迫りくる危機
帝都ウルリッヒの地下迷宮は、何処までも延々と続く。
中心部に位置する石室に至るまで、通路は幾つもに枝分かれして侵入者を惑わす。
クリスタとアーロンは、正規の道順に沿って地下通路を進んでいた。
だが、それでもかなりの距離を歩かなければ、屍呪之王を封印した石室にはたどり着けない。
平面に描かれた迷路と違い、現実世界は何処であろうと立体だ。
二層、三層、四層と、階段を使って迷路の難易度を上げているために、メルはジワジワ追い詰められていった。
『道順が覚えられない…!』とか言う、高度な問題ではない。
単純に、肉体的な問題である。
「ひぃ…。ツカれたぁー」
普段であれば、抱っこ一択だ。
しかし、困ったことに『メルの戦闘服』は、幼児化のバッドステータスを七十パーセントもカットしてしまう。
そうなると恥ずかしくて、抱っこして欲しいとは口に出せなかった。
アーロンが回復魔法を使ってくれるのだけれど、期待したほどの効果は得られない。
意地を張って、我慢しているだけだ。
(バッドステータス。バッドステータスって…。これまでずっと、悪く捉えてきたけれどさぁー。こうしてみると幼児化のバッドステータスって、メルにとって必要なんじゃないの…?いいや、絶対に必要だと思うよ…!この僕に…)
手足の短い幼児ボディーでは、クリスタとアーロンについて行くのが精一杯だ。
歩調を緩めてもらっても、長距離の移動は小さな身体に応える。
しかも階段を上がって下がって、登ったり、降りたり。
その一段一段が、幼児に優しくなかった。
確りと大人の歩幅だ。
もう足が棒になっていた。
そのうえ先程から、微かな尿意を感じている。
(くっそー。幼児化のバッドステータスに襲われていたときは、平気で用を足せたのに…!)
メルがトンキーと散歩しているときに道の端っこで小用を足せたのは、バッドステータスのお蔭だった。
そんな場所でお尻をだす恥ずかしさより、下穿きを汚さずに済んだ満足感の方が大きかった。
正直に言えば、『ひとりで出来た…!』と自慢したいくらいだった。
それなのに今は、トイレに行きたくても、どうしたら良いのか分からない。
馬鹿みたいだけれど、恥ずかしくて言いだせないのだ。
『わらし、シッコでるヨ!』
そういって、ペロンとカボチャを脱ぎ捨てた自分が、とんでもない勇者に思えた。
(アビーとの入浴が平気になったのも、バッドステータスの効果だったのかぁー!)
何と言うことであろうか…。
メルがメジエール村での生活に馴染めたのは、全てバッドステータスの賜物であった。
樹生であった自我は、幼児化を恥ずかしいと感じて、深く考えるコトもなく避けたがった。
だが幼児化のバッドステータスは、羞恥心自体を無効にしてくれたのだ。
だからこそ、樹生は幼女でいても平気だった。
片言で、思うように意思が通じなくたって、ストレスに苛まれて円形脱毛症に罹ることもなかった。
タリサたちとだって、いい感じに友情を育んでこれた。
アビーやフレッドのことも、大好きになれた。
なにより、生きているのが楽しくなった。
「メルさん、無理をしてはいけません。抱っこしましょう…」
「イヤら!」
男に抱っこされるなんて真っ平ごめんだし、かと言ってクリスタはタワワ過ぎた。
幼児化のバッドステータスがカットされている状態で、女性に抱きついたりしてはいけない。
そんな破廉恥で卑怯なやつは、絶対に許せなかった。
メルは歯を喰いしばって、ズンズンと先へ進んだ。
急がなければならない。
急いで屍呪之王を解呪しなければいけない。
そして完全無欠な幼児に戻るのだ。
さもないと…。
(漏らしちゃうよ…!)
メルは必死だった。
(バッドステータスのカットなんて、要らない。そもそも幼児なんだから、メルが幼稚だって問題ないでしょ…!)
だが、今は駄目だった。
今はまだ、ライトブルーの僧衣を脱ぎ捨てるときではない。
此処から先は、幾度となく死と向き合ってきた樹生のロジックが、どうしても必要だった。
『人は死ぬ。どうせ死ぬ。死ぬときは、どうしようもなく死ぬ…。人は生きている限り、死後のことなど知りようがない。死んでしまえば、死を恐れても意味がない…。だから生者が死を恐れる行為には、詰まるところ意味なんてない。まったくの無駄デアル…!』
最悪の診断結果を聞かされたときや、リスクの高い手術を前に繰り返してきた思索の至るところだ。
屍呪之王を解呪するに当たり、この乱暴とも言える諦観の姿勢が求められていた。
何となれば…。
幼稚なメルが屍呪之王を目にしたら、腰を抜かして逃げだすに決まっていたからだ。
幼児とは生命と活力の結晶であり、何がなんでも生きようとするモノだ。
死の気配を傍に置いて、耐えられるはずがない。
不条理や怪物と対峙するには、恐怖に鈍麻したひねくれ者の魂が必要だった。
己の死を無感動に見据える、酷く老成した自我だ。
それは樹生が大嫌いな自分だった。
樹生のロジックは恐怖を封じるが、全てを虚無に帰す。
ニヒリズムだ。
真に不健康な理屈であった。
だが今…。
樹生が恐怖を封じ込めたロジックは、死中に活を求める行為へと昇華された。
大きくて頑丈そうな鋼鉄の扉が、メルたちの進む地下通路を塞いでいた。
「メル…。ようやっと立ち入り禁止区域に、到着したよ…。ここからは、それほど歩かずに済む。屍呪之王が封じられた石室まで、あと一息さね!」
「疲れたでしょう、メルさん…。少しばかり、休息を取りますか…?」
アーロンが、心配そうな顔でメルを見た。
冗談ではなかった。
時間を無駄にする余裕などなかった。
「わらし…。やすみ、要らんわ!」
砂糖漬けにした精霊樹の実を齧りながら、メルは答えた。
「アーロン。扉を開けておくれ!」
「分かりました…」
アーロンが解錠コードを書き込むと、鋼鉄の扉が重そうな音を立てながら左右に開いた。
壁一面にビッシリと封印の呪文が施された通路は、生贄にされたものたちの怨嗟で満ちていた。
死を受け入れられない犠牲者たちは、壁から手を突きだして呻く。
何かを攫もうとする腕の動きは、怨霊たちの足掻きだ。
メルは目を細めて、薄暗い通路の様子を眺めた。
怨霊たちの痩せ細った腕が、まるで壁から生えた草のように揺れている。
それは、精霊の子による霊視だった。
クリスタとアーロンには、怨霊たちが見えていなかった。
メルとミケ王子が立つ足もとを陰気な風が吹き抜けていく。
それだけで、背筋に悪寒が走った。
〈酷い穢れだよ…!ものすごぉーく、瘴気が濃い〉
〈ミケ王子。鼻は大丈夫…?〉
〈大丈夫な筈がないでしょ。いきなり鼻炎が再発したよ!〉
〈邪魔くさいから、とっとと浄化してしまおう!〉
メルはクリスタから遮蔽術式の魔鉱プレートを渡されていたが、幾ら説明されても使い方を理解できなかった。
何とか使えるようになったと思っても、また直ぐに忘れてしまうのだ。
だから穢れは、浄化してしまうに限った。
「ジョーカ!」
メルは精霊樹の枝を手にして、強力な浄化を放った。
その瞬間、轟音と共に青白い雷光が壁面を走り去った。
これまでに何度も浄化をしてきたが、初めての現象である。
「うわっ…!いったい何をしたんだい、メル…?」
「イカヅチだ…。イカヅチが通路のおくへ、走り去った…」
「ジョーカ、すゆ…。ケガレ、じゃまヨ!」
二発、三発と、メルが浄化を連発する。
立ち入り禁止区域の壁面が、青白い焔を上げた。
「ハァー?あんなに濃かった瘴気が、消えちまったよ」
「メルさんの浄化って…!」
遮蔽術式は不要になった。
クリスタとアーロンの徹夜は、無意味だった。
「頑張って作った、遮蔽術式の魔鉱プレートが…。あっ、あたしの苦労が…」
クリスタは術式プレートを手にして、プルプルと震えた。
「そえっ…。マホォー王のデショ…!」
メルはクリスタの手元を覗き込み、魔法王のサインを指さして言った。
そして、とっとこと通路のおくへ向かって行った。
ミケ王子がメルの横に、ピッタリと寄り添っていた。
妖精打撃群航空部隊が、次々とメルの前方に飛び立っていった。
〈これより妖精打撃群は、要救助者の元へ向かう!〉
〈ラジャー!〉
〈攻撃部隊…。祝福されしモノ、妖精母艦の前方に展開します…〉
〈防衛部隊、回復部隊、予定通り配置につきました!〉
〈ヨロシイ…。障害として立ち塞がるモノは、容赦なく殲滅せよ。あらゆる隷属の魔法術式は、発見次第、速やかに破壊するのだ〉
〈妖精女王。我らに祝福を…〉
〈祝福を与えたまえ!〉
メルが足を止めることなく、精霊樹の枝を高く突き上げた。
「シャケーツ!」
地下通路に、美しい紅い花が咲いた。
四方に散った花弁は、やがて細かな霧となって広がり、宙を舞う数えきれないほどのオーブに紅い輝きを纏わせた。
立ち入り禁止区域に於いて、エーベルヴァイン作戦は佳境を迎えた。
即ち、妖精戦争の始まりである。








