タリサ襲来
小さなタリサは、雑貨屋の末娘だった。
九歳になる兄と八歳の姉がいて、タリサは今年で四歳になった。
『妹あつかいなんて、もうコリゴリよ!』と言うのが、タリサの口癖だった。
因みにメルのワンピースは、タリサのおさがりだ。
小さくて着れなくなったワンピースがメルに譲られたことをタリサは聞かされていなかった。
なんならメルの存在でさえ小耳に挟んだ程度で、記憶に残っていない。
幼い子供と言うモノは、対象を目のまえにして漸く理解に至る。
だからタリサは、村の広場に精霊の樹が生えたコトしか知らなかった。
そもそもタリサが住む雑貨屋は、メジエール村の中央広場から少し離れていたし、遊びたければ兄や姉の玩具を借りれば良かった。
近所の大工さんは、タリサがねだれば積み木でも木馬でも、片手間で作ってくれる。
雑貨屋のまえから離れなくても、タリサは退屈せずに済んでいた。
それにメジエール村の中央広場には、見知らぬ大人たちが屯していたりするので、ちょっとだけ苦手だった。
タリサは意志が強そうに見えて、実のところ怖がりである。
そんなタリサが広場に関心を示したのは、精霊の樹に関心を惹かれたからだ。
一夜にしてドーンと生えた精霊の樹を近くで見てみたかった。
なんなら、ガシッと抱きついてみたい。
実に子供らしい思い付きであった。
そして、この思い付きが、タリサとメルを引き合わせる切っ掛けとなった。
タリサは末っ子らしく、甘えるのが得意だった。
それだけに、通せる我儘とダメなモノの見分けがつけられた。
仕事で忙しい両親に、中央広場まで連れて行ってくれとは頼めない。
これは通そうとしても上手くいかない我儘である。
それはタリサにもよく分かっていた。
だったら、兄か姉にねだるのみ。
「トッドお兄ちゃん。あたしを広場に連れてって…」
「タリサは四歳になったんだろ。中央広場くらい、ひとりで行けるよな!」
トッドはナイフで廃材を削りながら、冷たくあしらった。
玩具の木剣を作るのに忙しいらしく、視線を合わせてもくれなかった。
「アレサお姉ちゃん…」
「タリサ、ごめん…。わたし、友だちのお茶会に招かれてるの!」
姉のアレサに頼もうとしたら、お人形を抱いて逃げていった。
所詮、兄だの姉だのと言うモノは、肝心なところで役に立たない。
それでもって、タリサを妹あつかいする。
「お兄ちゃんも、お姉ちゃんも要らない!」
タリサはプーッと頬を膨らませた。
こうした事情があって、タリサは単独でメジエール村の中央広場を目指すことになった。
道順は頭に入っていたけれど、はっきり言って不安だ。
ひとりポッチは怖い。
それでも精霊の樹をガシッと抱きしめてみたかった。
女児の一念、岩をも通す。
黙々と歩き続けたタリサは、ついに広場へ足を踏み入れた。
その時…。
メルは精霊の樹の根元に敷布を広げて、午後の休息を楽しんでいた。
人形とぬいぐるみを横に侍らし、メジエール村の中央広場に棲みついたミケ猫を抱いて、のんびりとお茶を啜っていた。
テーブル代わりの小さな木箱には、お茶請けのツマミが置いてある。
今日は炒り豆でなく、漬かりすぎて酸っぱくなったキャベツだ。
アビーが作った酢漬けである。
メルは酸っぱすぎるピクルスを口に入れて、キューッと悶えるのが好きだった。
暴力的な酸味にドキドキしながら、キャベツを口に含む。
ちびっ子の味覚には凶暴すぎる酸っぱさが、メルを襲う。
「んっ!ん、んーっ!!」
しばし、涙ぐんで身悶えする。
それから、ズズズーッとお茶を啜る。
「うはぁーっ。すっぱ!」
精霊の樹を背景にして、敷布に座る女児が一名。
その周囲には、テーブルに見立てられた木箱と人形たち。
一見して独りママゴトの如く見えるが、メル的に言えば敷布の内側は国家安全保障局だった。
人形は国家安全保障局のドール長官で、ぬいぐるみはラビット副長官だ。
メルとミケの役どころは、レジェンドな敏腕工作員である。
アクション映画で主役を張れるレベルなのだ。
それが何でお茶をしているのか?と言えば、全ては世を欺くための偽装だった。
メルたちは危険なウイルスを撒き散らす、悪いテロリストが居ないか広場を監視していたのだ。
そこに赤毛の女児が現れ…。
ズンズンと国家安全保障局に近づいてきて、ギロリとメルを睨みつけた。
メルと違って本物の女児だった。
他人の妄想遊びなど、お構いなしだ。
(うわぁー。ナニ、この子?)
初めてメルが目にしたタリサは、もの凄い目つきで睨んでいた。
タリサの眼力が凄すぎて気まずくなったメルは、ススッと視線を逸らした。
(めっちゃ睨んでるんですけど…。怒ってる?怒ってるのかな?僕がナニかしたんでしょうか?)
メルは見知らぬ女児に睨まれるような、覚えがなかった。
「あんた、それ。あたしの服だよね!」
「はぁー?」
タリサはメルのワンピースを指差して、言い放った。
「あたしの服を着てるってコトは、あんたが妹だってコトになるのよ」
「ええーっ?」
「あんたはちっさいから、むつかしくて分からないかも知れないけどぉー。そういうオキテなの…。あたしが姉で、あんたは妹。わかったぁー?」
「……はぁ?」
ちっとも分からなかった。
「あたし、タリサ。あんたは…?」
「メル…」
「メルかぁー。覚えやすくて、よい名前ね」
そう言いながら、タリサは靴を脱いでメルの敷布に上がり込んだ。
「あんただけお茶を飲んで、お客さまにはないの…?」
「まって…。取ってくゆ」
タリサに圧倒されたメルは、ミケを置いて立ち上がると『酔いどれ亭』に駆け込んだ。
国家安全保障局が設立されて以来の、緊急事態だった。
お茶を用意したメルが急いで戻ると、タリサが身悶えしていた。
メルに断りもなく、ピクルスを口にしたようだ。
「……なっ、なにコレ?死ぬほど…。スッパイんですけどぉ!」
「………死ぬろ?」
「死なないわよ。勝手に、あたしをコロさないでよ」
「おまいさん。おちゃ、飲め…」
メルは咳込むタリサのまえに、そっとティーカップを差しだした。
ティーポットに残っていた、ぬるめのお茶だ。
「ありがとぉー。おいしい…。生き返るわぁー」
「どーいたまして」
「それを言うなら…。『どぉーいたしまして…』でしょ!」
「いたまして…?」
敷布に座りながら、メルもキャベツを口に入れた。
「あんた。よく、そんなの食べるね。平気なの…?クチ、すっぱくないの…?」
「むぎぃーっ!」
「くっ、苦しんでるじゃん。あんた、バカじゃないの!!」
「んん、んーっ!」
目を丸くして身悶えるメルを見て、タリサは固まった。
タリサの説明によると、メルのワンピースには何やら長い来歴があった。
お尻の擦り切れたワンピースは、歴史ある幼児服だった。
「だからぁー。さいしょに…。カジヤさんのシンセキが、まだ小さかったカジヤのお姉さんに、プレゼントしたワンピースなの…。おかねもちのオジサンが、王都で買ってくれたワンピースだから、キジもしっかりしていてシタテも良いのヨ」
いまは嫁いだ鍛冶屋の娘さんが、かつて親戚から贈られた品らしい。
『いったい何年まえの話なの…?』と、メルは遠い目になった。
その幼児服が村中をクルクルと回って、やがてタリサの姉に譲られ、次いでタリサにさげ渡され、メルのもとにたどり着いた訳だ。
なんとも丈夫で、長持ちなワンピースだった。
しかもメジエール村の女たちを姉妹、姉妹…と、あちらこちらで結び付けている。
「それでね…。この村では、おさがりをもらった子は、くれた子の妹や弟になるのが決まりなの…。わかったぁー?」
「……はい!」
つまりはタリサがメルの姉貴分で、メルがタリサの妹分だった。
ナニが何なのか、メルにもすっきりと理解できた。
「メルは、お姉ちゃんとか妹が居る…?」
「ない」
「じゃあ、お兄ちゃんや弟は…?」
「居ない」
「それはコドクねェー。わかるわぁー。その、さびしいキモチ…。あんた、耳がヘンテコだから、トモダチ出来ないんでしょ」
「はぁ…?」
子供特有の素直さで、タリサはメルの耳を指差してヘンテコと言い切った。
余計なお世話だった。
メルはタリサの発言を不穏当だと思ったけれど、『僕の耳と友だちは関係ないよ!』と反論するだけの会話力が無かった。
「そうだ。あしたから、あたしが遊びに来てあげる!ほらっ、あたし…。あんたの、お姉ちゃんだからね」
「…ほぇ?!」
それは是非とも、やめてもらいたかった。
やめてもらいたかったけれど、うまい具合に断るだけの会話力がメルには無かった。
だから口を半開きにして、黙り込んだ。
まことに遺憾である。
タリサは精霊の樹に抱きつくという当初の目的を忘れ、嫌がるメルをガシッと抱きしめてから帰っていった。
再会を誓って…。
リアル女児、恐るべしデアル。
翌日、タリサの襲撃に怯えながら日課をこなしていたメルは、日暮れ時を迎えるとホッと安堵の息を吐いた。
(暗くなったら、もう遊びに来れないよね…)
所詮、こどもは子供なのだ。
勢いで約束しても、一晩すれば忘れてしまう。
(僕の買い被りだったよ)
前世の記憶を思い起こせば…。
最初は病室まで見舞いに来てくれた友だちも、二週間と経たずに樹生のことを忘れてしまった。
退院してから恨みがましく詰れば、『あははっ。忘れてたヨー!』と軽く笑い飛ばされた。
子供なんてモノは、どんなに約束したって直ぐ忘れてしまうのだ。
そのことをうっかり失念していた自分が、忌々しかった。
(あーっ。バカらしい!これじゃ、タリサが来るのを期待してたみたいじゃん)
実のところメルは、タリサにあげようと思って棒付きキャンディーを用意していたのだ。
花丸ポイントを五ポイント消費して…。
(自分で食べよう…。そんでもって、スッパリと忘れよう!)
メルはタリサとの約束を忘れることにした。
ついでにタリサのことも、忘れてしまおうと思った。
だが…。
それは甘い考えだった。
実に甘々だった。
タリサは自分の妹分を欲していた。
そしてタリサより小さな女児と言えば、近所にメルしか居なかったのだ。
残りは男児か、オシメを着けた赤ん坊だった。