ウスベルク帝国よりの使者
メルは石焼き芋が遠赤外線だと理解していたけれど、オーブンの原理も同じだと分かっていなかった。
だから『酔いどれ亭』の食堂に戻ってみると、フレッドが焼き芋っぽい物を常連客たちと食べていたので驚いた。
フレッドはメルがしているコトを見て『なるほど…!』と思い、オーブン焼き芋を調理したのだ。
「石ころは要らねぇな…。魔女さまから貰った鍋でも、石ころは無くて良かったんじゃねぇか…!」
「はぅっ?」
直火を使わずに、安定した高温で食材を加熱調理する。
魔法の鍋であれば、石ころが無くても可能だった。
当然のことでも意識していなければ見落としてしまうと言う、とても分りやすい実例であった。
「ムキィーッ。ぱぁぱ、キライ!」
料理に関してはアビーと同様、大人げのないフレッドだった。
それでメルの鍋から、石が取り除かれたかと言えば…。
そのような事態は起きなかった。
何と言ってもメルは、頑固エルフの店を切り盛りする頑固一徹な幼女である。
『石が無ければ、石焼き芋ではない!』
もはや信仰とも呼べる思い込みで、フレッドの助言を退けた。
「おいおい…。反抗期には、ちと早くねぇか?」
「あなたが、メルを怒らせたんでしょ!」
アビーは呆れたような顔でフレッドを眺めた。
あからさまな上から目線だった。
ことメルの扱いに関しては、フレッドに冷たいアビーである。
二人は水面下でメルの取り合いをしていたので、これも当然の対応と言えた。
「わらし、ぱぁぱに負けん!石のイリョクを思い知らす…。ウリアゲで、ショーブ!」
「ほぉーっ、上等じゃないか…。俺に勝てると思ってるのか…?」
ここに石焼き芋とオーブン焼き芋の戦争が、勃発した。
が…。
五日も掛からずに、勝負の結果は判明した。
石焼き芋の圧勝だった。
それでもメルはダメ押しとばかりに、十日ほど焼き芋戦争を引っ張り続け、フレッドをトホホ顔にさせた。
「わっはっは…。ぱぁぱ…。わらし、笑いが止まらんわ」
「ちっ、おかしいて…。こんなの勝負じゃねぇだろ!」
「そんなん、知りませんて…」
『酔いどれ亭』の客たちは、甘い焼き芋を好まなかった。
最初は物珍しさで喜んでいた常連客も、焼き芋と酒の取り合わせに顔をしかめた。
一方メルは、近所の小母ちゃんたちを味方につけて、グイグイと売り上げを伸ばした。
焼き芋と言えば、甘いもの好きな女子供のオヤツだ。
どう考えても、酒の肴ではない。
石の威力は、まったく関係なかった。
単純に、客筋でメルが勝った。
それだけの話だった。
だが、勝負の意味などメルには関係ない。
勝ったら偉いのだ。
そこが大事。
「わらし、勝った。ぱぁぱ、負け!」
「……くっ」
メルのドヤ顔は、非常に破壊力が高い。
やられると大人でもへこむ。
心の底から得意そうなので、メッチャ腹が立つ。
フレッドは悔しくて悔しくて、なんだかちょっと泣きそうになった。
フレッドに気持ち良く勝利したメルだけれど、こちらもまた無傷では済まなかった。
「ああっ…。わらしの、イモぉー。ガビーン!」
メルは勝利の余韻から醒めたとき、サツマイモを使い切ってしまった事実に気づいて号泣した。
あぁーっ。
やらなきゃよかった…。
冬になって雪がちらつき始めると、温かなものが食べたくなる。
味が濃くてコッテリとした汁物なんか、最高である。
トン汁…。
メルはトンキーを眺めながら、たらりとヨダレを垂らした。
「ぶっ、ぶっ…?」
「シンパイすゆな…!トンキーは、食わんヨ」
食料保存庫には、メルの管理しているバラ肉があった。
黒いやつが憑りつかないように監視を続け、ジックリと低温熟成させた豚バラである。
メモ用紙を貼りつけておいた。
『メルのニク…!』と記したメモ用紙だ。
きっと美味しいに違いない。
ジュルル…。
トン汁と言えば、シンプルに豆腐とネギが定番である。
だがメルは、色々な具材を放り込むつもりでいた。
キノコに蒟蒻、ニンジンと牛蒡と長ネギ…。
そこに里芋が入れば、けんちん汁だ。
里芋は入れない。
里芋の代わりに入れるものは、決まっていた。
「モチ、焼いて入れゆ…!」
頑固エルフの、わがまま豚汁だった。
「さっそく、ツクゆ…!」
作業開始デアル。
一杯で銅貨五枚…。
『酔いどれ亭』のスペシャルメニュー。
本日は身体の芯から温まる、餅入りトン汁が饗されるコトとなった。
厨房に鍋を運び込み、最初に食べるのは勿論メルである。
常連客が見守る中、メルは木の椀によそった餅入りトン汁をハフハフしながら食べる。
「うまぁーっ♪」
いつもであれば…。
常連客たちはメルの食べる様子を観察しながら、注文するかどうかを決める。
醜い奪い合いにならないよう、自分の好みでなければ権利を譲るようにしているのだ。
しかし…。
今日は、譲るわけに行かない。
その覚悟が、皆の態度に表れていた。
「ひの、ふの、みの…、とぉ…?だいじょーぶ。みんな、たべえゆ!」
メルは食堂の客数を確認して、充分な量があると伝えた。
「よしっ!」
「よぉーし!」
「いま居ないやつには、泣いてもらおう」
「おれらは、ツイていたのだ…」
わがまま豚汁は、一瞬にしてソールドアウトとなった。
その直後には。
『酔いどれ亭』の食堂で、黙々と汁を啜る男たちの姿があった。
◇◇◇◇
前日から雪が降り続く、寒い日のこと…。
メジエール村の管理下にある桟橋へ、ひっそりと一艘の小舟が漕ぎ寄せた。
鈍色の空から舞い落ちる雪は、一向にやむ気配を見せない。
桟橋の警備を任されているヨルグは、タルブ川を遡って来た小舟に警戒の視線を向けた。
灰色のフード付き外套を纏った、背の高い男性が小舟の中央に立っていた。
訪問客は、一人だけである。
一瞥した限り、武器の類は身に帯びていない。
外套の袖から覗く男性の指は繊細そうで、とても剣を扱う者には見えなかった。
「何用ですかぃ、旦那…?」
桟橋に小舟を舫いながら、ヨルグは平板な口調で訊ねた。
「初めまして、わたしの名はアーロンと申します。森の魔女さまに、お取次ぎを願いたい」
スラリとした長身の青年が言った。
「申し訳ないが、余所者は通せないんだ」
「謝罪の必要はありません。事情は心得ております。わたしはウスベルク帝国よりの使者です。ウィルヘルム皇帝陛下の親書を預かって参りました。その旨を魔女さまにお伝えください」
「むぅ…」
桟橋を見張っていたヨルグは、困り果てた様子で頭を掻いた。
「貴方の小屋で、待たせてはいただけませんでしょうか?」
「オレの小屋は狭いし、汚いんだ」
「火に当たらせて頂けるなら、文句などありません」
アーロンは外套のフードを外して顔を見せた。
アーロンの口もとには、品の良さそうな笑みが浮かんでいた。
「あんた、エルフかい?」
「ええっ…」
「魔女さまには、魔法の相談かね?」
「森の魔女さまは、わたしの師匠なんです」
「承知した…。使者殿は、オレの小屋で休んでくれ。急いで森の魔女さまに、使いをだすよ」
毛皮を着こんだ男は、アーロンを管理小屋へと案内した。
「おーい、クルト。使いを頼まれてくれないか!」
「村までか…」
「そうだ。村長に連絡して欲しい。客人が来たとな…!」
「橇を使うぞ。急ぐんだろぉー?」
「ああっ。客人はアーロンと言うエルフだ。森の魔女さまに会いたがっていると、伝えてくれ」
「分かったよ。オヤジ…」
小柄なクルト少年は、外套を羽織ると小屋の外へ出ていった。