第149話 おじさん、遠井上家で日常を味わう
それから一晩明けた朝。
寝起きの私は、遠井上家の自室で寝癖直しをしながら下着の選定だったり、気分を入れ替えるために髪型を変えようか、などと考えているとドアをノックされる。
コンコン。
『ライナ様、執事の佐飛でございます。お時間はございますかな?』
「あ、はーい。今行きまーす」
ドアを開けると執事服を新調した佐飛さんがいた。
「わ、タキシードを新調したんですねー」
「ふう、ようやく遠井上家のお方に分かっていただけました。ライナ様の目が肥えたようで何よりでございます」
「いえいえ。それでどういったご用事で」
「梢千代市の外の状況について話しておきたいと思いましてな」
「何か大事件が?」
「いえ、散発的に発生していた悪魔絡みの事件が、長野県に向けて一極集中し始めました。おそらくは……」
「新たな頭領が生まれた、もしくは生まれるかもしれないということですか」
「そうでございます。ところでライナ様、何かSNSはお使いになられておりますか?」
「ええと……」
マジスタのことだろうか、それとも世間一般で使われているツイッター、いや今はエックスだったかと考えていると、佐飛さんは折りたたみ式携帯を取り出した。
ポチポチとボタン操作で一つのサイトを表示する。
「エモーショナル茶道部のサイトにコミュニティー機能が追加されましたぞ」
「わあ凄い……会員制掲示板だ」
私も自分のピンクマジタブを取り出し、サイトにアクセスした。
ミニブログ型SNSを作れるオープンソースソフトウェアを使用し、エモ茶道部の部員になった子は誰でも楽しめるフリートーク広場になっている。
会話に混ざることが苦手な子も「エモいね」ボタンで同意することが可能だ。
サイトトップには部長であるいちごちゃんのコメントがあり、
「怖い人の集まるインターネットから自分たちの身を守るために作ったエモーショナル茶道部専用のSNSです。優しい子には優しく、厳しい子には厳しく運営します」
と作成経緯と運営理念が書かれている。
アナログで藻掻いていた私よりも、遥かに先を見据えた行動をしていたのか。
自分がいかに中等部一年組を子供扱いしていたか思い知らされる。
木っ端のIT企業でインターネットの過渡期や黎明期を過ごしてきた私と違い、彼女たちはデジタルネイティブ世代。
正しさの中心が「自分第一」だと分かっていた。
「はあぁ、自分がいかにダメダメで時代遅れな人間か思い知らされます……」
「ようやくお気づきになられましたかな?」
「はい」
言い訳もせずにしょぼんとする。
完全に自分の目が節穴だったからだ。
分かりやすく言うなら、私は遠回りかもだけど簡単なルートがあるよと教えてくれる仲間が近くにいるのに、話も聞かずに最短ルートを突き進んでいた。
結果的に断崖絶壁のような人生の壁にぶち当たり、途方もない時間を浪費した。
それだけの時間を掛けて得られた経験則は、簡単なルートを進んだ仲間と同じ位置に立てただけ。夜見治は本当に無意味だった。
だから佐飛さんは「目が曇っている、耳を使え」と称したのだ。
「反省です。私の頑張りは無意味でした」
「ふむ、どうしてそのようなことをおっしゃられるのですかな?」
「え?」
「よく思い返してくださいませ。ライナ様は常人には不可能な道のりを歩みきったのです。その答えが「こっちはとても大変で、とても頑張らなくてはいけない道」と判明したのですから、それは世紀の大発見でございますぞ」
「そう、ですかね?」
「そうでございます。自分と同じ苦難の道を歩める者は、今後誰一人として存在しない。自分は唯一の人間。そうお考えになられるとよいとこの佐飛は思います」
「あはは、私ってば第一人者だ……」
佐飛さんにフォローを入れられて、えへへと照れる。
ちょっと都合のいい解釈かもだけど、頑張ったんだから自信を持っていいんだ。
私という人間がようやく一歩、大人のレディに近づいたのが分かった。
「ともかく、ライナ様は再び始発点にたどり着いたところです。これからですぞ」
「心機一転がんばります」
「いい心がけです。では、師匠として新たな言葉を与えましょう」
「はい!」
「友との交友をさらに深めなされ。ライナ様の身近にいるご学友の方々はとても優秀です。自分にない物を学び、友に無い物を自分が与え、一生の友を得るとよいかと」
「分かりました! もっと仲良くします!」
「遙華様とともに応援しております。では、こちらを」
佐飛さんが懐から取り出したのは、紫の巻物。
ポンと手渡される。
「これは?」
「口寄せの巻物でございます。口寄せの技法を学ばれたと知り、お作り致しました」
「わあ……」
そう言えば佐飛さんって忍者だった……
「これは何が出来るんですか?」
「今は十二月中旬。ライナ様に騎士爵が授けられることが決まったのは九月初旬で、肝心の七光華族会議まであと二ヶ月ほど。それまでに光の国ソレイユに訪れたことがないとあっては、遠井上家の名折れでございます」
「つまり?」
「巻物はただの通行許可証でございます。春休みは光の国ソレイユへ旅行に行きますぞ。異国情緒を楽しみましょう」
「やったー!」
嬉しくてぴょんぴょんと子供っぽく跳ねた。
それではお楽しみに、とその場を去る佐飛さんを見送り、私は元気ルンルンで朝の支度を終え、久しぶりに勢ぞろいした遠井上家の家族みんなで朝食を食べる。
朝の会話は旅行という共通の話題で盛り上がり、とても楽しかった。
「ごちそうさま! 行ってきまーす!」
「いってらっしあーい!」
美味しいロールパンをもぐもぐ頬張る遙華ちゃん、普段と変わらず落ち着いた雰囲気の願叶さん、凪沙さんに見送られて自室に戻り、女学院直通のドアで登校する。
登校に時間がかからないって楽だなぁ。
『あ、僕はここでいいモル』
「分かりました」
ペットケースに入ったままのダント氏を寮の自室に残し、一足で十数万円もするオーダーメイドのローファーを履いて寮を出た。
朝の聖ソレイユ女学院・更衣室棟の廊下は、それぞれの朝のルーティーンを行う女学生で溢れている。
あとそれぞれが付けている香水とか、部屋のいい香りが混ざって鼻がもげそう。
私は頑張って耐えながら廊下の合間を縫うように進み、教室を目指した。
そして到着し、黒髪の美少女――いちごちゃんの姿が見えたので、抱きつく。
「わーいちごちゃーん」
「ふええ!? なになになになになに!?」
「我慢しないことにしました」
「そ、そうなの? 良く分かんないけど、夜見が積極的で嬉しい」
彼女は困惑するも、優しく受け入れてくれた。