妖精女王陛下の度量
ラヴィニア姫とアーロンを乗せた馬車が、車輪の音をカラコロと石畳に響かせて、精霊の町を走る。
「まるで、おとぎの国ね」
ラヴィニア姫は何度見ても、そう思う。
カラフルな屋根とおもちゃのような街並み、通りを行き交う人々は八割が精霊だ。
残る二割は、崩壊した村落から救出された避難民の寄せ集めである。
生活に疲れて憂鬱そうな顔をした者は、一人もいない。
アチラにもコチラにも、笑みがある。
モコモコとした獣人の子たちが、ゆっくりと走る馬車を追いかけ、ラヴィニア姫に手を振った。
ラヴィニア姫も窓から顔を出して、手を振り返す。
「「「わーい。わーい。お姫さまだぁー!」」」
こうした小さなやり取りを重ねて、精霊と人々は交流を深めていくのだろう。
「旦那さま、お嬢さま……。さあ、お城ですよ」
御者が前方に見えてきた白亜の城を見て、ラヴィニア姫とアーロンに伝えた。
「アーロン。メルちゃんのお城に名前がついたのよ。知ってた?」
「フェアリー城ですね」
アーロンがムスッとした顔で答えた。
「悪魔城でないのが不思議でなりません」
「あらら……」
「私はですね。何度も煮え湯を飲まされていますから、メルさんを可愛らしい妖精とは思えないのです」
「ドロワーズ?」
「そうですよぉー!あれだけではありませんけどね!!」
誤解が解かれても、恨みは残る。
アーロンの記憶力は、数年前に受けた辱めを忘れるほど耄碌していなかった。
ラヴィニア姫は、あの日あの時のアーロンを思い出し、クスクスと笑ってしまった。
横入り厳禁の掟を破り、幼児ーズのゴハンを奪ってしまったのは、ラヴィニア姫も同罪だった。
だけどメルと幼児ーズはアーロンのみに狙いを定め、事前予告付きで報復を行ったのだ。
何も知らないラヴィニア姫とユリアーネ女史は、幼児用のドロワーズで口を拭いたアーロンに、住居からの退去を命じた。
まあ、幼児用のドロワーズで口を拭くような変態エルフは、追い出されても仕方がない。
後から聞けばタリサのアイデアだったらしいが、子供らしからぬ急所を抉るような攻撃だった。
たとえ皇帝陛下の相談役であろうと、幼児ーズの行動力を侮ってはならない。
下手をすれば、社会生命を断たれてしまうから。
「子供のイタズラに目くじらを立てるなんて、大人げないわ」
「いやいやいや……。あれは悪魔の所業ですよ」
その実行犯がメルである。
アーロンが恨むのも、分からないではなかった。
そこは、ラヴィニア姫でも庇いきれない。
「でも、あの可愛らしいお城に、悪魔城の名は相応しくありません」
「そうなんですよね。なんかもう絵本に登場する美しい宮殿みたいで、悔しいけれど悪魔城とか呼べない」
「メルちゃんと同じですね。ヤンチャだけど可愛らしいから妖精です」
「いや。あれはバルガスが命名した、悪魔チビで充分かと」
メルに当たられ続けたアーロンも、意固地になる。
メルとアーロンの二人は、ラヴィニア姫を取り合うライバルだった。
ラヴィニア姫とアーロンを乗せた白い馬車は、朗々たるラッパの音色に出迎えられ、儀仗兵たちが並ぶ城門を通過した。
「皆、ラヴィニア姫を歓迎しています」
「そうなのかしら……。でも、それはメルちゃんのお陰でしょ」
「いや、姫が封印の塔を守り続けたからですよ。精霊樹の苗を育て、概念界を滅亡から救った。ここにいる誰もが、姫の努力を認めているからです。あれは悦びの声です」
「本当に……。そうなら嬉しいな」
精霊たちにすれば、ラヴィニア姫は新生ユグドラシル王国建国の立役者である。
その歓待に、嘘偽りなどあろうはずがなかった。
精霊たちが上げる歓待の声は、どれだけ自己犠牲を払おうと認めてもらえなかった辛い過去を持つラヴィニア姫にとって、天上から鳴り響く祝福の鐘の音のように思えた。
『貴女はやり遂げたのですよ』と……。
少しだけ涙が滲む。
嬉し涙だ。
青空に幾つもの花火が上がり、ドーンドーンと爆発音を轟かせた。
ダンスパーティーが始まる。
舞踏会の会場に案内されたラヴィニア姫は、アーロンのエスコートで入場した。
ここでも歓声と花吹雪だ。
赤絨毯の道を進むと、その先には玉座が……。
「アーロン卿、ラヴィニア姫よ。よく参られた。今宵は存分に楽しむがよい」
王笏を手にしたメルが、妖精女王陛下としてアーロンとラヴィニア姫の挨拶を笑顔で受けた。
最初の頃より女王陛下らしくなったメルは、いつもと変わらぬ少女の姿である。
少女の姿で、礼服を身に纏っている。
今日の主役はラヴィニア姫だった。
メルは嫉妬して余計な真似をしないように、挨拶が終わったら退座する。
「ラビーさん。綺麗やわ……。くそアーロンめ。得意そうな顔をしやがって、チッ!(小声)」
小声であろうと、アーロンはエルフ耳。
メルも聞こえると分かっていての悪態だった。
アーロンがニンマリと笑った。
挨拶の列は延々と続く。
有無を言わさずダンスパーティーに招かれた各国の王族たちが、途方に暮れた顔を並べている。
妖精女王陛下に深々と頭を下げなければ、その場で不敬罪を言い渡されてしまう。
彼らにとっては、身分制度の理不尽さを思い知らされるイベントだった。
「たまには、ひれ伏させられる側の気分も味わった方がよい。そのほうが善政を敷けるやろ」
「は、はぁー。すべてメル陛下の仰るとおりであります。お心遣い、ありがたく。感謝の念に堪えませぬ」
ウィルヘルム皇帝陛下などは慣れたものだ。
「うむ。これを与えよう」
「ありがたき幸せ」
ウィルヘルムはユグドラシル製の魔法具を受け取り、平身低頭だ。
腕自慢の部下たちに守られながら、なす術もなく攫われてしまった王族たちの顔色は非常に悪い。
フェアリー城に滞在する間も国力の差を見せつけられ、高度な魔法技術に圧倒されて自尊心をへし折られた。
拉致監禁も二度目となれば、もうションボリである。
青菜に塩だ。
妖精女王陛下から手渡されるお土産は、魔法の玩具だった。
それも自分たちの権威を嘲笑うようなキワモノばかり。
例えばそう、斬りつけると呻き声を上げる剣。
振り回す度に、『ヌォォォォォォーッ!』とか、『やられたぁー!』とか喋るのだ。
実際の性能は……?と問うなら、柔らかなモッツァレラチーズも切れやしない。
頭に載せておくと、空中に『オラが一番エライ人!』と文字を表示する王冠。
見る者が理解できる言語で表示される、そこだけ高度な魔法具だ。
一拍ごとに光を放つだけの、やすっぽい指輪。
だけどその光は、鉛の箱を透過する。
まったく嬉しくなかった。
それなのに、自国の魔法研究者が原理を解明できない。
だから何もできず、招かれたことをただ感謝して、妖精女王陛下に跪くしかないのだ。
逆らうなんて、とんでもない。
だけど……。
各国から招待された王侯貴族は、ほぼほぼ例外なく、心の中でメルを呪っていた。
この悪魔チビが……。
それはもう、不機嫌なメルが小鬼の顔で彼らの挨拶を受けるのだから、仕方のないことであった。
お土産も悪意に満ちたメルのチョイスだ。
楽団が演奏を始め、ウィルヘルムの誘いを受けたメルは最初の一曲を踊る。
それが終わると、精霊たちもパートナーを誘って踊り始めた。
「やあ、美しい姫君。わたしと踊ってくださいませんか?」
「よろこんで」
ラヴィニア姫もアーロンの誘いを受けて、ダンスの輪に加わった。
ファーストダンスを完璧に踊ったラヴィニア姫は、精霊樹の守り役である三人の姫と再会を祝し、殿の話で盛り上がった。
封印の塔に自らを捧げた姫巫女たちは、昔話となれば悲喜こもごもで話が尽きない。
そこに髪を短く刈り込んだ美青年が、歩み寄ってきた。
「失礼、レディーたち。俺と踊ってはくれませんか?」
眉毛のきりっとした、貴公子である。
「どこかで、お会いしたでしょうか?」
「ええ、毎日……」
そう答え、貴公子がワフワフと笑った。
「あーっ。もしかして、ハンテン」
ラヴィニア姫が目を丸くして呟いた。
「いや、ワレらの殿は……。屍呪之王は犬であろう?」
「もっと、だらしない顔です」
「デブだよ」
三人の姫は訝しげだ。
「妖精女王陛下から、この魔法具を頂きました」
そう言って眉毛のきりっとした貴公子が、蝶ネクタイを見せた。
「メルちゃんが……」
ラヴィニア姫は玉座を見た。
だけどメルの姿は、既になかった。
「………………」
胸に込み上げるものがあった。
泣いてしまいそうだった。
「ラビー。俺の大切な姫。一緒に踊ってくださいますか?」
「も、勿論です」
ラヴィニア姫が、つっかえながら答えた。
目頭が熱い。
会場が盛大な拍手と歓声に包まれた。
思い思いに踊っていた精霊たちは、壁際に移動して場所を開けた。
楽団はラヴィニア姫とハンテンのために、しっとりとした曲を演奏し始める。
祝福の嵐だった。
最初のステップを踏んだラヴィニア姫は、視界の隅に拍手するアーロンの姿を認めた。
優しげに微笑んでいる。
一斉に花火が上がった。
夜空を数多の光が染め上げる。
夢のような景色だった。
いや、これはずっと夢に見ていた夜会だ。
◇◇◇◇
「くそ。くそぉー。コノヤロー!!���
その頃メルは、オーガの的にボールをぶつけ、うっぷんを晴らしていた。
「うぉーっ!」
「すげえな。三つ編み泥団子」
「だろ。あいつに狙われたら逃げられない」
「仲間を引き連れていても、見えないところから一人ずつやられちまう」
「ちょっと普通じゃねぇーぞ!」
メジエール村の悪童たちは、モンスターハウスでメルの投擲術を目の当たりにさせられ、慄いた。
「おれは、あれと戦争してたのかぁー」
「勝てねぇはずだよ」
メルの投擲スキルは、ズボラゆえに磨かれたものだが、そこに妖精パワーを乗せれば無敵である。
メルは軽快なリズムに乗り、次から次へとミニゲームをクリアしていく。
アンドゥトロワだ。
「わらしだって……。ラビーさんと……。踊りたかったんじゃ!」
だけどメルは女性パートしか練習していない。
男性パートまで覚えるほど、社交ダンスが好きではなかった。
「あんな貴族のマナーを結晶化させたようなもん、覚えとうなかったんじゃ。でも、教わっておけば良かった。ウギャァァァァァァァァァァァーッ!!」
後悔の叫びである。
メジエール村の悪童たちも、ドン引きだ。
メルはミニゲームの景品代わりに貰った特別なゴールドチップを持って、ゴーレムファイトに向かう。
「ほれ、百ポイント集めました」
「エントリーに十ポイント。残り九十ポイントで、どこを強化するニャ?」
「足回りじゃ。足回りをBパーツに、腰はAパーツ。ダッシュ力を強化。そんでもって、ガツンと行くどぉー!」
「ふっ。かかってこいや。メルー!」
対戦相手の少年、ヨティが吠えた。
ヨティは南地区の悪童で、いつもメルの泥団子を喰らっている。
ビイィィィィィィィィィィーッ!と、ゴーレムファイトの開始を告げるサイレンが鳴った。
「うりゃぁー!」
「こなくそぉー!!」
「うへっ!?」
メルの突進はヨティに躱され、リングに投げ捨てられた。
「追い打ちを喰らえ。ウリャー!」
「ひぃっ!」
起き上がろうとしていたゴーレムは、ゴンゴンに蹴られて破壊された。
もう七連敗だ。
「ムキィィィィーッ!!!わらしのゴーレム、ちっと遅ないか!?」
「もっと強化箇所を研究するニャ」
「フガァーッ!こんなん、おかしいわ」
隣の大広間では、ラヴィニア姫とハンテンが熱々だ。
で、モンスターハウスでは、ずっとヨティにボコられ続けている。
「納得できん」
メルは号泣した。
事程左様に、他人の幸せを祈るのは難しい。
無病息災のスキルで元気だからこそ、メルの嫉妬心は激しかった。








