メルとトンキー
精霊祭が無事に終わり、メジエール村に日常が戻って来た。
以前と変わった点を上げるなら、メルの顔が村中に知れ渡ったので、すれ違う人から挨拶をされるようになった事くらいだ。
いや…。
メルの毎日は、少しだけ忙しくなった。
トンキーに朝夕の散歩をさせ、たっぷりとゴハンを食べさせ、お風呂に入れる。
これらは全て、メルがやるべき仕事だった。
「わらし、アネ。とんきー、オトォート」
「飼っても食べないんでしょ。だったら、ちゃんとメルが、お世話しようね」
「モンダイなし。わらし、ちゃんとすゆ!」
「ちぇ…。何だよ、せっかく豚もらったのに…。潰してハムにしねぇのか?」
「ぱぁーぱ。とんきー、食ったらユユさん!」
豚肉が大好きなメルだけれど、賞品で貰った仔ブタの愛らしさにハートを撃ち抜かれ、トンキーと名付けた。
こうなるともう、食べる訳にはいかない。
メルのメンタルは、豚飼いたちのように鍛えられていない。
だから仔ブタのトンキーは、この時点で精肉にされる運命から逃れた。
「まぁま…。トンキーに、フクちゅくって…」
「ええっ…?メルちゃん、ブタは服を着ないよ」
「だぁからー。トンキー、ブタちゃう。フクきれば、ブタと思われん!」
「あーっ。誰かに食べられちゃうと困るから、服を着せたいってことかな…?」
「うんうん…♪」
アビーは察しが良い。
メルのへなちょこな会話力でも、何がしたいのか気づいてくれる。
因みに…。
もっともメル語を理解しているのは、親友のタリサだった。
会話の先生として、メルの言葉を正しているのもタリサだった。
「それじゃぁー。こうしようか、メルちゃん」
「んっ?」
「ママが、トンキーの服を用意して上げる。その代わりにメルちゃんも、ママがして欲しいことをするの…」
「ええヨォー」
「よっし。約束したからねェー」
「うん…。わらし、ヤクソクした!」
トンキーに服を用意して貰えることになって、メルは大いにはしゃいだ。
因みに…。
もっともメルの操縦に長けているのは、アビーだった。
そんな訳でメルは、今ピンクのフリフリなワンピースを着て、トンキーと散歩していた。
(なんで、こうなった…?)
何がどうあろうと、ヤクソクは約束である。
守らなければ女児がすたる。
もうヤケクソだった。
ツンデレ特有のプライド(ツン)が邪魔をして、メルはピンクのワンピースを拒絶できなかった。
アビーの完全勝利であった。
トンキーの服は古くなった日除けを再利用した、シマシマのタンクトップだ。
赤と白の横シマがキュートだった。
アビーはメルに与えるものを何ひとつとして手抜きしない。
トンキーの服を丁寧に作られてしまったら、メルだって約束を守るしかなかった。
「仕方なし…!」
メルは開き直った。
ピンクのヒラヒラは恥ずかしいけれど、いずれ慣れなければいけないと覚悟をしていた。
女児として生を受けた以上は、『オシャレ』だって人並みであらねばなるまい。
そして、やがては…。
偉大なる妖精女王として、世の男どもを巧みに乗りこなすのだ。
(いや、それは違うと…。ストップ、ストォーップ…!冗談じゃない。男は乗りこなしませんよ。男に跨っちゃうのはナシ…。だって…。そんなの、ハシタナイじゃん!)
調子に乗り過ぎである。
己のイケナイ妄想に頬を染め、プルプルと恥じらう幼女だった。
因みに…。
樹生の性知識は、中学生レベルで止まっている。
憧れは女の子とのチューだった。
そこから先は暗黒大陸である。
未開地…。
樹生が性的に未成熟だからこそ、メルとして生きるコトに抵抗を覚えなかった。
ジェンダーの問題は有れど、それもまた非常に薄い。
特に幼児退行化のバッドステータスが働いているせいか、最近ではアビーの胸をセクシャルな象徴として捉えなくなった。
メルにとってアビーの乳房は良い匂いがする柔らかな膨らみで、寂しくなったときに顔を埋める居心地の良い場所と認識されていた。
だから以前のように恥ずかしがらず、アビーと一緒に入浴する。
抱きつくときにも、遠慮と言うものが無くなった。
指しゃぶりも癖として定着し、オッパイちゅーちゅーまで、あと一息だった。
もはや、只の幼児である。
チョットだけ生意気で、寂しがりやの女児。
それがメルの正体であった。
このゆったりとした幼児の日常は、子供時代を子供らしく過ごせなかった樹生に対する、精霊さまからの贈り物かも知れなかった。
トンキーと散歩することで、少しだけメルの行動範囲が広がった。
メジエール村の中央広場を出て、クルリと周囲を回るのが散歩コースだった。
テクテク歩いていると、メルに気づいた近所の小母さんたちが声をかけてくる。
「おや、メルちゃん。美味しそうなブタだねェー」
「ぷきぃー!」
「やめぇーっ!」
トンキーが狙われていた。
「おはよう、メルちゃん。いいもの貰ったねぇー。大きくなったら、アタシにも塩漬け肉を分けて頂戴ね」
「ピィーッ!」
「やらんわーっ!」
近所の小母ちゃんたちは、メルのトンキーを食べる気満々である。
心配性のメルには、小母ちゃんたちが情け容赦のない鬼みたいに思えた。
(トンキーは服を着てるのに、期待していたような効果を上げていない。何て食い意地の張った、小母ちゃんたちだ。このままでは、イカン…!)
村人たちは、誰もメルの仔ブタを盗んだりしない。
むしろトンキーが迷子になれば、『酔いどれ亭』まで届けてくれるだろう。
メルが余りにも仔ブタを可愛がっているので、揶揄われたのだ。
それなのにメルは、トンキーの身を案じていた。
トンキーも近所の小母ちゃんたちが脅かすたびに、情けない悲鳴を上げた。
「おまぁー、ネラわれとるで…。これっ、食え!」
「ぶっ、ぶっ…」
心配するあまり、メルが手を出したのは禁断の果実。
精霊樹の実だった。
これを食べさせれば、たぶん、おそらく、きっと…。
トンキーは俺つぇぇぇーっ豚に育って、誰にも襲われなくなる。
そう考えたメルは、せっせとトンキーに精霊樹の実を与えまくった。
〈メル…。ボクは心配だよ〉
ミケ王子がトンキーを眺めながら、ボソリと言った。
〈ミケは、何が心配なの…?〉
〈精霊樹の実をブタに食べさせるなんて、聞いたこともないや。きっと、とんでもない事態になるよ…〉
〈食べ過ぎて、お腹を下すとか…?〉
〈違うよ…!そのうちトンキーは、魔獣より恐ろしい怪物になるかも…。ボクが心配しているのは、未知の危険についてだよ!〉
〈なるほどォー!〉
ミケ王子の話を聞いたメルは、より一層トンキーのドーピングに励むのだった。
『早く強くなれっ!』と、心に念じながら…。
◇◇◇◇
トンキーの散歩から戻ったメルは久しぶりにタブレットPCを開いて、新しい項目を発見した。
「チャクシンあり…、って。まじかぁー?」
新規のタブには手紙のアイコンが表示され、一件の着信があるコトを知らせていた。
(こんな異世界で、いったい誰からのメールだろう…?)
メルはワクワクしながら、モニター画面をタップした。
(わぁー。和樹兄さんからのメールだ。すっごい嬉しいんだけど…!)
メチャクチャ浮かれて文書ファイルを開いたメルは、そのまま固まった。
(いえぇー?イエーイ!って。こんだけ…?アニキ、ふざけるなし!!)
開いたメールには、和樹の苦情と『遺影』の二文字。
「もぉーっ。わらし…。アッタマ、きたわ!」
メルは小さな悪魔のような形相になると、一心不乱でタブレットPCを操作し始めた。








