フレッドの依頼
その日…。
遊民居住区域のヤクザ事務所で、フレッドは数名の客人を迎えた。
客人と言っても、敵対勢力のカチコミではない。
馴染みの顔である。
「おとぉー。わらし、来たゾォー!」
「おじゃまするよ」
「こんにちはフレッドさん…。そちらの状況は、どうですか?足りない物とかあれば、遠慮なく申しつけてください」
クリスタ、アーロン、そしてメルが、ぞろぞろと事務所のなかに入ってきた。
メルの腕には、ミケ王子が抱かれていた。
「おう…。そっちは、片付いたみたいだな。とんでもない事になるんじゃねぇかと、ビビリながら身構えてたんだけどな…。あっさりと解決しちまって、正直なところ驚いているよ!」
フレッドが複雑そうな顔で、クリスタに言った。
「あーっ。精霊の子が居るからね。メルを授かっていなければ、今ごろ帝都は地獄の如き有様だろうね…。だから言っただろう…。メルは特別なんだよ」
「分かった…。俺なりに理解した。だけど、親として譲れないこともあるからな…。そこは心得ておいてくれよ!」
「あたしも、善処するさ…。あたしだって、何もメルをこき使いたい訳じゃない。できるならアンタたちと、メジエール村で幸せに暮らして貰いたいさ。今回だって、その為にメルの力を借りたんじゃないか…」
「そうだな…。しかし、メルがよぉー。こぉーんな、小さな娘でなけりゃ…。もう少し俺だって、クリスタの話を素直に聞けるんだが…」
フレッドは手慣れた仕草で茶を淹れると、クリスタたちに勧めた。
ヤクザ事務所らしい武張った悪趣味な応接間で、メルが物珍しそうに装飾品を眺めて回っていた。
「それにしても…。おまえらさぁー。人目を憚るってか、もう少し目立たなく出来なかったのかよ?」
フレッドはメイド服のメルを指さして、苦情を述べた。
メルたちは取り合わせが珍妙なだけでなく、完全に遊民居住区域の風景から浮き上がっていた。
三人と一匹は、目立ちまくりだった。
「済まないね。あたしは、そこら辺のセンスが無いんだ。何に身をやつしても、注目されてしまう。これは演技がマズいのかね…?」
「イヤイヤ、そう言う問題じゃなくてさぁ…。妙齢の美女にイケメンエルフが、メイド服の幼児を連れてヤクザ事務所を訪れるとか、世間さまの興味を惹きまくりだろうが…!」
「婆の方が良かったかね?」
フレッドは暫く考えてから、無言で茶を啜った。
「なぁ、フレッド…。婆の方が良かったかね…?」
「あーっ。もう、何だって構わねぇよ。俺が悪かったよ!」
フレッドの見たところ、アホ面さらした我が子が最も場違いだったので、文句を言うだけバカらしくなったのだ。
遊民居住区域は、治安の悪い貧民窟である。
メルのように呑気な顔をした子供は、通りを歩いていない。
しかも仕立てが上等な幼児用メイド服なんて、意味不明な衣装を身に着けている。
(……けっ。無理を言ったって、しょうがねぇか。そもそも…。カワイイってのが、ここらじゃ致命的なんだよな!)
ちょっと目を離したら、悪党どもに速攻で攫われそうな気がした。
「おぉー。カッケェ―」
メルは小さな鎧騎士の像を小脇に抱えて、ソファーに戻った。
棚に飾られていた、カッコ良い鎧騎士の像だ。
棚の空いた場所には、鎧騎士の代わりにミケ王子が飾られていた。
「ニャァ…?」
青銅の置物に負けたような気がして、ミケ王子は少し悲しくなった。
「おとぉー。わらし、先に帰ゆでしょ!」
メルがメジエール村に帰ると、フレッドに伝えた。
「ああっ、村が恋しくなったか…。良く頑張ったな、メル。屍呪之王を解呪するなんて、凄いぞ。滅茶クチャ怖かっただろう?」
「うーむ。ホント言うと、ちびったわ!」
「あははっ…。ちびろうが漏らそうが、やり遂げたんだ。立派だぜ!」
「わらし、もらしてございません!」
メルはフレッドに淹れてもらった茶をフーフーしながら、粗相していないことを強調した。
「そうそう…。わらし…。おとぉーに、タノみある」
「なんだよ、改まって…?」
「これくれ…!」
メルは鎧騎士の像を両手で掲げた。
「おう。持ってけ…!メルが頑張った、ご褒美だ…」
「やったぁー!」
緑青が浮いた古色蒼然たる、青銅製の置物だ。
泥棒市で家具などを買い込んだときに、サービスとして付けさせた品である。
「メルさん、メルさん…。喜んでいないで、わたしの方の用件もお願いします」
「おおっ…?あっ、あーろん。わらし、すっかり忘れとったわ」
「完全に忘れられていることは、分かっていました。平気です。わたしは傷ついたりしていませんから…」
心にもない台詞を口にするアーロンは、寂しそうに微笑んだ。
「だいじょぉーぶ。わらし、思いだすマシタ…。おとぉー。おねがいの、オカワリじゃ!」
「なんだ…?言ってみろ!」
フレッドがメルを促した。
「ここにおる、こいつ…。このエウフに、オイシイを教えたってくらはい」
「アーロンに、美味しい…?」
フレッドはメルにコイツ呼ばわりされた、アーロンを眺めた。
「なんでまた…?」
「拠所ない事情がありまして…。なんとか…。わたくしめに、オイシイを御教授いただきたいのです」
アーロンが、フレッドに頭を下げて頼み込んだ。
「うはぁー。よくわからねぇ話だな…」
「このエウフに、メシ作らせい。そんでもって、メシ食わせい。そぉーいうハナシ、しとぉーヨ」
「ほぉー。そんだけかい?」
「ほんだけじゃ!」
メルは話が通じたと思い、嬉しそうに頷いた。
未だ長文での会話は難しい。
単語と単語を上手く繋げられずに、文意が通じなかったりする。
フレッドだから何とか察して貰えるけれど、アカの他人とは会話が成立しないメルだった。
「それじゃー。俺もメルに、ちょっくら頼みがあるんだ」
「なにかね、おとぉー?」
「おまえ、こういう武器を壊せるんだろ…?」
フレッドが布で包まれた棒状の物体をテーブルに置いた。
布を取り去ると、装飾の派手な剣が姿を現した。
禍々しい雰囲気を纏った剣は、隷属術式で妖精を封じ込めた魔剣だった。
ミッティア魔法王国からの、密輸品である。
「やっちゃってくれないか…?」
「おっ、おぅ…」
メルがイヤそうに、口の端を引きつらせた。
一振りの魔剣を解呪するには、一滴の血だ。
瀉血スキルは使用しない。
メルの身体から、幾つものオーブが立ち昇った。
妖精打撃群のヒャッハーたちが、憎むべき魔法具に気づいて姿を見せたのだ。
〈はぁーっ。キミたち。瀉血はしませんよ…〉
メルが妖精たちに断りを入れた。
そしてデイパックのストレージから、ミスリルの針を取りだした。
〈おまえら、妖精女王さまの祝福はなしだ!〉
〈そうやって、がっつくんじゃねぇよ〉
〈司令官さまが、仲間を救ってくださるんだぞ!〉
〈祝福がなくたって、ありがたいことに変わりねぇ…〉
〈みんなで感謝だ!〉
念話で大騒ぎになった。
〈アリガトォー、僕らの司令官さま!〉
〈アリガトォー、オレたちの女王さま!〉
妖精たちが大合唱だ。
(うはぁー。もうこれって、強制と変わらないじゃん!)
退路は断たれた。
今さら…。
『痛いのが怖いからイヤだ!』とは、言えなかった。
メルは針を手にすると無理やり覚悟を決めて、左手の人差し指をブスッと突いた。
「ウヒィ―!泣くほどぉ、痛いわァー。わらし、痛いの好かんわ」
とは言っても、無駄に失血するよりマシである。
魔剣の解呪くらいなら、一滴の血で充分に事足りる。
メルは血玉を邪悪な魔法紋に垂らし、指先でムイムイと擦った。
妖精たちに苦役を強要していた魔法紋が、薄れていく。
やがて魔剣から、元気のない妖精たちが解き放たれた。
弱々しく明滅する複数のオーブが、そそくさとメルの身体に逃げ込んだ。
〈マジ…。酷い目に遭ったわァー〉
〈悪い魔法使いめ…。このままじゃ、済まされんません!〉
〈なぁなぁ、妖精女王さま…?貴女さまは、妖精女王さまなんでしょ?オイラの仲間も、助けて上げて…〉
〈まだ捕まってる妖精たちが、沢山いるのです〉
〈キミたち、落ち着きたまえ。取り敢えず、黙って休息しようか…。煩くすると、今すぐにブロックするよ!〉
メルは喧しく騒ぎ立てる妖精たちを黙らせた。
たとえ念話でも、ギャーギャー騒がれると疲れるのだ。
だから黙っていられない妖精たちは、ブラックリストに載せてブロックしている。
三万もいると妖精たちの代表者を決めてもらわなければ、まともな話なんて出来やしない。
だから普段は、念話の回線をあらかた遮断してある。
助けたばかりでケアが必要な子たちにだけ、特別にリンクを残しておく。
「ほぉー。そうやって魔法術式を消しちまうのか…。一個ずつ手に取って消さないとダメなのか…?」
「んっ?ちゃうヨ。とぉーくから、たくさん。モンダイなしヨ…!」
「いいねぇー。実に、素晴らしい!」
フレッドが嬉しそうな顔になった。
「なんだいフレッド…。その手の魔法具が、まだあるのかね…?」
クリスタが忌々しそうに顔をしかめた。
「敵対する勢力がよぉー。身分不相応な魔具で、武装してやがる。闇討ちして取り上げてみたら、ご禁制の隷属術式を使った魔剣ときた…。威力がヤバいんだけど、何とかしなきゃならねぇだろ。どうすりゃ被害を少なく抑えられるか、考えあぐねていたところだ」
「ごっちゃり、あるんかい?」
「ある…」
フレッドはうんざりした様子を見せた。
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵とミッティア魔法王国の繋がりは、明白に思えた。
ウィルヘルム皇帝陛下やフーベルト宰相は、ウスベルク帝国を正常化するために嘸かし苦労することだろう。
そしてフレッドたちも、遊民居住区域の掃除を投げだす訳には行かなかった。
「それでメルに確認したのかね?」
「ああっ、そうだよ…。アンタに文句ばかり言っておいて、今さら精霊の子にお願いするのは格好がつかないんだけどな。もしメルが危険でなければ、頭を下げても頼みたい」
フレッドがメルとクリスタに頭を下げた。
「メルー。余計な仕事ができたよ。違法な魔法具を始末するまでは、メジエール村に帰れないよ」
クリスタはメルから青銅製の騎士を取り上げて告げた。
「お役目が終わるまで、これは預かっとくよ」
「えーっ。マジかァー!」
メルが腹立たしそうに吠えた。