覚醒する女児
『魔法王』を召喚した翌日になって、メルたち一行は封印の塔を訪れることになった。
メルが夢の中で会ったラヴィニアは、キュートで可憐なお姫さまだった。
だが現実に封印の塔で眠るラヴィニア姫は、三百年物のヴィンテージである。
エルフではなく人間だ。
人間の三百年物は、たぶんカピカピに乾涸びている。
メルの仕事は木乃伊となったラヴィニア姫をちゃんとした人間に戻すコトだった。
実に簡単な話である。
カップ麺なら、お湯を注いで三分間待つだけだ。
メルには勝算があった。
欠片も負ける気がしなかった。
メルの精霊召喚は、完璧な筈だった。
だが…。
木乃伊はダメだ。
ガジガジ虫と並んで人間の死体とか、普通に怖い。
ホンモノとか勘弁して欲しい。
だって、幼児なのだから仕方がないのだ。
ラヴィニア姫は生きているし、怖いのは外見の問題でしかない。
木乃伊がイヤなら、まじまじと見なければよろしい。
そんなことは分かっている。
メルだって、分かってはいるのだ。
可哀想なラヴィニア姫は、助けてあげなければいけない。
本心から、助けてあげたいと思っている。
それなのに、胃の辺りがじんわりと冷たくなるのは何故ですか…?
「なぁなぁ、クイスタさま。わらし、いきとぉーないヨ」
「今さら何を…。さっきまで頑張るって、言ってたよね…?」
「わらし…。おなか、イタイかな…?」
「かな?じゃないでしょ…。勇気をだして、ラヴィニア姫を助けてあげましょうね。さあさあ…。もたもたしないで、とっとと歩く…!日が暮れたら、もぉーっと怖くなるよ」
「あぅー!」
メルはクリスタに手を引かれて、厭々ホラーな現場へと向かうのだった。
忌み地である封印の塔は、エーベルヴァイン城の建築群から切り離されて存在した。
塔の周囲は穢れを浄化すると言われるバルマの樹で囲われ、用事がない限り近づく人もいない。
イタズラ者たちが怖いもの見たさや好奇心に駆られて近寄れるような、気軽な場所ではなかった。
立ち込める瘴気の濃度が、余りにも高すぎるのだ。
その酷さは、霊障が生じるレベルにあった。
だが、そんな忌み地なのに、今日は空気が澄んでいた。
清浄だ…。
「おかしいですね…。普段なら、この辺りで鼻が痛くなる筈なのに…。瘴気が薄まっているのでしょうか?」
「なるほど…。メルの浄化が、効果を上げているようです。エーベルヴァイン城に到着してから、ずっと浄化を繰り返していましたからね!」
「うーむ。メルさんが可愛らしいので、ついつい忘れてしまいますけど、本当に素晴らしい力をお持ちですね!」
アーロンは感心したようにメルを見つめた。
そのメルは未だにクリスタの束縛から逃れようと、悪あがきをしていた。
しかし、ギュッと握られたクリスタの手から、自分の小さな手を引き抜くことができなかった。
横をついて歩くミケ王子は、メルから顔を逸らして素知らぬふりだ。
「みぃーら、イヤよぉー!」
メルが大きな声で訴えた。
情けない事に、ポロポロと涙を流している。
アーロンもまたミケ王子と同じように、駄々を捏ねるメルから視線を逸らした。
クリスタはメルの正面にしゃがみ込んで、優しく諭すように話しかけた。
「いいかいメル。オマエさまが怖がっているのは、ラヴィニア姫の姿なんかじゃない。世間から捨て置かれて、無情にも忘れ去られたものが怖いのさ」
「そうなの…?」
「あたしには、そういった捩じれを感じ取る才能があるんだ。オマエさまは、ラヴィニア姫を助けたいと思っている。それが本心だよ。だから此処で逃げだせば、もっともっと怖くなってしまうよ」
「………うっ!」
メルは考えた。
何が怖くて、嫌なのかを考えた。
「どうしてオマエさまがラヴィニア姫に自己投影したのか、あたしには分からない。けどね…。これだけは言っておく。メルは捨てられたりしないよ。オマエさまには、フレッドやアビーがいる。メジエール村の連中だって、メルが大好きだ。妖精たちは、みーんなメルの味方だ…」
「うん…」
「ラヴィニアには、とっても味方が少ない。だから、オマエさまが助けてあげるんだろ…?」
「うん」
「だったら、泣いてちゃダメじゃないか!」
その通りだった。
メルが封印の塔に行きたくなかったのは、病院での孤独な経験があるからだった。
自分だけが、家族の負担となっている悔しさ。
皆から取り残されていく寂しさ。
忘れられてしまう悲しさ。
『いずれは、捨てられてしまうだろう…!』と、いつも恐れていた。
ラヴィニア姫の状況は、あの頃の自分よりずっと酷かった。
そのような場面を直視するのが、イヤだった。
(だけど夢の中で、ラヴィニア姫は助けを求めていた。きちんと言葉で確認しなかったけれど、僕には分かる。僕はラヴィニア姫を捨てた連中が、許せなかった…。その結果として、変わり果てたラヴィニア姫を直視するのが怖かった…?)
メルが寄り添うべきはラヴィニア姫だった。
無情にもラヴィニア姫を捨て去った連中ではない。
そいつらのあり様を否定しないから、ラヴィニア姫が怪物になる。
メルはラヴィニア姫を捨てた連中が許せないと思いながらも、仕方のない事だと許容してしまった。
激しい恐怖は、その反動だった。
(僕は無意識のうちに、自分自身の恨みをラヴィニア姫の中に読み込んでいたんだ…)
メルは己の心理に気づいて、呆然とした。
突き詰めてみれば、自分の影(憤怒)に怯えていたのだ。
『役立たずは切り捨てるべき…!』という冷酷な考え方が、いつの間にかメルの心を侵食していた。
それは過去世の価値観やウスベルク帝国の態度に影響された、救いのない解釈だった。
(焼却炉の煙突みたいな、封印の塔がいけないんだヨ。ラヴィニア姫は、生ゴミなんかじゃない…!)
メルは涙を拭って立ち上がった。
早く用事を済ませて、メジエール村に帰りたかった。
タリサたちと遊び、トンキーと転げまわり、アビーと畑いじりがしたい。
サツマイモをたくさん育てるんだ。
帝都は精霊の子に相応しくなかった。
ちっとも楽しくない。
「いいかいメル。オマエさまは、妖精たちを助けてあげたように、ラヴィニア姫を助けるんだ。それが翻って、オマエさま自身の救済に繋がるよ…」
「わらし、わかった!」
メルは十全に己の内面を把握した。
前世から、心に巣食っていた闇が払われた。
そこには生を賛美したいと言う、シンプルな欲望が隠されていた。
(僕は生きているコトを喜びたかった…。みんなも、そうあって欲しいと願う…!)
このときメルは…。
ようやく精霊の子として、生まれ直したのだ。
「わらし、わかった…」
デイパックから、メルが精霊樹の枝を取りだした。
何のために枝を持たされたのか、その枝が何であるのか、今ならメルにも理解できた。
「サイセェーのエダ!」
帝都で救うべきは、ラヴィニア姫だけじゃなかった。
既に死んでしまったが、封印の巫女姫は何人もいた。
それだけでなく、生贄に捧げられた数えきれないほどの人たちが、屍呪之王と共に封印されている。
「すべて、助けゆ…!」
メルは青空に向かって、精霊樹の枝を突き上げた。