暗闇に蠢くやつら
フレッドとアビーは、熱帯夜が始まる前にメルのベッドを用意してくれた。
それまではアビーと抱き合うようにして寝ていたメルだけれど、夏が来れば暑い。
二人でくっついていたら、暑くって眠れたものではない。
初夏を迎えると…。
アビーとメルは、お互いを邪魔だと思うようになっていた。
「メル…。身体が熱すぎ…。夏はひとりで寝ようね」
「わらしも、ままジャマよ!」
「そんなこと言って、ホントはひとりだと怖いんでしょ?」
「怖ないわぁー!」
そんなやり取りがあって、フレッドはメルのために寝室を用意した。
寝室とは言っても、ベッドが置いてあるだけじゃない。
テーブルや箪笥だって、設置されていた。
所謂、子供部屋である。
酒場夫婦の寝室には余裕があるにもかかわらず、わざわざメルの部屋を用意したのには、フレッドなりの思惑があった。
子供は大人の常識に邪魔されない時間を持って、逞しく妄想を育てるべきだとの考えである。
勇者になって冒険する夢や、お姫さまとして王子さまに愛される夢。
更に付け加えるなら、魔物に攫われる恐ろしい悪夢…。
こうした荒唐無稽な夢想にふけるのは幼少期の特権だと、フレッドは思うのであった。
フレッドが見たところ、メルには妙に冷めた理知的な雰囲気があり、口にする欲望も余りに現実的すぎた。
バターケーキの取り分を一枚増やせとか、シチューの肉をたっぷりとよそえとか…。
将来なりたいモノまで、面白みのない料理人ときた。
キレイな蝶々や小鳥になりたいとか、荒唐無稽な思いつきを口にしない。
魔獣たちを統べる偉大な魔女や、人々を魅了する美貌の歌姫になりたいとか、ナルシズムの自己実現を語るような素振りも見せない。
『夢がねぇんだよ!』
あと…。
子供らしいと言えば、メルは小さな子供に特有の恐怖心を持っていなかった。
独りでいても暗闇を怖がらず、廊下に飾られた魔除けの面をポケーッと眺めていたりする。
ダヴィ坊やなどは恐ろし気な細工物が苦手で、ちらっと魔除けの面を見せただけで泣きながら逃げだすのに…。
タリサやティナも幽霊の話を真に受けて怯えるし、かく言うフレッドだって幼い頃には呪われた地下室の話にビビりまくった。
それなのにメルときたら、魔女さまのデカイ犬にすり寄られても嬉しそうに笑っている。
暗闇を恐れず、仲良しになったブタの肉を啜り泣きながら頬張る。
あんまりにも物分かりが良すぎだ。
どこかしら諦観を漂わせて、虚無的でさえある。
どうにもこうにも、伸びやかな子供成分が足りなかった。
そんなことではダメだ。
子供は、はっちゃけなきゃいかん!
メルにだって、何かしら幼児なりの弱点みたいなモノがあっても、良いはずじゃないか。
その方がずっと可愛らしいに決まってる。
なんとかして、メルをビビらせたい。
澄まし顔のメルから、子供っぽい反応を引きだしてみたい。
それがフレッドの夢だった。
『子供部屋を用意してやったんだから、思いきり幼稚な妄想を育てるがよい!』
夜中に目を覚ましたメルが、唐突に恐怖を覚えて『ひゃぁ!』となる場面を思い描く。
なかなかに庇護欲を誘う絵面だ。
詰まるところフレッドは、メルに助けを求めて欲しかった。
アビーにばかり引っ付いて、不公平じゃないかと拗ねてもいた。
メルには是非とも怖いモノを見つけだしてもらいたい。
そして泣きながらしがみついて頂きたい。
パパを頼ってください。
それがフレッドの下心だった。
「メルー。今夜は暑いなぁー。どうだ…?パパが涼しくなる話を聞かせてやろうか…」
「エエわぁー。ぱぁぱのハナシ、怖ないし。わらし、だる~」
「くっ…。おまえ、可愛くないぞっ。少しは怖がれよ!」
「むり…」
これまでだって、とっておきの怪談話を聞かせてきたのに、メルはピクリとも反応しない。
フレッドの敗北感は、いや増すばかりだった。
そんな怖いもの知らずのメルが、以前は納戸として使用されていた子供部屋で、身の毛もよだつような恐怖体験を味わうことになる。
出来事の発端となったのは、大好物のカラメルナッツだった。
「めるー。オヤツは食堂で食べなさい。お部屋に持っていくと、床を食べ散らかすでしょ!」
「だいょーぶ。わらし、ちらかさんヨォー!」
「そんなこと言って、早く食べないとネズミに取られちゃうからね!」
このところメルは、自分が好きなオヤツを残しておくようになった。
その場でオヤツを食べきってしまえば、『美味しかった!』で終わってしまうけれど、ちょっとでも残しておけば楽しみを持続できるからだ。
まだオヤツが残っていると思うのは、メルにとって幸せな気分だった。
我慢してオヤツを食べずに、ジッと眺める楽しさ。
それをチョットずつポリポリと齧るのが、また格別に美味しい。
子供部屋のテーブルに大好物のカラメルナッツを置いて、満足そうにほくそ笑む。
「見てゆだけェー。オヤツ、へらない。でもぉー。楽しい、うれしい♪」
我ながら素晴らしいアイデアに思えた。
その時は。
奴らが来るまでは…。
翌日の朝。
メルが目を覚ますと、テーブルに置いてあったオヤツは無くなっていた。
お皿も、テーブルの上も、食べかすだらけ。
床にまでカラメルナッツの欠片が、散乱していた。
「あわわわ…。わらしのオヤツ、のぉーなった…!」
大ショックである。
食べなければ、オヤツは無くならない。
その一番重要な前提が、ひっくり返されてしまった。
「ネズミかぁー。ぐぬぬぬ…っ。カンベン、ならん!」
メルは目に涙をためて、復讐を誓った。
ネズミとくれば猫である。
メルにとって頼れる猫と言えば、ミケ王子だった。
「おまぁー。ここでミハれ!」
メルはベッドの脇を指さして、ミケ王子に命じた。
ミケ王子は首っ玉をつかまれて、メルの部屋に力ずくで連行された。
国家安全保障局による、有無を言わさぬ拉致監禁だった。
「ミャァー!」
一国の王子として、ミケは苦言を呈そうとした。
〈メル…。親しき仲にも礼儀ありって、知ってるかい…?〉
〈メザシ四本…!〉
〈たしかに承りました。ボクにお任せあれ…。麗しき精霊の子ヨ〉
〈忠義に励め…。そなたの働きに、期待しております〉
〈ははぁー!〉
二本脚で立ったミケが、恭しく宮廷風のお辞儀をして見せた。
王国に戻れないミケ王子は、その日の食事にも事を欠く始末で、すっかり現金なノラ猫に成り下がっていた。
取り敢えずは、ひんやりと冷えたミルクを駆けつけ三杯。
ミケ王子のヤル気は、ズンと盛り上がった。
前払いのメザシ二匹を平らげたミケは、メルの寝室で見張り番に付いた。
ネズミを誘き寄せるために用意されたエサは、バターたっぷりのクッキーだった。
甘くて美味しそうな匂いが、子供部屋のなかに漂っていた。
待つこと暫し。
そいつらは姿を現した。
〈………っ。ネズミじゃない。メル、来たヨ!〉
〈………zzz〉
〈応答がない…。どうやら依頼主は、寝ているようだ…。てか、起きてぇー!メルのクッキーが、盗られちゃうよっ!〉
メルは頑として起きなかった。
ミケがベッドに飛び乗って、ボンボン踏んづけても起きようとしなかった。
いったん寝てしまったメルは、フレッドに振り回されても目を覚まさない。
ミケに起こすことなど、出来る筈もなかった。
〈なんて寝汚い幼女なんだ…。もうヘトヘトだよ…!〉
ミケは途方にくれた。
「わらし…。おまぁーに、シツボー!」
翌朝になって目を覚ましたメルは、ミケを詰った。
「ミケぇ、ヤクメせんと…。ネこけとったんか?」
詰問しながら、ムイムイとミケのヒゲを引っ張る。
〈やめてよ、メル…。ボクは見張っていたし、メルのことも一生懸命に起こしたさ。目を覚まさなかった、メルが悪いと思うよ!〉
〈わたくし…。ミケに起こされた覚えが、ないんですけど…〉
〈うわぁー。それこそ、酷い言いがかりじゃないか。ボクはねぇ。キミのお腹に飛び乗って、何度もジャンプしたんだぞ!〉
〈………そう言われてみると、なんか痛くて苦しかった気がする〉
メルは申し訳なくなって、ミケを解放した。
〈分かって貰えればいいのさ…。ボクは盗人どものアジトも、突き止めた。やっつけたいなら、いまから案内するよ〉
〈よろしく、お願いします…〉
メルはミケの後ろについて、まだ空気が涼しい早朝の野外へと飛びだした。
妖精の角笛を吹いて、仲間たちを呼び集める。
〈あそこだよ、メル。岩の下に、連中の棲み処があるんだ!〉
〈パン屋さんの裏庭が、テロリストどものアジトになっていたのね…〉
〈手ごわいかも知れないから、気を付けないと〉
〈ダイジョーブだって…。わたしの部隊は強いんだよォー〉
メルは得意そうに踏ん反り返った。
そして集合した妖精たちに向かい、念話を放つ。
〈デルタフォースの諸君。今作戦に於いては、諸君に国家安全保障局の指揮下で殲滅戦を遂行してもらいたい。敵は憎むべきテロリストどもである。手加減は必要ない。一匹たりとて、逃がしてはならない!〉
〈おおーっ!〉
〈やっつけろォー!〉
〈では、諸君の活躍を期待する。以上…!〉
陸軍第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊に、出動命令が下った。
いよいよ憎きテロリストどもを血祭りにあげるときが来た。
隊長のメルが、音もなく茂みを移動した。
メルの背後に続くのは、血気盛んな攻撃妖精たちである。
〈これより我が部隊は、敵の本拠地に攻撃を開始する…〉
〈ラジャー!〉
〈ヒャッハァー!〉
デルタフォースの隊員たちから、ヤンヤの歓声が上がった。
妖精たちは、初出動がメッチャ嬉しいようだった。
いくよ、荒くれ者ども…。
メルは敵基地である岩を目指して、走りだした。
昨日は一昨日の書き直しで力尽き、寝てしまいました。
早くも毎日更新の野望が潰えた。
トホホ…。