帝国は来ない?
タルブ川からメジエール村へと続く道は平原の吹きっさらしで、何もかもが凍てついていた。
良い点をひとつ挙げるとするなら、ひどく雪が降っても道が埋まらないところだった。
新雪は平原を吹き抜ける強い風によって、何処かへと運ばれてしまう。
(風が痛い…。移動には難儀な風だけど…。雪が積もらないのは、ありがたい!)
冬場。
徒歩での旅人には難所であろう。
クルト少年は馬橇を走らせ、半日がかりでメジエール村に到着した。
村長宅で用件を告げると応接間に通され、しばらく待つように指示された。
「外は寒いし、えらく疲れただろ…。待っている間に、それを食べて少し休むと良いよ」
「ありがとう。ペトラさん…」
連絡係は面倒な役目だが、役得もある。
クルト少年は女中のペトラが用意してくれた料理を眺め、嬉しそうな笑みを浮かべた。
正直いって、腹ペコだった。
さっそく、お湯で割った温かなワインを啜りながら、テーブルに並んだ湯気を立てるご馳走に手を伸ばした。
見張り小屋では、食べられない美味しい料理だ。
四半刻も過ぎた頃、ファブリス村長とフレッドが応接間にやって来た。
「やあ、クルトくん。待たせてしまって済まないね」
「ウスベルク帝国からの客人だってな?」
「はい…。背の高いエルフの青年で、アーロンと名乗りました!」
これを聞いて、ファブリス村長が渋い顔になった。
「はぁーっ。厄介ごとだよ。精霊祭が例年になく上首尾で終わったのに、なんで厄介ごとが舞い込んでくるのかね?」
そうぼやかれても、クルト少年には返す言葉がない。
「落ち着きなよ村長。まだ厄介ごとかどうか、分からないだろ。勝手に決めつけて頭を悩ますのは、アンタの悪い癖だぜ」
「あーっ、その通りだな。先ずは、話を聞くとしよう」
「クルト…。ヨルグは、魔女さまの符牒を確認したか…?」
「ああ、勿論だよ。フレッド隊長。『魔女さまには、魔法の相談かね?』と、ちゃんと訊ねた」
「それで…?」
「アーロンと名乗ったエルフは、『森の魔女さまは、わたしの師匠なんです』と答えていた」
「何だい、それは…?」
ファブリス村長が訝しげな顔つきで、フレッドに訊ねた。
「符牒…、つまり合言葉です。森の魔女さまから教わった、合言葉!」
「アイコトバ…?」
「魔女さまの客人が合言葉を口にしない場合、追い返せって話ですよ」
「魔法だの、弟子だの、符牒だの…。わしには、意味が分からんよ」
フレッドはイライラしているファブリス村長を見て、溜息を吐いた。
「ファブリス村長…。森の魔女さまはメジエール村の住人たちが考えているより、遥かに顔が広いんだよ。それでもってな…。魔女さまが自分の弟子を殺したいほど憎んでいるって噂は、村の外じゃ殊のほか有名なんだ」
「弟子をコロス…?」
「だからよォー。わざわざ、ここまで会いに来て、弟子を名乗るバカは居ないのさ。少しは理解して貰えたかい?」
「なんて物騒な合言葉だ…」
ファブリス村長が、不愉快そうに呟いた。
「済まないなクルト。ファブリス村長は、平和な村の長だから…。俺らの領分には、からっきし疎いんだ」
「気にしてないよ。おいらは、平和な村のファブリス村長が好きさ。メジエール村も大好きだ。謀やら疑心暗鬼は、盤上遊戯だけにしてもらいたいね」
「フムッ…。夢のような話だが、それは悪くない考えだ」
「わしは、バカにされておるのか…?」
「「ファブリス村長は、気にしないで下さい…!」」
フレッドとクルト少年が、声を揃えて言った。
餅は餅屋、要は適材適所である。
「それで用件は…?」
「ウィルヘルム皇帝陛下の親書を届けに来たって…」
「おい…!ウスベルク帝国は、わしの村に来ないって、言ってたじゃないか!これは、どういうことなんだね…?」
ファブリス村長が再び狼狽えだした。
「アーロンが本物なら、歴代皇帝の相談役です。用件は分かりませんが、帝国が動くことは絶対にありません!」
フレッドは力強く保証した。
「そんなことを言って…。帝国兵が村を囲んで、『魔鉱石を差しだせ!』とか脅してくるんじゃないのか…?」
「魔鉱石なんか、くれてやればよい。それに魔鉱石が欲しいなら、ウィルヘルム皇帝陛下は行商人を動かすさ」
「本当かね?」
「帝国兵を動かすより、ずっと安上がりで済むからね…。それ以前に、メジエール村は帝国の侵略を受けない…。もし詳しいことが知りたければ、森の魔女さまに訊ねると良いです。死ぬまで忘れられないような、とっておきの物語を聞かせてもらえますよ!」
「それはイヤだ。今でさえ、ストレスで寝つきが悪いのに…。わし…。面倒な話とか、怖い話は聞きたくない…」
ファブリス村長は、キッパリと言い切った。
平和ボケである。
でも、そのくらいがメジエール村には、丁度よかった。
「クルト…。ご苦労だけど、その客人を連れてきてもらいたい。森の魔女さまには、こちらで報告しておく」
「ああっ、明日には桟橋に引き返す。天候次第だけれど、二、三日中には戻って来れると思う…」
「寒くて大変だろうが、よろしく頼む…。今日はウチに泊まると良い。美味いメシを食わせてやろう!」
「ありがとう、フレッド隊長…」
クルト少年は大切な報告が終わると、『酔いどれ亭』で夜を過ごすコトになった。
◇◇◇◇
メルは柱の陰から、見知らぬ少年の様子を窺っていた。
フレッドが連れて来た客である。
濃い茶色の髪をした、感じの良い少年だった。
痩身で鋭い目つきをしているが、ときおり温かみのある笑顔を見せる。
前世であれば、クラスの女子たちにキャーキャー騒がれそうなイケメン男子だ。
フレッドとアビーは親しげに話をしているので、おそらく知り合いなのだろう。
「ちっ…!」
メルは仲間外れだった。
三人の会話は聞こえてくるのだが、少しも理解できない。
使われている単語が分からなかった。
メルの語彙数では、帝国公用語の日常会話が限界だった。
それも片言のレベルである。
だから知らない用語を会話に挟まれると、まったく聞き取れなくなってしまうのだ。
〈どうしたの、メル…?〉
コソコソと柱の陰に隠れているメルを見て、ミケ王子が不思議そうに訊ねた。
〈パパとママが、外人の子供と話してる…〉
〈えっ?ウスベルク帝国の公用語じゃないか…。外国語じゃないよ!〉
〈そうなの…?ちっとも聞き取れないから、外国の言葉かと思った〉
〈まあ…。メルは赤ちゃんに、毛が生えたようなモノだからね。難しい言葉は、分からなくても仕方がないよ〉
ミケ王子が、ポソリと余計なことを言った。
〈じゃあ、ミケは分かるの…?〉
〈当たり前でしょ。ボクは高度な教育を受けた、王子さまなんだよ。外国語だって、ペラペラですから…。あれっ、メルも女王さまだったよね…?〉
〈………ゴメンね。お利口さんじゃなくて〉
メルはヘソを曲げた。
〈よろしい。なんなら、このボクが三人の会話を翻訳して差し上げましょう…。おおよその内容は、冒険者の対人格闘術に関するモノですな…。ご希望になられますか、妖精女王さま…?〉
〈ご希望になられません…!興味が失せました。わたくしは寝ます…〉
〈あれっ?もう寝ちゃうの…。ちゃんと説明するよ…。メルー。なに、怒ってるのさ…?〉
メルはミケ王子の質問に答えなかった。
「いくど、トンキー!」
「ぶっ、ぶっ…」
二階へ駆けあがるメルの後ろに、仔ブタのトンキーが付き従う。
〈待って…。ボクも行くよ〉
〈……けっ!〉
ミケ王子の前で、勢いよく寝室の扉が閉ざされた。
「にゃぁー?」
廊下に取り残されたミケ王子は、しょんぼりとした顔になった。
季節外れの内容で、本当にゴメンナサイ。
世間は滅茶クチャ暑いのにね。
雪だよ雪…。
まったく、申し訳ねぇ…。(-_-;)