甘いお汁粉
アーロンがメジエール村を訪れるのは、数十年ぶりのことだった。
村長は代替わりしていたし、村の様子も変わった。
メジエール村は以前よりも活気に満ち、楽しげに遊ぶ妖精たちの姿も増えていた。
喜ばしい限りである。
そして何より、村の中央広場に生えた精霊樹である。
「大きい…。一晩でこれが…?」
アーロンは、精霊樹を見上げて驚いた。
「あたしも、ぶったまげたよ!」
森の魔女は、しみじみとした口調になった。
「村人のだれもが驚いたさ。そのうえ精霊樹の枝には、小さな子供がぶらさがっておった。『助けにゃならん!』って話で、朝から大騒ぎだったらしい」
「その場に居なかったのですか…?」
「いやぁー。残念ながら、見逃しちまったよ。だから、あたしも精霊の子が云々という噂にゃ眉唾で…。しっかりと出遅れたわ…」
森の魔女が精霊の子を信じるに至ったのは、使い魔のロルフが穢れを祓われて戻ったときだ。
それまでにも幾つかの奇跡を耳にしながら、まだ半信半疑の状態にあった。
あまりにもことが重大すぎて、迂闊には受け入れられなかった。
だから様子見に徹したのだ。
「調停者さまでも、出遅れることがあるんですね」
アーロンがホッとした表情で笑った。
「ふんっ…。あたしゃ、予言者じゃないからね。どこぞの神さまみたいに、全知全能だと思うのは、よしてくれないかい…。あたしの人生は、それこそ取りこぼしだらけさ…」
「申し訳ございません」
森の魔女に怒りをぶつけられたアーロンは、耳をシュンとさせた。
「はぁー。とにもかくにも…。今回は運に恵まれて、精霊の子と繋がりを持てたのさ…。あの子とは、良い関係を育まなければイカン。許しはチャンスと言う形で、もたらされた。あとは、あたしらの努力次第だ」
「そこの貧乏くさい酒場に、精霊の子がおわすのですね。お迎えする用意が無かったとはいえ、お労しいコトです。早速わたしが、帝都に立派な精霊宮を拵えて、精霊の子をお迎え…」
「おまえは、馬鹿かぁー!」
アーロンに最後まで言わさず、森の魔女は頑丈そうな杖を振るった。
「イタイ…!」
「その上から目線な態度を今すぐに直せ!メルに意見をしても良いのは、精霊さまと妖精たち、それにメルが心を許した人々に限られる。おまえは余計なことを考えるな。帝都で身に沁みついた価値観は、精霊の子に相応しくないわ。つぎに同じ真似をしたら、その口に馬糞を捻じ込むぞい」
森の魔女は清楚な老婦人の装いを崩さぬまま、再度アーロンの脳天に杖を打ちおろした。
大きな野獣を躾けるような、力任せの打擲である。
アーロンは悶絶した。
「おおっ…。ババさま…!」
ずっと朝から森の魔女を待っていたメルが、『酔いどれ亭』から顔を覗かせて叫んだ。
「こんにちは…。久しぶりだねぇー。メルちゃん」
「まいんち、ユキばっかし…。ユキじゃまヨ…。わらし、ババさまに会えん!」
メルは精霊樹を眺めていた森の魔女に駆け寄り、外套の裾をつかんでグイグイと引っ張った。
「これこれ…。急かすんじゃないよ。あたしゃ婆だからね。オマエさまみたいに、ヒョイヒョイとは動けんのじゃ」
「うそぉー!ババさま、早いわ…。わらし、知っとぉーよ」
「なぁー、メル。婆が素早く動いたら、気持ち悪かろう。婆は婆らしく、ゆっくりと動くのがええんじゃ」
「うーむ。それなぁー。わらし、分かるわ。ちびは、ちびらしゅうせんとなぁー。おとぉーがイヤがるわ!」
メルは生意気そうなワケ知り顔で、ウンウンと頷いた。
パパとママが、おとぉーとおかぁーに変更されていた。
フレッドとアビーは止めさせたがったけれど、余計な言葉を教えた犯人に鉄拳制裁を加えることしかできなかった。
「んーっ。これはダレじゃー?」
メルは森の魔女に訊ねた。
先程から、雪の降り積もった地面に跪いて、深々と頭を下げている男が気になった。
靴ひもを直しているようには見えない。
「何しとぉーよ?ユキ、ひゃっこいで…」
「なぁーに…。この男はオマエさまに、恭順の意を表しとるのさ」
「キョージュン…?」
難しい言葉は分からない。
分からないことは、悩んだり考えたりしない。
そこでメルは、男の頭からフードを摘まんで脱がせた。
男を観察するのに邪魔だと思ったからだ。
実に論理的な行動である。
無駄がない。
そして失礼だった。
「これは申し訳ございません。みまえでフードを外し忘れるとは…。狼狽えていたとは言えども、何たる不覚…!」
「おまぁー。ヘンなミミ…。わらしと、おなぁーし」
「精霊の子よ…?お会いできましたこと、光栄の至りであります。わたくし、アーロンと申します。どうか、お見知りおき下さいませ…」
深く首を垂れたまま、アーロンが拝顔の栄に浴した喜びを述べた。
二人の会話は、まったく噛み合っていなかった。
それなのにメルが偉そうなので、なんとなく帳尻があっているように見えた。
「おまぁー、カオ…。カクしとォ…?カオ、見えんヨォー」
「はぁ?」
メルは地面にしゃがんで、アーロンの顔を覗き込んだ。
「なんで、泣いとォー?」
「ははぁー。わたくし、喜びの余り…。つい堪えきれず…」
「ぷぷっ…!」
森の魔女は、腹を抱えて笑いだした。
メルに畏まるアーロンが、どうにも滑稽でならなかった。
しかも、感動で涙を浮かべている。
(傲岸不遜なアーロンがのぉ…。今日は、面白いものを見させてもらった。長生きはするもんじゃ…)
良い景色であった。
森の魔女とアーロンは、『酔いどれ亭』の食堂に招き入れられた。
待っていましたとばかりに、メルがほうじ茶とお汁粉の入ったお椀を木の盆に載せて運ぶ。
漆塗りの黒い盆は、甘味屋を気取って花丸ポイントで買い揃えた品だ。
ハッキリ言って無駄遣いである。
『酔いどれ亭』に、オシャレな盆は似つかわしくなかった。
「どーゾォ。召し上がれ…」
メルは得意そうにメシ屋の口上を述べた。
やっと覚えたので、使いたくて仕方ないのだ。
「これは…」
「禍々しいほど黒い…!」
「気にすぅーな。あまい。白いのも、はいっとぉーぞ!」
メルはお汁粉の黒さに怖気づく二人を見ながら、マイスプーンで先に食べて見せる。
毒味ではない。
単に、もう待っていられなかっただけである。
「アマぁー。うまぁー♪」
満面の笑みだ。
「ふむふむ。甘いのかい。それじゃ、あたしも頂くとしようか…」
森の魔女が、お汁粉に口をつけた。
「ほぉー、これは何とも優しい甘さじゃないかい。美味しいよ…」
「白いマルいのも、たべれ…」
「これかい…?これまた、とんでもなく白いじゃないか。上質なパンより白いよ」
「色が…。食べ物に、見えないんですけど…」
「おまえは…。精霊の子が与えてくださった食事に、ケチをつけるのかい?」
アーロンは追い詰められて、お汁粉を口にした。
そして驚きに目を丸くする。
「えっ?なにコレ…」
お決まりの反応だった。
そのリアクションはエルフであっても、タリサと大差なかった。
「大地の香りか…?甘さに透明感があって、清々しい。この白いの、何とも言えない食感だ」
「それ見ろ…。食べてみなけりゃ、分からんものがあるんだよ」
「寒い中、遠くからいらしたのだから、温かいものが嬉しいでしょ?」
ちゃっかり自分もお汁粉を食べながら、アビーがアーロンに微笑みかけた。
「これは、メジエール村の名物なんですか?」
「そんな訳ねぇだろ!こんなドス黒いもん。ここらじゃ、ダレも食わねぇーよ!」
こちらも…。
ちゃっかりお汁粉を食べながら、フレッドがアーロンの台詞を笑い飛ばした。
「それじゃ…?」
「精霊の子が拵えた、魔法料理じゃよ。他所では食えぬから、しっかりと味わいな…。頼んだとて、作って貰えるとは限らんからのォー」
「………くっ!」
アーロンの口から苦悶の声が漏れた。
アーロンは食道楽だった。
窮屈な帝都に居座っているのも、お役目だけでなく豪華な料理にありつけるからだった。
「この茶が、また良いのォー。芳ばしい香りじゃが、口の甘みをサッパリとさせてくれよる」
「文句なしに美味い…。帝都の一流料理店でも、こんな美味い菓子を食べたことはない」
「アンタらが羨ましいぜ…。てめぇの立場を気にせずに、メルを褒めちぎれるからな。こちとら曲がりなりにも料理人だ。なにか食わしてもらうたびに、プライドをズタズタにされて涙が出るぜ!」
「それそれ…。材料からして魔法だもんね。メルちゃんはズルいよ!」
フレッドとアビーの表情は、複雑だった。
美味しいものが好きで料理を始めたのに、もう美味しいものを食べても素直に喜べなくなってしまった。
皮肉な話である。
「俺は店を閉めてぇー!」
「それはダメだよ。メルの教育に良くないよ」
「わらし、店もらう…。おとぉーとおかぁーは、わらし手伝います」
「ちょっと黙ろうか…。メルちゃん」
酒場夫婦の悩みは深い。
なんてことだぁー。
引っ張る気なんて欠片もないのに、まだカレーうどんが食べられない。
スミマセン…。
次回こそカレーうどんで…。