新しいスキル
メルの勉強は、森の魔女がメジエール村の精霊宮から借りて来た、絵巻物を教科書にして行われた。
「これのコトを思いださなんだら、あたしゃ敗北宣言をしなけりゃならんところだった…」
「ほぉー。ババさま…。ジブンで絵ぇー、描けばいいでしょー?」
「無理を言うな…!」
「簡単よォー」
メルは文字の練習用として渡された紙に、ミケ王子の絵を描いた。
その横にトンキーを描き加える。
コック姿のフレッドは筋骨隆々で、隣に並んだアビーのボインを見てドキドキしている。
「ほぉー。何が描いてあるか分かるわ…。上手いもんじゃ」
さすがにファンシーアニメ大国日本で暮らしてきただけのことはあり、メルの絵は中々に達者だった。
「オマエさま…。変わった特技を持っておるのォ―」
「わらし、大したことなぁーヨ」
そう言いながらも得意になって、逃げ惑う人々に襲い掛かる恐ろしげな巨人などを描いて見せた。
「だが、その紙は…。覚えておくべきことを書き留めるためのモノじゃ。お絵描きに使うでないぞ!」
「うへぇー」
調子に乗った途端、メルは叱られてしまった。
メルと森の魔女は意思疎通の困難さに突き当たって、絵画が持つ伝達力を思い知らされた。
概念を説明するツールとして、魔法大戦後に作られた絵草子は非常に有能だった。
もっとも授業の過程で明らかになったのは、メルに伝えなければいけない情報をメルが既に知っていたコトである。
「コレが、おせぇーてくれるでのぉー♪」
「そうかね…」
メルがタブレットPCを掲げて見せると、森の魔女は疲れた様子で首を横に振った。
精霊からのギフトは気が利いていて、精霊の子に為すべきことだけを伝える。
人々とエルフの醜悪な過去については、何ひとつ伝えない。
それをするのは、『調停者』の役目らしかった。
皮肉な話である。
(精霊さまからすれば、人々とエルフの争いには関わらんと言う意思表示か…。それとも、あたしに対する罰なのか…?)
森の魔女は気が重かった。
真実を話して、メルに嫌われたいとは思わなかった。
それでも隠しては置けないのだ。
(何にしたところで、次のチャンスなど期待できぬ。あたしらに、しくじりは許されない。どうしても血が流されると言うなら、ヒトかエルフの血だね…!)
この点に関しては、調停者にとって決定事項だった。
天秤の傾きは、世界を滅ぼしかけた当事者たちに贖罪を求めていた。
(精霊たちを魔法術式から解き放ち、妖精も助ける。精霊の子は、邪悪な連中から守り抜く…!それでも未だ、バカ共の借りは大きすぎる。とてもじゃないが、精霊さまにフェアとは言えぬ…)
森の魔女は熱い茶を啜りながら、深く溜息を吐いた。
今なお精霊たちの一部は、人やエルフが創った魔法術式に囚われて苦しんでいる。
精霊の子は、これを解放するために遣わされた、『使者』と考えるのが正しい。
メルの手助けは良いが、余計なことを求めてはならない。
そう調停者(森の魔女)は考えた。
一方メルは、十日間にわたる座学から解放されると、さっそく庭で新スキルのチェックを開始した。
強固な意志と発動を促す動作で、スキルは起動する。
コツは妖精パワーを使うのと変わらない。
もっとも妖精パワーはパッシブスキルで、常にアイドリング状態だ。
アクセルは軽く、危険時には反射的に起動する。
例えば高所から落下したとき、『コワッ!』と思うだけで防御能力はアップする。
ハッキリと意識下で言葉にする必要さえなかった。
それに比べると瀉血は、ロックが厳しかった。
何度も何度も、削除を実行するか尋ねてくるアプリのように、起動が面倒くさい。
セーフティ・ロックが厳しいのだ。
だが違いは、それだけである。
「シャケーツ!」
メルが空にコブシを突き上げると、赤い霧の花が咲いた。
美しい紅の花。
幾つもの小さな花が宙に舞う。
日差しを浴びて、花弁がキラキラと輝いた。
そこに色とりどりのオーブが飛び交って、赤い霧を吸収していく。
妖精たちは精霊の子から血を賜るために、争うようにして赤い霧に殺到した。
美しい紅の花は、メルの身体から放出された血だった。
「なっ、何をしておる…?」
安全のために傍で様子を見ていた森の魔女は、呆然とした。
精霊の子に血は流させないと誓ったばかりなのに、大量出血デアル。
確かに、精霊を縛りつけている魔法術式の解除には、精霊の子が必要だった。
その血を少しばかり分けてもらうのは、心苦しくても避けられない過程だ。
しかし、いま目のまえで行われているのは、血煙の大量生産なのだ。
「なあ、メルや…。なんじゃ、その技は…?」
森の魔女が、声を震わせて訊ねた。
「シャケーツ…。あるれぇー?」
四回目の出血で、メルがコテンと草むらに倒れた。
大量失血による貧血だ。
「ウギャァー!ちびっ子が、なにしくさる。自殺まがいのキチガイ沙汰は、今すぐ、止めんかい!」
森の魔女は血相を変えて、メルに駆け寄った。
「ゾーケツ!ゾーケツ!ゾーケツ!」
メルは虫が鳴くような声で、造血を唱えていた。
「はぁはぁ…。よっ、四回が…。ゲンカイじゃ。わらし、あたまクラクラよ…」
言いながらメルは、三角パックの巫女印フルーツ牛乳をチューッと吸った。
更に袋から砂糖漬けのドライフルーツを取りだして、モシャモシャと齧る。
精霊樹の実である。
スキル造血で、体内に備蓄された霊力も底をついた。
大量補充とインターバルが、是非とも必要だった。
「とんでもない技じゃな…」
草むらにしゃがみ込んだ魔女が周囲を見回すと、三倍速になった妖精たちが編隊を組んで飛びまわっていた。
どのオーブも、赤い光を放っている。
『ひゃっはぁー♪』である。
「おまぁーら、ツヨなったか…?ショウジンせぇよ!」
励ますメルの方が、助けを必要としていた。
貧血の悪寒に、息苦しさと頭痛が相まって、しばらくは立ち上がれそうになかった。
無理して立てば、気絶してしまう危険があった。
余り情けない場面を見せると、森の魔女もメルの行動を禁止しそうなので、程度を弁えなければいけない。
実戦を考慮しても、四回目を起動するのは悪手だった。
三回でインターバルを挟むのが得策と言えよう。
メルはボーッとする頭で、そんな計算を立てた。
出発までの間に瀉血と造血を繰り返して、熟練度によりスキルの使用回数を増やせるか試してみるしかない。
それで駄目なら、邪霊と対峙するまえに妖精たちをフルチャージして挑む。
勿論、自分自身も回復させてから、邪霊の解呪を試みるのだ。
(それで何とかなるだろう…)
難易度は低めなのだ。
今は強制イベントの詳細説明を信じるしかなかった。