森川家の騒動
森川徹(54)は、輸入食品卸売企業に勤める会社員だ。
堅実な性格の持ち主で、平穏な日々をこよなく愛する男だった。
もっぱら休日は妻とのデートを楽しみ、頼まれたなら嫌な顔一つせずに日曜大工もこなす。
風呂掃除や買い物も引き受け、家族との関りを何より大切にする。
息子の和樹にしてみれば、ちょっとウザイくらいの父親である。
世間と比べて、家族愛が濃すぎるのだ。
『何事であれ、感謝の気持ちが大事。常に笑顔を心掛けなさい!』
ひとり宗教家みたいな御託を述べる父親が、先日から苦虫を噛み潰したような顔になっている。
(これは、親父のところにも来たな…!)
和樹にはピンときた。
母親の由紀恵(50)は、最近ようやく樹生の死から立ち直りかけていたのに、またもや軽度の鬱が再発したようで暗く打ち沈んでいる。
昨夜はキッチンで、声も出さずに泣いていた。
原因は樹生からのメールだ。
二年も前に病死した樹生から、意味不明なメールが届いたのだ。
(親父と母さんは、どう考えているのだろう…?タチの悪い、イタズラだと思っているのかな…?)
当初は和樹もイタズラを疑った。
だが、よくよく考えてみるとあり得なかった。
和樹が霊界通信とでも呼ぶべきメールを受信したのは、取引相手しか知らない秘匿されたメールアドレスだった。
友人や家族にも教えていない。
取引相手と森川家には、何ひとつ接点がなかった。
そもそも和樹の仕事相手は、和樹に弟がいたことさえ知らない。
申し訳ないと思いながら、コッソリと母親のスマホも調べさせてもらった。
すると和樹に送られたメールに酷似した文面のメールが、既読欄に保存されていた。
(イタズラだと思って消そうとしたのに、消せなかった…。そんなところか…?)
樹生を名乗る人物からのメールには送り手のアドレスが無く、返信ができない。
これでは相手の意図を問い質すどころか、正体を探るのでさえ難しかった。
(メールの文面に、何某かの悪意は感じられない。それだけに、母さんが削除できなかった気持ちは分かる…)
本物だったら、消せない。
消してしまったら、取り返しがつかない。
そう考えたのだろう。
(親父は削除してしまったのかな…?)
できれば削除される前に、自分が手に入れた情報を伝えておきたい。
夕食の片づけがひと段落着いたところで、和樹は珍しく両親に紅茶を淹れながら切りだした。
「回りくどいのは嫌いなので、ハッキリ言わせてもらう。親父のところにも、樹生からのメールが届いたのか…?」
「………馬鹿を言うな。樹生は居ない。死んでしまった者から、メールなど来るはずが無かろう!」
「それはメールが来たけれど、イタズラと判断したってことで良いのかな?」
「むむっ…。許しがたい、悪意に満ちたイタズラだ。これほど不愉快な気持ちにさせられたのは、生まれて初めてのことだ!」
父親が憤り、母親は悲しそうに項垂れた。
もしやと思う気持ちを否定されて、泣きそうな顔になっていた。
「オレと母さんのところにも、樹生からメールが届いている…。母さんには悪いけれど、黙って確認させて貰った。ゴメンね、母さん…。ちょっとだけ、心配だったからさぁー」
「そう…。樹生のコトだし、構わないわよ。そのかわり和樹のところに来たメールも、母さんに見せて欲しいな…」
「ああっ。ちゃんと見せるよ。で…。話したいのは、此処からなんだ。イタズラか、そうでないか…。そこについて話したい」
「なにか調べたのか…?」
「ちょっとね。チョットだけ調べて、試してみた」
和樹は椅子の背もたれに身体を預け、紅茶のカップに口をつけた。
大きめのキッチンテーブルには、樹生が座っていた椅子が残されていた。
「母さん。樹生が亡くなったとき、消えていた所持品があっただろ…?」
「……あの子の、デイパックとパソコン。いくら病室を探しても、見つけられなかったわね…。誰かが盗って行ったかと思うと、悔しくて寝られなくなるの…。ホント忌々しい!」
「信じられない事をするやつが居ると、オレも思ったよ。だけど、そんな悪人は存在しなかったんだ」
「どういうことなの…?」
「あのタブレットPCは、樹生が持って行った…」
「和樹…。いい加減な話をするのは、止めないか…!」
不愉快そうな顔で、父親が和樹を窘めた。
「ちょっと待とうか…。まだ話は終わっていないんだ。お願いだから、最後まで聞いて貰いたい」
「……っ。オマエが、そうまで言うのなら、終わりまで聞くとしよう」
「ありがとう…。それじゃ、コイツを見て欲しい。オレのところに来たメールだ…」
和樹が最新型のノートパソコンを両親のまえに置いた。
モニターには、樹生からのメールが開かれている。
「書いてあるだろ…。タブレットを未だに使ってるって…」
「本当だわ…。あの子…。死んでも持って行くほど、大事にしてたのね!」
「書いてあるけれど、それがどうした?」
「そうだよ、親父…。本題は、此処からなんだ…」
和樹は穏やかな笑みを浮かべた。
「まず大前提として…。何処かの誰かが、樹生を名乗ってオレにメールをだすことはあり得ない。このメールが届けられたアドレスは、仕事先の人間しか知らないアドレスだ。しかも彼らとは、一切プライベートな関係がない…。だから此処からの話は、オレが親父と母さんを騙しているか、樹生からのメールが本物かの二択になってしまう。だが残念なことにオレは、自分自身のアリバイを完璧に証明できない」
「うむっ…。続けてくれ…」
「いいね、二人とも…。自分たちの交友関係を疑うのは、これで終了だ。疑うなら息子であるオレを疑うんだな…。オレとしては悲しいけれど、今のように疑心暗鬼でいるより、ずっとマシだろ。親父と母さんのことは、樹生から頼まれちまったからな」
「それで、オマエは何を隠しているんだ?まだ、他に何かあるのだろう…?」
あるに決まっていた。
それも、とっておきの爆弾が…。
本来の和樹は、オカルト的なモノに徹底して懐疑的な視線を向ける若者だった。
ネットに蔓延る心霊動画などは、ひとつの例外もなく作りものだと決めつけるほどに頭が固かった。
だが樹生の件となると、いつものように割り切れない。
まやかしだの一言で片づけるには、信じたい気持ちが強すぎた。
だから和樹はメールを送った。
すでに抹消されている樹生のアドレスに、ダメもとで…。
おセンチで未練がましい、アホのするアホな真似だった。
全くもって、お笑い種である。
それなのに…。
和樹が送ったメールに、送信不能のメッセージは表示されなかった。
しかも返信が来た。
添付ファイル付きで…。
「オレは樹生にメールをだした。『オマエがちゃんとした写真を撮らせないから、遺影で苦労したんだぞ!馬鹿タレが…』って…。その返事がこれだ!」
和樹はノートパソコンを操作して、樹生のメッセージと添付されていた画像ファイルを呼びだした。
そこには…。
『やっぱり遺影に使うつもりでいたんだなっ!』
と書かれていた。
生前の樹生は写真が大嫌いで、カメラを向けられると変顔で写ろうとした。
両手を頬に当て、思いきりねじくるのだ。
画像ファイルに映っていたのは、変顔をした幼女の姿だった。
まさに、樹生がしていたのと同じ変顔だった。
「何をしてるんだ。コイツは…?もう変顔なんかする必要は、ないだろぉー!」
「やだっ。樹生ったら…。こんなに、カワイクなっちゃって…」
父親は呆れ果て、母親は涙を堪えながら微笑んだ。
二人とも幼女の耳が尖っているコトには、全く言及しなかった。
其れほどに、その写真には説得力があったのだ。
まるで魔法のように…。
写真の幼女が樹生であると信じ込ませる、無垢な力があった。
(どぉー見ても、エルフなんだけどな…。そこは、突っ込まないのか…?)
和樹はニヤニヤと笑いながらも、両親とのジェネレーションギャップを噛みしめた。
(親父たちとは、異世界転生の話で盛り上がれそうもないか…)
父親の徹は、和樹に輪をかけて頭が固かった。
寂しい限りである。