第107話 おじさん、中等部一年組に囲まれる
「夜見おひさ~!」
「ああ。いちごちゃ」
「このまま中庭まで来てくださいまし」
「わ、ちょ」
教室に向かう前に、校舎前の中庭まで連れて行かれた。
左右をいちごちゃんとおさげちゃんに挟まれ、頭部をサンデーちゃんに拘束され、ミロちゃんが対面座位で抑える。……なんで対面座位を?
「夜見はん、一週間も休んではったけど大丈夫なん?」
「ええ。ちゃんと元気ですよ」
「高等部の州柿井鶴様から聞きましたわ。一週間と数日ほど前から、色欲の悪魔アスモデウスに取り憑かれているみたいですわね」
「え?」
なんで知ってるんだろう。しかも州柿先輩から?
サンデーちゃんは私の頭に頬ずりしてくる。
すりすり、ふにふに。ミロちゃんは私の胸を揉む。え、なんで?
「その悪魔とは今も連絡を取っていますの?」
「取っては……ないですね。現実に影響する夢?で受肉したあと、リズールさんに預けてからは、特に何も」
「原因が分かりましたわ。これから悪魔祓いの儀式を執り行いますの」
「ええ!?」
ガシッ――
「いちごちゃん、おさげちゃん!?」
二人に両脇を固定され、ミロちゃんには顔を上に固定され、サンデーちゃんは右手に銀十字の刻まれた鉄拳を装備し始めたので、私は混乱してしまう。
「ごめんね夜見。今日まで気づけなくて」
「何がですか!?」
「ああ、夜見はんは知らんと思うから説明するで。物語の悪魔テラー……というか悪魔全般はな、視認した人間の記憶の中に住み着いたあと、三大宗教が聖書で言っとる『原罪』を刺激する出来事に遭遇させて、人間を恐怖させたり、苦しませたりしてエモ力を奪い取るんや」
「それとこの状況にどういう関係が!?」
「もういっこ説明いくで。特に、生まれつきエモ力の多い人とか、対悪魔講習を受けてへん新入り魔法少女とかは、悪魔の格好の餌食やねん」
「それが光の国ソレイユで「エモ力の強奪だ」と大問題になってるってわけよ」
「身にしみるほどよく分かりますけどっ!」
「――ですので、夜見さんの記憶からそういった悪魔たちを排除しますの」
「ひい!」
何度も拳を握って感触を確かめたサンデーちゃん。
次は私の額にゆっくりと、何度も銀十字を当て、拳の射程を調べ始める。
私は恐怖で顔を引きつらせた。
「ダントさん助けて!」
「ちょっと待ってモル、もう少しで今年のスケジュールが完成するモルから」
「肝心なときなのに役に立たない!」
「大丈夫。もう解決したモル」
「え!?」
気がつけば拘束が解かれていて、サンデーちゃんは真っ黒に焦げ付いた聖十字鉄拳を外し、懐から取り出した瓶入りの水をかけ、大量の水蒸気を発生させているところで、ミロちゃんはその鉄拳に、いちごちゃん・おさげちゃんの両名は私に向かって光の国ソレイユの女王様への祈りの言葉を捧げていた。
「hes tas males goldinie, meon maltas」
発声をローマ字にするとこんな感じだった。
外国語の知識は多少あったつもりだけれど、なんて言っているのか分からない。
「よ、よく分からないです……」
「分からなくていいモル。あれはバベルの民の末裔だけが使う祈りの言葉モル」
「バベルの民」
「梢千代市の華族と言えばいいモル? この現実世界でエモーショナルエネルギーに選ばれる人間は、ソレイユに住む賢人たちの末裔なんだモル」
「バベルの民は高貴な血筋だってことだけは分かりました」
詳しく説明されてもこんがらがるだけだし、私も凄い血筋を持ってるんだー、程度に思っておこうか。いや、試しに聞いてみようかな。
「ちなみにバベルの民ってなんですか?」
「聞くモル? 旧約聖書の創世記に登場する「ノアの大洪水」を生き延びた人類で、聖ソレイユ女学院で教師をしている先生たちのことモル。でっかい塔を建てようとしたから神様の怒りを買い、言語が混乱し、散り散りになった、と聖書には記されているモル」
「でも、ダントさんの知る知識では違うんですね」
「僕たちは「性癖を壊され、解釈が合わなくなったから袂を分かった」と聞いているモル。なんでも種族や性別を超えた愛は存在するのか、という議論があって――」
「存在するでしょ? ね、夜見」
「わわ……」
いちごちゃんに抱きつかれ、負けじとふくれっ面のおさげちゃんがくっついてきて、なんらかの儀式を終えたサンデーちゃんが私たちをまとめて抱える。
ミロちゃんはというと、そそくさと教室に戻ってくところだった。
どうやらチャイムが鳴る一分前らしい。行動で分かる。
「皆様。夜見さんから無事に悪魔を払えましたし、教室に戻りますわよ」
「さ、サンデーちゃん」
肩に顎を乗せ、私にウィンクしてくる。
今日の彼女たちはなんというか、とてもボディータッチが多い。
私が一週間ほど学校を休んでいた間に何が起こったんだ。
「あのその、いきなり積極的ですけど……?」
「中等部一年組だけ正しい風紀のあり方が変わったんですの。夜見さんが休んでいる間に、私たちがどれだけ寂しい思いをしたか分かって?」
「それは」
「語るも涙、聞くも涙の辛い一週間やってんで……ぐすっ、うちもな、初めていちごが可哀想に見えたわ……うちと夜見はんの恋、あの世で応援してや、いちご」
「泣いてる!?」
「思い出の中で勝手に死んだことにすんなー!」
「ついでに現実でもじっとしててくれへんか?」
「こいつ――!」
キーンコーン――
「モテモテで大変モルね」
「あはは……はーい、みんなで戻りますよー」
いつものように喧嘩をし始めた二人を左右に侍らせ、一切離れようとしないサンデーちゃんを背負いながら、私は教室に移動した。一限目は……うわ、保健体育だ。
席で待っていると、黒天使の美女――夢で見た方のアスモデウスが入ってくる。
その後ろから申し訳なさそうな顔をした亀聖獣、ゲンさんも付いてきた。
大きく深呼吸した黒髪の堕天使は開口一番にこう言う。
「尊い……むり……死ぬ……」
「せんせー」
「ふぅー……ちょっと待ってくださいね、一番前の子ちゃん……先生が正しい知識を教えますからね……」
「せんせー?」
「あっ、ちょっとむり昇天する……ゲンちゃん引き継いで……」
「分かったカメ。みんなー、ごきげんようカメ。今日もアリス先生に代わって、この私。玄武亀の聖獣ゲンが正しい性知識を伝えるカメ」
「「「はーい!」」」
……どうやらゲンさんが保健体育の授業を受け持つようだ。
アスモデウスは教室端の教卓に座ったかと思うと、両肘をついて顔を伏せ、手をハートマークにしながら真っ白になった。教師とは一体。