アビーの気苦労
「ありがとう、マルグリットちゃん。これはご褒美よ」
「うわぁー」
「これからも、よろしくね」
「……はい」
アビーからお菓子の袋を貰ったマルグリットは、そそくさと酔いどれ亭を後にした。
その姿をじっと物陰から見張る人物がいた。
タリサである。
「ムムムッ……。マルーが、怪しい行動をしている」
タリサは気づかれないように、マルグリットを追いかけた。
そしてトウモロコシ畑に入り込んだマルグリットを問答無用で捕獲した。
「あんた、アビーさんに何を貰ったの?」
「ひぐぅ!」
「あら、お菓子じゃない。どういう事かしら……?」
「あぅあぅ……」
タリサに吊し上げられて、マルグリットの足が地面から離れる。
タリサが怖くて涙目になった。
「包み隠さずに、白状しなさい」
タリサは宙にぶら下げたマルグリットを乱暴に揺すった。
「うぐぐっ……!?」
マルグリットは強い。
先の内戦で愚劣王ヨアヒムに、【可憐なる殺戮姫】の異名を付けてもらうほど強かった。
だがしかし、戦場に姿を見せなかった幼児ーズの女子組は、マルグリットより遥かに強いのだ。
配下に置く妖精の数が、マルグリットと一桁ほど違う。
しかも、その妖精たちを自分の手足みたいに操る。
到底、勝てる気がしなかった。
「タリサさん、放してください」
「んーっ。どうしようかなぁー。マルの態度によっては、あたしも優しいお姉さんになれるんだけど」
「いっ、言う通りにしますー!」
メジエール村で暮らすようになり、妖精が見えるようになったのは嬉しいけれど、一発で彼我の力量差が分かってしまうと足掻くことさえままならない。
これではまるで、蛇に睨まれたカエルだ。
「メル姉さまには、ぜったい内緒にしてください」
「わかりました。メルには黙っているから、白状しなさい」
「実はですね……」
そういってマルグリットは、アビーとの密約をタリサに打ち明けた。
「なるほどね。アビーさんはメルの教育に、大そう手を焼いているんだ。それでマルグリットちゃんは、お菓子の報酬を目当てに、密告屋をしていると……」
「みっ、みっこく……。わたくしは、アビーさんから正式に依頼を受けた、調査員です。チクリ魔みたいに言うのは、やめてください。物騒です」
マルグリットはメルに聞かれたのではないかと、周囲を見回した。
勿論メルはおらず、トウモロコシの葉が風にそよいでいるだけだった。
「あたしも参加しよう」
「エェーッ!?」
タリサがマルグリットの仲間に加わった。
秘密の調査員が増えた。
「あら、珍しい組み合わせですね。タリサちゃん、マルグリットちゃんと何をしているんですか?」
ティナはマルグリットと連れ立って歩くタリサを見るなり、不思議そうに小首を傾げた。
「実はかくかくしかじかで、メルの素行調査をしているの……。ティナも仲間に入る?」
「人助けですね。アビーさんのためでしたら、喜んでお手伝いしますわ」
ティナがマルグリットとタリサの仲間に加わった。
秘密の調査員は三人になった。
迷惑な話だった。
「おやーっ。こんなところで、みんな何をしているの……?ここは暑いし、早くメルちゃんのお店に行こうよ」
日傘をさしたラヴィニア姫が、タリサたちに声をかけた。
「ラビー、ベイビーリーフ号はどうしたの?」
タリサが訊ねた。
「収穫期だから、作物の運搬にベイビーリーフ号を使いたいらしいです。ドゥーゲルさんとゲラルト親方が頑張っているけど、とてもとても生産が追いつきません」
「あーっ。トラクターとか言うヤツね」
全てが鍛冶屋の手仕事だから、そう簡単には作れない。
動力ディスクを使用し、駆動部がシンプルになっても、トラクターを作るには時間が掛かる。
「だから少しでも役に立てばと、農家のご主人に操縦方法を教えて貸しだしました」
「ラビーは偉いよ。あたしだったら、絶対に貸したりしないかな」
「村のためですから……。少しでもお役に立てるなら、嬉しいです」
それにベイビーリーフ号は、メルから貰った乗り物だ。
しかも拵えたのは、ドワーフの長ドゥーゲルとゲラルト親方である。
頑なに貸し出しを拒むのも、どうかと思う。
帝都ウルリッヒからメジエール村に移り住んだラヴィニア姫は、なにくれと村人のことを考えて、気を使う。
敢えて言葉にはしないけれど、居場所を与えてくれた優しい村人たちに、深く感謝しているのだ。
「ラビーちゃんにも、手伝ってもらいましょうよ」
「そうだね」
ティナの台詞にタリサが頷いた。
「なんですか?」
「実はかくかくしかじかで……。アビーさんの手伝いをしようと思うんだ」
「フーム。確かにメルちゃんの行動は、淑女として問題だらけですが、焦っても上手く行かないのでは……」
「あたしも同感だけど、このさい少しでも味方が増えればアビーさんも安心するんじゃないかな」
「なるほどー。そういう事でしたら、わたしも参加させてください」
ラヴィニア姫が、マルグリットとタリサ、ティナの仲間に加わった。
秘密の調査員は四人に増えた。
もうやめて欲しい。
「ダヴィ、あんた……。お菓子を食べたでしょ!」
タリサがダヴィ坊やを指さし、声を荒げた。
「タリサがくれたんだろ」
「それを食べたら、もう共犯者ですわ」
ティナも決めつけるようにして、ダヴィ坊やを追い詰める。
アビーから渡された報酬を口にしたら、もう足抜けは許されないと言っているのだ。
かなり無理がある論理だった。
「なに言ってんだよティナ。こんなの騙し討ちだろ!」
「ダヴィちゃん、そんなに興奮しないで……。声が大きいわ」
タリサとティナのやり口に呆れかえったラヴィニア姫は、ダヴィ坊やを宥めるような口調で諭した。
「アビーさんが困っているのだから、わたしたちで助けてあげましょう。これは、そういう話です」
ダヴィ坊やの勧誘は、中央広場で行われていた。
メルは開店前の仕込みで、エルフさんの魔法料理店に籠っている。
大声で話せば、あのエルフ耳で全てを聞かれてしまうだろう。
「ラビーちゃんまで……。オレにメル姉を裏切れって言うのかよ!?」
「裏切るだなんて……。これは、メルちゃんのためでもあるのよ」
「裏切りは、裏切りだろ!!」
「ダヴィさん。秘密の調査なので、大きな声を上げないでください。わたくしの命に関わります」
「くっ……」
ここに一人だけ、己の身を危険に曝している幼女が居た。
「マルは、なんでこいつらと手を組んでいるんだよ?」
「ダヴィ、それは違うわ。あたしたちが、マルを手伝っているの……。首謀者はマルよ」
タリサがすまし顔で、ダヴィ坊やの発言を訂正した。
「何だと……。そいつはヤバいぞ」
「……はい。やばいのです」
マルグリットが、そう言って項垂れる。
命の危険は大げさすぎるが、バレたら只では済むまい。
「ウーム。なんてこった」
マルグリットの立場を想像したダヴィ坊やは、密告者の存在をメルに報告できなくなった。
詳しくは知らないが、メルとマルグリットの関係は親分子分に似ている。
マルグリットはメルに逆らえなかった。
また、アビーの頼みも断れない。
「仕方ないな。消極的ながら、オレも参加しよう」
ダヴィ坊やは渋々といった様子で、秘密の調査員に加わった。
決して、ご褒美のお菓子が欲しかった訳ではない。
小さなマルグリットのためだ。
「いざとなったら、オレがメル姉からマルを庇う」
「うぇ……!?」
メルだってマルグリットを可愛がっているのだ。
こんな形で仲違いはしたくないだろう。
ダヴィ坊やは、そのように判断した。
「気にするな。オレがしたくてすることだ」
「よろしくお願いします」
マルグリットはキラキラと潤んだ瞳で、ダヴィ坊やを見つめた。
涙が一粒、マルグリットの頬を伝って落ちた。
世の中、まだまだ捨てたものではない。
こうした善意があるのなら、どれほど辛くても生きていけそうだ。
ほんのちょっとだけ、マルグリットのささくれた心が癒された。
この日を境にして、メルの行動はアビーに筒抜けとなった。
ちょっとした告げ口のはずが、タリサにバレた途端、事態はマルグリットの手を離れた。
もうコントロール不能だ。
「ダレや。まったく、どこのアホンダラが、わらしの行動をチクリよるんじゃ!?」
アビーに叱られて荒れ狂うメルを見ると、バレたときのことが怖ろしくなる。
幾ら腹立たしいからと言って、頭突きで岩を割るのは止めて欲しい。
「なあ、マルー。おまーだけは、わらしを裏切らんよな?」
「あい。メル姉さま」
メルの抱き枕にされ、マルグリットは身を硬くした。
とてもではないが眠れない。
それどころか、メルの顔を正面から見れなかった。
『ああ。何故わたくしは、アビーさんの頼みごとを引き受けてしまったのだろう?』
あの日、あの時、途方に暮れているアビーを助けたいと思った気持ちに、嘘偽りはなかった。
でも、密告の報酬がお菓子では、まったく割に合わないと思うマルグリットだった。
◇◇◇◇
元来、おっとりとした性格のアビーは、お転婆なメルも成長するにつれてメジエール村の娘たちと大差ない、平均的な女子力を身につけるものと信じていた。
そのために教育する心構えは充分にあったし、子供の頃は健康で活発なのが良いと考えた。
女性らしい立ち居振る舞いは、おいおい学んで行けばよいのだ。
おいおい……。
『まあ、ある日いきなり、大きくなるとは思わないもんね』
昨日まで、スカートをたくし上げて走り回っていた子が、翌日になったらおっぱいプルンプルンだ。
『あたしに、どうしろと……!?』
おいおいは、消えてなくなった。
今すぐにである。
緊急事態だ。
アビーは平然として見えたが、実のところ頭を抱えていた。
メルはスカートなど気にせず、地べたに胡坐をかいて座るし、マルグリットからの報告では、道端で手鼻をかむらしい。
『どこの誰が、あの子に教えたのかしらないけど、恨むよ』
メルを見張る通報者は、マルグリットを含めて五人に増えた。
それもメルと仲の良い幼児ーズのメンバーだ。
実にありがたいことである。
アビーは報告内容から優先順位を定め、ビシバシとメルを躾けた。
手鼻をかまずに、ハンカチを使いましょう。座るときは両膝を揃えなさい。蟹股で歩くな。腕を動かすさいは、脇の下を見せないように心がけること。
ドタバタ走ってはいけません。無暗とスカートをたくし上げ、足を見せないこと。おかしな口調ではなく、正しい帝国公用語で話しなさい。
などなど、口喧しくメルを指導した。
「それにしても、これはどういう事かしら……?」
幼児ーズの面々とマルグリットは、交代でメルを見張っていた。
日々の報告は山ほどあるが、その中にメルの逸脱行為より問題と思われるものがあったのだ。
「エェーッ!?これって、あからさまなつきまとい行為デショ!」
メルを尾行する幼児ーズは、頻繁に姿を見せる一人の男について言及していた。
ハンスである。
「えーっと、なになに……。メルが害獣除けの柵を乗り越えて畑に入り、スカートを破ってしまった。そこに忽然と現れたハンスは、携帯していた裁縫セットを取り出して、破れたスカートを手慣れた様子で繕い始めた。特筆すべき点は、以下である。この間、ハンスはメルのスカートを殊更に捲り上げて、日差しに曝された素足をジロジロと観賞ながら、スケベな顔をしていた。思うにあれは、発情したオスの表情である」
報告書には、タリサの署名があった。
そして最後の段落に、『処すべし!』の所見。
「ハンスめぇー。うちの子に、何しくさるか!?」
いきなり成長してしまったメルの世話で、心のゆとりをなくしていたアビーは、手近にあったフライパンを手にすると食器棚に向かって投げつけた。
ガッシャーン!!!
粉々に砕けたガラス片と陶器が、周囲に飛び散る。
「ヒィ……」
アビーの激情を目撃してしまったディートヘルムは、『ママが切れた。ママが切れたー!』と泣き叫びながら、メルが暮らす精霊樹の家に逃げ込んだ。








