ミッティア魔法王国のエージェント
闇商人ヤニックことヨーゼフ・ヘイム大尉は、帝都ウルリッヒの遊民居住区域を訪れていた。
ミッティア魔法王国から潜入した工作員たちを招集して、今後の指示を与えるためだ。
より多くの魔法具を地元の権力者たちにばら撒いて、武力闘争を激化させることがヤニックの計画だった。
ヤニックたちの活動拠点は、マチアス聖智教会が建てた施療院である。
ミッティア魔法王国を発祥の地とするマチアス聖智教会なので、どれほど慈善活動に力を入れようとも、その中身は推して知るべしだった。
いまヤニックは舞台を整えようとしていた。
ヤニックが手掛けているのは、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵に相応しい、血塗れの舞台だ。
モルゲンシュテルン侯爵がウィルヘルム皇帝陛下からの使者を捕らえ、笑いながら召喚令状を焼き捨てた事実は、やがて生き残りの騎士によって報告されるはずだった。
筋書きは、既に用意してある。
あとはタイミングだった。
モルゲンシュテルン侯爵家がウスベルク帝国に反旗を翻したと知れた時に、足下である帝都ウルリッヒで無視できぬほどの騒動が起きていたら、嘸かしウィルヘルム皇帝陛下は困るだろう。
そこにミッティア魔法王国の大使が軍事的な援助を申し出れば、渡りに船と飛びつくのではないか…?
ウィルヘルム皇帝陛下が援助を拒絶するようであれば、更にモルゲンシュテルン侯爵を後押しすればよいし、受け入れたなら助ける振りをしてウスベルク帝国にミッティア魔法王国軍を常駐させてしまえばよい。
どちらに転んでも、ウスベルク帝国は滅びるだろう。
完全に地上から消え失せるか、もしくはミッティア魔法王国の属国となろう。
そうヤニックは考えた。
「魔法具は相手の懐具合を考えて、適切な値段をつけろ…」
「捨て値で譲り渡しても、構わないってコトですか?」
「まぁ…。なんぞ、こっちの弱みでも握った気にさせておけ…。連中に我々の素性を疑われなければ、タダでくれてやっても構わん!」
「ははぁ~。商会で使い込みがバレそうだから、オレの金策を手伝え!みたいな感じでも良いんですね?」
やさぐれた商人ふうの男が、ヤニックに訊ねた。
もちろん擬態である。
中身は真面目な工作員だった。
「なるほど…。おまえ、頭がいいな。それで行け。あーっ。言っとくけど…。活動資金の使い込みは、許さんからな!」
「ヨーゼフ・ヘイム大尉…。複雑な現場で、難しい事を要求しないでください。スラムの遊民どもを相手にしていると、我々だって公私の区分けなんか付きませんから…」
「そうそう…。連中の遊びに付きあわなきゃ、信用されないし…。本気でなきゃ、直ぐにバレる。活動資金なんざ、湯水のように使うしか無いんです」
「嘆かわしい話である。だが、まあ…。バスティアンにくれてやった魔導甲冑を考えれば、キサマたちの使う活動資金など、小銭でしかないか…?」
ヤニックは、部下たちの意見を認めた。
「それにしても…。モルゲンシュテルン侯爵は、魔導甲冑を何だと思ってるんですかねェー?」
「見目よい貴族娘と交換って…。どんだけ、安く見積もってるんだよ?」
「ふむっ…。愚かなサルに、魔法技術の値打ちを説いても理解できまい…?私とて、色々と面倒くさくなる時はあるのだ。キサマたちは、上官がつけた値段に文句をつけるのかね?」
「うへぇー。大尉殿が、魔導甲冑の値段を決めたのでありますか…?」
ヤニックは鷹揚に頷いた。
「見目よい貴族娘は、ともかくとしてだ…。私が計算した魔導甲冑十体ぶんの値段は、モルゲンシュテルン侯爵家の武装蜂起だった。ところが臆病なバスティアンときたら、まだ帝都に向かおうとしない。見さげ果てた男だ!」
何しろヤニックの役目は、ウスベルク帝国に動乱を引き起こすコトである。
魔法具の売り上げや奴隷の取引など、どうでも良かった。
潜入工作員たちは帝都の治安を悪化させるために、人身売買や麻薬の普及にも励んでいたけれど、そこからの儲けなどない。
ミッティア魔法王国まで運ぶ手間が惜しくて、片端から奴隷たちを海に沈めているような状態だ。
ミッティア魔法王国では、人間の奴隷を必要としなかった。
魔動機が欲しているのは、沢山の妖精だった。
「奴が帝都を襲おうとしないなら、鼻先にエサをぶらさげる。それでもダメなら、ケツを蹴り上げよう…。これは、そう言う話だよ。諸君…!」
「了解しやした、大尉!」
「倉庫にある魔法具は、ぜーんぶ配っておきますぜ。五日もあれば、充分です」
「ついでに、連中の対立も煽っておきましょう!」
「ちっ…。どうせ本国から、オカワリが届くんだろ…?」
「いちいち、愚痴るんじゃねぇ…!オカワリも、ばら撒けば良いんだよ」
大量の魔法具が詰まった木箱を次々と開ける部下たちは、ヤニックに頷いて見せた。
この際である。
帝都ウルリッヒを廃墟にしても構わないと、ヤニックは考えていた。
(フンッ…。精霊に守られし都が、どれほどのモノか見せて貰おうか…。未だ精霊信仰にしがみつく原始人どもめ、身の程を知れ…!)
文明後進国に送り込まれた潜入工作員の恨みが募り、もはやヤニックの怒りは爆発寸前である。
(こんなショボクレタ街は更地にしちまって、区画整備からやり直した方が良いんだよ。てか…。はやく、母国に帰りてェー!)
ヤニックの行き着くところは、いつだって其処である。
だが、これまで積み上げた努力は、無駄にしたくなかった。
どうせ火付けして回るなら、焔は盛大に燃え上がる方が心地よい。
たとえ気が向かない任務であろうと、達成感と言うモノは大事なのだ。
黒煙を上げて燃え盛る、帝都。
魔法具を手に、徒党を組んで暴れまくる遊民ども。
マチアス聖智教会の扇動によって遊民たちは群れを成し、忽ち暴徒と化す。
為す術もなく道端に倒れ伏す、一般市民や帝国貴族たち。
沢山の血が流され、多くの家屋が焼失するだろう。
そして機を得たりと進撃してくる、モルゲンシュテルン侯爵家の軍勢。
行く手を阻む障害は何であろうと叩き潰す、十体の魔導甲冑。
(ようやく絵面が、賑やかになってきたじゃないか…)
阿鼻叫喚の騒乱が、帝都ウルリッヒを呑み込む。
最初の火種は遊民居住区域で縄張りを主張し合う、ヤクザ者たちの抗争から生じる。
ここに魔法具と言う可燃物を加えて、大きな焔に育てる。
ヤクザの全面戦争に巻き込まれて、多数の遊民たちが死ぬだろう。
彼らは常日頃から、横暴な支配者に恨みを抱いている。
強力な武器を与えて、神のご加護があるとマチアス聖智教会の司祭たちが告げれば、間違いなく家族や仲間たちの復讐に立ち上がる筈だ。
そしてヤクザたちを倒した後、彼らの敵意はウスベルク帝国へと向かう。
そうなるように、長い歳月を費やしてマチアス聖智教会が教育してきたのだ。
マチアス聖智教会の熱心な信徒たちは、ミッドタウンからアップタウンへと雪崩れ込むだろう。
己の正義を信じて…。
ヤクザたちは生贄の羊である。
遊民たちの暴力を封じるために取りつけられた、頑丈な蓋なのだ。
いったん蓋が割れたならば、爆発あるのみだった。
遊民たちに帝国騎士団を蹴散らされて狼狽えまくる、ウィルヘルム皇帝陛下と家臣一同。
間近で見物できれば、きっと笑える一幕に違いなかった。
(そこにミッティア魔法王国が軍事介入して、ウスベルク帝国から邪霊の管理権を奪い取る…。うーむ、我ながら素晴らしい計画だ…。些か強引ではあるが、完璧じゃないか!)
全ては屍呪之王を手に入れるための、布石だった。
ヨーゼフ・ヘイム大尉が、故郷へ帰るために打った最良の手筋である。
◇◇◇◇
夜の遊民居住区域は危険に満ちている。
いつ何時、建物の上階から汚物が降り注ぐか分からない。
路面は不潔な汚水でぬかるみ、鼻を衝く饐えた臭いが漂っていた。
腐った生ゴミと屎尿の悪臭である。
「にゃ…?」
前方に人影が倒れていた。
路地裏で鼾をかいて寝ているのは、酔いつぶれた老人だった。
盗人でさえ見向きもしないような、汚らしいボロを纏っていた。
懐を改めるまでもなく、一ペグさえ所持していないだろう。
老人の横を小さな影が走り抜けた。
ネコだ。
ときおり二本脚で立ち上がり、辺りの様子を慎重に窺う。
見るからに挙動不審のネコだった。
主から偵察任務を与えられた妖精猫族の王子さまは、日が暮れた貧民窟の路地裏を油断なく、慎重に進んでいった。
頭上の気配にも、注意を払う。
足元にもだ。
靴も履いていないのに、エンガチョを踏みつけたくなかった。
(ああぁーっ。帝都に詳しいとか、地図が読めるとか…。メルに自慢しなけりゃ良かったよ。何度もしくじって、分かってたはずなのになぁー。どぉーしてボクは、自慢しちゃうんだろう…?)
さっそくの良かった探しである。
妖精猫族の国から旅立って以来、ミケ王子は追い詰められる度に良かった探しを始める。
たくさん見つけても、まったく幸せな気分に浸れない『良かった』だった。
『良かった』の数は、後悔の数に等しかった。
とても切ない、ひとり遊びデアル。
「ふっ…!」
乾いた笑いが、ミケ王子の頬を引きつらせた。
ミケ王子が視線を向けた先に、レンガ造りの傾きかけた建物があった。
(おぉー、イヤだ。とうとう、ヤクザのアジトに到着しちゃったよ。ここに忍び込んで、様子を探るのかぁー。まあ…。忍び込めなければ、『頑張ったけど、出来ませんでした!』で、許してもらえるよね…?)
そう考えながらアジトの壁をちらりと見上げたミケ王子は、鎧戸が壊れている窓に注目した。
なんてことだ…。
アソコから侵入できる。
(………っ、ボクは何をしてるんだ?落ち着きなくキョロキョロするから、余計なものを見つけちゃうんだよ…。これじゃ、内部を調べなけりゃならないじゃん!)
まさに、見なきゃ良かったである。
(まったく、もぉー!)
真面目なミケ王子は、積み上げられた木箱を足掛かりに使って、壊れている窓から建物内部へと潜り込んだ。
朝までに調べなければいけないヤクザのアジトが、まだまだ沢山あるのだ。
一晩で偵察任務を終わらせたければ、幸運と手際の良さが欠かせなかった。
そしてミケ王子は、幸運に恵まれた王子さまだった。
しかも、非常に賢かった。
なので…。
ミケ王子の良かった探しは、夜明けまで続いた。








