精霊召喚
クリスタとアーロンの二人は、心身ともに疲れ切っていた。
平気なふうを装っていたクリスタも、かなりの霊力を地下迷宮で消費してしまった。
だが…。
『調停者』である以上は、軽々しく弱音を吐けない。
だから霊的なダメージがあっても、寝食を犠牲にして遮蔽術式の改良に取り組んだ。
何としてもメルの安全を守って、中央石室まで案内しなければいけない。
屍呪之王を生みだした魔法術式は、精霊の子でなければ解呪できないのだ。
そのためには、遮蔽術式を強化する必要があった。
下調べのために降りた地下迷宮には、想像を超える濃度の呪素が充満していた。
状況は、非常に悪かった。
封印の巫女姫は、屍呪之王が発生させる呪詛を無力化させるために用意された、強力な浄化装置である。
それが正常に機能していなかった。
ラヴィニア姫は、本当に限界なのだ。
時間が経つほど、事態は悪化するに決まっていた。
一日たりとも、無駄には出来なかった。
けれど、クリスタとアーロンは爆睡してしまった。
グーグーと鼾をかきながら寝ている。
おそらくは精霊樹の実で作られたジャムが、睡眠導入剤の役目を果たしたのだろう。
身体が休息を必要としていた、明白な証拠である。
「ケンコー、ケンコー♪」
健康オタクのメルは自作の『健康ソング』を口ずさみながら、クリスタとアーロンに毛布を掛けてやった。
エルフの魔法使いたちが作業していたテーブルには、未完成の術式プレートが放置されていた。
メルが見ても、何がなんだか全く分からない。
二人は眠り続けているが、目を覚ましたら大変な騒ぎになりそうだった。
昨夕から、『寝ている時間などない!』と目を血走らせて、術式プレートの記述作業に没頭していたのだ。
自分たちが、ぐっすりと眠ってしまったことに気づいたら…。
クリスタは、とんでもなく不機嫌になりそうだ。
遅ればせながら、その可能性に気づいたメルは顔をしかめた。
「そえは、いやらぁー!」
苛々しているクリスタは、ちょっと怖い。
ちいさな幼児は、怒っている保護者が苦手だった。
「わらし、こまった…!」
メルは腕組みして、ウーンと考え込んだ。
「あーっ。わらし、ひらめきましたヨ…」
メルの顔がペカッと輝いた。
クリスタは遮蔽術式の改良を急いで、鬼女みたいな目つきになっていた。
であるなら、クリスタの心を悩ませる問題が消えてしまえば、ご機嫌に戻るでしょう。
もしかすると、すごく喜んでくれるかもしれない。
幼児の思考はシンプルでストレートだ。
幼児化したメルもまた、モチャモチャと思考を弄んだりしない。
(二人が起きる前に、術式プレートを完成させてしまおう…!)
何も自分でやる必要はなかった。
メルはウスベルク帝国公用語の手紙でさえ、満足に書けないのだ。
難しい魔法術式を精霊文字で記述するなんて、試すまでもなく不可能だった。
(魔法の記述は精霊文字でされているのだから、偉い精霊さまに何とかして貰うでしょ…!)
都合の良い事に、未完成の魔鉱プレートはテーブルに置いてあった。
「ジッケン、すゆ…」
精霊召喚(中級)だ。
ぶっつけ本番なんて絶対にやりたくないと思っていたが、用事もないのに精霊を召喚しては申し訳ない。
精霊召喚(初級)を使って、呼びつける度に往還した老賢医の精霊は、すっかりしょげ返っていた。
メルがプライドを傷つけてしまったのだ。
そんな理由から精霊召喚(中級)の使用を躊躇してきたのだが、いま頼みごとができた。
クリスタとアーロンのために、遮蔽魔法の術式プレートを完成させるのだ。
「セイェー、ショーカン!おいでませぇー。マホォー王!」
メルは精霊召喚(中級)を使った。
ミケ王子もメルの隣にチョコンと座って、精霊が現れるのを待っていた。
妖精猫族のミケ王子は、ネコ並みに好奇心が旺盛だった。
〈わぁー。召喚魔法も中級になると、霊力の勢いが凄いや…!〉
召喚魔法で生じる眩い光の柱が、沢山のオーブを吸い寄せていく。
〈メル…。なんだか、集まってくるオーブがミドリだねェー〉
〈ウンウン…。緑だと、地の妖精さん…?〉
〈そそっ…。緑は、土属性です〉
『魔法王』を構成するオーブが殆ど緑色なのは、主として地の妖精が集まっているからだった。
知識と合理性が強化された、土属性の精霊である。
光の周囲を舞っていた緑のオーブが凝集して、あっという間に実体化した。
「ふぉーっ。『魔法王』きたぁー!」
メルの霊力を三割ほど吸い上げて、『魔法王』が降臨した。
新規の精霊創造であれば、霊力の半分以上が持って行かれてしまう。
それが三割程度で済んだということは、どうやら既に存在する精霊のようだった。
〈ほぉー。何処の召喚師に呼ばれたのかと思えば、おまえは新しい妖精女王ではないか…!〉
魔法王はメルを見て、少しばかり驚いたような顔をした。
〈魔法王さま…。よくぞ、お越しくださいました〉
メルはぺこりと頭を下げた。
〈初めまして、魔法王さま…。ボクは、ミケと呼ばれています。妖精女王さまの家来です〉
その隣で、ミケ王子も頭を下げた。
〈そちらは、妖精猫族の王子さまじゃな…〉
〈はい…。なんかもう王子と言うか、ノラなんですけどね…〉
ミケ王子が照れくさそうに顔を伏せた。
〈ふむふむ。小さいのに、お行儀が良いのぉー。して、お願いはなんじゃ…?〉
魔法王の外見は、よくファンタジー作品で見る魔法使いそのものである。
灰色の長衣を着た背の高い老人で、長いひげと鍔広の三角帽子が実に似合っていた。
『魔法王が魔法学院の校長先生をしていても、僕は驚かないぞ…!』と、メルは思った。
〈さあ…。遠慮せずに、頼みごとを言うがよい〉
メルの頭を優しく撫でながら、魔法王が促した。
〈これなんですけど…。わたしには、精霊文字が読めないんです。魔法王さま、お願いです。どうか疲れ切ってしまった二人のために、この魔法を完成させてください〉
メルは未完成の術式プレートを魔法王に突きだした。
頭を下げて、『お願いします』のポーズだ。
〈なるほど、可愛らしい妖精女王の頼みごとは理解した。では早速、その術式プレートを見せておくれ…〉
魔法王はメルから金属のカードを取り上げ、メガネの焦点を合わせながらジッと魔法術式を眺めた。
口もとに、笑みが浮かんでいた。
見るからに嬉しそうである。
〈ううーむ。なかなかに素晴らしい。良く工夫された遮蔽術式じゃ。こうした高位魔法の術式は、ただ眺めているだけでも楽しくなるわい…。できれば、完成するまで待ちたいのぉー。完成してから、改めて見てみたいのぉー〉
〈あのですねぇ、魔法王さま…。申し訳ありませんが、かなり急ぎなんです…。どうか魔法王さまのお力で、シュパーン!と完成させちゃって貰えませんか?〉
〈どうしても…?〉
〈どうしても…!〉
魔法王は、とても残念そうに溜息を吐くと、テーブルに置いてあった新しい魔鉱プレートを手に取り、カリカリと精霊文字を刻んでいった。
〈エエーッ!新しいのを作るんですか?〉
〈あーっ。そっちの二枚は、完成しても使えんからのぉ。途中で数か所ほど、依頼すべき妖精の属性を取り違えておるのじゃ…。こういうのは自分で気づくのが、大切なんじゃがなぁー〉
〈………くっ!〉
この魔法教師は、生徒に間違えさせて学ばせるスタイルのようだった。
〈ふむっ。折角じゃから、二人の作品を添削しておいてやろう…♪〉
〈あぅあぅ…〉
しかも熱血教師のように、自己顕示欲が強かった。
教わるべき生徒は、二人とも熟睡していた。
目を覚ましたクリスタは、日が沈みかけていることを知って慌てふためいた。
そして遮蔽術式の魔鉱プレートを手に取り、黙り込んだ。
「…………………?!」
メルが横目でチラ見すると、こめかみに青筋が浮いていた。
すごい迫力である。
(コワァー!)
良かれと思ってしたことが、予定外の結果を招いてしまった。
「どういうことですか…。いつのまにやら、完璧な魔法術式が…。クリスタさまが、完成させて下さったのですか?」
「アタシじゃないよ!」
「メルさん。わたしたちが寝ている間に、なにがあったんですか?」
アーロンがメルに説明を求めた。
「んーっ。こびとさんがぁー。やった!」
メルは視線を逸らせて、思いついたでまかせを口にした。
「プレートのスミに、魔法王と署名されておるわ…!そのうえ…。ご丁寧にも、間違った箇所まで指摘しおって…。『もうすこし、頑張りましょう…』って、どういう意味じゃ!」
クリスタの口調には、プライドを傷つけられた怒りが滲んでいた。
「わたしは三角マークで、四十点です。魔法王って、あの魔法史に記載されている偉大な精霊でしょうか…?」
「メルが精霊召喚を覚えたんだよ。えべう上げがどうとか言ってたし、御大を呼びつけたんじゃないかい?」
「クリスタさまは、何点を貰いました?」
「勝手に見るんじゃないよ!」
平和を望んでいたのに、とんでもない騒ぎになってしまった。
メルはベッドの陰に縮こまり、ミケ王子と抱き合ってプルプル震えた。