帝都へ
今日は旅立ちの日だ。
メルたちは桟橋に集まり、必要な荷物をデュクレール商会の運搬船に積み込んでいた。
帝都ウルリッヒからメルたちを迎えに来たアーロンは、フレッドと和やかな雰囲気で話し合っていた。
桟橋に舫われた帆船が、水面に黒い影を落としている。
水深の浅いタルブ川でも移動可能な、小型の帆船である。
そんな小型の帆船であっても、メルの目には随分と大きく見えた。
船体に二本のマストが立ち、横帆に風を受けて進む。
風の妖精を頼りにした、魔導帆船だ。
マストの周囲を黄色いオーブが舞っている。
風の妖精たちだった。
この船は川の流れを遡行できるが、『風使い』を乗船させていないと使い物にならない。
非常に特殊な帆船だった。
メルは草むらに残る雪を蹴とばしながら、子供が自分しか居ないところに心細さを感じていた。
タリサたちとのお別れは、既に済ませてある。
メジエール村から遠い桟橋での見送りは、辞退した。
だからすることもなく、ジッと船を眺めているしかなかった。
「わらし…。このフネェー、乗るんかぃ…?」
「素敵な船だろ。メル…」
「むーっ。おおきぃのぉー」
「最新型さ…!」
行商人のハンスは、得意げな口調でメルに説明した。
「実は、私も初めて見るんだ…」
「ふぅーん」
「私は…。辺境地域に、左遷された身だからね…」
ハンスが寂しそうな顔になった。
デュクレール商会から派遣された、メジエール村担当幹部であるハンスには真相が明かされていないけれど、『調停者』のために最新型の帆船を用意させたのはフーベルト宰相だった。
デュクレール商会がウスベルク帝国の指示で動く国営企業であるコトは、一般に知られていない。
ウィルヘルム皇帝陛下とフーベルト宰相を除けば、デュクレール商会を差配する数名の幹部が知るのみであった。
デュクレール商会の正体は、ウスベルク帝国に情報をもたらす諜報機関だった。
「メルや…。精霊樹の枝は、授かって来たかい?」
「うん…。ちゃんと、もろたヨ」
メルは幼児用背嚢にしまっておいた精霊樹の枝を取りだし、森の魔女に見せた。
「うむっ。解放された疑似精霊には、新しい器が必要じゃからな。メルよ。その枝を無くすでないぞ。しっかりと、仕舞っておきなされ…」
「うんうん…」
なんの話やらサッパリ分からぬまま、メルはカクカクと頷いた。
見上げるほど大きい屍呪之王を相手にするなら、『強力な魔法武器が欲しい!』と願ったけれど、精霊樹がメルにくれたのは蕾のついた枝だった。
いくらお祈りを捧げても、レジェンド級な武器は貰えなかった。
花丸ショップにも、目ぼしいアイテムは並ばなかった。
非常に不満だし。
不安である。
(こんなもの振り回したって、だれも畏れ入ったりしないよ。叩かれたところで、ちっとも痛くないし…)
精霊樹の枝は細くて、見るからに頼りなかった。
第一、大きな敵を相手にするなら、まったく長さが足りなかった。
メルが伸ばした手に枝の長さを足しても、フレッドの頭まで届かないのだ。
(リーチが足りなくねぇ…?)
これでは攻撃を当てるまえに、やられてしまう。
よしんば運よくジャンプ斬りとかヒットしたところで、得物は細くて頼りない枝だ。
(ダメージ、入らないよね…?)
メルは屍呪之王にマウントされ、頭からボリボリと齧られてしまう自分を想像して、じんわりと涙目になった。
胃の冷えるような不安を抱えて、草むらに佇んだメル。
青空の下、船に荷物を積み込む男たちの声が、陽気に響いてくる。
エルフの尖がり耳が、ピクピクと神経質に動く。
ラヴィニア姫の夢で、『必ず助けに行くから、待っていろ!』みたいな、格好いい台詞を吐いてしまった。
今さら、おっかないので止めましたでは、情けなさ過ぎて自分に申し訳が立たない。
それに強制イベントのペナルティーだって、待ち構えている。
ここで逃げだせば、前世の家族にメールするチャンスも失ってしまう。
まえに進むしか道はない。
ここは意地の張りどころである。
だって、男の子だもん…。
まだメルの意識には、男子高校生の意地が残っていた。
(精霊樹に生ってしまった、あの日から…。僕には退路なんて、用意されて無いんだ…!)
ミケ王子がメルを慰めるように、ピッタリと寄り添っていた。
〈メル…。そんなに心配しなくても、大丈夫だよ…。魔女さまも居るんだし、そう簡単にやられたりしないさ。フレッドたちだって、そこそこに強いんでしょ。だから問題ないよ…。たぶん。おそらく…。『たぶん』だけどね…〉
アビーやトンキーと一緒に見送りにきたミケ王子は、メルの後ろをついて歩きながら根拠に乏しい慰めの言葉を伝えてきた。
相も変わらず、メルをイラッとさせる妖精猫だった。
悪気がないのは分かっているけれど、余りにも気遣いに欠ける。
『たぶんって、何ですかぁー?!』と、メルは思った。
ダメなら、今世がジエンドだと言うのに…。
励ましどころか、不安倍増だよ。
〈ミケ王子は、他人事だと思って気楽だよね。屍呪之王って、家より大きいらしいよ…。そんなの怖いでしょ!〉
〈へぇー。メルにも、怖いモノがあるんだ…?〉
〈あるよ…!〉
これまた馬鹿にしたような言いぐさで、カチンとくる。
治療を受ける当事者でなければ、どんな難しいオペだって簡単そうに語ることができる。
崖に向かってジャンプするのは、飽くまでも自分じゃないからだ。
それが捻くれた物の捉え方だと言うのは、メルにも分かっていた。
励ます方は、他に言いようがないだけなのだ。
ここで聞き分けよく頷けば、前世の樹生と変わりない。
だがメルは妖精女王で幼女だった。
我儘が言えるのだ。
「ミケェー。いっしょに、飛ぶおっ…!」
メルはミケをガシッと捕まえた。
死なばもろともである。
「みゃぁー!」
この瞬間、ミケ王子の帝都同行が確定した。
帆船が出発の準備を終えた。
フレッドたちがメルを連れて甲板に上がると、舫い綱を解かれた帆船は静かに桟橋から離れた。
メルはミケ王子を小脇に抱えて、船尾に立った。
「メルゥー。ちゃんと婆さまやパパの言うことを聞くのヨォー!」
「まぁま、心配なぁーよ。わらし、ヨイ子…」
「勝手にふらついて、迷子にならないでね!」
アビーが心配そうな顔で、メルに注意した。
遠ざかるアビーとトンキーに、メルが手を振り続ける。
「かならず、帰ユでよォー。みんなぁー。元気で、待っとれよォー」
めっちゃ泣いていた。
別れが悲しいのではなく、先行きが不安過ぎたのだ。
メルはまだ知らなかった。
精霊樹より授けられた枝に、メルから祝福を受けた妖精たちの大部隊が宿っていることを…。
妖精会議で部隊編成が決定すれば、妖精たちはメルに移住するだろう。
メルは妖精たちの移動基地となっていた。
言うなれば、妖精母艦である。
妖精大隊は、目を血走らせた屈強なヒャッハーたちだ。
魔法武具から解放されたモノたちは、復讐に牙を軋らせていた。
妖精たちは仲間を奪還し、妖精や精霊たちを使役した悪人共に目にもの見せてくれんと猛っていた。
◇◇◇◇
バスティアン・モルゲンシュテルン侯爵は、十体の魔導甲冑を前にして満足げに頷いた。
閲兵場に白銀の巨人たちが立ち並ぶ。
壮観な景色だった。
貴族の子供に隷属魔法を施し、ヤニックに引き渡した対価である。
安い買い物だった。
『賢い買い物をした!』と、バスティアンは単純に喜んでいた。
何故ヤニックが、これほどまでに融通を利かせてくれたのか…?と、疑うことをしない。
特権に胡坐をかき、スラムの住民たちに神として君臨し続けたせいで、モルゲンシュテルン侯爵家の人間たちは感性が鈍っていた。
バスティアンは根拠もなく自分が優れていると信じていたので、誰かに騙される可能性を考慮しない。
愚かな特権者の驕りである。
だからミッティア魔法王国に利用されるのだ。
ミッティア魔法王国にとってモルゲンシュテルン侯爵家は、ウスベルク帝国を揺るがすてこの支点だった。
「素晴らしい。実に良い。目に見える力と言うモノは、まことに美しい」
「ご満足いただけて、光栄に存じます。こちらの魔導甲冑は魔素封印型のタイプで、魔晶石を使用いたしません。その点では前時代のタイプより信頼性が増し、比較にならぬほど低燃費であります」
「ほぉー。魔晶石や魔石を使用していないのか?」
「はい…。魔素を封じ込める特殊な工夫を施してありますので、半永久的に駆動させることが可能です。閉所で使用しても、瘴気によって穢れを撒き散らす心配がありません!」
ヤニックに連れられてきた魔導技師は、コスト安とエコをアピールした。
燃料費が掛からず、環境にやさしい。
邪悪な魔動機だった。
「最大出力は六万ピクスでありまして、凡そ馬にして千五百頭ぶんの力を発揮します…」
「六万ピクス…?」
「ああっ。ピクスと申しますのは、我々の用いる力の尺度でございまして…。一ピクスとは、魔素一単位が時間あたりに発生させる力を指します」
「ミッティア魔法王国の学問か…?」
「恐れながら…」
魔導技師が恭しく畏まった。
「まあ、よいわ。どこの学問だろうが、わたしに有益であれば構わぬよ。わたしは、博愛主義者だからな!」
「学問に寛容であらせられるのは、素晴らしき統治者の資質にございます」
「おまえは、非常に口が巧いな。気に入ったぞ!」
「ははぁー。ありがたき、お言葉…!」
バスティアンと魔導技師は、意気投合して愉快そうに笑った。
「バスティアンさま…。この魔導甲冑を用いて、皇帝の座を奪いまするか?」
横からそっとヤニックが唆す。
「ふぅーむ。帝都騎士団を壊滅させられて、泣きっ面になる皇帝陛下を眺めるのは、さぞかし愉快であろうな…」
「それはもう…。楽しいでしょうなぁー!」
ヤニックは朗らかな笑みを浮かべて見せた。
ウスベルク帝国に揉め事を起こすのが、闇商人を名乗るヤニックの使命だった。
加筆修正しました。