変装するのです
魔導甲冑の有用性を確認したバスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は喜色満面であったが、そのまま帝都ウルリッヒに攻め込むような愚を犯さなかった。
「帝位を奪うのであれば、時間を味方につけねばなるまい…!」
バスティアンは支持者を必要としていた。
帝国でクーデターを起こし、ウィルヘルムに恭順する家臣たちを一人残らず始末しても、バスティアンが皇帝の座に就くことは叶わない。
無理を押せば、寝首を掻かれるのがおちだ。
「先ずは…。ヤニックの尻を蹴り上げて、可能な限り沢山の魔導甲冑を用意させなければな…!」
帝都ウルリッヒには屍呪之王がいる。
封印の巫女姫は、もう限界だと小耳に挟んだ。
石室の封呪を書き換えるには、多くの贄を用意せねばなるまい。
モルゲンシュテルン侯爵家が管理しているスラムから、数千、いや万に届く生贄を石室に運び込む必要がある。
その時には嫌も応もなく、バスティアンの協力が必要となるのだ。
「ふんっ…!今更、わたしの罪を問うとは…。余裕の無さを自ら明かしたようなものではないか…。よりにもよって、力尽くとはなぁー。それは悪手だよ、ウィルヘルム…」
バスティアンは封印の巫女姫を交代させるときに、祖先が手にした以上の利権を要求するつもりでいた。
ウスベルク帝国に於けるモルゲンシュテルン家の栄達は、スラムの住民たちを生贄にすることでしか得られなかった。
だから事情を知る貴族たちから『死神侯爵』と言う、有難くない仇名を頂戴している。
「いったい誰のおかげで、安泰な日々を暮らせると思っているのか…?」
汚れ仕事を皇帝から押しつけられたと考えるバスティアンは、ウスベルク帝国の貴族たちを憎んでいた。
その筆頭が皇帝であるウィルヘルムと、皇族の特権に胡坐をかく血縁者たちだ。
(己の手を汚さぬ特権階級者どもめが…。キサマらの子供や嫁も、人柱にしてくれるわ!)
ただひたすらに権力を求め、弱者を支配して踏みにじることだけが、バスティアンの荒んだ心に癒しをもたらす。
バスティアンが知る限り、先代当主や先々代も同様の苛烈さを滲ませていた。
バスティアンの死神を想起させる冷酷非道さは、モルゲンシュテルン家が人を殺し過ぎたせいで根付いた禍々しい呪いだ。
どれほど秀でた祓魔師であろうと、血脈血統に融合した魔性を取り除くことは出来ない。
「さてと…。召喚令状を無視され、騎士隊を潰された皇帝陛下は、どうなさるおつもりかね…?封印の巫女姫が消滅するまでに、わたしを屈服させられるのかな。ウィルヘルムよ…。貴様の残り時間は、とんでもなく短いのだろう…?」
自室で寛ぐバスティアンは、琥珀色の蒸留酒を楽しみながら薄笑いを浮かべた。
自嘲ともとれる笑みには、世界を破滅寸前にまで導いた愚かな先人たちへの憐れみが含まれていた。
それと同時に、己に向けられた憐れみでもある。
バスティアンとウィルヘルムは用意された天秤に、あれやこれやを積み上げている。
そのあれやこれやに混ざって、片方の皿には狂屍鬼で溢れる絶望の未来が載せられていた。
「ひとは愚かだ…」
そう呟くバスティアンの思考に、罪の意識や自己犠牲の選択肢など存在しない。
そこには、絶対的な力への飽くなき渇望だけがあった。
モルゲンシュテルン家の当主たちが封印の巫女姫を憐れむことは、ウスベルク帝国の建国以来、一度としてなかった。
「ふんっ…。自己犠牲など、酔っぱらいの戯言に過ぎん!言うなれば、敗者の醜悪なる自慰行為だな…」
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は、世界を破滅に導くチキンレースに踏み切った。
確固たる勝者となるために、自領での籠城を決意したのだ。
時間が経つほど、ウィルヘルムに恭順する家臣たちは皇帝陛下の権力に疑いを抱くだろう。
そうなれば、どちらにつくのが得であるのか悩みだす貴族も現れる。
時間の経過は、バスティアンに味方するはずだった。
豊穣な耕作地帯とミッティア魔法王国に通ずる海路を擁したモルゲンシュテルン侯爵領であれば、待ちに徹するのは有効な手段だと言えた。
だが…。
その選択は、古き精霊との約定に反するモノであった。
バスティアンの行動によって、モルゲンシュテルン侯爵家は『調停者』による庇護を失った。
◇◇◇◇
森の魔女はシオレックの街で安宿を取ると、メルを引き連れて借りた部屋に向かった。
勾配の急な階段は、メルが登るだけでギシギシと軋む。
煤けた壁の漆喰は、剥がれ落ちたままで放置されていた。
部屋は掃除されていないし、シーツも黄ばんでいて臭かった。
『このベッドには、絶対に虫がいる!』と、メルは確信した。
星ひとつでさえ付けたくない、オンボロ旅籠屋だった。
「ここで姿を変えるよ…。あたしも、オマエさまも、余り世間に姿を晒すべきじゃないからね」
森の魔女がメルに言った。
そう聞かされてみれば、納得できる。
受けつけに座っていた主人は宿帳を突きつけただけで、愛想の一つさえ見せようとしなかった。
視線も合わせずに素泊まりの料金を受け取ると、部屋の番号札がついた粗末なカギを手渡して終わりだ。
サービスも治安も期待できない。
逆に言えば、メルたちが人相を覚えられる心配もなかった。
「安心おし…。あたしだって、こんな場所に泊まる気はないからね…。姿を変えたら、とっとと裏口から抜けだすよ。オマエさまにも、ちょっとした偽装の魔法を施すからね」
「うん…。ミケは…?」
メルがミケ王子を抱え上げて訊ねた。
「ネコは放っておきな…。帝都にゃ、エルフの子供が居ないからね。目立つとさ。人の記憶に、残っちまうんだよ。あとで精霊の子を探そうなんて事態になったとき、追跡者に余計な情報は与えたくないからね」
「ミケも、ヨーセェーネコのオウジよ。ヘンソー、いるでしょ?」
「それはネコだから…。ネコは、猫のままが一番だよ!」
「ミャァー♪」
ミケ王子はメルに弄りまわされる危険を免れたので、森の魔女に感謝の視線を向けた。
メルはガッカリして肩を落とした。
森の魔女はメルが見ているまえで、黒衣の淑女に姿を変えた。
偽装すると言うより、これまで纏っていた老婆の姿を脱ぎ捨てたに過ぎない。
均整の取れた身体に、結い上げられた黒髪。
これまた黒いドレスはシンプルだけれど、生地の光沢が美しい。
『さぞかし、お高いドレスなのだろう…』と言うか、たぶん世間では売られていない。
ドレスから滲みだす高濃度の霊力が、生地に仕込まれた幾種もの魔法術式を想像させた。
言うなれば、妖精の憑依を利用した付喪神の一種である。
加護つきのドレスだった。
メルもタリサから譲り受けたレジェンドな幼児服を修復せんと試みていたので、漆黒のドレスが高度な魔法技術によって設えられたモノだと直ぐに気づいた。
メルの幼児服は既に半分ほど付喪神化していたけれど、うっかり食べ過ぎてウエストが裂けたのだ。
メルは花丸ショップで売られていた『修理券』を何枚も購入して、レジェンドの延命を願った。
大切に受け継がれてきた幼児服の歴史を自分の代で終わらせてしまうのは、何としても許せなかったのだ。
只今メルのストレージに於いて、裂けてしまった幼児服はオーバーホールの真っ最中だった。
本来の姿となった森の魔女は、エルフの尖がり耳だけを偽装の魔法で隠していた。
「この姿のときはババさまでなく、クリスタと呼んでくださるかしら…?」
「く・り・す・た…?」
「そっ…。あたしが昔から使っている名前のひとつ。『調停者』として、世間に知られた名前よ」
「そっかぁー」
メルは見目麗しい夜の女神さまを見上げ、『クリスタ…』と心の中で繰り返した。
森の魔女は用意していた濃紺のメイド服をメルに着せ、魔法でエルフ耳を隠した。
「これで、あたしのメイドみたいになったわ…。なかなか、似合っているわよ」
「うふぅー。コマヅカイの、ふくぅー。カワイイのぉー!」
異世界に幼女として生まれ落ち、凡そ一年。
ようやっとメルも、可愛いことを受け入れられるようになった。
「カワイイは、セェーギなのヨ!」
前世記憶と現実のアウフヘーベンだった。
正義であれば、可愛い服を着るのも我慢できる。
実際には四歳児の小間使いなど居る訳がないので、なんちゃって小間使いさんだ。
世間からは淑女が可愛がっている、着せ替え人形に見えるはずだった。
要するにペットである。
メルは自分のペット的な立場にあるミケ王子を両手で抱え上げて、『キミってば、ペットのペットだね…!』と、素直に思うところを告げた。
「ウニャ…!」
ミケ王子は、まったく納得していなかった。