ミッティア魔法王国の現状
グウェンドリーヌ女王陛下は自国の貧しい農村を目にしながら、ノダック連峰の渓谷を抜けた。
ミッティア魔法王国から脱出する過程で、いく度か暴動を目撃している。
焼き討ちにあった貴族の邸宅も、その目で見た。
「滅びるときは早いのぉ……」
「全くです。陛下」
「マリーズよ、陛下は止めい。わたしを襲わせたいのか?そうなれば貴様たちも無事では済まぬぞ」
「これは申し訳ございません」
辺りに耳目はなく、つい口を滑らせたマリーズ・レノアだった。
「さて、我が身は、隣国への亡命など許されるはずもなし……。ひとまずは七人委員会の追手から逃れたものの、どうすれば良いか……?」
「糧食が尽きています。早急に補給せねばなりません」
マーカス・スコットが喫緊の問題を口にした。
「農村を襲撃しますか?」
「バカを言うでない。もともとは、わたしの民である。今もなお、愛おしい。それを傷つけるなど、とんでもない話だ」
「でしたら、この地の領主から奪いますか?」
「たしかリーデル子爵は、枢密院に顔を覗かせていたな」
「女王よ。クリストファー・リーデル子爵なら、ウスベルクに派遣されていた大使じゃ。ゴリゴリのタカ派で知られておる。枢密院議会では、ウスベルク帝国との開戦を大声で主張しておったわい」
グウェンドリーヌに付き従うエルフの占い師イルザは倒木に腰を下ろし、熱い茶を飲みながら小さく頷いた。
山道での雪中行軍は魔法による身体強化があっても、骨身に応える。
イルザのような老婆であればことさらだ。
「イルザ。女王は止めよ!」
「…………いまさら」
イルザは鼻を鳴らして笑った。
「今更か……。貧すれば鈍するだな。よいアイデアもなし、いっそのこと逆賊にでもなるか……」
「あぁー。それを言うなら、女王軍です。自分から逆賊を名乗っては、味方がついて来ません」
「マリーズの言う通りじゃな。折角だから女王軍を立ち上げて、ウスベルク帝国に攻め入った罪や妖精迫害の罪をぜぇーんぶサラデウスに押し付けてしまえばよい」
「なるほど……。それでクリスタや妖精女王陛下の怒りは鎮まるか……?」
「やらんより百倍マシじゃ。慧眼の能力も、そう言っておろう?」
グウェンドリーヌは眼を閉じ、未来に意識を向けた。
「うむっ。イルザの占いと、わたしの能力は、同じ未来を感じ取ったようだな」
「じゃろ……。わしらに選択肢など残されていない。四の五の言わずに、力の限り進むしかないわ」
「モニカ、お茶のおかわりをくれんか?寒くて敵わん」
「はい。どうぞ」
毛皮で着ぶくれした女王陛下の侍女が、イルザのカップに茶を注いだ。
たった五人の寄せ集めだが、潜入破壊活動や人心掌握となれば、うってつけのメンバー構成だった。
しかもマリーズとマーカスしか知らないけれど、リニューアルされたカメラマンの精霊が途中から参加していた。
〈クリストファー・リーデル子爵は、こちらの手ゴマです。城塞に攻め込む必要はありません。拠点として利用することをお勧めします〉
より瘴気の影響を受けず、低コストで活動可能な敵地専用型マイクロ・ドローンのベルゼブブが、マリーズとマーカスに助言した。
〈どういうことか……?〉
〈すでにリーデル子爵の洗脳は、神の声プロジェクトにより完了しています。グウェンドリーヌ女王の命令に従うよう、明日までに調整しておきます〉
〈フムッ〉
〈この地でグウェンドリーヌ女王が挙兵するなら、元特殊部隊のフレンセンたちを合流させましょう〉
〈元特殊部隊……?〉
〈そちらも洗脳済みです。チームに指示を出して、魔法軍の魔装化部隊から最新式の装備を持ち出させましょう〉
〈よろしく頼む〉
マリーズは携帯食料を齧りながら樹の幹に寄りかかった。
枝に降り積もった雪が、足元に落下した。
「まいった」
「ああっ、妖精女王陛下は手回しの良いこと」
マリーズとマーカスは全身から脱力して、ため息を吐いた。
クリストファー・リーデル子爵の件は偶然に違いないが、それにしてもである。
「運を味方に着けていますね」
「勢いに乗った妖精女王陛下は手に負えん」
「全くですな」
マリーズが思い起こすのは、妖精女王陛下との出会い。
ミジエール街で味わった、最悪の敗北だった。
幼女を相手に、なす術なし。
はてさて七人委員会の長老サラデウスが、どのような顔を見せてくれるやら。
それを想像するだけで、笑ってしまいそうになるマリーズだった。
◇◇◇◇
ミッティア魔法王国は、峻厳な山脈に囲まれた肥沃な平野を国土としていた。
暗黒時代は農業国であり、魔法文明の発達に従って現在の魔法産業国へと姿を変えていった。
あちらこちらに出没する悪鬼や邪霊と戦うには、強力な兵呪が必要なので仕方がなかった。
その時代、魔法技術の発展と国民の強化は、避けて通れない重要課題だったのだ。
だが無理な開発には、リスクが伴う。
数多の鉱脈が発掘されたことで、河川は汚染された。
耕作地は産業地帯となり、農民は労働者として工場に雇われ、農産物の収穫は激減した。
農産物を輸入に頼り、高度な魔法具を輸出する。
食糧自給率の低い魔法産業国が、ミッティア魔法王国である。
生存に必要な食料を他国に依存するミッティア魔法王国は、必然的に覇権国家となった。
周辺諸国を恫喝によって支配下に置く、軍事大国だ。
そして諸外国との貿易に必須なのが、ヴェルマン海峡だった。
国土を山脈に囲まれたミッティア魔法王国の貿易は、おもに海路を用いて行われた。
それなのに、その大切な海が海洋モンスターに占拠されてしまった。
「サラデウスさま。ラスコ共和国に向かった輸送船団が戻りません」
「護衛艦を三隻もつけただろう!」
報告を聞いたサラデウスは、顔を赤く染めて吠えた。
「先の海戦で生き残った水兵が申しますには、海竜だけでなく、サハギンの集団も襲って来るので、護衛艦の砲では対処できないようです」
「艦の真下から攻められると、反撃は不可能になりますから」
「今回は海路を変え、運を天に任せた出航でしたが、見つかってしまったようですね。モンスターどもは、かなり広域に分布していると、考えた方が良いでしょう」
「グヌヌヌヌッ……!?」
まだ、食糧の貯えは充分にあった。
それでも海外からの輸入が途絶えてしまえば、食い潰していく一方だ。
「新型の水雷艇は……?」
「水雷の威力を上げるのに、手間取っています。水雷の投下手段についても、技術者たちが模索中です」
「今のままでは、海竜の討伐作戦に参加させられません」
ウスベルク帝国への侵攻に失敗してから、ピクスの捕獲量が減ってしまったのも悩ましい。
新造艦を揃えたくても、造船に必要な動力が不足していた。
「技術者の住居が、暴徒に襲われて焼かれました。護衛部隊の派遣を要請されています」
「物価高が原因ですね。生活必需品を手に入れられない低所得者が、徒党を組んで暴れているようです」
「これまでと同じ量の品物を市場に出している。どうして物価が上がる?」
「商品が消えているからです。誰かが……。というか資産家が、買いまくっているのでしょう」
こんな時にも貴族や商人は私腹を肥やし、消費物を買い占める。
とくに保存可能な食料品を……。
物価は上がり続け、食糧危機によって各地で暴動が起きるようになった。
「枢密院の馬鹿どもが……。祖国を失えば、欲張って溜め込んだ財産に意味などあるまい」
「取り敢えず現状でも可能なのは、食料品の売買禁止です」
「配給制の導入か……」
枢密院議会の貴族たちは、食料品の配給制度に猛反対するだろう。
だが、断行するしかあるまい。
危急存亡の折に際しては、独断専横もやむなし。
周囲にバカ貴族と愚民しか居ないのなら、それも仕方あるまいと考える長老サラデウスだった。
そんなサラデウスに東部からもたらされた速報が、追い打ちをかけた。
「クリストファー・リーデル子爵、自領にて挙兵。女王軍を名乗っています」
「何だとぉー!?」
「情報を持ち帰った兵の中に、グウェンドリーヌさまのお姿を目撃した者がおります。これは、もと女王を旗頭とした謀反です。周辺の貴族たちも七人委員会と枢密院の失策を糾弾すべきだと、リーデル子爵の軍に合流した様子」
「あのクソ女が……。この大変なときに、何を考えている。いま国を割れば、ミッティアが亡ぶぞ!」
サラデウスは激しくコブシを震わせ、口の端から泡を吹いた。
◇◇◇◇
黒曜宮の寝室にて、黒太母ベアトリーチェは静かに微睡んでいた。
微笑みを浮かべた顔は、まるで無垢な幼子のようだ。
楽しい夢でも見ているのだろう。
「ははうえ……」
忌まわしい虚無の蟲たちを統べる女王の口から、寝言が零れ落ちた。
あまりにも似つかわしくない寝言だった。
世界を滅ぼさんとするベアトリーチェが夢に見る、愛おしい母の姿。
「ははう、え……」
ベアトリーチェの表情は苦しげに歪み、目じりに涙が滲んだ。
そして、その姿も、大きく、体節のある蟲へと、軋みながら変貌した。
「ゆるさん、許さない。卑劣な嘘つきどもが……。わらわを迎えに来ると約しておいて……」
むくりと顔を上げたベアトリーチェは、黒太母の姿を取り戻していた。
ぎちぎちと大顎を噛み鳴らしながら、寝床から這いだす。
「嘘つきどもは言葉だけでなく、仕草まで弄して、お互いに騙し合う。じつに醜い。私欲に囚われ醜悪だ」
黒太母は頭を振り、六本の足で黒曜石の床に立ち上がった。
大鏡に映る己の姿は、蟲の頭部に人の上半身が生えた怪物である。
「フム、髪が乱れている。キチンとせねばな」
そう言いながら、古くなった飾り櫛で寝癖を直した。
そのアクセサリーは、エルフ女王クリスタからの贈りものである。
決して櫛の歯が欠けることのない、美しい魔法具だった。
髪を整える癖も、クリスタに躾けられた習慣だ。
母の手で、髪を結ってもらった幸せな日々。
あの笑顔や温もりは、すっかり色褪せてしまった。
「世界は美しく有らねばならぬ。わらわが、あの腐り切った世界を完璧に整えよう」
黒太母は髪を束ねて飾り櫛で留めると、ミッティア魔法王国に意識を飛ばした。
潜伏中の蟲たちが、黒太母にミッティア魔法王国の窮状を伝えてくる。
「フフッ……。そろそろ刈り入れの準備をするか……」
魔法の飾り櫛はベアトリーチェに残された、たった一つの大切な所有物だった。
だけどもう、ベアトリーチェはその由来を忘れていた。








