プールとアイスとお友だち
メジエール村に、太陽の季節が訪れた。
青空と入道雲の夏である。
(死むーっ。カンカン照りだ…)
どうやら、この世界には四季があるようだった。
汗を滲ませながら、メルは夏の到来を肌で感じていた。
麦わら帽子を目深に被った女児が、小さな手のひらで太ももをゴシゴシと擦った。
蚊に刺されたところが、めっちゃ痒かった。
国家安全保障局には冷房がないので、仕事をする気にならない。
メルは精霊樹に寄り掛かり、だらしなく両脚を開いていた。
こうしていれば、スカートの中に風が入る。
足を揃えて座るなんて、拷問じゃないかと思う。
それでも精霊樹の根元は、屋内よりずっと涼しいのだ。
(くっ…。暑い。暑くて、やってられない。すごい日差しだ。お肌がチリチリするよ。こんなに紫外線を浴びちゃったら、白エルフだって黒エルフになっちゃうね!)
前世では入院ばかりしていたメルなので、夏の暑さに耐性がない。
子供らしく外を走り回るコトもなく、実家に居ても空調のきいた部屋でおとなしく、漫画やライトノベルばかり読んでいた。
恋愛は妄想でしかしたことがない。
しんみりと思い起こせば、寂しい青春だった。
涙が出る。
「カイソォー、やメェー!」
メルは頭を振って、過去の記憶を振り払った。
こう暑いと、碌でもない事ばかり思いだす。
「おっ、ダエか来ゆ…」
ミーンと言うムシの鳴き声を聞きながら、精霊樹の根元で涼んでいるメルのところに、ゲラルト親方がやって来た。
「よお、メル…。大分へばってるみたいじゃねぇか…?」
「うぃっす、オヤカタ。あつぅーて…。わらし、ムリ。もうすぐ、死むかも…」
「いいもんを持って来てやったぜ!」
「なぁに…?」
メルは何事かとゲラルト親方を見つめた。
ゲラルト親方は、背中に大きな金盥を担いでいた。
「ふぉ…。タライ?くれぅの…?」
「へへへっ…。精霊の子に、コイツを奉納しに来たって訳さ!」
ゲラルト親方が、髭面でウインクをして見せた。
ごっつい鍛冶屋のオヤジだけれど、チョットだけ可愛く見えた。
「あちぃーからな。水遊びが楽しいだろ。村のガキ共は、近場の小川で遊んでるけどよ。ちみっこじゃ、そこまで行くのが大変だ…。それだけじゃねぇ。溺れたり、流される危険もあるからな…。おメェーは、ここで遊べ!」
ゲラルト親方は裏庭に金盥を設置すると、アビーが監視するなか井戸水を張った。
「いいねぇー、メル。良いモノを貰ったね!」
アビーが大きな金盥を眺めて、ウンウンと頷いた。
「あいあとぉー。オヤカタ!」
「礼なんか必要ねえよ。オイラとメルの仲じゃねぇか…」
「くんのぉー、おんなタラシ。いけめんオヤジ…♪」
「…………ばっ、バカ言ってんじゃねぇぞ!」
メルに煽てられて、満更でもなさそうなゲラルト親方だった。
「だけどよぉー。調子に乗って、あんまし腹を冷やすなよ。水に浸かりっぱなしは、ダメだかんな!」
カレーライス事件があってから、ゲラルト親方は何くれとメルを気づかっていた。
お蔭でメルは、欲しかった調理器具や日用品を無料で拵えてもらえた。
ゲラルト親方もメルの注文が気に入ったようで、イヤな顔一つしない。
何しろメルが前世記憶を頼りに注文する道具類は、ゲラルト親方にしてみれば『何故、今まで思いつかなかったのか…?』と歯噛みしたくなるような、さり気ない工夫に満ちていた。
「この前、メルが絵を描いて説明してくれた爪切りな…。ありゃ、良いもんだぁー。おめっ、天才か…?」
ゲラルト親方は、メルを褒めそやそうとした。
だけどメルの関心は、既に金盥のプールへと注がれていた。
ゲラルト親方の話など、欠片も聞いていなかった。
「………ひゃあ。ちべたい!」
アビーの手でスポポンに剥かれたメルは、タライの水に浸かって大喜びだ。
「ひゃっはぁー♪」
もうメルの頭は、水遊びのコトでパンパンだった。
こうなってしまったら、疲れて飽きるまで戻って来ない。
仕方がないのでゲラルト親方は、会話相手をアビーに切り替えた。
「行商人のハンスに見せたら、こいつを大量注文したいって言われたんだけどよ。どう思う、アビー?メルの権利を確保しとくか…?アイデア料が欲しいなら、魔法契約書を用意しなきゃならん」
そう言って、ゲラルト親方は『爪切り』をアビーに見せる。
「魔法契約書は、作らなくてもいいと思う。この村に暮らしていたら、お金なんてめったに使わないでしょ!」
「まあ、沢山は要らねえよな…」
メジエール村では、お金で買えないモノの方が多かった。
そして、お金で買えないモノの方が大切だった。
「この子はハサミでツメを切られるのが、大嫌いなの…。おっかないんだって…。『爪切り』を欲しがったのは、自分で使うためよ…。売って儲けるコトなんて、ちっとも考えてないわ」
「皮むき器のときも、アイデア料は要らんと言ってたな」
「メルは小っちゃいけど、ちゃんと理解しているみたいよ。お金のコトとか、発明者の名誉とか…。その上で…。みんながチョットだけ便利に暮らせれば、いいんですって…」
アビーは半ば呆れ顔で、水を撥ね散らかすメルに視線を向けた。
小銭に煩い癖して、大きな権利は要らないと言う。
気前が良いのか、ケチなのか…?
「知ってたよ。オイラも、答えは分かってた。メルに訊ねたことがあるしな…」
「そうなの…?」
「ああっ…。『あんにも、要らんわぁー!』と言われた」
ゲラルト親方が苦笑いをした。
「済まんな、アビー。ちゃんと確認したかっただけだ…。それにしても、欲のないこっちゃ…!金はまだしもよぉー。発案者の名誉だけは、譲れねぇなぁ…。オイラは、メルほど無欲になれんよ」
「親方は、それで良いんじゃない…」
アビーがゲラルト親方に、頷いて見せた。
この件に関して、ゲラルト親方は状況を理解していなかった。
ピーラーにせよ爪切りにせよ、メルのアイデアではない。
ちゃんとした発案者が、他にいるのだ。
メルは発明家の智慧を借りてきただけであり、発案者を名乗るような立場にない。
それだけの話だった。
なにも、メルが無欲な訳ではない。
むしろゲラルト親方は、職人として名誉欲を持つべきなのである。
無欲な職人なんて、信じるに値しない。
異世界に転生してしまった樹生としては、前世記憶によるアイデアの剽窃に抵抗など感じなかったけれど、お金や名誉を欲しいとも思わなかった。
ちょっとした不便を嫌っただけである。
(便利な道具を発明してくれた人たちに、感謝…。でも…。それで名を馳せ、お金を稼ぐとなると、僕としては違うと思うのです!)
メルは一廉の人物として、歴史に名を刻みたいと考えていなかった。
資産家になりたいとも、思わなかった。
世界征服だって、人生の目標に掲げていない。
身の丈に合わない欲を掻けば、今のゆったりとした幸せが消え失せてしまいそうで、それだけは絶対に避けたかった。
メジエール村は、長閑で豊かな農村だった。
そしてメルは、村人たちに守られていた。
もう充分に満足だ。
「わらし、しあわせぞォー!」
素敵な村に、バンザイ…!
楽しい毎日と健康に、ありがとぉー。
さんくす、ゲラルト親方…。
メルは心の中で、お礼を言った。
水遊びが日課となった、真夏の昼下がり…。
アビーに案内されたタリサとティナが、メルを襲撃せんと裏庭に突入してきた。
「めっ…。メル、一人だけ狡い…!」
「わたしも入りたいです。入っても良いですよね?」
「んっ…」
ダメとは言えなかった。
お友だちに、こっちへ来るなとは言えない。
大きな金盥のプールが、ハダカの女児で満員になった。
メジエール村には水着など存在しないので、皆してスポポーンだ。
始めは気まずさから視線を逸らせていたメルも、気づけば女児プロレスに巻き込まれていた。
何しろ玩具がないので、遊ぼうと思ったら取っ組み合いが始まってしまったのだ。
ハダカになると、女児も男児もやることに大差はなかった。
詰まるところレスリングである。
「ふごぉーっ!」
「メル、まいったか?コウサン…?」
体温の高い子供同士で引っ付いても、水の中なので鬱陶しさを感じない。
メルたちは、一頻り水遊びに興じた。
「メル、よわぁー!」
「メルちゃんは、動きがノロいです。それでは、すぐに負けちゃいます。ダヴィ坊やにも、勝てなさそう…」
「ふぇーっ!」
一番強かったのはタリサで、案の定メルがビリだった。
バックを取られて、ギューギュー絞められた。
(異世界女児、強すぎでしょ…。それとも僕の身体スペックが、低すぎるのか…?)
どうやらタリサとティナの体力数値は、メルを遥かに上回るようだ。
その他のパラメーターでも、負けている可能性があった。
悔しい…!
プールから上がったメルは、頑丈そうな鍋の上に座っていた。
タリサとティナにやられっぱなしで、金盥のリングから逃げだしたのだ。
泣いてはいない。
ちょっと泣きそうだけど、まだ泣いていない。
これしきのことで、泣いたりしないヨ。
(小さな幼女が相手だから、僕は手加減をしてあげたんだ。わざと負けてあげたんだよ。第一…。ハダカの女児を相手に、レスリングなんてダメでしょ!オトコの僕がぁー、小さな女の子をやっつける訳にはいかないでしょ…!)
もっともな、言い分に思えた。
(そりゃぁー、まあ…。僕の身体も、プニプニの幼女ボディーなんだけどね。男だってのは、言い過ぎなのかなぁ…?)
明らかに、メルの外見は幼女だった。
しかも下腹部がポッコリとでた、チャーミングなイカ腹ボディーである。
幼児らしさ全開と言えよう。
何処から見ても、完璧な幼児でしかなかった。
性別以前の問題だ。
(まあっ、なんにせよ…。僕は大人だから…。心が大人だからね…。レスリングの勝敗なんか、ちっとも気にしてないよ。ホントは、負けてないし…!)
メルの幼児退行化は、深刻なレベルに突入していた。
感情面での奇妙なブレに自覚がない。
今のメルは、大人ぶった幼児だった。
(あーっ、もう…!レスリングなんか、どうでもいいじゃん。僕には、大切な計画があるんだからね…。今日は特別なオヤツを作って、タリサたちをびっくりさせてやるんだ…!うふふっ…)
真夏の午後に、スペシャルなスイーツと言えば…。
そう…。
アイスクリームなのだ。
アイスクリームの製造に用いるのは、森の魔女さまから貰った魔法の鍋である。
あられもない姿でメルが座っているお鍋こそ、森の魔女さまが拵えた究極の魔法具だった。
この鍋の凄いところは、魔法による温度調節が可能なところにあった。
コンロや冷凍庫を必要とせず、加熱も冷却も思うがままだ。
しかも、内部の熱変化を外部に伝えない。
中が熱々でも鍋の外側に触って火傷をしたりしない、安心安全な魔法の調理器具である。
こうしている間にも、メルのお尻の下でアイスクリームの材料が冷やされながら、風の妖精さんによって静かに撹拌されている。
シロップ漬けにした精霊樹の果実。
グラニュー糖を混ぜてホイップした、卵とクリーム。
そこに少しだけラム酒を加えたものが、ゆっくりと混ぜ合わされて固まっていく。
ハダカのお尻に、カタカタと鍋の振動が伝わってくる。
そろそろ完成したようだ。
「おつかぇー。あいあとぉー♪」
メルは鍋の蓋を開けて、風の妖精さんにお礼を述べた。
黄色い光が、そっとメルの頬に触れてから、青空の向こうへ飛び去った。
メルはミスリルのスプーンでアイスクリームを掬い、パクリと口に入れてみた。
「うまぁー!」
柔らかくて冷たくて、お口の中で蕩けるやさしい甘さ。
仄かなラム酒の香りが、クリームのしつこさを緩和してくれる。
精霊樹の実が爽やかなアクセントとなり、新鮮なフルーツ感を演出していた。
後を引く美味しさだった。
金盥のプールで遊んでいた二人が、ジッとメルを見つめていた。
「メルゥー。まぁーた、ひとりで…!」
「わたしも食べたいです。頂いても良いですよね?」
「んっ…」
ダメとは言えなかった。
お友だちに、イジワルなんて出来ない。
それにタリサとティナの分も、ちゃんと用意してある。
後から来るであろう、ダヴィ坊やの分だって計算に入っている。
フレッドやアビーが食べても、まだ余るくらい作ったのだ。
(だが、キミたち。先ずはレディーらしく、服を着てもらいましょうか…!)
メルはマイ・スプーンを口に咥えたまんま、手早くかぼちゃパンツを穿くと、お鍋を抱えて食堂へ向かった。
「あぅーっ!おっもたい…」
魔法の鍋は、ずっしりと重かった。
妖精パワー発動だ。
今日は…。
お友だちと、アイスクリーム・パーティーです。
アビーが焼いてくれたクッキーも、お皿に添えました。
「なにこれ?なにこれ…?ひんやりして、口の中で蕩けるぅー。オ・イ・シ・イー!」
「わたし…。冷たいお菓子なんて、生まれて初めて頂きました…。とってもステキな、オヤツですね。メルちゃん、お願い…。おかわりしても、良いかしら?」
「ええヨォー。ハラぁー、コワさんでな!」
メルは初めて作ったアイスクリームが美味しかったので、上機嫌だった。
レスリングで負けた悔しさは、もうすっかり忘れていた。
泣いても直ぐに笑うのが、幼児の特徴である。
すみません。
修正を入れつつ、大幅に加筆しました。
大筋は、最初に載せたものと変わりません。
加筆はメルの心理描写です。