彼が私を溺愛する理由
こんな小説、書いたことがある。
地球とは違う世界――異世界に転生してしまう話だ。
頭をぶつけたり、熱を出したりして前世を思い出すのが定番である。さて、私はというと。
「前世の記憶しかないんだけど!」
私は鏡の前で叫んだ。
記憶にない容姿。年は十六、七といったところかな。人形のように整った顔をしている。肌もすべすべ。って、そうじゃない。
漫画や小説ではよくある話だ。トラックに引かれて転生したり、突然異世界に召喚されて聖女様になってみたり。もしかして――……
「あ、夢を見ているのかも」
大きな独り言が部屋に響く。声も変わってしまった。可愛らしい声だ。原稿のしすぎで頭おかしくなったのかもしれない。たしか、私は原稿を出して眠ったはず。
よし、これは夢だ。原稿のしすぎで夢を見ているのだ。
小説家の末席を汚して早十年。とうとう夢でも転生してしまうとは思わなかった。折角だから、起きるまで見て回ろう。新作のヒントになるかもしれない。
着ているのは可愛らしいドレス。この人形のようなお嬢様によく似合っている。まだ小説を書き始めたころ、よくヒロインにはレースとフリルがふんだんに使われている可愛らしいドレスを着せていた。十五年くらい前だった。西洋風のファンタジーばかり書いていたことがあった。決まってヒロインは色素が薄くて可愛らしい顔立ちにした。そう、こんな感じで。私好み。さすが夢だわ。
まじまじと愛らしい容姿を確認していると、扉の向こう側から慌ただしい足音が聞こえてきた。
来た。第一村人だわ。
「お嬢様っ! 大変でございます!」
ノックすらされずに開かれた扉。奥から現れたのはお仕着せを着ている女性だった。私が「お嬢様」と呼ばれているということは、彼女は侍女――……といったところかしらね。設定は扉のノックを忘れるおっちょこちょいか、「お嬢様」とは仲が良い。乳兄弟……とか。
夢の中だし、好き勝手してもいいか。
「慌ただしいわね。何が大変なの?」
育ちの良いお嬢様は侍女が騒いでいても落ち着いている……はず。侍女は遠くから走ってきたのか、肩で息をしていた。この屋敷はそれなりの大きさがあるようね。日本の二階建て一軒家で全力疾走しても息を切らすことなんて早々ない。
「大変でございます! 王太子殿下がいらっしゃいました……!」
「王太子……殿下?」
急展開ね。でも、それもよくある展開よ。物語の序盤は事件は起きるものなの。死体が転がったり、異世界に転生したりね。
私の夢ということは、王子はとびきりのイケメンのはずだ。ぜひ顔を拝みたい。でも、夢の中とはいえ、意地汚いと思われるのは嫌だから、最初はしらを切ってみよう。様式美というやつだ。
「あら、お父様にでもご用かしら?」
「お嬢様……驚きのあまり情緒不安定なのですね。旦那様は昨年、亡くなられております」
「そう……、だったわね」
私の夢なんだから、私の言葉に合わせなさいよ……! 融通の利かない夢だ。
父親が亡くなっているのか。よくある不幸なヒロインね。王子様に見初められて幸せになる王道ストーリーには必要な犠牲というわけね。
名前も知らない侍女は困惑気味に私の顔を覗き込む。コホン、と一つ咳払い。
「それで、殿下はどちらに?」
「応接室でお待ちです。……大丈夫ですか? お会いになられますか?」
「ええ、大丈夫よ」
「でも、今更なぜいらっしゃったのでしょうか……」
含みを持たせた言い方をする。これは王子と私のあいだに何かあったというニュアンスだ。たとえば、過去に婚約破棄されたとか?
「――昨年、婚約は白紙になったというのに」
ほらね。
侍女は大きなため息を吐き出した。
昨年ということは父親が亡くなって、婚約が白紙になった線が濃厚だわ。私の中の名探偵がそう言っている。
私もそんな話をWEBで出したことがある。まだ、賞を受賞する前のこと。
でもね、今更会いに来ないと物語は転がらないのよ。王子が会いに来ないと、ヒロインは「結婚も駄目になったし、お父様はなくなったし、あ~不幸~~」と言い続けることになるもの。
「大丈夫よ。きっと、何かあったのでしょう。応接室まで案内して」
侍女は私を見て「お嬢様……」と呟いたあと、涙を流した。どうやらそうとう大変な思いをしてきたようだ。私、ヒロインを不幸にしがちなのよね。さすが、夢。
「会いたかった……」
出会って五秒。私は麗しの王子様に抱きしめられている。五秒しか見ていないけど、確かに美しかった。私の好みドストライクのキラキラ王子様。絵に描いたような王子様オブ王子様と言っても過言ではない。少し癖のある柔らかい金髪。瞳はアイリッシュブルー。甘いマスク。なんだったら、表紙買いすると思う。
彼は私を抱きしめて離さない。でも、抱きしめるより、その美しい顔を見せてほしい。
ぐいぐい胸を押すけれど、びくともしない。見た目は細そうなのに、筋肉はしっかりあると主張されているようだわ。
「あの……! 困ります!」
元婚約者という設定が本当なら、このお嬢様――私は困っていいはず。彼の腕から逃れると一歩二歩と後ろに逃げた。近すぎると緊張してしまう。夢でもイケメンは心臓に悪いのよね。
「忘れたのか? 昨年、約束をしただろう?」
王子は悲しそうに眉尻を下げる。
なぞなぞですか。どんな約束をしたか言ってくれてもいいと思うんだけど。
この様子だと、大切な約束なのだろう。おそらく、お嬢様の父親の死が原因で王子との婚約が白紙。だけど、約束をした。さしずめ、「絶対迎えに行くから待っていて」とかでしょ? でもこれを外すと恥ずかしいな。さっきの「え、お父様は亡くなったでしょ?」みたいな反応されたら、夢でも心に大ダメージ。
適当にごまかそう。
私は、怒ったふりをして背を向ける。こう見えて演技派なのだ。学生のころから仮病は朝飯前だった。
「もう、忘れてしまいました。一年も前のことですもの……」
名づけて、「本当は覚えているわ。けど、一年も経って私はあなたのこと忘れようと努力してきたのよ。今更およしになって。というのは振りだから、取り繕ってちょうだい。アピール!」
すると、背中からぬくもりを感じた。また抱きしめられているのだ。
効果はテキメンだ!
「すまない。君の居場所をつくるのに、随分と時間がかかってしまった」
王子の腕はわずかに震えていた。彼の言葉から察するに、予想通りのようだ。
「もう、君を離さない」
彼は私の耳元で力強く言う。迫真の演技だから、私も付き合おう。一年ぶりの再会だもん。
「殿下……。私もお会いしたかったです」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてくれ。名前で呼んで」
な・ま・え。
またなぞなぞですか。
「なまえ……」
「そう、名前」
いや、その名前を教えてくれないと、わかりません。不親切設計な夢だわ。適当に名づけよう。
「ユ……ユリウス……なんて、どうかしら?」
設定は予想できても名前なんて当てられっこないわ。夢だし、怒られても違っても誰にもバレない。明日、こんな夢見ちゃったとツイートする程度の話だ。
王子は私をくるりと振り向かせると、にこりと笑った。さすがイケメン。スマイルもキラキラ。でも、彼の瞳の奥にどろりとしたものを感じるのだ。ほの暗い何か。
「……やっと、会えた。私の愛しい人」
吐き出される声は甘く優しい。そして、少しだけ苦しそうで。
「あの……ね。ごめんなさい。好き勝手名前を言って」
「いいや、いいんだよ。私の名前はユリウスにしよう」
「しようって。本当の名前があるでしょ?」
「いいや、私にはまだ名前がないんだ」
それは、夢だから?
私の心の声が聞こえたのか、わずかに考えたあと彼は私の頬をつねった。
「いひゃい! 突然なにする……って、痛い?」
「夢ではないよ。私のお姫様」
「夢じゃ、ない? そんな馬鹿な。異世界に転生するのは漫画や小説の主人公くらいよ」
「本当に?」
「だって、転生経験のある人なんて会ったことないし」
本当にいるなら一人や二人、転生経験者が同級生にいてもいいじゃない。私の周りにはいなかった。そんな人いたら、バラエティ番組に引っ張りだこだ。
「でも、ここは現実だよ。私は王太子で、君は元婚約者」
「とりあえず、そういうことで話を進めてもいいけど。名前がないっていうのは?」
「さあ? どうしてだろう?」
「自分のことなのに分からないのね。じゃあ、私の名前は?」
「わからない。君の名前を教えて」
「元婚約者なのに知らないの?」
「君だって、元婚約者なのに私の名前知らないだろう?」
「……って、あなた。これが現実だとして、私のことをおかしいと思わない?」
会いに行った元婚約者が名前も忘れて、なんなら「異世界転生」とか言っているのに、疑問にも思わないとはいかがなものか。
「もしかして――……あなたも転生者、とか?」
可能性はある。
しかし、彼は目を数度瞬かせると楽しそうに笑った。
「いいや、違う。私のお姫さまは面白いね」
彼はひとしきり笑うと、小さく咳払いした。
「この世界はできてすぐに時間が止まってしまったんだ」
「時間が……止まる? どういうこと?」
「私はこの国の王太子として生まれた。名前はまだない」
「名前はまだないって、猫じゃないんだから……」
「君の父上は侯爵で、幼いころから決められた婚約者だった。政略結婚ではあったが、二人は幼いながらに互いに恋をして愛し合った。あとは結婚の日を待つだけ。そんなとき、君の父親が急死した」
「それが昨年のこと?」
「そのとおり。後ろ盾を失った君との結婚はもちろん反対され、結局私たちの婚約は白紙にもどったんだ。君は親の残した財産を切り崩しながら、あの侍女と二人、領地の別荘で静かな暮らしをしている」
「なるほど。それで、さっき言っていた『約束』っていうのは?」
「ああ、あれか。実は私もよく分からないんだ。知っているのは、『約束を果たして迎えに行くこと』だけだよ」
「そんな馬鹿な。自分のことなのに分からないの?」
「自分のことでも分からないことはある。さきほども言った通り、この世界はここで歩みを止めてしまったからね」
王子の静かな声が響いた。彼は思い出したように、「ああ、座ろうか」と言う。ここは応接室で、どっしりとした長椅子が置いてある。
私は王子の提案を受け入れ椅子に座った。彼も座る。
「って、向かいじゃなくて隣なの?」
「婚約者だしね」
「元、でしょう?」
「そうだね。でも、愛し合っている二人なら隣に座るのは当然だよ」
「そういう設定かもしれないけど、私はお嬢様じゃないわ」
長くて綺麗な指が私の頬を撫でた。そして、王子は首を傾げる。
「いいや、君は私の愛するお姫様に間違いない」
「ややこしいかもしれないけど、中身が変わっちゃったのよ。私は日本というところで小説を書いているしがない小説家なの」
「それは、前世の話。今世は私のお姫さまだろう?」
「そんなこと言われても今世の記憶は全くない。だから、多分違うとしか……」
「それで良い。私は中に入っている君を待っていたんだから」
「いやいや。中に入っている私を待っているって、意味が分からないわ」
「分からない? 本当に?」
王子ったら、意味深なことを言う。
結局、話は堂々巡り。とりあえず、行く当てもないんだしという単純な理由で、王宮に行くことになった。
押しの強い王子に根負けしたと言っても過言ではない。
わかったことがある。この世界はあやふやだ。国の名前も人の名前もない。王子にも、私にも。私と一緒に暮していたという侍女にも名前はなかった。侍女に私の名前を尋ねたところ、「お嬢様はお嬢様です」と笑顔で返事されたのだ。
書きかけの小説のような。設定だけのプロットのような世界。
「転生するなら、有名な乙女ゲームのヒロインとかがよかった……!」
お気に入りの乙女ゲームは何作かあったし、神様がいるならそっちの世界に飛ばしてくれたほうが、知識でチートして今頃ブイブイ言わせていたのではなかろうか。
「ねえ、王子はほとんど私と一緒に過ごしているけど、忙しくはないの?」
毎日同じ料理を口に運ぶ。もう一ヶ月。そろそろ飽きてきた。
「私は君を愛でるのが生きがいだから」
一ヶ月もすると、彼の甘さを含んだ笑みにも慣れてきた。最初のころは見ていられなくて耳まで真っ赤になったものだ。皮膚が白くて薄いせいか、すぐに赤くなる。
それを王子が愛おしそうに撫でるまでがセット。
彼の容貌や表情は、早々に心臓発作で別の世界に行くのではないかと思ったくらいに私の好みなのだ。
「愛でるのが生きがいね……。でも、王太子なんだから、色々あるでしょう?」
「王太子といえど、動いているようで止まっている世界だから、隣国が攻めてくることもなければ、天災が起こるわけでもない」
なるほど、つまり暇なわけね。
「本当、ひどい世界。どんな神様が作ったらこんな世界になるのかしら!」
このままひどい世界で生きていける気がしない。抜け出す方法を探すしかないよね。
動かない物語。ただ、愛してくれるだけの、名前もない王子。
「ねえ、王子は疑問に思ったことはないの?」
「なにに?」
「なににって、私……というかこのお嬢様を愛している理由よ」
過去、二人は婚約者だったというけど、そのころの記憶はほとんどないらしい。じゃあ、どうして愛しているの? 不思議で仕方ない。
「私がこの世界がおかしい気づいたのは四千三百八十日前。毎日同じように馬車に乗り、愛している人を迎えに行っていたんだ」
「四千……それって、十年以上前よ」
「そう、でもこの世界にとっては変わらない一日だ。私は年も取っていない」
「気づきながらも同じことを繰り返したの?」
「それしかできなかった。いや、それしか許されなかったからね」
同じことを繰り返すこと十年以上。想像するだけで身震いがする。でも、なんでこの世界は止まっているの? 時間が止まっているってこと?
「もしかして、この世界ってエタってるんじゃ……」
「エタ?」
「ああ、えっと、途中で作者が書くのをやめちゃったというか。うーんと、神様が作っている途中で……なんらかの理由で手を止めているというか……」
ふっわふわの設定といい、エタっているとしか考えられない。
「待って。……私好みの王子とヒロイン。よくある世界観。夢の中だから私好みでもおかしくないと思ったけど」
私の独り言に王子の目が細められる。初めて見る表情だ。どこか嬉しそうな、どこか悲しそうな。
「……ここは、私が作った世界?」
「ああ、やっと気づいた」
王子は頷くわけでもなく、嬉しそうに顔をほころばせる。それが答えだと言わんばかりに。
まだ小説を書き始めたころ、見切り発車でWEBサイトに上げたはいいけどうまくまとめられずに投げ出したことがある。
あれから、私はプロットを用意するようになったんだっけ。
「私があなたをこんなのところに閉じ込めていたの? ……ごめんなさい」
「そうだよ。でも、謝らないで。私の心は今、喜びで支配されているんだ。ようやく愛の言葉を紡げる」
王子の笑みを深める。
なぜ、彼が私を愛しているかって。
それは、私がそう決めたからだ。
彼が私の頬を撫でる。ぬくもりは、人形ではなく人のそれだ。生きている人間。
「責任とって、私と恋愛しよう?」
王子の口角が上がった。
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