死者の都
領都ルッカの豪華な屋敷を接収したウスベルク帝国軍は、荷駄で運んできた余剰の糧食を放出し、戦勝祝いを催すことにした。
メルも手持ちから高級肉や生野菜、珍しい香辛料、食用油にワイン樽などを気前よく提供した。
戦場で新鮮な食材は、とても貴重だ。
果実酒なども、当然ながら贅沢品である。
しかも季節は春先。
エーベルヴァイン城の宴席でも、食材は限られる。
「これだけあれば、ごーせーな宴会ができるデショ!」
「ありがとうございます。みな、喜びます」
あとは軍の料理人にお任せだ。
祝賀会に参加する気など、これっぱかしもなかった。
殺伐とした戦争の雰囲気に疲れ切った後で、浮かれた酔っ払いどもに撫で繰り回されるなんて、冗談ではない。
「おーい、メル。カタパルトの解体は終わってるよ」
雪で覆われたオリフベル沼沢地に立つミケ王子とダヴィ坊やが、両手を振った。
「わらしが一括して預かりマス」
メルが手を上げると、カタパルトの部品はストレージに収納された。
デイパックのサイズ制限を取り払ったアルティマストレージは、かなり大きなものでも収納できる。
ただし、デイパックでさえ整理整頓が覚束ないので、食料品や衣類などの生活雑貨は収納しないようにしている。
「花丸ポイントをごっつりと回収したから、この地の支配度を上限まで上げといたわ」
「巨大ガジガジ蟲の討伐ポイントか……。ほんと、魔眼光さまさまだな。間に合ってよかったぜ」
「煮干しを回避するどころか、明日からご馳走の日々が続く。ねえねえメル。ボク、クジラが食べたいなぁー」
「うむ。クジラパーティーも良いですね」
「お姉さま、つかぬことをお訊ねしますが……。クジラって、何でしょうか?」
縦ロールを揺らしながら、マルグリットが訊ねた。
「マルーは、クジラを知りませぬか……。クジラとは、栄養ほーふデス」
「とっても美味しい」
「血の滴る、赤黒い生肉だな」
「ウゲェー」
マルグリットの反応は、タリサやティナと大差なかった。
ミッティア魔法王国でも、生肉を食べる習慣はない。
そもそも鯨と言えば、丸々と膨張して海岸に打ち上げられ、臭いガスを噴き出して爆発する汚物だ。
断じて食べ物ではなかった。
「クジラですか……。それは海に住む、小島のように巨大なあれでしょうか?」
ビンス老人も首を傾げる。
「そうそう……。そのクジラで間違いないわ」
「なるほど鯨ですな。長いこと生きてきましたが、寡聞にして鯨を食す文化に覚えがございません。あの怪物は、食べられるのですか?」
「うむ。美味しい教団の幹部が、それではいかんのぉー。しゃぁーないで、クジラパーティーするか……」
言いながらメルは、異界ゲートを呼び出した。
気持ちは既にドラゴンズヘブン。
新しい遊具のことで、頭は一杯だ。
「おし。凱旋するどぉー!」
「「「「おぉーっ!!」」」」
「ブヒィー!」
「明日はドラゴンズヘブンの海岸で、ジャンプ大会だ」
「「「ヤッフゥー!」」」
「ブーブー♪」
幼児ーズの面々は、ノリノリである。
「教祖さま。申し訳ありませんが、わしはジャンプ大会を遠慮させて頂きます」
ビンス老人だけは、笑顔のままカタパルトに乗ることを辞退した。
幾ら徳の高い聖職者でも、幼児ーズと一緒にはしゃぐのは正直キツイ。
大きな木匙に座り、天空へと射出される大司教。
何なら、涜聖さえ感じさせる絵面だ。
「まあ、好きにせい」
「ははっ。ありがたきお言葉」
「爺を飛ばすんは、やったらあかん気がするしのぉー」
「はぁ、メル姉。それを言うなら、幼女やネコも飛ばしたら駄目だぞ!」
「そうだ、そうだ!」
ダヴィ坊やとミケ王子が、正論を述べ立てる。
「マル。カタパルトは楽しかったですか……?」
「それはもう、お姉さま。最高でしたわ」
魔法幼女になり切ったマルグリットが、目を細め、得意げに背筋を伸ばす。
膝丈のスカートが、ユラユラと揺れて愛らしい。
「特に発射される瞬間が、スリル満点でドキドキしました」
「そう……。わらしも跳びたかった」
「うふぅーっ。一番乗りですわ」
今日は特攻隊長(一人ボッチだけど)として大活躍したのだから、偉そうにしても叱られない。
カタパルトのテスト要員も、マルグリットの自慢だった。
何やら短期間の内に、すっかり幼児ーズと打ち解けて、同化してしまったマルグリットである。
当人は気づいていないけれどメジエール村での人気も高く、おそらくは今年の精霊祭でカボチャ姫の賞を授けられるだろう。
お尻を高速で振る技は、メル直伝である。
下馬評通りなら、まず間違いない。
「うむ。マルーは、最高でしたと言うとるぞ」
「メル姉は、アホだな」
「そうだ、そうだ。ボクらはジョーシキの話をしてるんだよ。わかるぅー?」
「そっかぁー」
こうしてメルとその一行は、ワイワイと言い合いながら異界ゲートを潜ったのであった。
フレッド?
バルガス?
そんなものヤニックや他の大人連中と一緒に、置いてきぼりだ。
クリスタや愚劣王ヨアヒムだって、共に戦った兵士たちと酒を酌み交わし、親交を深めたかろう。
第一、皆を連れ帰ったら、ウィルヘルム皇帝陛下を悲しませてしまう。
ウィルヘルム皇帝陛下にとって、今日は誕生日や結婚式より大事な記念日となるだろう。
何しろ、人生で初めて勝利を収めた日なのだから……。
参加者には、盛大に祝って欲しいはずだ。
アーロンのことは知らない。
羨ましそうな目でこちらを見ていたが、知らない。
皇帝陛下の相談役は、きちんと務めを果たすべきだと思う。
(ウィルヘルム皇帝陛下のご機嫌を取れ、アーロン!)
メルは、そう考えた。
ビンス老人に同伴を許したのは、クリスタから引き離したいからだ。
酒の席で追及されたら、クリスタに霊蔵庫の件をポロッと漏らしてしまいそうで怖かった。
まあ、いずれはバレるのだろうけれど、今は御免被る。
これからお説教タイムだなんて、絶対にイヤだ。
今は自分へのご褒美で、ハッチャケたい。
『ヒャッハー!』したいのだ。
◇◇◇◇
領都ルッカの決戦で、生命樹の恩恵を受けられなかった者たちが居た。
以下は新生ユグドラシル王国の正史に記載されることがない、不運な者たちのサイドストーリーである。
ヴラシア平原で手痛い敗北を期したロナルト・ポラック騎士団長と戦争屋ワルターは、領都ルッカ防衛に慎重な姿勢で挑んだ。
あの恐るべき巨人やリトルドラゴンの姿は、敵陣に見当たらなかった。
樹木霊どもが接近してくる気配もない。
それでも油断は禁物だった。
「ロナルト卿。恐れていたモンスターがいませんね」
「いやいや……。あいつらの落ち着き払った様子を見ろ。魔導甲冑を相手に、あの余裕に満ちた態度は気に入らねぇ。おかしいだろ!」
「確かに……」
実際、両軍が衝突するより早く、巨大な黒い怪物が領都ルッカに出現した。
そのうえ立坑から這い出た死骸の山が、人の形を取って暴れまくる。
既に囲壁を守るどころの話ではない。
「やられた!!」
「なあおい、ワルター。常識が通用しない相手に、軍隊なんぞ意味をなさんだろ?」
「それをロナルト卿が言っては、お終いですよ」
「なんにせよ。我々の任務は、ウスベルク帝国軍を囲壁内へ通さぬことだ」
「領内のことは無視すると……」
「軍は敵対する軍と戦うのが仕事だ。怪物の討伐は専門外である。知ったことか……」
「了解しました。我らは領都ルッカの囲壁を守り、ウスベルク帝国軍を蹴散らしましょう」
「それにしてもよう。あいつらの落ち着きようが腑に落ちん」
その理由は、両軍がぶつかった時点で判明した。
どうした訳か魔装化部隊の前衛が、ウスベルク帝国軍の重装歩兵に止められた。
それどころか突進力に定評のある魔導甲冑が、押し返されてしまった。
「あり得ん」
「奴ら、化物か!?」
想像を超えた怪力だった。
言うなれば、そこそこ大きなブルドーザーを数人の屈強な男たちが、体当たりで押し返すようなものだ。
「くっそー。横合いから騎馬隊が……」
「ちっ。やられた!!」
「信じられん。動力ディスクを矢で射抜かれました。戦線から離脱します」
「ウスベルク帝国の魔法兵器か……!?」
「ただの弓矢にしか見えんぞ」
ウスベルク帝国軍の兵が瞬間的に発揮するパワーは、ミッティア魔法王国の改造人間に匹敵した。
メルが放った邪妖精が、ウスベルク帝国軍に協力しているのだ。
だが、そのような発想はワルターの頭にない。
ミッティア魔法王国は、妖精の主体性を認めていなかった。
故にウスベルク帝国軍が見せた予想外の強さは、何某かの魔法技術であろうと誤解した。
ウスベルク帝国軍と邪妖精たちは、共通の敵を前にして心を通わせた。
邪妖精と兵は、互いに阿吽の呼吸で目標を破壊する。
「まずい、まずい、まずいぞ。でくの坊だと思っていたウスベルク帝国軍が、この強さ」
「ロナルト卿。モルゲンシュテルン侯爵は、なんと……?」
「あの方は、何を報告しようと『心配いらん!』の一点張りだ」
「心配いらん。この状況で……?」
重装歩兵が魔導甲冑の突進を食い止め、機動力を生かした騎馬隊で隙を突く。
怪物じみた防御力と攻撃力は、邪妖精の協力あってのものだ。
これこそが、正しい形での人妖合体だった。
そこに、ミッティア魔法王国が誇る人造人間の不自然さはない。
あるのは人と邪妖精の相互理解、そしてガッツのみだ。
フレッドの剣が焔を噴き上げ、ロナルトが操縦する魔導甲冑の胴を貫いた。
「がふぅ!」
ロナルトは口から血の泡を吹き、白目を剝いた。
「こなくそ!」
「おい。キサマの相手は、オレだよ」
「うごぉー!!」
ロナルトの魔道甲冑に同行していたワルターもまた、バルガスの戦鎚でコックピットをペシャンコにされた。
「むっ、無念……」
軽装備の傭兵に、ミッティア魔法王国の魔道甲冑が破壊されたのだ。
正に由々しき事態であるが、ワルターが観戦武官の役目を果たすことはなかった。
この時点で命を落とした将兵たちは、不幸である。
未だ輪廻転生システムは起動しておらず、死者の都は門を開いたままだった。
ヴランゲル城から飛来したガジガジ蟲が戦死者の魂魄を攫い、破壊された魔導甲冑と融合していく。
戦争屋ワルターとロナルト・ポラック騎士団長は、部下共々、一緒に死者の都へ連れ去られた。
側防塔の倒壊に巻き込まれたウォルター・ドルレアン中将や、囲壁を守備していた兵たち。
オコンネル隊長の指揮下で、屍呪之王を撃退せんと足掻いた魔装化部隊。
医療棟から湧き出た蟲人間たち。
彼らもまた、生命樹の恩恵を受け損ねた者たちである。
闇の手は長く、素早い。
これと狙い定めた獲物は、決して逃がすことがなかった。
死者の都は現象界に存在しない。
概念界とも別の異界に構築された、虚無の穴。
生死の境を越えるとき、現世への恨みを抱えて振り向いた亡者だけに見える、呪われた都市の幻影。
それこそが死者の都である。
戦争屋ワルターは、脳ミソを掻き回されるような不快感に耐えながら、都の中央に聳える荘厳な宮殿を虚ろな目で見つめていた。
禍々しく不吉な、無数の尖塔を擁する黒い宮殿だ。
ヴラシア平原での戦いから続く敗走。
手に負えない戦況が、生々しい恐怖を呼び起こす。
忌まわしい不能感に襲われ、心が焦げ臭い焦りに支配された。
そんなワルターの内面を具象化したような景色が、周囲に広がっていた。
視界に映るのは赤錆色の空。
宙に浮かぶ都市は、まるで墓所のようだ。
汗と血でぐっしょりと濡れた軍服が、熱風に煽られてバタバタと音を立てる。
身じろぎすれば、あばら骨の隙間や腹部に食い込んだ蟲の爪が、更に深く突き刺さる。
まるで悪夢だ。
呪われた都市へと降下していくにつれて、ワルターの危機感は強まる。
やばい。
この先は死地だ。
ワルターの直感が、全力で逃げろと叫んでいた。
だが空を運ばれるワルターには、逃げる手段がなかった。
既に、安全が約束された日常は遠い。
ここは最悪の異界だった。
大きな羽蟲は宮殿の窓を抜けると、ワルターを磨き上げられた黒曜石の床に放り出した。
ワルターの近くに、ロナルト・ポラック騎士団長が転がされて、呻き声を漏らした。
魔装化部隊の兵たちも、次々と転がされていく。
その乱暴な扱いは、荷駄に放り込まれる雑嚢袋の如しだ。
ワルターが見上げた先に、異様なオーラを纏う怪物がいた。
蟲人間など比較にならない怪物だ。
「よう参った、人の子らよ。わらわの宮殿へようこそ」
ワルターたちの前に横たわる蟲の怪物が、その悍ましい姿からは想像もつかない、礼に適った口上を述べた。
その声を聞くなり、ワルターの肉体に力が戻った。
床に手をついて、恐るおそる立ち上がる。
何となれば、目につく限りの空間が、大小様々な蟲に覆い尽くされていたからだ。
「なんだ、おまえは……。この化物が!」
ロナルトの失言に、辺りを囲む蟲たちは色めき立った。
警戒を強めた蟲たちから放たれる、鼻を衝くような異臭が立ち込める。
『ガジジジ……!』と身体を擦り合わせる威嚇音が、謁見の間に佇む男たちを怯えさせた。
「ロナルト卿、穏便に……。蟲の数が多すぎる。いきり立っても、無手では敵いません」
「グヌヌヌヌッ……。すまん」
ワルターに耳打ちされ、ロナルトは姿勢を正した。
男たちは、不安と動揺を隠せなかった。
自分の生死さえ不明な状態で、見知らぬ宮殿に連行された。
しかも獰猛で禍々しい怪物どもに、包囲されている。
ロナルト、ワルター、そしてその部下たちに対峙するものは、ガジガジ蟲の女王だった。
かつてメルの夢に姿を見せた、女怪である。
キャラメルナッツ盗賊団の首領だ。
「われは黒太母。黒曜宮に君臨せし、女王なるぞ」
黒い芋虫の身体と青白い女の上半身を持つ巨大な怪物が、そう告げた。
女の眼窩は落ちくぼみ、瞼が太い糸で縫い合わされていた。
その周囲には、卵と思しき物体が堆積している。
粘液と糸と大きな卵だ。
「これより、授けの儀を行う。其方らの願いを述べよ。何であれ、叶えてやろうほどに……」
尊大な態度と慈愛に満ちた声音、しかし全身全霊で抗いたくなるような負の気配。
うねるように巨体を動かした黒太母は、ワルターを抱き上げた。
そして額から生えた触覚で、ワルターの顔を探る。
黒太母の存在感と力が、ワルターを圧倒した。
只々、怖ろしい。
「くっ……」
ワルターは、身じろぎ一つできなかった。
「其方は、何を望む……?」
嫌な予感がした。
この問いに応じてはならない。
決して受け答えなどしたくないのに、口がムズムズとする。
もう精神力では、如何ともしがたかった。
胃の腑が、ギュッと縮こまった。
「はよう、願いを申せ!」
「…………ッ。せっ、世界の破滅です。人々の絶望する姿。うぉぉぉぉぉぉぉぉーっ。暗黒時代のように大きな騒乱を……。この目で見たい!!」
ワルターは敗北者の牢獄に繋がれることを覚り、血が出るほど唇を嚙んだ。
「フムフム。オマエは子供じゃな。この世に、醜い争いなどない方が良かろう。人が真に目指すべき未来は、平和じゃ。美しき調和じゃ。したが、幼き子の夢は叶えよう」
「ぐあっ!」
黒太母に抱かれたワルターが、黒曜石のブロックに姿を変えた。
「な、何をした!?」
ロベルトが非難の声を上げた。
「心配するでない。この子は、己が望んだ世界を楽しんでおる。永遠に……」
黒太母はワルターから分離した魂をゴクリと飲み込んだ。
「その黒い石は……」
「魂魄の魄に当たるところよ。死者の残念や恨みは、われの都を拡張するための材料となる」
「なんだと……」
「口うるさい奴め。次はオマエじゃ!」
「ウヒィ!」
ロベルトは逃げ出したかったが、指一本たりと動かせなかった。
「はよう、願いを申せ!」
「…………くっ。勝利だ。男の望むところは、戦での勝利よ。オレは何者にも負けぬ強さを望む!」
質問に答えたくなくても、勝手に口が動く。
黒太母なる女怪は、選択肢を与えるような振りをして、全てを管理下に置いていた。
「ほほう。その方も、平和を求めぬのかえ?まったく、男とは愚かよのぉー」
「やめろ……。やめてくれぇー!」
ロベルトもまた、黒曜石のブロックに姿を変えた。
「次は、その方じゃ」
「…………わたしは。平和を」
「ウフフ……。嘘を吐くでないぞ」
「フォォォォォォォ-ッ!」
黒太母は死者の列が消えるまで、授けの儀を続けた。
エルフさんの魔法料理店3巻が、発売されています。
3巻で完結ですが、よろしくお願いします。
WEB版は、続くよ。w
誤字修正してくださった皆さま、ありがとうございます。
感想、いつも楽しく読ませて頂いています。
返信ができずに、申し訳ありません。
これからも、メルを応援してね。(≧◇≦)








