メルには難しい
読者の皆さま、コンニチハ。
ちょっとだけ失礼いたします。
今回の話は通貨の設定を解説しているように見えますが、全然そんなことはありません。
メルがウンザリしていく雰囲気だけ、拾ってください。
名称とか単位を記憶する必要はありません。
作者も覚える気がありません。
読者の皆さんもメルの気持ちになって、『分からんわー!』と読み流しましょう。
『めんどいわぁー!』と遠い目になりましょう。
それが正しい読み方です。w
帝都ウルリッヒの観光を前にして、メルはクリスタから簡単な授業を受けた。
帝国通貨を知らないメルに一般教養として最低限の知識を学ばせようと考えたクリスタが、何種類ものコインをテーブルに並べて説明した。
「これらは全て帝国通貨です…」
「うーむ。色々あゆ」
「帝国通貨の単位はペグです」
「ペグなぁ…。わらし、はじめて聞いたわ!」
メジエール村に於ける帝国通貨の理解度は、この程度であった。
「その四角いのは鉄銭。一枚が一ペグ。世間では、板とか、単に銭と呼ばれています。野菜ひとつでイタ五枚と言われたら、その野菜は五ペグです」
「ウンウン…」
メルは小さな鉄の板に刻印された『ペグ』と言う文字を見ながら、クリスタに頷いた。
「こぇ、ゼニ!いちペグです」
「そそっ、良くできました」
「バカにすゆな。そんくらい、分かゆワー!」
「じゃ、これは…?」
「わらし、それ知っとぉーヨ。ドォーカじゃ!」
メルのスペシャルメニューが、銅貨五枚だった。
メルにとって馴染みのある硬貨だ。
「はい…。それは十ペグ銅貨です。麦の穂が刻印されているので、ムギと呼ばれたりもします。銅貨なので、アカと呼ぶ人も多いかな…。鉄銭が十枚で、ムギ一枚になります」
「わらしのリョーリ。五十ペグですかぁー?」
「そうですね…。『酔いどれ亭』のスペシャルメニューは、五十ペグです」
クリスタがニッコリと笑った。
「ドーカ、五マイ…。五十ペグ?」
どうも安すぎる気がした。
前世記憶に照らすと、五十円で個包装のチョコがひと粒。
牛丼定食が、凡そ五百円なり…。
カレーライスが、チョコひと粒と同じ値段。
『ただちに、値上げを断行すべきじゃないか…?』と、メルは考えた。
だがウスベルク帝国の物価を知らずに、商品の価格は決められない。
決められないのだが…。
それにしても、安すぎる気がした。
「その隣にある少し大きいのが、大銅貨。百ペグ銅貨と呼ばれています。表裏に図案が刻印されています。大銅貨には四つの種類があって、それぞれの時代に封印の巫女姫となった人物が描かれています。でも、コインの価値は変わりません。反対側の面には、封印の塔が刻印されています…」
「ほぉー。四人のヒメさま、みんなキレイ…」
「いまメルが言ったように、大銅貨の別名はヒメです。聖女さまと呼ぶ人も、それなりに居ますね」
四種の大銅貨は擦り減るたびに鋳つぶされて、新しく鋳造されているようだった。
なので初代の巫女姫が刻印されていても、コインの状態は他のモノと変わらなかった。
「つぎが小銀貨…」
「わらし、持っとぉーヨ。クィスタさまに、もろぉーたモン♪」
「よく覚えていましたね。お小遣いとしてメルに上げたのが、この小銀貨です…。千ペグ銀貨。ギン。小さなお宝などと、呼ばれています。図案は剣と盾…。落として無くしやすいコインだから、充分に気をつけましょう」
「ムーッ!」
確かに…。
支払いのときに落としたら、探すのが大変そうなコインだった。
無くしてしまったら、カレーライス二十皿分の売り上げがパァーだ。
ガッカリし過ぎて眠れなくなる。
「センセー。グタイ的にぃー。千ペグって、どんなですヨ?」
「そうですねぇ…。一般的な宿屋に、五泊かな…。食事など、諸々のサービスを抜きにして、五泊はできる価値があります」
「ウッはぁー!」
宿泊費が安い。
想像していたのと物価が違う。
メルはスペシャルメニューの値上げを思い止まった。
考えてみればウスベルク帝国は、露骨なまでに近代以前の匂いを漂わせていた。
産業革命以降の消費社会とは、何もかもが違うのだろう。
そのうえ魔法や錬金術が存在する。
錬金術師たちは、無から黄金を産みだしたりしない。
だけど、さまざまな合金を錬成したり、ちょー緻密な魔法具を作成したりしている。
非常に文明レベルが想像しづらい。
正直に白状すれば、訳が分からなかった。
(お店で買ったことないから、本当のところは分かんないけど…。もしかすると魔法具って、メッチャ高価なんじゃないか…?だったら、花丸ショップで購入した方がいいじゃん!帝都のお店なんか、要らないよぉー)
テーブルに並んだコインを見据えるメルの目が、虚ろになった。
コインに対する関心が急速に薄れ、幼児の集中力は閉店休業の札をさげて自室に引きこもった。
この世界で…。
魔法使いや錬金術師たちの労働対価は、どう算定されているのか…。
フレッドのような料理人の技量には、どの程度の価値が見込まれるのか…。
技量と関係のない、力仕事の労賃は…?
価値の尺度は、どう定められているのか…?
精密な時計が存在しないのに、時給はあり得ないだろう。
であるならば、労働賃金は出来高制なのか…?
何ひとつとして分からない。
ウスベルク帝国の経済について学ぼうとしていたメルは、頭が真っ白になった。
熱暴走、オーバーヒートだった。
脳内モニターを『???…』マークが埋め尽くしていく。
(こりゃあ、無理だよ…。ちょっとやそっとじゃ、商品の相場なんて分からないぞ。大量生産のきかない消費財とか、信じらんないくらい高価かも知れないし、人件費とか激安かも知れない…。流通なんて、そもそも概念さえ存在しない気がする。なんてことだぁー。前世記憶との比較に、意味が無いじゃないか…!)
メルは投げた。
お金なんて要らなかった。
幼児は非常識でも、なにも問題がなかった。
クリスタは魂が抜けてしまったメルに気づかず、その後も楽しそうな様子で銀貨と金貨について説明を続けた。
メルは何も覚えていないので…。
以下に、ウスベルク帝国通貨の全容を書き記す。
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貨幣(ウスベルク帝国通貨)
単位ペグ
≪市井で流通している硬貨≫
1ペグ:鉄銭(ペグの記載のみ。通称:板。銭)
10:銅貨(十の数字のみ。裏面に麦の穂。通称:ムギ。アカ)
100:大銅貨(百の数字と封印の巫女姫。裏面に封印の塔。通称:百ペグ銅貨。ヒメ。聖女さま)
1000:小銀貨(千の数字のみ。裏面に剣と盾。通称:千ペグ銀貨。ギン。小さなお宝)
1万:銀貨(数字とボルグハルト魔法博士。裏面に知識の塔。通称:一万ペグ銀貨。魔法使い。爺さん。おじいちゃん)
10万:金貨(数字とエルナンデス大司祭。裏面に精霊宮。通称:帝国金貨。聖者。坊さま。お坊さん)
≪特別な意味を持つ硬貨≫
100万:大金貨(数字とエックハルト神聖皇帝。裏面に二頭のドラゴン。通称:皇帝陛下。ほぼ市場で見かけない。ウスベルク帝国が功労者に与える報奨として、特別に鋳造している。額面を越えた付加価値がある。コインと言うより、既にメダル。持ち歩くには適さない。とてもデカイ!)
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結局クリスタは、硬貨の名称とデザインについてしか語らなかった。
資本や経済と言った観点からすれば、男子高校生に過ぎない樹生の常識がクリスタの知識を二歩、三歩と先行していた。
クリスタの授業でメルが感銘を受けたのは、大銅貨に刻印されたお姫さまが例外なく美人だと言うコトだけだった。
偉い昔の魔法研究家とか、精霊宮の偉大な大司祭さまとか、初代皇帝陛下の名前とか、どぉーでも良かった。
というか脳を洗浄するまでもなく、すべては忘却の彼方へと消え去った。
スッキリである。