立ち塞がる襲撃者
集中治療室(ICU)の精霊は、メルにオペレーションの成功を確約した。
〈我らは、このまま娘の成長を促す〉
〈目覚めるときには、五、六歳の女児となろう〉
〈ただし…。精霊樹より新たなる肉体を得たので、普通の人ではない〉
〈封印の巫女姫は、精霊樹の加護を授かるだろう〉
〈色を…。精霊樹より、与えられし色を…。その身に、引き継ぐコトとなる!〉
メルはラヴィニア姫がゴブリンのような緑色になったら可哀想だと思ったけれど、赤ん坊を見る限り肌は血色の良いピンク色だった。
緑がかっているのは、ポヤポヤと頭に生えた和毛だけである。
まだ目が開かないので、瞳の色は分からなかった。
(エメラルドグリーンかな…。若葉色かな…?)
メルは愛らしい赤ん坊の世話を集中治療室(ICU)の精霊とユリアーネに託し、ラヴィニア姫の部屋を後にした。
後ろ髪を引かれる思いだけれど、屍呪之王が待っている。
ラヴィニア姫のためにも、ハンテンを救ってあげなければいけない。
クリスタとアーロンが先に立ち、メルの横にミケ王子が付き従った。
〈メル…。ボクもメルの祝福を受けちゃった♪〉
〈ああーっ。ミケ王子も、部屋に居たもんね。精霊たちの、巻き添えにされちゃったね。ところで、わたしの血を浴びると、どんな感じなの…?それって、なんだか気持ち悪くない?〉
〈全然だね…。なんだか、自分がピカピカになった気分!〉
〈ふーん〉
メルには理解不能な妖精たちの嗜好だった。
メルたち一行は、宮廷の精霊宮から地下通路へと降りた。
警備の衛兵は居ない。
クリスタとアーロンが、前もって衛兵たちを下がらせたのだ。
メルの存在を隠すために…。
今もなお、メルは偽装の魔法で人間の女児を装っていた。
その偽装の魔法も、地下迷宮の強力な魔術結界に足を踏み入れたなら、一発で剥ぎ取られてしまう。
「オマエさまの素顔を知る者は、ひとりでも少ない方が良いのです。あたしとしては帝都の貴族どもに、精霊の子が存在するコトさえ隠しておきたい!」
「クリスタさまのお気持ちは分かりますが、それは無理と言うモノでしょう。屍呪之王が解呪されたなら、自然と人々の意識は精霊の子に向かいます」
「アーロン…。あたしは、道理の話などしていません。帝都の貴族どもが嫌いだと、メルに伝えているのです」
「あはーん。わらし、テェート好かんわ。はヨォ、村に帰りたいのぉー」
クリスタは喜び、アーロンが暗い表情になった。
何となれば、この数日でアーロンは和風定食の虜となっていた。
だが、そのお役目上、容易く帝都を離れられない。
メルがメジエール村に帰ってしまえば、カレーうどんも和風定食も食べられなくなってしまう。
美食家エルフとしては、看過することのできない大問題であった。
「メルさん。わたしが頑張って、帝都ウルリッヒを素晴らしい都にします。そうしたら、メルさんの料理店をだしてもらえるでしょうか…?いえいえ…。もちろんお店をだす経費諸々は、わたしが負担いたします」
幼気な女児に、持ちかける話ではなかった。
ではあるモノの長命種のエルフは気が長いので、アーロンの申しでは本気だった。
本気で帝都ウルリッヒをメルの好みに変えようと考えていた。
「イヤら…!」
幼児は短気なので、その返答も簡潔明瞭だった。
アーロンは 鮸膠も無いメルの態度に、酷く落ち込んだ。
魔法ランプで照らされた地下迷宮を進む一行は、前方に人の気配を感じて歩調を緩めた。
三人と一匹の足が止まる。
「警備の衛兵が、残っているのかい?」
「それはあり得ないと思います。用心しましょう!」
「情報が漏れたか…?」
「ウスベルク帝国は、これまで他国と事を構えた経験がありません。だから帝国の上層部なんて、笊の如きありさまです」
「駄々洩れかい?」
『調停者』との繋がりがあるデュクレール商会(帝国情報機関)は機密保持に厳格だったけれど、ウィルヘルム皇帝陛下の周囲が笊だった。
「わたしが先行して、様子を見ましょう!」
「頼むよ。だけど無理をする必要はない。敵であれば、あたしも力を貸そう」
「承知しております」
アーロンがメルたちから離れて、地下通路の先へと向かった。
「キサマら、何者だ?!」
前方で通路が枝分かれする地点に立ち、アーロンが誰何の声を上げた。
右折した先に、何者かが待ち構えていたのだろう。
次の瞬間、紅蓮の炎が巻き上がり、爆音がメルたちの鼓膜を叩いた。
「強力な精霊魔法だね!」
「アーロン…。死ぬろ。死んじゃう…?」
「ばか…。あの程度で、死にゃぁしないよ」
「わらし、怒った!」
メルの身体から、無数のオーブが飛翔した。
どのオーブも紅い光を纏っていた。
メルに祝福された妖精たちである。
このとき妖精打撃群による、エーベルヴァイン作戦が始動した。
妖精たちは妖精母艦の周囲を守るように、素早く展開していった。
その数、凡そ一万。
「アーロン!皇帝陛下の相談役ともあろう者が、だらしない格好だな…」
野太い男の濁声が、地下通路に響いた。
「エルフの分際でウスベルク帝国に喰わせて貰いながら、屍呪之王を消し去ろうなどと言うトチ狂った暴挙が、許されると思うんじゃねぇぞ!」
「わがウスベルク帝国の長きに渡る平和は、屍呪之王あってのもの…。これを退治するなど、もってのほかである」
「この国賊が…!」
「所詮エルフは、エルフでしかないわ…。虫けらのように、殺してくれん!」
地下通路に伏せて魔法攻撃を躱したアーロンが、ゆっくりと身体を起こした。
「モルゲンシュテルン侯爵家の食客ですか…?それとも、スラムのならず者共に雇われたか…?」
「うるさいわ!」
「その訛りからすると、出身はミッティア魔法王国かな…?まさかマチアス聖智教会の僧侶じゃないでしょうね?」
「そのエルフをとっとと黙らせろ…!」
又もや紅蓮の炎が立ち昇った。
「ほぉー。わたしと会話をしたくない。あなた方は、敵ですね。敵と認識してよろしいか…?」
「すかしてんじゃねぇぞ!俺さまの魔剣で、焼きエルフにしてくれるわ」
「エルフに魔法勝負を挑むとは、バカですね!」
アーロンはリングで束ねられた魔鉱プレートを手に滑らせた。
そして目で確認することもせずに、複数の魔法術式を起動させる。
次々と光を放つ魔法陣が現れて、アーロンの守りを堅くしていく。
「どうやらミッティア魔法王国から密輸された魔法武具をお持ちのようだが、あなた方に使いこなせるとは思えませんね」
言いながらアーロンが、数発の雷撃を放った。
「ウギャァー!」
「ちくしょー。盾の魔法防御が破られた!」
魔法防御が破られたのではない。
盾の守りと関係なく、雷撃で感電しただけだ。
然して殺傷力の高くない攻撃だが、襲撃者たちを狼狽えさせるには充分な威嚇となった。
そしてアーロンの攻撃とは別に、メルの航空部隊が襲撃者たちに襲い掛かる。
いきり立った妖精たちのターゲットは、ミッティア魔法王国で作られた魔法具だった。
隷属魔法の術式によって封じ込められた妖精たちを救出すべく、メルの血で祝福された妖精たちが魔法具に特攻をかける。
忽ちのうちに魔法術式を破壊された魔法具から、封印されて怒り狂った妖精たちが解放された。
ただでさえ沸点の低い火の妖精たちである。
解放された途端、自分たちを酷使してきた所有者に怒りの攻撃を浴びせた。
「うぉーっ。これ、メルさんですか?」
アーロンの見ているまえで、襲撃者たちを弄るように焔が舞い踊る。
「ヒギャァー!」
「あちぃ…。あちっ!魔剣が、ぶっ壊れやがった!」
「やめろぉー。なんでオレに火をつけやがる?」
「助けてくれぇー」
阿鼻叫喚の地獄絵図である。
恐ろしい有様だった。
「メルさん…。生かしておかないと、取り調べができなくなります。お願いですから、妖精たちを止めてください」
怒り狂った妖精たちを止めろと…。
そんな真似は、メルに出来るはずもなかった。
「メル…。この妖精たちは、いったい何だい?」
「んーっ。わらし、知らんヨ!」
妖精打撃群司令官は、責任回避をせんと頬かむりを決め込んだ。