腹に据えかねて
ざくりざくりと霜柱を踏みながら、斎王ドルレアックは予てから目を着けていた奴隷商の倉庫へと向かう。
もっとも倉庫とは名ばかりで、小汚い天幕に囲われただけの空き地だ。
ただ広いだけで、屋根も満足に用意されていない。
粗末な結界さえ抜けてしまえば、浸入するのは簡単だ。
天幕は世間体を考慮した目隠しに過ぎない。
おざなりに除雪された通路から、経営者の為人が透けて見える。
所かまわず、ゴミや汚物が散らかっている。
間違いなくクズだった。
寒空の下に積み上げられた檻は、どれも空だ。
敷地の中央には、無残に破壊された遺体が投げ捨てられていた。
死臭はするが、まだ虫の湧く季節を迎えていない。
気温が低いので、遺体は腐らずに残っていた。
どの遺体も、暴力による損傷が痛々しい。
ウスベルク帝国軍の接近を知り、商売どころではなくなった奴隷商人どもが、憂さ晴らしに商品を始末したのだろう。
「………………」
見知った顔があった。
斎王ドルレアックがビンス老人の炊き出しを手伝っていたとき、列に並んでいた少女だ。
少女の姿が目に付いたのは、大いなる意思の導きであろうか。
何しろ遺体は、山となって積み上げられているのだ。
原型が分からぬほど顔を潰されている者も多い。
その中から特定の人物を見つけだすのは、殆ど不可能に思えた。
「同族の非道、詫びる言葉もありません」
斎王ドルレアックは物言わぬ骸の山に向き合い、略式ながら追悼の祈りを捧げた。
ビンス老人が差し伸べた救いの手から、零れてしまった命だ。
しかし、理由があって救いを拒む者にも、妖精女王陛下は来世を約束していた。
【リセット】と言うらしい。
『あんなぁー、サイオーさま。人生には、どうしょーもないことって、あるんよ』
避け得ぬ不条理は、仕方がないと……。
とぼけた幼女の癖して、何故かズシリと重い言葉だった。
だが、奴隷たちの命を奪ったのは、エルフの奴隷商人である。
捕まえた子供たちを奴隷として檻に閉じ込めたのも、エルフの奴隷商人だ。
隠蔽の魔法で姿を偽っているが、そんなものに騙される斎王ドルレアックではなかった。
胸に渦巻く、同族への激しい怒りは、抑えきれない。
望んでも叶わぬ願いがある。
必死になって足掻いても、変えようのない現状がある。
そうした割り切れない気持ちを千年の長きに亘り、ずっとずっと耐え忍んできた。
〈斎王よ。我慢のし過ぎは、身体に悪いぞ〉
ザスキアがコソリと唆す。
奴隷商の事務所に入ると、気怠そうに夜逃げの準備をしていた男たちが、一斉に振り向く。
粗末なテーブルに積み上げられていた帝国金貨が、音を立てて崩れた。
床に落ちて転がる、穢れの浸み込んだ呪いの金貨。
怪しげに輝き、人を魅了する呪われし金貨。
それらの金貨は文字通りの呪物であり、ミッティア魔法王国がウスベルク帝国の貴族たちを狂わせるためにばら撒いた贋金だった。
やりたい放題、好き放題に乱暴狼藉を働いた挙句、図々しくも稼いだ金を持って逃げ出そうとしている。
その金が、呪われた贋金だと知らずにいるところが、何とも憐れであり、また腹立たしい。
大抵の悲惨な出来事は、愚か者のやらかしが原因である。
それを愚行とか蛮行と呼ぶ。
「なんだ、テメェは……?」
「斎王です」
「さいおー?」
「サイオーってぇーと、あれか。聖地グラナックにおわす、精霊宮の斎王さまか?」
「その斎王です」
男たちは黙って顔を見合わせてから、弾けるように笑い出した。
「冗談も大概にしろ。聖地グラナックは海の向こうの、アスケロフ山脈にあるんだぜ」
「どんだけ遠いと思ってやがる」
「聖地のエルフどもは、引きこもりだ。アスケロフ山脈から降りてくるはずがねぇーだろ」
「まあ、人を騙したいなら……。嬢ちゃんは、もう少し嘘が巧くねぇーとな」
男たちの目から見れば、嫋やかな少女である。
到底、長旅など出来るとは思えない。
「………………」
斎王ドルレアックは、床に落ちた金貨を拾い上げた。
慧眼の能力を使うまでもなく、指先に忌まわしい瘴気を感じる。
『サイオーさまだけに教えたるわ。皆にはナイショやで』
そう言って妖精女王陛下は、怨霊たちの捕獲方法を見せてくれた。
手製の壺に帝国金貨を入れて、荒れ地に放置するのだ。
呪われた金貨を求めて、怨霊たちは壺に群がる。
「たしか、霊蔵壺と言ったか……」
斎王ドルレアックは、妖精女王陛下の得意げな顔を思い出して、プッと噴き出した。
ミッティア魔法王国が秘密裏に開発した呪具も、妖精女王陛下にかかれば楽しいオモチャとなる。
怨霊を捕獲するシンプルな罠は、小魚を獲るビンドウと同じ原理だった。
エサは贋金が放つ、魅惑の光である。
この金貨を手に入れたところで、夢は叶わない。
際限なく、災厄を引き寄せるだけなのだ。
「おい。拾った物をこっちに渡しな」
「ネコババは、よくねぇーぞ」
「こんなものは、要りませんよ!」
斎王ドルレアックは自分の霊力を込めてから、男たちに向かって金貨を放った。
金貨に上書きされた呪いが、男たちを狂わせた。
煌めきながら宙を舞う金貨。
それを取ろうとして、腰を浮かし、手を伸ばす男たち。
調停者クリスタには敵わないが、斎王ドルレアックも呪術を扱う。
そのうえザスキアから授かった異能力もあった。
「斬……。一閃」
鈍い音を響かせて床に転がった男たちが、苦悶の悲鳴を上げた。
斎王ドルレアックに、足首から下を斬り飛ばされたのだ。
「汚らわしいミッティアの屑エルフどもめ。我らエルフ族の面汚しどもが……。やり逃げなど、この斎王が許しません。そこで最後のときを待つがよい!」
悪党どもを裁くのは、抗う術もなく殺された被害者たちだ。
妖精女王陛下の説明によれば、そのような結末を迎える予定だった。
「わたくしは無力です」
目に入らなければ気にしなかった。
自ら汚れに手を突っ込めば、嫌な思いをするのは当然なのだ。
世界の全てを管理しようと考えるのは、それこそ傲慢と言う心の病気であろう。
己の限界を認めない者は、不幸である。
斎王ドルレアックは恐怖で床を這いずる奴隷商人どもに一瞥をくれ、その場から立ち去った。
無力だけれど、この地から悪党どもが逃げ出すことだけは許せなかった。
そもそもエルフ族の長は、とても短気で狭量なのだ。
◇◇◇◇
夢を見ていた。
ジュディットは夢の中で、貧しい男爵家の娘だった。
家が貧しいのは、ギャンブル好きな父親と浪費家の母親が原因だった。
家名は思い出せない。
両親の姿は、真っ黒なシルエットだ。
海の底で暮らした時間が長すぎたのか、人であった頃の記憶からディティールが剝げ落ちている。
現実味はないが、ここからの展開は知っていた。
と言うか、せっかくメジエール村で幸せな日々を送っていたのに、自分が人魚になった経緯を思い出してしまった。
『お父さんがまた、賭け事で借金を増やした』
これは夢だ。
奇妙なリアリティーがあるけれど、夢なのだ。
そんな理性の訴えは、悪夢の進行に塗り潰されて消え失せた。
知らない男たちがやって来て、嫌がるジュディットを馬車に乗せ、港の倉庫へと運んだ。
そこにはジュディットと同じ境遇の子供たちが、何人も居た。
親に売られてきた子たちだ。
買われた先では、良い生活ができると教えられていた。
子どもの居ない貴族が、我が子として養育してくれると言う話だった。
だが、そんな美味い話はない。
輸送船に乗せられて海の真ん中まで行くと、男たちは狂暴な本性を露わにした。
薄っぺらな影絵なら怖くないかと舐めていたが、滅茶クチャ怖かった。
それもそのはず、夢だけれど、これは前世の記憶だった。
怯える子供たちを殴り、蹴り飛ばして、甲板の端から海へ突き落す。
もがいても、もがいても、真っ暗な海底へ沈んで行く。
息が続かず、肺に海水が流れ込んできた。
苦しい。
「ヒィッ!」
ジュディットは悲鳴を上げて目を覚ました。
枕元には、メルから貰った帝国金貨が置いてあった。
「詰まるところ、要するに、ぜぇーんぶ、コイツのせいだったのね!?」
ジュディットが自分のルーツを知りたがったところ、メルに手渡された金貨だ。
これを欲しがって、人は心を狂わせるらしい。
「あたし、親に売られて殺されたんだ!?」
美味しいものを食べて、楽しく遊んでいる場合ではなかった。
船尾から海に落とされた仲間たちが、ジュディットを呼んでいた。
そわそわして、心が落ち着かない。
「海で祭りがあるの……?」
ヴェルマン海峡で、穢れを払う祭祀が行われるようだ。
それは是非とも参加せねばなるまい。
どうしたらよいのか、明日になったらメルに訊ねよう。
あの子は、何でも知っているから……。
ジュディットは、そう考えた。
「どうしたのジュディー?」
眠たそうに眼をこすりながら、ディートヘルムが訊ねた。
「何でもないヨォー」
ちゃっかり酔いどれ亭の子供部屋に棲みついたボッチ人魚は、可愛らしい弟が居る幸せを嚙みしめた。
小さな弟と同じベッドで眠れる、至福の日々。
もう海底には戻りたくない。
恨みがましい根暗ボッチ人魚は、卒業するのだ。
だけど穢れたお姉さんが好きな弟なんて、居るとは思えなかった。
ここは忌まわしい過去を清算して身ぎれいになるため、もう一度だけ人魚に戻ろう。
「あたしは、この家の子になるよ」
メルに頼まれて魚とりをする気は、これっぱかしもないジュディットだった。
投稿の間が開いてしまい、申し訳ありません。
エルフさんの2巻を買って下さった皆さま、ありがとうございました。
まだ買っていない読者さま、ぜひぜひご購入を検討してくださいませ。
内容はWEB版と同じですが、最初から最後まで手直しを入れました。
たぶん、意味不明な箇所が減り、加筆されてぐんと読みやすくなっているはずです。
よろしくお願いします。
また、感想などございましたら、なろうの感想に上げて頂いても構いません。
お待ちしております。








