天才料理ネコ
メルが宮殿に拉致されて、早くも十日。
食堂のテーブルに運ばれてきた料理を一瞥して、眉間に縦ジワを寄せる。
スカートの裾が広い豪奢なドレスを身に着けた淑女が、不機嫌そうな面持ちでナイフとフォークをそっと手に取った。
そして……。
「メルさま。お行儀が悪いですよ」
「………………」
メルはナイフとフォークを持ち、タンタンタンとテーブルを叩き続けた。
「カトラリーを弄ぶのは、おやめください」
「ずっと我慢して来ました」
「何をですか?」
クラウディアの質問に、メルが配膳された料理を示した。
「まったく、なっていません」
「わたくしには、何一つ落ち度のない素晴らしい料理に見えます。それとも、もっと贅沢なものをお望みでしょうか?」
「フゥー。お話になりませんね」
料理自体に問題はない。
問題は、料理を作る精霊たちに、妖精女王陛下を喜ばせる気がないことだ。
そもそも精霊たちには、日々の食事を楽しんだ経験がない。
そうなれば饗応を理解できないのも、当然である。
「これは料理以前の問題です」
「はぁ?」
「クラウディア。わたしが苛立っているのは、貴女が厨房への干渉を禁止したからです」
「女王陛下は、何を召し上がりたいのか仰るだけでよろしいのです。シェフには、わたくしども女官が伝えます」
「あーっ。もうヤダ。あーたら、メシ食わんデショ!そんな奴に、料理が分かるはずなかろぉー!!」
「…………!?」
精霊たちの多くは食事を必要としない。
だから食べる悦びを知らなかった。
「こんなつまらん仕事ばかりやらされたら、厨房のスタッフも心が枯れてしまうわ。今すぐに、休暇を差し上げてください」
「はぁ……!?そんなことをしたら、陛下のお食事が用意できなくなってしまいます」
「ハチワレを呼ぶで、問題ない」
「はちわれ……?」
「ケット・シーじゃ。猫まんまの屋台で、焼きそばからコツコツと叩き上げ。創作料理も自在にこなす、天才料理ネコがおる。そいつを宮殿の料理長に据えます」
焼きそばでさえ数多のトッピングを用意して、メルを唸らせた漢なのだ。
遊び心も、充分に持ち合わせている。
「ケット・シーですか……?」
「おまー。妖精猫を舐めんなよ!」
人真似の専門家で、好奇心は人並み以上。
しかも食い意地が張っていて、美味しいものに目がない。
猫まんまのチームは、どこに出しても恥ずかしくない料理ネコの集団だった。
精霊料理を教えたなら、たちどころに己のものとするだろう。
まあ、度を越した摘まみ食いは、玉に瑕である。
メルは言いたいことを言い終えると、優雅な仕草で料理と向き合った。
何であれ、妖精女王陛下のために用意された晩餐である。
お残しはいけないのだ。
「…………陛下。とても美しいお作法です」
こうなるとクラウディアにも、文句のつけようがない。
メルのマナーは、小指の先まで完璧だった。
「フフフ……。そうして見張っていても、ボロは出しません。無意味ですわ」
「それは喜ばしいことです」
「音を立ててスープを啜りたくても、妖精さんたちが許してくれませんの」
「……っ」
メルが頑張ると決めたので、妖精母艦メルのスタッフは大幅に入れ替わり、お淑やかな妖精女王陛下モードへとシフトした。
これまでの粗暴な仕草は僅か十日間で完璧に修正され、妖精女王陛下として相応しいものになった。
言うなれば、動作をコントロールするプログラムの総書き換えだ。
そこに、メルの努力は一切ない。
うっかりは、絶対に起こり得なかった。
何か起きたとすれば、それこそメルが意図した行為であろう。
教育係として意気込んでいたクラウディアは、見事に肩透かしを食らった態である。
だがメルにすれば、そんなことはどうでも良かった。
クラウディアをぎゃふんと言わせたところで、愉快なことなど一つもない。
妖精女王として、健気な民たちに何ができるのか?だけが問題なのだ。
「まずは美味しいを知ってもらわなければ、お話になりません」
妖精女王であり、美味しい教団の教祖なのだから、自分の民に食の悦びを知らせねばなるまい。
めくるめく味覚の極上体験をさせて上げたい。
妖精女王陛下のお披露目に当たり、メルがすべき仕事は決まった。
魔法料理の大々的な布教である。
「姐御。呼ばれたから来たニャ。猫まんまで修行する仲間たちも、全員参加ニャ!」
巨大な厨房に集められた猫たちを代表し、ハチワレが報告した。
「ご苦労です、ハチワレ」
メルは猫まんまで働くケット・シーたちを見渡し、ハチワレを労った。
師匠が大切に扱われたなら、弟子たちにも気合が入る。
それが職人たちの道理だ。
「それで、ご用事は何かニャ?」
「わたしは精霊たちに、食の楽しさを伝えたいと考えています」
「……ニャニャ?それは、ちょっとばかし難しいニャ。殆どの精霊はケット・シーと違って、食事をしないニャ。あたいらは人真似が高じて、いつの間にか食べるようになっただけニャ。多分おそらく、味の嗜好も人真似に過ぎないニャ。食べる楽しさを獲得できたのは、ケット・シーの特性によるものではないかニャ?」
「その辺りの事情は、ミケ王子から聞いています。なので精霊のために、特別な料理を用意しました」
「精霊のための料理ニャ?」
ハチワレが好奇心で目を輝かせた。
「食材も調味料も、こちらで用意しました。料理長の判断で、自由に使ってください。これが基本のレシピになります」
メルは食料保管庫に限界まで詰め込んだ魔獣の肉や、魔の森に自生する怪しい植物などをハチワレに見せた。
そしてミケ王子に書き直させたレシピ集を手渡す。
「フォー。姐御のレシピ!!ありがたいニャ」
「レシピは数が少ないので、ハチワレの創意工夫に期待します」
「大役を仰せつかって嬉しいニャ。任せて欲しいニャ!」
ハチワレはトンと胸を叩き、請け負った。
「おどれらぁー!姐御の話を聞いたニャ!?」
「「「「にゃぁー!!!!」」」」
厨房にギュウギュウ詰めの猫たちが、ハチワレに呼応した。
「胸を張れ、尻尾を立てろ。今こそ、猫まんまの実力を見せるときニャ!」
「「「「にゃぁー!!!!」」」」
料理ネコたちの熱気が半端ない。
「新しい作品が完成したら、わたしのもとへ。いつでも試食します」
「承知したニャ」
こうしてメルは、そそくさと暑苦しい厨房から脱出した。
「はぁー。なるほどぉー」
大きく広がったドレスの裾を眺め、メルが盛大にため息を吐いた。
妖精女王陛下の豪奢な装いは、厨房に適していなかった。
足元さえ見えないスカートで調理台の間を歩き回れば、注意していても事故を起こすだろう。
先程も食糧貯蔵庫の扉を閉めるさいに、スカートを挟みそうになったくらいだ。
何よりも、働いている料理人たちの邪魔になる。
ドレスを纏ったメルは、大輪の花だ。
お花なのだ。
やたらと動き回らず、定められた花瓶に収まっているのが無難だった。
「ああっ、なんて鬱陶しい」
だがしかし、その苛立ちを隠して、そつなく優雅に振舞って見せるのが、立派な淑女というものである。
引き攣った口元を隠す扇は、当分の間手放せそうになかった。
◇◇◇◇
その日、メジエール村から客人が訪れた。
言うまでもなく、メルの家族と幼児ーズである。
マルグリットとミケ王子は、家族のカテゴリーだ。
マルグリットはメルの妹分だし、ミケ王子はペット枠である。
「皆さん。よくいらっしゃいました」
美しく着飾ったメルが、侍女に案内された一同を宮殿の中庭で出迎えた。
「お茶会の体裁を取りましたけれど、マナーなどは気になさらず。先ずは、お寛ぎください。この席は身内の無礼講ですから、直答を許します」
メルが扇で口元を隠し、皆に席を勧めた。
「オマエだれだ?」
「メルは何処?」
「わたしたち、メルちゃんに会いに来たんです」
ダヴィ坊や、タリサ、ティナが、周囲をキョロキョロと見回した。
何とも、わざとらしい。
「メル姉さま、お綺麗ですわ」
「うわぁー。ねぇねが、お花みたいになってる」
マルグリットとディートヘルムは、メルを褒め称えた。
「まあまあ、メルちゃんたら立派になって……。その姿をフレッドに見せて上げたかったわ」
「アビーさん。その言い方だと、フレッドさんが死んだみたいです」
アビーとラヴィニア姫も、メルの変わりように驚きを隠せない。
そのせいか、少しばかり発言がおかしい。
「やあメル。ボクも来ちゃったよ」
ミケ王子は、いつも通りのミケ王子だった。
誰よりも早く席に着き、お茶とお菓子を楽しみ始めた。
「デブ、タリサ、ティナ……。おまーら不敬罪デス。今夜は、地下牢に泊って貰います」
優雅な仕草で椅子に腰を下ろしたメルは、三人を扇で示し、有罪判決を言い渡した。
「「「エェーッ!?メル、そこに居るじゃん!!!」」」
三人はメルを指さし、声を揃えて叫んだ。
以前から計画していたのだろう。
失礼にも程がある。
「てか、おまーら薄情だわ。わらし、ずっと待ってたのよ。ボッチで」
「そんなこと言ったって、ここはオレん家からスゲェー遠いしな。アビー小母さんやディートヘルムも、一緒が良いだろ。ラヴィニア姫のベイビーリーフ号が戻って来るまで、待つしかなかったんだ」
「むっ……」
ベイビーリーフ号は収穫期のため、村はずれの農家に貸しだされていた。
なかなかに出来のよい言い訳だった。
「そもそも宮殿なんて、敷居が高いのよ」
「そうよそうよ。わたしたち、着て来る衣装に、どれほど頭を悩ませたことでしょう」
こちらも村娘の気持ちになれば、充分に理解できる。
「まあ、そいう事情であれば、わらしも文句を言うのは止めましょう」
メルは半ば広げた扇で口元を隠し、鷹揚に頷いて見せた。
実に偉そうだ。
「……くっ」
「あの扇」
タリサとティナは、メルの扇が気になって仕方なかった。
「あたし、あれ欲しい」
「おや、タリサもですか?」
気の合う二人は、メルから扇を借りられないか、コソコソと相談を始めた。
ノートPCの不調ですが、トラブルを繰り返す度に原因が搾られてきました。
どうやらセキュリティソフトとディフェンダーの相性が悪いらしく、セキュリティソフトをアンインストールしてみました。
現在はディフェンダーのみです。
色々と知恵を貸して下さった皆さま、ありがとうございます。
また何か変化があったら、報告させて頂きます。








