすごくいい匂いするんだよ」
「恥ずかしいのでほどほどにしてくださいよ? 三日もお風呂に入ってないんです」
「それは私も同じ。夜見ちゃんも赤城先輩を嗅いでいいんだよー?」
「あー先輩の匂いかー……」
言われてみればまともに嗅覚を使った記憶がない。
普段よく感じるのは、目の前の景色と、音と、触った感触だけだ。
スッ――
「やらないの?」
「ちょっとこっちへ」
「ん?」
ガッ。グイッ――
「うわ」
とりあえず身体を離したものの、あまりにも疲れすぎていたこともあって、先輩の頭を両手で支え、頭頂部を引き寄せて吸う。
高級シャンプー・コンディショナーの甘い香りと、少しのココナッツ臭。
そして変な薬でも盛られたかのように夢中になる「大好き」な匂い。
なんというか香りじゃない。本能と恋愛感情が同時に呼び起こされた感じ。
二度、三度と吸って「ああ、これは言語化できないタイプで、嫌悪感がなく、側にいたいと感じさせる何かだ」と理解し、ゆっくりと離した。
「いい匂いですね」
「ち、ちょっと乱暴すぎてびっくりしちゃったかも」
「すみませんとつい気になって」
「ああ顔が疲れてるもんね。しょうがないそろそろ解散しよっか。あはは」
「そうですね。赤城先輩」
「はい!?」
「この三日間、長々と自己分析させてくれてありがとうございます。心をロジカルに整理できて、すっごく頭がスッキリして気分が楽になりました」
席を立ち、深く頭を下げると、赤城先輩はホッとため息をついた。
「どういたしまして。いつでも相談しにきてね。担任ですので」
「はい。またお願いします。その上で相談なんですが」
「なぁに?」
「一緒にお風呂に入りませんか?」
「にゃひゃ――――っ!?」
「ああええと、違うか。近くに銭湯とかがあるなら知りたいんですが」
「三温糖区の梢千代健康ランド!」
「一緒に行き――」
「ダメ無理ハズい! 行ってらっしゃい!」
ダンッ! ダダダダ――
「赤城先輩!?」
赤城先輩は財布から五万円を取り出してテーブルに叩きつけたかと思うと、テレポートもせず走って逃げて行ってしまった。
振動で目を覚ましたのか、動き出したダント氏は大きなあくびと伸びをする。
「ふぁーあ……今何時モル……?」
「だ、ダントさん! 会計お願いします! 私は赤城先輩を追います!」
「分かったモル……ふぁふ」
デミグラッセでの後処理はダント氏に任せ、私は赤城先輩のあとを追う。




