第101話-閑話- 前哨基地跡・屋上での一幕
少し時間を遡り、夜見ライナと屋形光子が勝負を始める直前。
C-D部隊駐屯地に三つある巨大建造物の一つ「旧前哨基地」屋上階の縁に腰かけた赤城恵は、催眠・洗脳解除用アイテム「目覚まし酸昆布梅キュア」をマスクの下から口に入れ、後輩に負けた悔しさとともに噛み締めていた。
彼女の隣ではティアラを付けた黒いチェス駒が浮かび、カラカラと音を立てる。
『慢心したなラズライトムーン。後輩の前でカッコつけようとするからだ。私を出し惜しみするからあのように活躍できず、呆気なく負けるのだ』
「うっさい。次は負けないし」
『次は私を出せ。秒で片付けてやろう。カッコよく活躍してやるぞ?』
「いや、中等部の子に本気出すとか大人げなさすぎ。出してもルークまでだよ」
『ハハハ、違いない。それより吸気してエモーショナルエネルギーを回復しろ。あの人は身内だからと容赦はしない。万全に備えておけ』
「はいはい魔王ラズライトムーンさんは注文の多いお方だこと」
今の会話は赤城恵の一人芝居。少しだけ空虚だ。
赤城恵がマスクを外すと、吐息が外気に当てられて白くなり、普通の人よりちょっとだけ長い犬歯があらわになった。彼女は大きく息を吸う。
それが本当のチャームポイントであると同時に、コンプレックスでもあるため、マスクを外した状態で呼吸をすると、開放感で自然とエモ力が回復していくのだ。
「……はあ、マスク外すの恥ずかし~」
二、三回も行えば元の数値に戻るほどの開放感を味わったあと、マスクを付け、バッと立ち上がる。
その勢いを殺さない速さで、彼女の背後に忍び足で近づいていた、舞踏会用の仮面を付けた黒髪の女学生に向かってクイーンを突きつけた。
「チェックメイト」
「――っ、相変わらず人形遊びが好きだな、君は」
「どうしてあの場に出てこなかったの? 生徒会長」
「ハハ、困った。君のマスクの下を見たくなったから、程度の言い訳じゃ許して貰えそうにない」
「ラズライトムーンには正当防衛権を行使する用意がある」
「……分かった。降参しよう」
女学生が仮面を外すと、黒髪が金髪ストレートに変わり、凛々しくも美しい顔立ちの高校生――生徒会長その人になった。しかし彼女に悪びれる様子はない。
「事情が事情でね。あの子――中等部生徒会長の屋形光子くんと、夜見くんを再会させる必要があった」
「どういうこと?」
「潔白の証明、最後の禊だよ。催眠魔法の使い手でもある屋形光子くんは、魔法の性質上、どれだけ頑張っても信頼されない。だから常に嫌われることで「あの人は敵だ」と逆説的に信頼してもらうしかないんだ。……二ヶ月という停学処分を終え、復学する彼女の境遇としては、あまりにも可愛そうだと思わないか」
「まあ確かにそうだね。人権は大事。一理あるけど、どうして夜見ちゃんなの?」
「一番の被害者であり、一番発言力のある中等部一年生だからだ。彼女が語ることで、屋形光子くんは一年生たちに理解される。それに――」
「それに?」
赤城恵が不服そうな顔で尋ねると、生徒会長は困ったように頬を掻いた。
「中等部生徒会の役員たちは、彼女が復学しない限り活動しないようだから。魔法少女試験が来月に迫る今、人員確保は喫緊の課題なんだ。少し強引だが、彼女には夜見くんと仲直りして貰うことにした」
「本当にそれだけ?」
「ああ。それ以外の理由はないんだ」
「ん。そう。分かった」
赤城恵は自分が早とちりしていたと理解し、少しだけ反省する。
越前・ヨクボーン絡みの疑問は残っているが、生徒会長のことだから、おそらく意味のある行動しか起こさないだろうと、長年の付き合いにより分かっている。
ゆえに、事前連絡もなしに単独行動した生徒会長への不満が生まれた。
「会長」
「なんだ?」
「あの子。屋形光子ちゃん。このまま復学したら、また夜見ちゃんを狙って騒動を起こすと思うけど?」
「その時はその時だ。問題が大きくなったら高等部生徒会が出ればいい。本来はそれくらいの関係でいるべきなんだ、私たちと中等部生は」
「……ああ、うん。それは同感。私も少し、中等部の子と関わりすぎてたかも」
ドウ、と膨大なピンク色のエネルギーの放出――夜見ライナの覚醒を見ながら、赤城恵は笑う。彼女は自分が惚れっぽいことを自覚している。
夜見ライナに告白まがいの言動を行ったり、助けようと動いたのは、短期間のうちに深く関わりすぎて、惚れ込んでしまったから。
だから私は敗北したんだと自嘲気味に反省し、ため息をつく。
「私の愛はちょっと重すぎたかも」
「いいや。誰かのために世界を救える人間なら、世界しか救えなかった人間の愛を受け止められる器がある。問題はあのように、救世の器の本質がどういう物なのか無自覚だったことだけだ」
「生徒会長と私だと傷の舐め合いになっちゃうもんね……」
「や、やめたまえ。私は君と肉体関係を持った覚えはない」
「ふふ、ごめん。冗談。それで疑問なんだけど」
「どうした?」
「あの戦い、どの辺で止めに入る?」
「私は好きにした。君も好きにしろ」
「分かった。いい感じのタイミングで助けてくるね」
スパァンッ――
「痛ぁっ!?」
赤城恵は生徒会長のケツを引っ叩いたあと、屋上から飛び降りた。
子供のように相手に向かって舌を出しながら。
「会長の意地悪ー!」
「まったく。だが、彼女が身勝手でいられるのはいいことだ」
少しヒリヒリとするお尻を抑えつつ、
生徒会長は笑顔でマジカルステッキを取り出す。
「……それはそれとして挑発行為と受け取った。生徒会長の称号をその身をもって知れ。――変身」
『魔法少女プリミティブエンプリオ! 正式礼装!』
「きゃー会長に襲われるー!」
黄色いゴスロリ衣装に変身した生徒会長は、屋上から降り、壁を蹴ったかと思うと、稲妻のごとき速さで飛び蹴りを繰り出す。
赤城恵は瞬間移動で回避、次の瞬間には会長の足が地上を蹴り砕いた。
その突然の轟音と振動は、円形広場で競い合う夜見ライナ、屋形光子の両名にも届く。