精霊ってなに…?
メルたち一行は、蛇行するタルブ川を八日ほどかけて移動した。
途中…。
微風の乙女号は、川べりに点在する規模の大きな開拓村に停泊して、夜を過ごした。
こうした開拓村では、デュクレール商会が運んでいる積み荷と、希少な生薬素材や魔獣の毛皮などが交換された。
塩や織物、ちょっとした日用品や鉄材が手に入らない村々では、デュクレール商会の船を心待ちにしていた。
開発途上の集落には、鍛冶屋が居ても製鉄所など存在しない。
おそらくこうした開拓村は、その成立時からデュクレール商会の支援を受けている。
言うなればタルブ川の岸辺にある開拓村は、すべてデュクレール商会の拠点なのだ。
更にぶっちゃければ、ウスベルク帝国の開発プロジェクトである。
開拓村に宿泊したメルが感心したのは、どこの村人たちも妖精と良い関係を結んでいるところだ。
毎日の生活に苦労が多そうで規模も小さいのだけれど、何となくメジエール村に似ていた。
そこかしこに姿を見せる妖精たちは、楽しそうに村人たちを手助けしていた。
村人たちも非道な魔法術式を用いず、小さなことでも妖精たちに感謝を欠かさなかった。
助けられて喜ぶ村人たちと褒められて嬉しい妖精たちは、眺めているメルがホッコリとするほど楽しそうだった。
その様子がガラリと変化したのは、微風の乙女号がタルブ川の河口に到着して、サルグレット湾から陸路の移動へと切り替わったときだった。
馬車に乗り込んだメルは、ミケ王子を膝に抱いて外の景色を眺めていた。
舗装された街道には石造りの立派な家屋が立ち並び、武器を腰に帯びた男たちの姿も頻繁に見かける。
サルグレットの港町には活気があるのだけれど、どこかしら殺伐としていて落ち着かない。
そして宙を舞う妖精たちの姿が少なくなった。
〈妖精たちの数が減った…〉
〈帝都が近いからねぇー。屍呪之王も、影響しているし…!〉
〈妖精たちは、屍呪之王を避けているの…?〉
〈違うよ…。封印の魔法術式が嫌いなんだ。あれに捕まると、妖精たちは取り込まれてしまうから…〉
メルに同伴させられたミケ王子は、実のところとんでもなく物知りだった。
そして勿体ぶらずに、メルが知りたいことをアレコレと教えてくれる。
実に優秀な家庭教師だった。
〈そもそも、人が精霊と呼んでる存在はさぁー。妖精の融合体なんだ。妖精たちが人の概念を面白がって、自発的に真似たら精霊になったのね。だから精霊は妖精より、人との親和性が高いんだよ〉
〈ミケ王子は…?〉
〈ボクたち妖精猫族と名乗っているけれど、分類からすれば精霊の範疇に入るんだ。高貴で賢いネコのイメージをもとにした、妖精の融合体なのさ…!〉
〈それじゃ…。ミケ王子の中身は、ギュウギュウ詰めになった妖精さん?〉
〈そそっ…。因みに妖精猫族は、風の成分が多めだよ。だからボクは身軽だし、陽気なことが大好きなのさ♪〉
俄かには信じがたいし。
かなり自己評価が高いように思えるし。
『だけどミケ王子の説明は、概ね真実なんだろうな…』と、メルは納得した。
〈疑わしそうにしているけどさ。メルだって、妖精の複合体なんだぞ。精霊の子で、妖精女王でしょ。そんでもって…。メルの本体は、精霊樹なんだからね。ボクなんかより、よっぽど複雑怪奇な存在でしょ!〉
〈まじかぁー?〉
自己の成り立ちに思いをはせると、頭がおかしくなりそうだ。
精霊の子については、あまり聞きたくない話だった。
〈そうしたらさぁ。屍呪之王も、精霊なんだよね…?〉
〈それは違うかなぁー。精霊と疑似精霊は、発生が異なるからね。妖精が合体して出来ているから精霊とは、言えないんだよ〉
〈どう違うのさ…〉
〈妖精が好きで精霊になるのと、強引に混ぜ合わされたのとの違い…。後者は精霊でなく、怖ろしい邪霊になってしまうんだ。乱暴者で瘴気を撒き散らすし、まったく手に負えないよ〉
ミケ王子は、おやつの煮干しを美味しそうに齧りながら言った。
精霊と疑似精霊は裏返しの存在。
人との友好を目的として生じた精霊に対し、疑似精霊は途轍もなく非友好的である。
屍呪之王は疑似精霊で、非常に面倒くさい存在だった。
それでも中身は妖精たちなのだ。
心無い人間たちのせいで、捻くれてしまっただけなのだ。
「ふぅーむ!」
メルは眉間にしわを寄せて唸った。
「どうしたんだい、メル…?」
「ババさま。わらし…。むつかしいの、あかんわ」
「オマエさまは、悩まんでも良い。婆のお願いだけ聞いてくれたら、それで良いのじゃ。あとは大人たちの仕事さね…」
森の魔女が、優しく諭すように言った。
「そえでは、ダメと思う。わらしも、アタマぁー使うでしょ」
メルは対面に座る森の魔女に、自信なさげな様子で伝えた。
メルの尖がり耳が、しょんぼりと垂れていた。
メルにはメルなりの、モチベーションがあるのだった。
精霊の子のエンジンに、ちいさな火が点った。
◇◇◇◇
ウスベルク帝国からの召喚令状を携えた使者が、バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵家を訪れた。
モルゲンシュテルン侯爵領は、帝都ウルリッヒの遥か北方に位置する。
早馬を使っても、到着までに八日ほどかかる距離だ。
「ウィルヘルム皇帝陛下よりの命である。バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵さまには、帝都ウルリッヒへご同行をお願いしたい!」
使者の背後には、完全武装の騎士たちが五人ほど従っていた。
バスティアンが逆らえば、力ずくで引っ立てるつもりだった。
「何故に…?」
「貴方には…。ウスベルク帝国の法を犯した疑いが、かけられている。法廷にて、しかと申し開きをなされるがよかろう」
「ふむっ。心当たりがある…。だが、イヤだと申したらどうする?」
豪勢な応接間に招き入れられた使者と騎士たちが、一斉に殺気立った。
「小者だな…。少しばかり揶揄われたくらいで、腰の剣を抜こうとするか…。そもそも、帯剣での訪問は貴族の礼に反する。無礼であろう…?」
バスティアンが指を鳴らすと、モルゲンシュテルン侯爵家の騎士たちが応接間になだれ込み、使者たちを制圧した。
「このような真似をなさっても、無駄である。貴方の屋敷は、百人の兵に包囲されているのだ」
「ほうっ。百人とな…。それは、どうであろうか…?本当に貴殿の兵が存在するのか、よぉーく確かめた方が良いと思うぞ」
「なんだと…?」
バスティアンとモルゲンシュテルン侯爵家の騎士たちが、愉快そうに笑った。
バスティアンが虚勢を張っているようには、見えなかった。
不安に駆られた使者は、背後の騎士たちと視線を交わした。
「アーノルト隊長。部隊に突撃の指示を…」
「はっ。心得ました!」
アーノルトが合図の呼子を吹き鳴らした。
これで笛の音を耳にした兵たちが、モルゲンシュテルン侯爵家に襲撃をかけるはずだ。
だが…。
この時すでに、使者が帝都ウルリッヒから率いてきた部隊は、一人残らず消滅していた。
十体の魔導甲冑によって、瞬く間に排除されてしまったのだ。