夜間飛行
メルはクリスタや傭兵隊の手助けを不要であると告げた。
「わらし、ミケと行く。目立つ、ダメよ…!」
夜闇に紛れての妖精救出作戦だ。
濃紺のメイド服に黒い目出し帽を被ったメルは、西欧人のような逞しい身体つきの大人たちを見回して、『はぁーっ!』とため息を漏らした。
そして目出し帽を頭の上まで引き上げると、『何か文句でもあるか…?』とフレッドを睨んだ。
その顔を見て、フレッドが『プッ!』と吹きだした。
メルは目出し帽から覗く目の周りだけ、炭で黒く塗っていた。
まるでパンダか狸のような顔だった。
「そんな面白い顔で、意気込まれてもなぁー。やっぱり親としては、不安なのよ!」
「おとぉー。いーかげん、しつこいわぁー」
メルが眉を八の字にして、ぼやいた。
「しかし、フレッドの気持ちは分かるぜ!」
「メルちゃんは、とても小さいですからねェー」
ワレンとレアンドロも、フレッドの援護に回った。
「フーッ。おまぁーら、大きいからジャマです」
メルは男たちを指さして言い放った。
皆の心配そうな目つきが、とっても面倒くさかった。
「わらし、ヤネからヨーセイを放つ。そこ、動かん。アンナイは、ミケがすゆ」
メルは屋根の上にて待機。
魔法具の解呪を行なう妖精たちは、ミケ王子に付き従ってヤクザのアジトへと特攻する。
昨夜のうちにミケ王子は、侵入経路をキッチリと調べていた。
作戦は、それだけだった。
非常にシンプルで簡単なのだ。
「オマエさんたち、ヤネェー走れんでしょー?」
ここらの建物は脆い。
造りが粗末で、屋根のスレートは所々ひび割れていた。
逞しい傭兵たちが屋根を走れば、スレートを踏み抜きかねなかった。
「だけど…。おまえ独りで、ヤクザのアジトに行かせるってのもなぁー」
「おとぉーたち、来てもすゆことナシ。でかいと、目立つ。スゲェー、ジャマですね!」
「あたしも、ついて行っちゃダメなのかい…?」
「クィスタも用ないわァー。ここはぁー、どぉーんと…。ちいさいモンに、マカせんかい!」
メルは腹を突きだして、ポンと叩いた。
どう見ても、こだぬきだった。
「にゃぁー!」
メルの頭にしがみついたミケ王子が、『そうだ任せておけ…!』とばかりに鳴いた。
「メルとミケかよ…。子どもの遊びかぁー?俺はぁー。途轍もなく、心配だぁー!」
フレッドが苦悩の叫びを上げたけれど、知ったコトではなかった。
魔法具の破壊を依頼してきたのは、フレッドなのだ。
やり方ぐらい、自由にさせて欲しいものだ。
(初フライトは、夜間飛行かぁー!)
メルは初めての夜遊びに、胸がドキドキだった。
「しかし、メルちゃんよぉー。屋根を移動するったって、通り向こうに渡るときは建物の間が離れているじゃないか…。そこら辺は、どうするつもりなんだい?おれには、実現不可能な計画としか思えないんだが…」
ヨルグは問題となっているヤクザ連中のアジトまで、メルを護衛して行くものだと思っていた。
それなのにメルは、屋根を移動して目的地に向かうと言う。
屋根を移動…?
夜中に建物の屋根を走る、可愛らしい幼児。
どうしてもヨルグの頭に、リアルな絵が思い浮かばなかった。
「おーっ。わらし、まちがった。ヤネのうえ走るは、おまぁーらのハナシ。わらし、飛ぶよ」
「はぁーっ?」
ヨルグが呆れたような顔になった。
メルの妖精打撃群は帝都ウルリッヒで数を増やし、優に六万を超えた。
出発時の二倍にまで、膨れ上がったのだ。
風の妖精が二万を数えるようになり、メルの運搬能力を獲得した。
つまりメルは、空を飛べるようになったのだ。
妖精母艦は空を飛ぶ。
もはや、空中要塞である。
「なあ、メルや。いま、飛ぶって言ったかい…?」
クリスタが訝しげな顔になった。
「うむ…。わらし、おったまげたヨ。ためしたら、ふわふわ浮かんだわ…」
メルは両腕を組んで、得意そうに言った。
「メルさん、飛べるんですか…?精霊の子ともなると、風に乗って空に浮かぶんですね…」
「まあ、アレだねぇー。理屈からすれば、風の妖精に力を借りて空を飛ぶのは、不可能じゃないんだろうけど…。子どもの絵本じゃあるまいし、そんな話は聞いたこともないよ」
クリスタとアーロンは、頻りにウンウンと頷いた。
そもそも六万もの妖精を従える魔法使いなど、何処にも存在しなかった。
魔法の熟練者からしても、精霊の子は非常識だった。
「信じゆモノは、スクわえゆ…」
メルは事務所のまえで、星空を指さした。
「カゼ…」
メルの周囲に、無数の黄色いオーブが舞った。
「天!」
皆が見守る中、メルは夜空に浮き上がった。
グングンと高く…。
「おとぉー、クィスタさま…。わらし…。ちょっくら、行ってくゆデショー!」
メルとミケ王子は、風の妖精にズンズンと運ばれて行った。
〈ヨイショ!ヨイショ!〉
〈ねぇねぇ…。その掛け声、やめようか…〉
〈………。ヨイショ?ヨイショ?〉
〈それしないと、気が済まないのね…。分かった〉
〈ヨイショ♪ヨイショ♪〉
妖精には妖精の都合があった。
どうやら、メルを運ぶのに掛け声が必要らしい。
〈ヨイショ!ヨイショ!よっこらせっ…!〉
風の妖精たちは、メルとミケ王子を胴上げするみたいにして、屋根の上まで移動した。
「オェーッ。これっ…。チョーキョリは、シンドイかも…。わらし、ゲボでそう…!」
「ふにゃぁー」
メルは初フライトで、己の目論見が甘かったコトに気づいた。
ミケ王子も、フラフラになっていた。
荷物のように放り投げられたので、三半規管がヤバかった。
「あたま、クラクラすゆわ…!」
長距離飛行には、きちんとした訓練が欠かせないようだった。
メルはミケ王子に導かれてトテトテと屋根を走り、風の妖精に助けられてピョォーンと通りを飛び越え、コッソリと最初の目的地に到着した。
〈あそこが、ヤクザのアジトだよ…。昨日は、見張りが四人くらい居た〉
〈うーん。見張りは邪魔だよね?〉
〈そりゃあ、邪魔に決まってるでしょ。ボクだって、見つかれば追いかけ回されるよ!〉
〈だったらぁー。見張りには、眠って貰いましょう〉
〈どうやって…?〉
ミケ王子が小首を傾げた。
「セイェー、ショーカン!おいでませぇー。ロォーケンイさま!」
メルは精霊召喚で、懐かしの老賢医を呼びだした。
〈召喚者よ。患者は何処じゃ…?〉
〈ようこそおいで下さいました、老賢医さま〉
メルが目出し帽を捲り上げて、老賢医に挨拶をした。
〈むぅーっ。まぁーた、おまえか…!〉
メルに気づいた老賢医の顔つきが、目に見えて不愉快そうに変わった。
〈そんなぁー。嫌そうにしないでください〉
〈わし…。用事がないなら帰るよ。ちみっ子の相手は、好かんからね!〉
〈お願いがあるんです〉
〈フンッ…。騙されんよ。ミイラの次は、何を助けろって言うんじゃ?こぉーんな屋根の上なんぞに、呼びだしおってからに…。悪ふざけが過ぎるわい…。ジジイを揶揄うにも、程があろう…。それに、子どもは寝る時間じゃ!〉
〈囚われの妖精さんたちを…。何とかして、救いたいんです〉
メルは瞳をウルウルさせながら、老賢医に縋りついた。
〈頼み事は、病人の治療じゃないの…?ちみっ子は、妖精を助けて欲しいのかい…?〉
気の良い精霊は、幼児の願い事を無視できなかった。
〈はい…。わたしのお友だちのお友だちのお友だちが、たぶん悪い連中に捕らえられているんです。アソコの建物です…!〉
〈うーむ。そう言う話なら、手伝ってやりたいが…。わしは医薬の精霊じゃで、病人やケガ人の治療しかできぬ!〉
老賢医は、申し訳なさそうに項垂れた。
〈老賢医さまは、調薬も得意でいらっしゃいますよね…。どうか悪者たちを眠らせちゃってください〉
暫しメルと老賢医は、互いの瞳を見つめ合った。
〈ははぁーっ。左様であるか…。悪党どもを寝かしつけて欲しいんじゃな…?〉
〈はい…。耳元で半鐘が鳴っても、目を覚まさないくらい。ぐっすりと…〉
〈承知した。わしが凄いところをお見せしよう!〉
メルに活躍の機会を与えられた老賢医は、上機嫌で眠りの霧を発生させた。
手術用の麻酔ガスを吸わされたら、何をされたって気づきはしない。
イチコロだ。
老賢医の助けを得たメルとミケ王子は、もう怖いものなしである。
幾ら音を立てようと、月明かりに姿を晒そうと、ヤクザものたちに気づかれる惧れはなくなった。
〈こっちだよ。この先にも部屋があるんだ!〉
ミケ王子が悪党たちのアジトで、妖精打撃群を案内して回る。
〈ヒャッハー〉
〈ぶちかませぇー!〉
〈急いで、仲間を助け出すのです〉
メルの祝福を受けた妖精たちも、隠れる必要がないと分かれば仕事は早い。
次から次へと、発見した魔法具の隷属術式を消去していった。
〈ここは終わったぁー!〉
〈じゃあ、次のアジトへ移動するよ〉
〈おーっ!〉
ここが終われば、別の場所。
そこが終われば、また別の場所へ…。
メルたちは老賢医の力を借りて、妖精たちの救助活動に勤しんだ。
その結果として遊民居住区域にばら撒かれた魔法具は、夜明けを待たずに全て解呪された。