強いラヴィニア姫は好きですか?
暑い夏と言えば水遊びだ。
幼い頃にはゲラルト親方に貰った金盥で水浴びをしていたメルだが、妖精女王陛下ともなれば贅沢な浴槽を用意してもらえる。
その新円の浴槽には、中央に黄色いアヒルが浮かんでいた。
水先案内役のアヒルと対をなす一体だ。
所謂、分け身である。
フェアリー城に到着したクリスタは、精霊議会議長のハトホルに案内されてメルの浴室を訪れ、感嘆の声を漏らした。
「これはまた、緻密な紋様じゃのぉー!?」
浴槽の底部に刻まれた異世界間転移術式は、水と風の妖精たちに力を与え、二色のオーブを回転させていた。
「世界の理に働きかけるマナ術式です」
「構造は魔法陣に酷似しておるけど、ひとつも知った文字がない」
「人の生活には意味をなさない、古い古い記号です」
妖精たちが大きな浴槽の上をクルクルと回る。
外周は超高速で飛び、内側に向かうほどゆっくりと。
中央付近では、大量の妖精たちが押すな押すな状態である。
「内側へ近くなるほど、妖精たちの密度が高くなっています」
ハトホルが言うまでもないことを説明した。
「時間のズレを調整しているのかい?」
「はい。中央のアヒルが居る場所で、異界との時間のズレがゼロになります」
「なるほどなー」
クリスタは力強く頷き、浴槽の縁を跨いだ。
足を進めるクリスタの動きは、中央に近づくほど緩慢になって行く。
アヒルに接触したなら霊素の力が発動し、クリスタと圧縮された妖精たちを異界へと跳ばす。
並行世界へと通じる霊的なトンネルを作るのは、水と風の妖精たちである。
「■〇Δー!」
クリスタの発した言葉が、間延びした重低音で腹に響く。
異なる時間の流れに邪魔をされて、その台詞は欠片も聞き取れなかった。
ぶつかってくる妖精たちに森の老魔法使いを装う隠蔽術式が剥がされ、クリスタは若々しいエルフ女性の姿に戻っていた。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ。調停者さま」
ハトホルは無意味なことと知りながら、クリスタに声を掛けた。
◇◇◇◇
ビィィィィィィィィィィーッ!
ビィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィーッ!!
ビィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィーッ!!!
ブライアン・J・ロングは、けたたましい警報音に飛び上がり、操作卓に駆け寄った。
異常事態である。
ブライアンが所有する島は、外部からの侵入を許さない要塞だ。
海からであろうと空からであろうと、許可なき来訪者はレールガンを連射して破壊する。
それなのに……。
ピンポン、ピンポン……♪
ピンポン、ピンポン、ピンポン……♪
屋敷の入口で、しつこくインターフォンを鳴らすヤツが居た。
この島に移り住んでから、一度も鳴ったことのないインターフォンをだ。
「くっ……!?」
監視カメラの映像を出してみれば、あいつだった。
「あのチビだ……。どうやって、ここまで来た!?」
余りのことに、ブライアンは口をポカンと開けた。
『おい、こら。おるんやろ、エリク。居留守つこぉーても、バレとるで。わらしデス。わらし、わらし……。メルちゃんデス。アータのお家に、遊びに来ちゃった。正面ゲートを開けてチョ』
妖精女王を名乗る幼女が、正面ゲートに設置されたセキュリティシステムから監視カメラをもぎ取り、顔を近づけて騒ぎ立てる。
『ここを開けろぉー。はよ開けんかい!』
冗談ではなかった。
「とっとと、侵入者を始末しろ!」
ブライアンが操作卓のボタンを押しまくった。
島の全域に配置された蟲人間たちが、正面ゲートへと向かい移動を開始した。
「敵さんが、ゾロゾロと集まって来ますね」
「差し支えなし。わたしが斬る」
不安そうな白狐に向かい、その身に毘沙門天を降ろしたラヴィニア姫が簡潔に答えた。
「カッケー。あーたは剣劇アクション映画のヒロインですか?」
メルは憧れを含んだ瞳で、ラヴィニア姫を見つめた。
だがメルの挙動には、純粋な憧れでは済まない劣等感のようなものが見え隠れしていた。
男なら、大好きな娘が自分より大きくて格好良いと、複雑な心境になる。
仕方がない。
だが今は、パワーの温存が求められていた。
メルの出番はまだ先だ。
力の配分を間違えてしまうと、取り返しがつかない。
「アヒル。クリスタ婆ちゃんは……?」
「こちらの時間で、あと三十分ほどではないかと思われます」
「ラビーはん。三十分だって」
「よかろう。薄汚い雑魚どもめ。斬って斬って、斬り伏せてくれるわ」
ラヴィニア姫は口調までガラリと変わってしまい、どことなく男前だ。
「あーっ。ラビーはん。エリクの注意を引きたいので、さっさと終わらすのは止めてくらはい」
「ふむ、左様か……?」
憑依した神に影響されて、まるで剣豪のような受け答えをする。
「あうー」
メルはユグドラシル王国兵呪工廠が開発した魔法のブレスレットに、かなりの不満があった。
(ラビーちゃんは優しくて理性的。いつ如何なるときであろうと、好戦的になって暴れたりしないんだ。兵呪工廠の連中は、ちっとも分かっていない。僕の好みを理解していないよ!)
メルの中に潜む男子な部分が、自分の理想とする女性像にしがみついて騒ぎ立てる。
それでも格好良いものは格好良いので、ついつい模型を愛でるように触ってしまったりする訳だ。
革で作られた装備品とか、腰に巻かれた注連縄のようなベルトを。
キュッとしまったウエストのラインも、ペタペタと。
「んっ、抱っこして欲しいのかな?」
「ちゃうねん。抱っこもありやけど、衣装のこの部分がクールやなと思いまして……」
「ほぉーら。抱っこだ。タカイタカイ」
「あうー!」
TS幼女の男心は、とてもナイーブで取り扱いが難しかった。
嬉しいと悲しいが同居するメルの表情は、一時たりと安定せずに揺れ動く。
すべてラヴィニア姫にばれているとすれば、その反応は救いようもなく滑稽だった。
「敵だ。敵が来ました。蟲人間です」
白狐が後ろ足で立ち上がり、警戒を促すべく叫んだ。
「さてと……。抱っこはお終い。メルちゃんは、そこでじっとしていてね」
ラヴィニア姫はメルを正面ゲートの脇に座らせると、刀を抜いた。
右手に大太刀、左手に小太刀を構える二刀流だ。
「はぁー。宮本武蔵みたいやん」
凛々しいラヴィニア姫を見つめ、メルがボソリと呟いた。
これはこれでありだった。
惚れてしまいそうだ。
「わんわんわんわんわん!!」
がさりと音を立て、茂みから姿を見せた蟲人間に、ピンクの稲妻が襲い掛かった。
ハンテンは屍呪之王にならず、小さいままでの参戦だ。
「ガフッ!」
ハンテンの頭突きで膝を折られた蟲人間が、地面に崩れ落ちた。
「ヌンッ!」
そこをすかさず、ラヴィニア姫が大太刀で突く。
喉、胸、腹と、目にも留まらぬ三段突きが、蟲人間の息の根を止める。
「ハンテン、先ずは敵の数を減らす。囲まれる心配が無くなったら、時間稼ぎをしよう」
「わんわんわん」
安心して眺めていられる頼もしいコンビだった。
地べたに座ったメルは、背嚢から乾燥させた精霊樹の実を取り出し、モキュモキュと頬張った。
「凄いですね。圧倒的な強さです」
「ウムッ。悪天狗と闘うのに比べたら、蟲人間なんぞ楽勝やろ」
「……チョ!やめてください。悪天狗ではありません。祖神さまです」
「あのけったいな猿。今頃、どうしておるかのぉー」
「蜘蛛猿に戻られた祖神さまは、お役目を全うしていらっしゃることでしょう」
「ほーん。したっけ、わらしも本気で役目を果たさんとならんわ」
今後の計画を考慮するなら、マナは幾らあっても足りない。
だから、こまめな補給が欠かせないのだ。
メルは正面ゲートに設置されていた監視カメラからコードを引きちぎり、奇妙な装置に接続した。
「それはなんですか……?」
「ブブたちが撮影した動画を受信する魔法具じゃ。ほれ、エリクにも、ラビーはんの活躍を見て欲しいけん」
「悪趣味ですね」
「アフォ。これも作戦やねん!」
メルが唇を尖らせ、白狐の耳をペシリと叩いた。
異世界転移は、移動直後がどうしても無防備になる。
であるならクリスタを安全な場所に転移させればよいのだが、それでは面白くないと思うメルだった。
「フフン。もう会えないと思っていた二人が、運命に導かれて再会します。わらし、キューピットよ。たのちー」
メルはクリスタとエリクの再会を劇的に演出したかった。
どうしてもエリクが驚き慄く顔を見なければ、復讐を果たした気になれない。
父親の徹は、職場で濡れ衣を着せられ、どれだけ悔しかったことか。
銀行口座まで凍結されて、どんなに怖い思いをしたか。
全部、自分のせいかと思えば、エリクに仕返しをしないと気が済まない。
「ワレ、くそ野郎に復讐せん!」
メルの思うところ、エリクが最大の弱点とするのはクリスタだった。
妻クリスタとの予期せぬ再会。
その瞬間、夫のエリクはどんな顔を見せてくれるのだろう?
愚にもつかぬ弁解を並べ立て、クリスタを激怒させるのだろうか……?
他人の修羅場は面白い。
そのためなら幾らだって我慢できるし、頑張れるのだ。
一方、操作卓の前に佇むブライアンは、メルに占拠されたモニター画面を凝視し、ガクガクと震えていた。
「なんだ、あの娘は……。二刀流だと……。剣豪ムサシか!?」
剣術に詳しくないブライアンだが、それだけに武蔵の名を思い浮かべた。
二刀流と言われたら、宮本武蔵しか知らないのだ。
その知識レベルは、メルとどっこいである。
「ウガァー!あのちっこい犬は、どうなっている。どうして私の蟲人間より強い!?」
ブライアンは異世界の暗黒時代を知らない。
だから、そこで活躍した屍呪之王についても、知る由がなかった。
屍呪之王とハンテンを別の存在と信じ込み、ピンク色をした小犬の強さに鼻白む。
「まずい。コレは拙いぞ。あいつら、ここまで来やがるに違いない」
これほど戦闘力に差があると、蟲人間は当てにならなかった。
数の暴力で蹂躙できると考えたのは、どうやら間違っていたようだ。
島の各所に設置したレールガンは、安全のために海や空しか狙えない。
島の内側を狙って発射すれば、ブライアンの住居にまで被害を及ぼすかも知れないからだ。
ハッキング対策に万全はあり得ない。
それを念頭に置き、サイバー攻撃により防御兵器のコントロールを奪われても、心配ないように設計した。
だからブライアンは、二刀流の狂暴な女ムサシと非常識なパワーで駆け回る小犬をレールガンで処理することができなかった。
「くそー。蟲人間が倒されたくらいで、どうしたと言うのだ。まだまだ私は、負けてなどいない!」
恐怖と動揺から、一周まわって開き直ったブライアンの目に、狂気の光が宿った。
「貴様ら、私を舐めるなよ」
魔法で身体強化を図り、武器ラックから愛用のSIG MPX‐Kを取り上げる。
狭い室内でも取り回しやすいよう、4.5インチバレルを搭載したSMGだ。
「こいつで、ありったけの魔法弾を撃ち込んでやる!」
そう口にしたブライアンは紳士の仮面を脱ぎ捨て、心根が腐った悪党の顔になった。








